第32話 再会

あの七星宝刀の一件以来、貂蝉が寝屋に呼ばれることはおろか、余興の演舞にも呼ばれることがなくなった。

まだ、疑いを完全に払しょくしたわけではないのだろうか。


董卓と接触する機会を断たれた今、彼を殺害する手段はなくなったと言っていい。

まさに八方塞がりの状況となった。


何をするでもなく半日、部屋の中で呆けていたが、さすがにこのままではいけないと思い立つと、気晴らしに郿城内を散策することにした。

貂蝉が城内を歩いていると、ふと懐かしい匂いが鼻をくすぐる。

誘われるように進んでいくと、馬小屋なのか馬が数頭、囲われている区画についた。


羌族の貂蝉にとって、馬は文化の一部。

生活をともにする家族だった。


王允のところでお世話になってから、ここ郿城においても馬に触れる機会は、今までなく、この雰囲気、馬の吐息、匂い、どれもが懐かしく感じる。

自然と馬の方に足を運んでいた。


何頭かの馬のほほに触れて回る。

子供のころから、貂蝉の中に擦り込まれている感覚がよみがえってくるのが分かった。

そのまま、馬を眺めて歩いていると、飛び抜けて雄々しい馬と出会う。

馬格があり、全身が炎のように赤い。

そして、馬とは思えない眼光をしていた。


しかし・・・

『この馬・・・お父さんの・・赤兎馬?』

昔、亡くなる前に父親が所有していた馬に似ていると思った。

あの頃は、まだ、仔馬だったが・・・


貂蝉が近づくと、赤兎馬は頭を下げて、触れやすくしてくる。

たてがみ、鼻先、ほほ。

赤兎馬に触れると貂蝉は郷愁きょうしゅうの想いにさいなまれる。


『・・・やっぱり、赤兎ちゃん。・・・』

安易に付けた名前だったが、確か赤兎馬も気に入っていたはず・・・


貂蝉が、昔の記憶をたどっていると、

「おい、俺の馬に触れるんじゃねぇ」

突然、低くお腹に響くような声で咎められた。


振り返ると、そこには呂布が立っている。

「また、お前か?」

「これは、呂布将軍」

慌てて貂蝉がお辞儀をした。

呂布は貂蝉に近づくと、その太い腕を伸ばしてくる。


「きゃっ」

貂蝉のか細い首に、魔の手が届く直前、赤兎馬が呂布の手にかみついたのだった。

「ん?・・・赤兎馬よ、この女を守るのか?」

赤兎馬を振り払うと、呂布は改めて貂蝉を見つめなおす。


「女、赤兎馬に免じて、許してやる」

「貂蝉です」

「何だ?」

赤兎馬が近くにいてくれるおかげか、貂蝉に度胸がつく。

貂蝉は自分の名前を伝え、呂布を見返すのだった。


「私の名前は、女ではありません。貂蝉です」

そう言い返すと、赤兎馬が貂蝉の顔をなめてくる。


・・・俺以外に・・いや、俺以上に、赤兎馬になつかれるとは・・・面白い。

「わかった、貂蝉だな。・・・貂蝉、赤兎馬に乗ってみるか?」

「よろしいのですか?」


呂布は貂蝉に興味がわいてきたのだった。

久しぶりの騎乗、しかも懐かしの赤兎馬に乗れるとは、貂蝉は子供のようにはしゃいで喜ぶ。


呂布は貂蝉を乗せ、手綱をひいた。

郿城を出て、原野を駆ける赤兎馬。

風を受けながら、まるで空を翔んでいるような錯覚に貂蝉は夢見心地となる。

遠く故郷の風景とは少し違ったが、馬の乗り心地は同じで最高だった。


興奮は自室に戻ってからも収まらず、目をつぶって、肌で受けた感覚を思い出す。

帰り際、呂布が、

「また、乗せてやる」と、言ってくれたのが、嬉しさを倍増させた。

浮かれる貂蝉は、その時、自室を覗く人影があることに気づかないのだった。



その後、約束通り呂布は、何度か赤兎馬に貂蝉を乗せて、城外へと出て行った。

この郿城にあって、その時だけが貂蝉の唯一の楽しみとなる。

目的を達成できず、また、達成する手段が見つからない中、いい気分転換となった。


そんな折、再び、董卓からの呼び出しを貂蝉が受ける。

恐る恐る、御殿へ行くと機嫌が悪そうな呂布と平伏する女性が董卓の前にいた。

「亜父よ。この女の言葉と俺を天秤にかけるのか?」

「いや、気になることをその女が申すのでな」


張りつめた空気に耐えられないのか、平伏している女性は震え、生気を失ったかのように青ざめた顔をしている。

『あの人・・・以前、私とぶつかった女性?』


平伏している女性は、以前、七星宝刀を失くして慌てていた貂蝉と廊下で接触した女性のように見える。

でも、一体、何が起こっているの?

自分がここに呼ばれている理由も、まだ、聞いていない。


「おい、先ほど、儂に聞かせた話をもう一度、ここでしろ」

命じられた女性は、呂布の突き刺すような視線に耐えながら、口を開いた。


「あの・・呂布さまと・・・後宮に仕える者が・・逢引あいびきを・・・城外で逢瀬おうせを何度も・・・繰り返されて・・おります」


これが事実なら、呂布は主君の侍女に手を出したことになる。

打首となってもおかしくない。

貂蝉は、呂布将軍の度胸の強さに感心した。


「・・でも、・・・おそらく・・その女の方が、・・呂布さまを・誘惑なさったの・・だと思います」

自分が言うべきことを言い切ると、女性は再び平伏し、また震えだすのだった。

「何か申し開きあるか?」

「逢引きだ、逢瀬だ。・・・・くだらん。俺は自分のためになることしかしない」


董卓の凄んだ睨みに平然としていられるのは、郿城において、この呂布だけだろう。

堂々と身の潔白を証言する。

「しかし、その者とお前が赤兎馬に乗って、城外に出ていくのを見た者は、他にもいるぞ」


・・・赤兎馬で城外?え、それって、もしかして・・・

呂布の相手と思われているのが、まさか自分とは思わず、貂蝉は驚きを隠せなかった。


確かに何度か、呂布とともに城外に出たことがあるが、そのことが原因で、こんなことになるとは思ってもみなかった。

貂蝉は、やっと自分が呼ばれた理由を自覚するのである。


「確かに貂蝉を赤兎馬に何度か乗せた。だが、それは赤兎馬の気分を・・・調子を上げるためだ」

女性を乗せたら、馬の気分や調子が上がる?

もっと別の言い訳があるだろうと、聞いていた者が全員、その思いにいたる。

しかし、呂布の表情には悪びれる様子はまったくなかった。


「そのような言い訳を信じろと?」

「信じる信じないではない。それが唯一の真実だ」

実は董卓は、素直に呂布が謝罪するのであれば、貂蝉を処断するだけで済まそうと考えていたのだが、呂布に、こう出られては落としどころが難しくなる。


「貂蝉、呂布がこのように申しているが間違いなか?」

呼ばれて、貂蝉が董卓の前に引き出される。

呂布に対する恋愛感情も董卓が疑っているようなことも、神に誓ってない。

貂蝉はありのままのことを伝えることにした。


「呂布さまに馬に乗せていただいのは事実でございます。ですが、逢引きというような甘美なことではなく・・・単なる、私の憂さ晴らしと、言いますか・・」

「憂さ晴らしだと?」

「はい。例の七星宝刀の件以来、郿城での私の役割がなくなり、途方に暮れていたところ、呂布さまが私を城外に連れ出して下さったのです。・・・赤兎ちゃん、いえ赤兎馬は確かに私になついてくれていますが・・・」


最後の方の話はともかく、くだんのことから貂蝉がふせっていたとしても不思議はない。

しかし、呂布が人の気晴らしに付き合うなどと、そんな優しさがあるわけがなかった。

「そうなのか?」

「そいつの心情など知らん。先ほども言ったように、全ては赤兎馬のためだ」


どうにも埒が明かない。

会っていたのは事実のようなので、それだけで罰を下そうと思えば下せるが、これで呂布を失うのは割に合わなかった。


「よろしいでしょうか」

こういう困った状況にこそ、登場するのが参謀の李儒である。

董卓は、待ち焦がれていた恋人のように手招きする。


「どうも話が食い違っております。呂布将軍がおっしゃっているのは、赤兎馬、ひいては我が軍のためであると。貂蝉の発言からも赤兎馬の件は嘘とは言い切れないと思います」

「うむ。それで?」

「呂布将軍、貂蝉の話が事実であれば、嘘をついていたのは、当然、そこの女性ということかと」


それまで平伏していた女性が驚きの表情を見せる。

董卓は、やっとできた落としどころに、ニヤリとした。

「そうか。儂をたばかった、この女を処刑しろ」


・・・どうして、そんな話になるの?男と女が、何度も二人で城の外に出て行っているのよ。

納得いかず、立ち上がろうとするところを二人の衛兵に取り押さえられた。


暴れてもしょせん、女の力。

無駄な抵抗を止めて、素直に連行される。

「あんたの役割がなくなったですって?私だって、あんたのおかげでお払い箱よ。このあばずれ女が」

すれ違いざま、貂蝉は女に罵声を浴びせられる。


・・・私のせいでお払い箱って何よ。

詰問が終わり、釈然としないまま自室に戻る途中、貂蝉は卞に会った。

「あの娘、あなたが来る前までは、よく余興の演舞に呼ばれていたのよ。何度か伴奏したことがあるわ」


その言葉を聞いて、納得した。

貂蝉にその立場を奪われたのだろう。

逆恨みと言えばそれまでだが、貂蝉がここに来たせいで、あの人は死ぬことになった。


貂蝉は急いで自室に戻ると寝台に顔をつけながら、気持ちを落ち着けようと必死になる。

自分がここにいるせいで、周りの人が不幸になった。

先ほどの女性が、もうこの世にいないと考えただけで震えが止まらない。


自分のせいで、また、別の誰かが・・・

早く、目的を達成してここから離れたい。

でも・・・


復讐という使命に押しつぶされそうになった。

「お養父さま。私は、どうしたら・・」

頼れる人が少ない貂蝉は、つい王允のことを思い浮かべるのだった。

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