第35話 別れ

あの悪逆の限りをつくした魔王、董卓を何とか誅することができた王允たちは、精魂尽きたようにその場に座り込んだ。

董卓を宮殿に誘い込んでから、はかりごとの露見、呂布の登場、そして、董卓の誅殺。

その間に情勢がめまぐるしく変動し、状況の変化をうまく消化できなかった。


特に呂布の董卓陣営の離反を、どう捉えてよいのか。

いや、本当に離反なのか?

ただ単に董卓に取って代わるつもりのだけではないのか?

呂布の真意は、王允にとって、確認すべき重要な事項だった。


念を入れて、献帝をこの場から遠ざけるため、宮殿奥までお連れするように指示をすると、

「この後も我らにご助力願えるのでしょうか?」

核心ともいえる質問を呂布にする。


呂布の回答次第では、この後の対応が色々と変わるのだ。

最悪、呂布と対決することにもなる。


「間もなく、李傕と郭汜が戻ってくる。それまでにできるだけ態勢を整える必要があるぞ」

その答えは、間違いなく合力してもらえるということだ。

王允ともども宮殿内に安堵の声がもれた。


「董卓を討った手前、奴らにとって俺は仇。お互い信用はできないかもしれないが、落ち着くまでは手を組もうではないか」

今までのことがある。王允も呂布を手放しで信用しているわけではない。

利害が一致する間だけでも協力関係が築ければ十分だった。


「諸侯に董卓を討ったことを喧伝し、援軍を頼みましょう」

「ああ、できるだけ早い方がいいだろう」

・・・間に合えばいいが。


この勝負は、呂布、王允側が李傕、郭汜を迎え撃つ体制を十分に整えられるかどうかにかかっている。

長安に残る董卓の残党兵の吸収も急がなければならないだろう。

今度の戦は時の女神がどちらに微笑むかにかかっていた。



喧騒の宮殿内、卞が呆然と座り込んでいた。

貂蝉が卞の前に立つと、スッと手を出す。


その手が自分を立たせるためだと、気づいた卞は、

「私が憎くないの?」

「お互いの目的が違っただけですから。・・・卞さんは卞さんの目的のために動いただけでしょ」

貂蝉の手を取り、卞は立ち上がる。


「七星宝刀の件、呂布将軍との密会の件、それだけじゃなく今回の禅譲の件も私が董卓に告げ口したのよ」

「ええ。何となく、そんな気がしていました」

「・・・大人ね。それとも勝った余裕かしら」

皮肉を言ったようだが、卞の表情はすでに切替わっているように見える。

何か吹っ切れているようだ。


衣服についた埃を払うと、身なりを整える。

そんな姿も絵になるほど、美しかった。

こんな人が、どうして董卓のために動いていたのだろう?


「卞さんの目的って、何だったんですか?」

もしかしたら、他人が立ち入ってはいけない領分だったかと、聞いてから、貂蝉は後悔するが、卞の反応は意外とさっぱりしていた。


「私が名前を捨てたって、前に話したことがあるわよね」

「はい」

「名前を捨てる時、いろんな感情があった」


この国の戦乱は長く続いており、親をなくす子、生活ができず売られる子。

自身では生きる術を持たない小さい子供は、不幸な人生を送ることはざらにある。


卞もその一人で、親に捨てられたときに名を捨てた。

売られた先では、歌妓となるための芸や客をつけるための色事も仕込まれる。

身を削りながら、成長した卞は、自分を捨てた親をどうしたら見返すことができるか、そればかり考えていたという。


そして、出した結論が、

「名前を捨てた私がこの国の青史せいしに名を残す。それが私の生きる目的よ」

女性の身で歴史に名を残す?

貂蝉にはそんなこと考えたことも、そんな視点もなかった。

でも、どうやって?


「女が名を残すのは簡単。英雄の母親になればいいの」

「・・英雄の母親ですか?妻ではなく?」

「馬鹿ね。英雄となる人なら、妻は何人いると思うの?でもね、母親はたった一人なのよ」

言われてみると確かにそうだ。

やはり、卞さんは凄い。


「・・・だから、一番の近道は権力者の子を宿すこと」

それで、董卓に擦り寄っていたことが納得できた。

気に入られるために、貂蝉の情報も流していたのだろう。

しかし、不思議と怒る気にはなれなかった。


僅かな期間だが、後宮に身を置いた。

そして、卞の行動は後宮内においては当たり前のこと。

それがここでの女同士の闘いなのだろうと、少しは理解したつもりだった。


「本当は、あんな太った爺さんよりも、献帝陛下の方がいいのだけど、さすがに歳の差がね・・・」

そうなると、英雄の母どころではなく、国母ではないか・・・

「あなたのせいで、私の野望は台無し。・・・あなた、代わりにいい男、紹介しなさいよ」

貂蝉は立ち直った直後、そこまでしたたかになれる卞に、思わず吹き出してしまった。

これが乱世を強く生きる女性の姿なのだろうか・・・


「それじゃあ、呂布将軍なんかはどうです?」

なんかとは失礼かもしれないが、思いつく人物など呂布くらいしかいない。


卞は少し考えると、首を横に振った。

「だめよ。あの鬼将軍はあなたに夢中じゃない」

「え?」

貂蝉は、そんなこと考えてもいなかったが・・・


意識して呂布のことを想像すると、顔が少し熱くなってきた。

『あら、この娘もまんざらじゃないのね』

いたずらっぽく笑う卞に気づくと、貂蝉はそっぽを向けるのだった。



王允は董卓と李儒の遺体を長安の市中にさらす。

それは暴政の終結を示すのと見せしめ、両方の意味があった。

長安の人々は歓喜にわく一方で、怨恨の思いも深く、動かぬ董卓を棒で叩く者が後を絶たない。


特に三族打首となった袁家に所縁ゆかりある者たちの恨みは激しく、呂布の手勢と組んで、董卓の弟の董旻とうびんなど一族を皆殺しにして、死体に火をつけるのだった。

それは九十歳になる董卓の老母も、例外ではなく同様に殺される。

こうして、董卓の権力のもと、諸侯となった董家の者は、皆殺しという運命をたどった。


董卓の遺体は、叩かれすぎたせいか、地面にあぶらが染み出していた。

死体を監視している役人が試しに暖を取ろうと、董卓の遺体のへそに火を灯すと、三日三晩、燃え続けたという。


郿城に貯えられた金銀財宝も苦しみを受けた人々にばらまく。

人気取りとしては、あざとい手段だが、長安の人々を味方につけておいた方がいいと王允は判断したのだ。


董卓を誅殺した後始末が一段落すると、貂蝉は王允に、一度、郷里に戻り、部族の立て直しを行うことを告げた。

「お養父さま。見ず知らずの娘だというのに、かけていただいた愛情は生涯忘れません」

「落ち着いたら、いつでも帰ってなさい。ここは、もう貂蝉の家だから」


三年の月日で育んだ親子の絆に離れがたい思いがあったが、貂蝉には貂蝉の、王允には王允のすべきことがあると理解する。

「はい。ありがとうございます」

貂蝉は王允の手を額につけて、感謝した。


そこに、

「間に合ったか」

呂布がやって来た。

「来て下さったのですか?」

「こいつが、会いたいと言うのでな」

呂布は赤兎馬を示す。


その赤兎馬は、もう貂蝉の方に擦り寄っていた。

「はは。くすぐったい」

赤兎馬に顔を舐められ、黄色い声をあげる。

この赤兎馬には感謝してもしきれない。


惜別の情は、いつまでもつきないのだが、やがて旅立ちの時がくる。

「それでは、お養父さま、呂布さま、赤兎ちゃん。また、お会いできる日を楽しみにしています」

「うん。気を付けてね」

王允が泣き笑顔で見送る。


貂蝉が馬に跨り、常歩なみあしでゆっくり移動しながら皆に手を振った。

「天下が定まったら、お前を迎えに行く」

「え、何ですか?」

少し離れた貂蝉に呂布の声は届かなかったようだ。


「何でもない」

よく聞こえなかったが、お別れの言葉だと受け取った貂蝉は呂布に笑顔を向けて、大きく手を振る

「ふん」

呂布は苦虫をかみ潰したよう顔をして、横を向いた。


赤兎馬は鳴き声をもって、貂蝉を見送る。

それが合図だったかのように、貂蝉は振り返ることなく、郷里へと戻って行くのだった。


「部族をまとめることができたら、お養父さま。お味方として参上しますね」

貂蝉は一人、約束を胸に秘めて走り出す。

涼州の空は明るかった。

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