第38話 援軍

北海国都昌県ほっかいこくとしょうけんの主城が黄巾党の大軍に囲まれていた。

城内には、北海太守の孔融こうゆうが忙しく防戦の指示を出している。


孔融は、青州黄巾党が北海国に流れてきたため、一軍を率いて迎え撃ったのだが、敵が思いのほか強靭で、逆に城の中に押し込まれたのだった。


黄巾党を率いるのは管亥かんがいという将で、城を囲むなり、兵糧一万石を要求してきた。

三日以内に兵糧を渡す約を結べば、囲みを解くという。


この件に関して、城内で軍議が開かれる。

まず、文官の王修おうしゅう

「兵糧一万石で助かるのであれば、安いものではないでしょうか?」

と、言えば同じく孔融配下の是儀しぎが反論する。


「いや、脅迫に屈して、賊の要求をのんだとなれば、孔融さまの家名に傷がつくぞ」

話の争点としては、命をとるか誇りをとるかで、結論が出なかった。


孔融が並の家だったら、すぐにでも兵糧を渡しているところだが、孔融がかの有名な孔子の子孫であったがため、なかなか結論が出なかったのである。

ご先祖さまの顔に泥を塗るようなまねはできない。


「生き残る方法を模索するならば、援軍を頼むしかありますまい」

最後は二人、仲良く同じ結論に至る。


それでは、誰を頼るかが問題となった。

袁紹は冀州を乗っ取った事実があり、信用できない。


曹操は兗州を手に入れたばかりで、援軍を送る余裕はないだろう。

公孫瓚の北平は遠すぎる。


すると、孔融自ら、

「平原国の劉備殿を頼ろう。勢力こそ小さいが、補ってあまりある強さと誠実さがある」

確かに劉備の元には関羽、張飛という豪傑もおり、袁紹よりもはるかに信頼できそうだった。


では、次に使者を送るためには黄巾党の囲みを突破しなければならない。その使者選びに難儀する。

皆一様に及び腰で、なかなか決まらなかった。

そこに一人の若武者進み出る。その者の名は、太史慈たいしじといった。


太史慈は孔融が目にかけている食客で、太史慈の老母の面倒を代わってみるくらい期待をしていた。

「日頃より、受けているご恩を返すのは、まさにこのときと心得ます。どうぞ、私にお命じ下さい」


孔融は太史慈の心意気を買って、援軍を求める使者に任命した。

太史慈は、得意の弓を駆使しながら、黄巾党を出し抜くと、無事に平原国に辿り着く。

孔融の期待に見事、応えるのだった。



「えっと、太史慈さんね。孔融殿が黄巾党に囲まれているってことでいいかい?」

「はい。そこで、孔融さまより、劉備殿に援軍を頼むよう指示を受けてまいりました」

「なるほどね」


劉備はそう言いながら、やって来た使者を見やった。

聞いたところによると数万の大軍の囲みを単騎で突破してきたという。

それだけでなかなかの強者と分かる。


「大変だったね。あとは任せてくれ」

「では、援軍を出していただけるのですね」

「当然だろ。何より、北海の民が困っているってんなら、ほっとけない」


劉備は立ち上がると、すぐ準備にとりかかるように指示を出した。

関羽と張飛が早速、外に出て行く。


二人の偉丈夫を間近に見た太史慈に緊張が走った。

『この二人が呂布を退けたという豪傑か』


呂布の強さは噂でしか知らないが、赤兎馬を駆って宙を翔び、方天画戟の一振りで十の首は飛ばすという。

その呂布と一人一人が互角の闘いを演じて、最終的に退けた。

武を生業にする者として、かくありたいと強く思う。


そんな太史慈に、

「あんたも腕に覚えありなんだろ。あとでうちの二人に胸を貸してやってくれ」

「いえ、私は、そんな・・・」

太史慈は謙遜するが、この黄巾党の件が落ち着いたら、二人に一勝負挑もうと思う。

黄巾党との大戦前にがぜん、やる気がみなぎった。


劉備自身は気づいていないが、自然と人をのせているようだ。

簡雍は、またやっていると思いながら、主君に近づく。


「それにしても、大将もあの孔融さんに頼られるとは、出世しましたね」

「そうだな。・・・ていうか、よく俺のことを知っていたな」


確かに反董卓連合では一緒だったが、劉備は諸侯ではない。

いわば公孫瓚のおまけのようなもの。


お情けに近い形で軍議にも参加していたが、孔融のような高名な人物に名前を覚えられるほど、接した記憶は皆無だった。


「・・・まさか・・」

「ないです」


劉備が罠ではないかと言い出す前に、簡雍がぴしゃりと否定する。

太史慈が持ってきた書簡は、どう見ても孔融が書いた本物だからだ。


「・・・じゃあ・・」

「それもないです」


今度は人違いではないかと言い出しそうだったので、それも即座に否定する。

使者の太史慈が劉備殿と、ちゃんと言っているではないか。


「・・・つまり・・」

「そうです」

脱線した話の流れが、北海に救援のため出陣するという、元の話に戻ったので、簡雍は肯定した。


近くで聞いていた太史慈は、よく二人の会話が成立すると感心する。

それにしても・・・

『自分たちの虎牢関の闘いが伝説級の話として、世の中に伝わっていることを知らないのだろうか?』

劉備三兄弟の勇名は天下に鳴り響いている。


参加していない太史慈が知っているくらいだから、そんなはずはないと考えた。

きっと戦前の緊張をほぐすための冗談だと思い込むが、実際のところは本当に知らないのだ。


これは劉備があまり調子に乗らないように簡雍が情報統制した結果だった。

いずれにせよ、劉備は三千の精鋭を率いて、一路、孔融が待つ都昌県に向かうのだった。



都昌県に着いた劉備軍。

まだ、落城していない様子に太史慈はほっとする。


黄巾党を率いる管亥は、敵の援軍の到着に舌打ちするが、兵力が三千と聞くと小馬鹿にする。

「どれ、見せしめにひねり潰して、孔融の肝を冷やしてやろう」

管亥が迫ってくるのを見て、太史慈が当たろうとするが、関羽が止めた。


「貴殿は、使者として平原国に来て、休む間もなくこの行軍だ。体力が万全ではあるまい。ここは私に任せろ」

関羽が太史慈の疲労に配慮すると、そのまま、馬を走らせ管亥と対峙した。

冷艶鋸と大薙刀が激しく打ち合う。

鮑信を倒した腕前だけあって、管亥はなかなか強かった。


しかし、所詮、関羽の敵ではなく十数合打ち合うと決着がつく。

関羽の冷艶鋸が管亥の首を飛ばしたのだ。


大将が討ち取られ、肝が冷えたのは逆に黄巾党の方だった。

城郭から、管亥が討ち取られるのを見ていた孔融は、好機とみて城から打って出る。

指揮系統の混乱と挟撃が相まって、黄巾党は城の囲みをといて逃げ出すのだった。


都昌県の地から、黄巾党を追い払うと孔融は、劉備を城内に招き入れる。

「劉備殿、ご助力、感謝いたします」

「いえ、平原国も同じ青州。放っておけば、明日は我が身ですから」

「そうは言っても、他人の窮地は、自身の好機ととらえる輩多い世の中。感謝の言葉しかありません」


孔子の末裔に改まって感謝されると、何ともむずかゆい気分になる劉備だった。

「いえ、そもそも今回の第一功は、この太史慈殿ですよ。我らを呼ぶために黄巾党の厚みを突破した勇者ですから」


その言葉にうっかりしていたと孔融は告げ、太史慈に最大限の感謝の気持ちを伝える。

劉備に持ち上げられた太史慈は、顔を赤くして嬉しそうにしていた。


和やかな雰囲気が続き、孔融の手配で宴の準備がすすめられた。

「ここは本城ではないため、大した歓待はできませんが、ゆっくりして下さい」

劉備たちが促されるまま席につくと、卓には料理が運ばれてくる。

杯に手をかけ、一口、含んだところに慌てて文官の一人が飛び込んできた。


「一体、何事か?」

孔融が確認すると、徐州より急ぎの使いが来ているという。

劉備を歓待している途中であるが、文官の慌てようにただ事ではないと感じた孔融は、その使いをここに通せと命じた。


やって来たのは、徐州の幕僚、麋竺びじくだった。

麋竺の家は徐州でも有名な富豪で、孔融とも面識がある。


「これは、麋竺殿でしたか。いかがされましたか?」

問われた麋竺は、神妙な面持ちで拝礼すると、

「孔融さま、どうか徐州を救ってください」と、告げる。


それだけでは、何事か分からず理由を聞くと、曹操が攻めてきたというのだった。

これには、劉備も驚く。

しかも徐州の民を虐殺しながら進軍しているという。


「横から、失礼。麋竺殿、それは間違いなく曹操殿ですか?」

「間違いございません」


・・・あの曹操が民を虐殺しながら?

腑に落ちない劉備をよそに、城内では緊急の軍議が開かれる。


しかし、曹操は兗州を手に入れ、日の出の勢い。

援軍を派遣しても、勝てるかどうか・・・

弱腰な意見が並べられた。


「和睦の使者を送ってはどうか?」

孔融の意見に麋竺は首を振る。それはとっくに送っているとのことだった。


どうやら、避けられない戦争のようだ。

とはいえ、北海は黄巾党を撃退したばかり、他国に援軍を出す余裕がないことも確かだった。


何とかしてやりたいが・・・

孔融が思い悩んでいると、劉備が立ち上がった。


「それじゃ、俺たちが徐州に向かいますよ」

麋竺は、援軍を申し出てくれた男に礼をとる。

しかし、この男が誰か知らなかった。

「彼は平原国の太守、劉備玄徳殿です」


孔融の紹介で、改めて劉備を見直した。

穏やかな雰囲気の中に自信に満ちた強いまなざし

『この御仁が、あの劉備玄徳殿か』


虎牢関での勇名が本当であれば、あるいは・・・

麋竺の心に僅かながら、希望の灯がともる。

「三千しかいなくて申し訳ないけどね・・・」

劉備は麋竺のもとに近寄り、声をかけた。


遊びではなく命を賭けた戦い、他人の戦に参加してくれるだけでありがたいのに兵の多寡で謝罪など・・・


「ただ、安心してくれ、俺が何とかするよ」

あの曹操を相手に強がりとも思えぬ。

かといって気負っている様子もなく、自然体で安心してくれと言う。


麋竺は魂が震えるのを感じた。本当に何とかなりそうな気持が膨らんでいった。

劉備は早速、軍を率いて麋竺とともに徐州へ向かう。


行軍途中、格好つけすぎと簡雍にたしなめられるが、自然と出た言葉なので仕方ない。

「これで、あの麋竺さんも大将の被害者ですよ」

「言い方が悪いぞ」


関羽と張飛は、どっちが夏侯惇、夏侯淵とやるかで盛り上がっているが、さて、本気の曹操と対峙して、どうなるのか。

なぜか本当に怖さは感じず、変な胸の高鳴りだけがあった。


洛陽の廃墟で曹操と別れてから、劉備も多少は力をつけた自負がある。

曹操の言う英雄には、まだ届いてはいないと思うが・・・

それでも、「力比べといこうぜ」と、対戦を待ち遠しく思う劉備だった。

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