第6章 魔王終焉編

第30話 輿入れ

「わっはっは。あの孫堅が死におった」

郿城びじょうに董卓の高笑いが響く。


連合軍の中で単独で攻め上がり、猛将・華雄まで討ち倒した男が、自身の手を煩わせることなく、単なる小競り合いで死んだのだ。

笑いがとまらないというもの。


もはや、自分を討ち倒す者など現れないだろうと考える董卓は、振る舞いにも歯止めが効かなくなる。


一族の栄華繁栄を極めるため、弟の董旻とうびんを左将軍に任命すると、甥の董璜とうこうを侍中・中軍校尉に採りたてた。


極めつけは、十五歳にも満たない孫娘、董白とうはく渭陽君いようくんに封ぜて領地を与える始末。


董卓の一族は老いも若きも、みな諸侯となるのだった。

更に董卓の傍若無人ぶりはとどまることを知らず、天子と同じ天蓋の車で郿城と長安を行き来し、たとえ皇族だろうと、董卓の車が通った際には拝礼させた。


また、ある宴会途中に、余興と称して、捕まえた捕虜百名余りを会場に引き出すと、その者たちの手足を切る、目をくりぬく、舌を切り落とすなどし、最後には熱湯で煮えたぎる大釜に生きたまま放り投げるのだった。


悲鳴、叫び声が響く中、宴会参加者は目を背け、嗚咽する者もいたが、董卓一人、愉快と笑いながらご馳走に舌鼓を打つ。


董卓が開催する宴会は日常的に実施されていたが、毎回、目を覆いたくなる惨劇ばかりなので参加者の足を鈍らせるのだが、出席しなかった場合の仕打ちが恐ろしいため、いつも満席となるのだった。



司徒・王允は董卓主催の宴会から解放され、自宅に戻ると、その中庭で溜息を漏らす。

本日の余興は、司空である張温ちょうおんのさらし首だったのだ。


董卓曰く、袁術と内通していたということだったが、どこまで信じてよいか疑わしい。

前回の宴会に体調不良を理由に張温は欠席していた。

そのことを不快に思った董卓の報復と考える者が大半であった。


・・・いずれは、我が身か。

王允ならずともため息は止まらないというもの。

そんな王允に声をかける者がいた。


「お養父とうさま。どうかなされましたか?」

振り返ると、そこには養女として迎えた貂蝉が立っている。


早いもので、貂蝉がこの屋敷にきてから、三年の月日が流れていた。

その間、少女から立派な女性へと成長を遂げており、月夜にもまぶしい輝きを示していた。


但し、貂蝉の美しさはお淑やかな可憐さというよりは、躍動するような生命力に満ち溢れた魅力だった。


「おお、貂蝉か。・・・・心配せずとも大丈夫だ」

「今日も、例の宴会に出席されてましたよね」

「なに、あれは義務のようなもの。ほんの数刻、我慢していればいい話だ」


しかし、その我慢がため息の原因だと貂蝉は理解していた。

このままでは、大恩ある王允が倒れてしまうのではないか・・・


それに、自分自身にも成さなければならないことがある。

貂蝉は、決意のもと、王允に自身の出自から打ち明けた。

「お養父さま。もしかしたら、お気づきかもしれませんが、私は羌族の娘です」


王允は出会った場所、その時に着ていた衣服から、何となくそうではないかと感づいていた。

しかし、異民族だろうと、そんなことを気にする王允ではない。

それで養女むすめとしての貂蝉への愛情は変わらないのだ。


「それが、どうかしたのかな?」

「はい。涼州で羌族の反乱があったことは覚えていますでしょうか?」

確か、辺章へんしょう韓遂かんすいの乱のことだろう。

王允もよく覚えている。


「私の親は部族長の一人でした。・・・私の部族は反乱に参加していなかったのですが、旧交を温めると称して、ある男に呼び出されました」

どこかで聞いたことがある話だが、・・・

あの反乱の討伐に参加していたのは、確か・・・


「そうです。董卓に私の父親は殺されました」

貂蝉の目からは、はらはらと涙がこぼれた。

「その後、董卓兵が部族の集落を襲ってきて、私を逃がしてくれた母も殺されました」


王允は、貂蝉を抱き寄せる。

「分かった。・・・つらかったね」

「はい。・・・ですが、私にはやらなければならないことがあります」

「それは、・・・まさか?」

貂蝉が涙の拭って頷く。


「董卓への復讐です」

しかし、女の身で復讐など。

董卓には凶悪にして強靭な武将、呂布もついている。

容易な話ではない。


「いいえ、お養父さま。寝屋であれば、董卓は一人。油断もしているでしょう」

「・・・それは、董卓に輿入れするという意味かい?」


正確には王允の養女とはいえ、輿入れは難しいだろう。

実際には後宮に入れられて、側妻の一人となるのが関の山か。

後宮に入っている美女の数は多いと聞く。

いつかはその機会がくるかもしれないが、その千載一遇に賭けるというのか・・・


「しかし、たとえそれで董卓を屠ったとしても、お前の命はないのだよ」

「それは、覚悟の上です」

貂蝉はにっこり微笑む。覚悟を決めた・・・ただし、強がっての微笑ではない。


「私の体は、両親をはじめ一族が殺された日から、もぬけの殻です」

それでも・・・

「今、心が生きてい入るのは、お養父さまが私に下さった、優しさのおかげ」

王允は、何もしてあげられていないと首を振る。


そんな王允に貂蝉はお辞儀をすると、

「大恩あるお養父さまの悩み、わが一族の恨み。解決する術がそこにあるのであれば、私一人の命など、惜しくはありません」

「・・・しかし」

「お養父さま。私はすでに死んでいるのです。・・・お気になさらないで下さい」


この覚悟を覆す術は、王允には持ち合わせていなかった。

「すまない」

その言葉を絞り出すのがやっとだった。



翌日、王允は董卓を屋敷に招いた。

ささやかながら、董卓の苦労に報いるための宴を開きたいと申し出たのだ。

宴会を自分で開催はすれど、招かれる機会がこれまでなかったので、董卓は喜んで王允の屋敷を訪れた。


「相国さまにおかれましては、お忙しいところ、お越しいただきありがとうございます。狭い家でございますが、どうぞ、くつろいでいただければと思います」

「なに、司徒であるおぬしの招き、断れるわけがないだろう。今日は、楽しませてもらうぞ」

董卓は思いの他、上機嫌だった。


護衛のために一緒に訪れている呂布にも席をすすめるが、任務中と断られる。

あまり無理強いすると、この男も何をしだすかわからない。

それではやんわりと、「気が変わりましたら」とだけ告げた。


分かったと答えた後、呂布は壁に背中をあずけて腕組みをする。

王允の挙動をジッと見つめるのだった。

呂布の視線は、戦場では敵武将が震えあがるほどの威圧だが、さすがに司徒まで登りつけた王允は、平静を装いながら、董卓をもてなす。


董卓のために海の幸、山の幸をふんだんに使った料理が、次々と卓の上に並んだ。

董卓のお酒もすすみ、ますます上機嫌となるのだった。

そんな折、余興をおひとつと、養女による舞を披露する。


この養女とは、当然、貂蝉である。

もともと演舞に自信があった貂蝉は、羌族に伝わる舞と漢民族の舞をうまく融合させた、独特な舞を見せた。


この躍動感にあふれる演舞に、はじめはつまらなそうに見ていた呂布も目を細める。

董卓に至っては、立ち上がって拍手喝采を送った。


「初めて見るが、どこか懐かしい踊りだな」

董卓はそう感想を漏らすが、それもそうだろう。

董卓自身、若かりし頃、何度か見たことがあるだろう羌族の舞が原型にあるのだ。


宴は夜更けまで続く。

「今日は、楽しかったぞ」

すっかり酔っ払い満足した董卓が屋敷を辞そうとしたとき、王允は董卓の前で深々と頭を下げる。


「相国さま、一つ、お願いがあるのですが・・・」

「何だ、何なりと申してみよ」

機嫌のいい董卓は、気前のいい返事をする。


「実は、先ほど舞を見せた娘ですが、私の養女でございます」

「おお、そうであったか」

「よろしければ、相国さまのお傍でお仕えさせていただけると幸いなのですが・・・」


董卓は、舞を踊っていた娘の容姿を思い出す。

・・・多少、幼さはあるが、まぁ悪くはない。あの演舞も、余興として十分満足できる。


「構わんぞ」

「ありがとうございます」

王允が大仰に礼を述べると、貂蝉を手招きし挨拶させる。


「貂蝉と申します。不束者でございますが、どうぞ、よろしくお願いいたします」

「うむ。・・・それでは、吉日を選んで郿城によこせ」


王允と貂蝉、二人で董卓の車を屋敷の外で見送った。

「これで、後戻りはできなくなったよ」

「大丈夫です。覚悟が鈍ることはございません。・・・それより、復讐へ一歩近づいたことに、貂蝉は高揚しております」


そう言いながら、涙を流していることに王允は気づくが、今は優しい言葉をかけてはいけない。

自分も覚悟を決めなければならないと、心にするのだった。

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