第7章 徐州攻防編

第36話 新支配者

貂蝉が去った長安。

再会を約束した王允だったが、残念ながら、貂蝉と二度と会うことはなかった。

諸侯の援軍が間に合わず迎撃態勢が整う前に、朱儁討伐から戻って来た李傕、郭汜軍の強襲を受けたのだ。


呂布とその手勢の奮闘虚しく、長安は陥落する。

王允は殺され、生き残った呂布は僅かな手勢とともに、袁術を頼りに荊州南陽郡へと向かった。

魔王から解放された献帝は、再び魔王の配下の手に落ちるのだった。


長安の新たな支配者は、董卓軍の残党、李傕、郭汜、他に樊稠はんちゅう張済ちょうさいの四人。

それぞれ李傕は車騎将軍、郭汜は後将軍、樊稠は右将軍、張済は鎮東将軍となり、合議制をもって、長安を治める。


だが、実際は李儒の後継者と目されていた新参謀の賈詡かくが四人を裏で操っていた。

賈詡は董卓や李儒の失敗を参考に、できるだけ善政をしくよう四人を誘導し、今までの董卓政権との違いを強調する。

民を慈しみ、献帝を敬い奉った。


これにより、諸侯が自分たちを討伐する大義名分をなくそうとしたのだ。

この政策が功を奏して、しばらくはこの政権の天下が続くことになる。


董卓の行動が極端に過激だったため、少しの善行が立派に見えたのかもしれない。

しかし、それも賈詡の狙いの一つだった。

労少なく功多し。


王允の要請に応えようと準備をしていた諸侯は、しばらくは動静をうかがうように方向転換するのであった。



そんな中、すでに軍を派遣している者もいた。

それは、西涼太守の馬騰寿成ばとうじゅせいだった。


馬騰の領地が長安から一番近かったため、王允の要請受けるのが早かったことも関係する。

長安陥落は、その行軍途中で知ることとなった。

もはや手遅れと知った馬騰軍は、今後の進退について協議を行う。


「董卓の後始末は、我ら涼州人がすべきこと。親父殿、このまま軍を進めましょう」

意気揚々と進軍を唱えたのは、十七歳になった息子の馬超ばちょうだった。

今回の出陣が初陣である。


尚、他の者も概ね馬超の意見と一致した。

というのも董卓につき従ったのは、ほとんど同郷の人間。


このままでは涼州人は全員魔王の手先。

世間から、そんな色眼鏡で見られているため、その評判を早く払しょくしたいのだ。

大きな反対意見が出なかったため、このまま長安に進軍することになる。


ただし、部下の龐徳ほうとくだけが慎重論を述べた。

「進軍は私も賛成ですが、敵の態勢は十分に整っています。我が軍だけであたるよりは、他に協力を依頼した方がいいと思います」

「その案はいいが、誰に頼む?」

馬騰の問いに龐徳は、「韓遂かんすい殿がよろしいでしょう」と、答えた。


韓遂文約かんすいぶんやく

馬騰とは義兄弟の間柄であり、以前、韓遂が羌族とともに反乱を起こしたとき、董卓に討伐された経緯がある。

董卓軍に対する怨恨もあり、頼めば援軍を派遣してもらえる勝算は十分だった。

「よし、それでは文約の奴に使者を送れ」



韓遂から、援軍承知の報せが届き、馬騰軍は進軍を再開した。

まずは、長安の北、池陽県ちようけんを目指すことにする。

池陽県は穀物の貯蔵庫となっていたため、まずは敵の兵糧を奪おうと考えたのだ。


その動きを察知した賈詡は、すぐさま迎撃軍を出すことを進言した。

李傕は、兄の子の李利りりを派遣し、その他、話し合いで郭汜、樊稠が出陣することになる。


馬騰軍には、再起を図る韓遂も合流し、両軍は池陽県の南、長平観ちょうへいかんに駒を進めた。

郭汜と樊稠は、まず王方おうほう李蒙りもうに先鋒を命じる。


彼ら二人は、先の戦いでは当初、呂布についていたが、不利と知るやいなや、すぐさま李傕に内通した。

そして、長安の城門を空けて、李傕、郭汜軍を城内に引き入れたのだ。


これが呂布敗走の決め手となる。

彼らはその時の功で、校尉の地位を得たが、また、この戦で功を立てて、李傕、郭汜、樊稠、張済に次ぐ権力を手に入れようと考えていた。


一方、馬騰軍の先鋒は馬超が志願し、そのまま大役を手に入れる。

息子可愛さもあったが、馬騰はその実力も認めていたのだ。

馬超は戦場に立つと、早速、一軍の将を見つけた。


相手は、王方である。

「西涼の錦、馬超孟起ばちょうもうきだ。いざ、勝負しろ」

王方は馬超を自分の年齢の半分近い子供と侮り、安易に近づいて行く。


「小僧、お前は見逃してやるから、親父を出せ」

「馬鹿か。不用意に俺の間合いに入るんじゃない」

「ぐっ」

余裕ぶっていた王方を目にもとまらぬ動きで瞬殺した。


馬騰軍から、未来の旗頭に対して歓声がわく。

それを見ていた韓遂も目を細めた。

「寿成め、いい息子をもったな」


韓遂は先の反乱で息子を失っており、跡継ぎがいない状態だった。

もし、今も生きていたら馬超のような若者に育っていたのではと、しみじみと感じる。


その時、馬超の背後から迫る敵将を認めた。

それは敵の先鋒を任された、もう一人の将、李蒙だった。

李蒙は、馬超が王方を討ち取ったばかりで油断しているだろうと、慎重に近づいていく。


そして、『隙だらけだぞ、小僧』と、舌なめずりをした。

しかし、

「だから、俺の間合いに簡単に入るなって言っただろ」


馬超は後ろに目があるかのごとく、気配を察知すると振り向きざま、槍を横に払った。

刃先が李蒙の首を切り裂く。

鮮血が飛び、血しぶきを浴びながらとどめの一突きをみまうのだった。


これには、韓遂も

「・・・いや、ここまでの武者ぶりには、さすがに無理か・・」

馬超の実力を素直に認め、賛辞を贈る。

「西涼の錦、馬超、ここにありだな」



馬超の活躍があり、緒戦は馬騰・韓遂連合の圧勝に終わる。

その戦況報告を聞いた賈詡は、池陽県を明け渡して、無理な戦いはせず防戦に徹するように進言した。

何故だ?という李傕の問いに、

「敵はすでに我が術中にはまっております」と、答えるのだった。


郭汜、樊稠軍の抵抗がなくなったため、馬騰たちはあっさりと池陽県を落とす。

しかし、池陽県についた馬騰と韓遂は愕然とした。

穀物でいっぱいと聞いていた倉には、何一つ入っていないのだ。

近隣の畑も収穫済みで、新たに手に入れることができる兵糧が何もない。


これはすべて、賈詡が仕組んだことで、池陽県に兵糧があるという偽の情報を流し、畑の収穫も早めに実施するように手配していたのだ。

ここの兵糧をあてにしていた馬騰は、一気に窮地に立たされる。


敵は防衛に専念し、長期戦の構えを見せていた。

いかに馬超の勇をもっても、打ち破るのは容易ではないだろう。

自軍の兵糧が尽きる前に長安に辿り着く、算段が立たなかった。


「無念だが、ここは引き上げるしかないか」

「それしかないだろう」

馬騰と韓遂の意見が一致し、西涼に退却することにする。


その際、しんがりを韓遂が引き受けた。

はじめは援軍の韓遂に、それは頼めないと馬騰は承服しなかった。

しかし、この負け戦で将来ある馬超の身に万が一のことがあってはいけないと、韓遂も引かない。


それほど、韓遂は馬超を買っていた。

亡くした息子に重ねる部分も多かったのだろう。

結局、義兄弟の熱い想いに、申し訳ないと馬騰が折れて、韓遂をしんがりに据えて退却した。


馬騰は無事、西涼に退却できた。

しかし、韓遂は追撃する樊稠の軍勢が強く、攻撃をさばくのに精一杯となる。

次第に限界に近づいていくのだった。


ここで韓遂は、藁にもすがる思いで樊稠に書簡を送る。

実は韓遂と樊稠は同郷で、その昔、親交があったのだ。

樊稠の恩情に何とかすがりたい韓遂は、書簡には客観的に見た董卓の振る舞いとそれに対する涼州人の風評被害を訴え、今回は私怨による争いではなかった点を伝える。


確かに董卓の行為には、配下の樊稠でさえも、日々、戦々恐々としていのは事実だった。

また、今の涼州人の立場も理解できた。

最終的には情にほだされ、樊稠は追撃の手を緩めるのである。

結果、韓遂は無事に西涼に帰還することができた。



ところが、見逃した樊稠の方が無事とはならなかった。

その経緯を李傕の甥の李利が見ており、李傕に告げ口をしたからだ。

敵を見逃す行為に、二心ありと他の三人に糾弾される。

それで憐れな樊稠は、処刑されることとなった。


李傕は、甥の李利をよくぞ、樊稠の動向を見極めたと褒めたたえるのだが、これは賈詡の入れ知恵によるものだった。

戦前に李利に、樊稠をよく見張るように指示をしていたのだ。


長安では四人による合議制を執っているが、賈詡はその人数が多いと思っていた。

制御する人間が多いと賈詡の負担も大きいのだ。


誰かにご退場願うしかない。

そこで白羽の矢を立てたのが樊稠だった。


韓遂が援軍となること、結果、馬騰軍が撤退することまでは読めており、その際に樊稠が韓遂を見逃す公算が高いと思っていた。

処断するには、うってつけの理由が出来上がる。


思惑通り進んだ、賈詡は、

「あと、一人くらい、減らせれば楽なのだが・・」

今回はうまくいったが、そう簡単なことではない。


それに今は内部より外部に気をつける時期だ。

馬騰のように長安を目指す諸侯が、現れないように気を配らなければならない。


自身の暴虐性は決して表面には出さず、頂点に立って権力を握るでもない。

新しいやり口で長安を牛耳る男が、ここ現れるのだった。

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