第24話 赤い空

「呂布が敗れただと?」

「はい。そのように聞いております」

董卓は不機嫌に鼻を鳴らす。


手にしていた杯を一口、含んだ後、床に叩きつけた。

近習の者から悲鳴が上がるが、李儒は平然と言葉を続けた。


「二対一、・・・いや三対一ですが、敗れた呂布将軍が単騎、退却したことで五千の兵が全滅したそうです」

損失した兵のことは気にしていないが、董卓は呂布が敗れたという事実が気にいらない。


「何者だ?その呂布を退かせた三名とは?」

「劉備玄徳とその義弟たちでございます」

「また、あいつらか!」


劉備の名を聞き、董卓の機嫌は最悪なものに変わった。

本来、あのような小物の名前など、この相国たる自分が覚える必要はないのだが、自分の邪魔をするように、何かにつけ耳にする。


「目障りだな」

「あの三人をすぐにとは参りませんが、・・・連合軍自体を瓦解させる策はございます」


呂布が守る虎牢関が抜かれることはまず、ない。

董卓はこの洛陽に居座っているだけで、何の問題もないのだが・・・

そろそろ、周りを飛び回る蠅どもをうるさく感じてきたのも確かだった。


「その策とは?」

李儒の進言を聞いた董卓は、不気味な笑みを浮かべると、

「早速、とりかかれ」

そう命じるのだった。



「大将、起きて下さい」

寝ていた劉備は簡雍に起こされる。

声から伝わる緊張感から、ただ事ではないと感じた劉備だが、目にした光景に唖然とした。


「な、何だ。これは?」

虎牢関の奥、西の空が真っ赤に染められているのだ。

こんな夜空は、今まで見たことがない。

時刻は真夜中。夕陽ということはありえず、天変地異かと騒ぐ者もいた。


かすかに漂う匂いに、

「・・焦げ臭い?火事か?」

「おそらく・・」

簡雍が頷いた。

しかし、空の色がこれほど変わる火事とは、一体、どれだけ大きな火災なのか?

劉備には想像もつかなかった。


「ひょっとして、洛陽が燃えているんじゃないか?」

「方角から考えて、間違いないでしょうね」


董卓の野郎・・・一体、何をしやがった・・

劉備は赤く染まる空をジッと見上げるのだった。



「・・漢の歴史が燃える・・」

董卓軍に随行する文官の一人が、東の空を見上げて嘆いた。

李儒の策による遷都せんと

洛陽を捨てて、西にある長安を新しい都とするための大移動を行っている。


この遷都には当然、多数の反対者がおり、逆らった楊彪ようひょう荀爽じゅんそうなどの高官はそろって罷免にされた。


更に食い下がる者は、全員処刑として、他の者を黙らせると、董卓はこの遷都を断行したのである。


但し、董卓も単なる気まぐれで遷都しているわけではなく、李儒の策が理にかなっているから実行したのだった。

その策とは・・・


「洛陽を連合軍に渡しましょう」

「それで、儂に何の利がある?」


長年、付き添ったこの参謀が自分の機嫌が悪くなるだけのことを言う訳がない。

その理由を問いただした。


「連合軍は一枚岩ではありません。一定の成果を得ることで満足し、中には帰郷したがる者も出てくるでしょう」

「しかし、洛陽を渡すのはちと気前が良すぎるのでないか?」

「このまま渡せばそうですが・・・洛陽の財宝全てを運び出し廃墟とした後なら、損はないかと」


なんとも董卓好みの話になってきた。

さすがに李儒は心得ている。


「で、儂らはどこに移る?」

「長安がよろしいかと」


洛陽の西に位置する古都・長安。

漢の高祖・劉邦りゅうほうが首都に定めた都市だった。


ちなみに洛陽は、光武帝こうぶてい劉秀りゅうしゅう簒奪者さんだつしゃ王莽おうもうを滅ぼした後に建てた都である。


長安は地理的に董卓の本拠地である涼州にも近づき、都市を守る関、函谷関かんこくかんの防衛能力は虎牢関と比較しても遜色ない。

全てが董卓にとって利することばかりだった。


思わず、笑みがこぼれるというもの。

こうなれば、逆にこの策を実行しない手はなかった。


董卓の指示のもと遷都の準備が行われると、逆らう洛陽の民は董卓兵によって虐殺。

富豪からは金品を奪う狼藉が横行する。

極めつけは、董卓ら主だった者が都を離れると漢王朝の象徴たる都に火をつけたのだった。


まずは豪華絢爛ごうかけんらんな宮殿に火をつけると、その後は戦車を使って街の中に火矢を打ちまくる。

逃げ遅れた民などは、その戦車の餌食となった。

まさにやりたい放題である。


花の都洛陽は、あっという間に火の海へと変わった。

火勢は凄まじく、炎は天を衝く勢いだった。

その光景を遠く虎牢関の先から、劉備たちは見ていたのである。



「ちょっと、様子を見に行こうぜ」

はじめは呆気にとられていた劉備だったが、洛陽が燃えているとなると気になることが、どんどん湧いてくる。


師である盧植は?献帝陛下は?

それぞれの安否を気遣う。


手勢、五百を率いて虎牢関まで行くと、旗竿はなくなっており人の気配が全くない。

まるでもぬけの殻で、関の門も解放されていた。

では、通り抜けようとしたところに別の手勢が現れる。

曹操の一軍だった。


「その旗は、劉備殿か?」

「ああ、そうだ」

曹操は劉備のもとへと馬を近づけた。


「おそらく董卓は長安へ逃げ込むつもりだ。追い討ちをかけたいと思う」

「他の諸侯は?」


劉備の質問に普段、冷静な曹操が怒りをあらわにした。

「本初のやつは、董卓が退却したのならば、いなくなってからゆっくり占拠すればいいと言い出している。他の諸侯も右ならいだ」

戦機を見抜く目を誰も持っていないと、嘆く。


しかし、劉備は別のことで怒りの沸点に到達した。

「それじゃ、誰もはなから献帝陛下を救う気・・・心配すらしていないってことかよ!」

その怒り方は、曹操の比ではなかった。

実は曹操自身も献帝のことは、すっかり失念しており、改めて劉備を見直す。


「それじゃ、俺たちだけで追おうぜ」

「うむ」


曹操の手勢は、緒戦の徐栄との戦いで三千ほどに減っている。

劉備と合わせて三千五百の部隊が、一気に虎牢関を抜けるのだった。


しばらく馬を走らせていると、突然、左右の林から矢を浴びせられる。

「伏兵か」

確かに曹操にも伏兵の懸念はあった。もう少し用心して進むべきだった。

どうやら劉備の熱に当てられすぎたようだ。


「待っていたぜ」

そして、目の前には赤兎馬に跨る勇将が登場した。


「ここで呂布かよ」

「この間の屈辱、倍にして返すぞ」

呂布が赤兎馬を駆り、翔ぶように突進してくる。


「益徳、雲長。頼む」

張飛と関羽、並んで呂布に挑んだ。

呂布との間合いがつまる直前、関羽に別の方向から、青龍偃月が襲い掛かってきた。

冷艶鋸で受け止めると、その勇敵を確認する。


「そいつは文遠。俺が頼みとする腹心よ」

呂布の紹介を受けて、張遼は改めて関羽と相対した。


「張遼文遠と申す。先日の呂布将軍とあなたの闘いには感銘を受けた」

「うむ。我は関羽雲長。尋常に勝負」


関羽と張遼の一騎打ちが始まるが、互角の勝負を繰り広げていた。

呂布の他に、これほどの豪傑がいたのかと驚く。


「おい、見とれていないで、俺たちも勝負しようぜ」

呂布が張飛に方天画戟を向ける。


「望むところよ」

張飛と呂布が激突する。


こちらも一進一退の勝負となる。

しかし、やはり呂布の方がやや優勢のようだ。


「この前は二人がかりでやられたが、今回はそうはいかねぇぞ」

「うるせぇ。てめぇは親父の仇だ。絶対に俺がやってやる」

張飛も意地で盛り返すが、逆転まではいかない。


「俺たちが加勢に行きますか?」

夏侯惇と夏侯淵が曹操に尋ねるが、曹操は首を振る。

呂布兵への対処に、この二人を欠くことができなかった。

豪傑たちが抑えられ、劉備、曹操に打つ手がない。


「劉備殿、参謀殿はどちらに?」

「ん、憲和のやつは剣を持たないんだ」

「・・・そうか」

人の知恵袋を頼みにするとは、自身、焼きが回ったかと反省する。


「・・でも、いいところで援軍を連れてくるんだぜ」

「何?」

すると、林の奥から銅鑼の音が聞こえてきた。

呂布兵は林の中から追い出され、次々に討ち倒されていく。


そして、その呂布兵を追うように、林から出てきた一団には『孫』の旗印があった。

「玄徳、生きてるか?助けにきたぞ」

「笑えない冗談はやめろ」

孫堅軍の参陣によって、追い詰められていた立場が入れ替わる。


「呂布将軍。ここは、一旦、引いた方がよろしいかと」

関羽と闘いながら、張遼が大声で叫んだ。

確かに戦況を見ると、今は不利だ。


「むむむ。・・・虎髯ぇ、このまま続けたら俺が勝っていた。・・・だが、今日は退いてやる」

「今日もだろ」


張飛は何とか言い返すが、負け惜しみに近いことを自覚しているため、呂布が離れた後に雄叫び上げるのだった。

その声に、ふんと鼻で笑うと呂布は退却の指示を出した。


号令に従い張遼も闘うのを止める。

「では、関羽殿。いずれ、また」

「うむ」


張遼が引き上げるのを関羽は黙って見送った。

短い戦闘だったが、お互いに尊敬の念を抱いたようである。


呂布軍が完全に引き上げると劉備の前に簡雍がやって来た。

「いや、孫堅さんなら、あの空を見て近くまで来てるんじゃないかと思いまして」

その読み通りだったため、簡雍の手引きによって劉備と曹操は助かったのだ。


孫堅軍と合流するとそのまま洛陽を目指す。

もうないとは思うが伏兵を警戒しながらなので、その行軍の速度は大分抑えたものになった。

そして、夜が明け太陽が頂点に差しかかるころ、やっと、三軍は洛陽に到達する。


「・・何だ、これは・・・」

そこには、かつての洛陽とあまりにもかけ離れた姿があり、劉備たちは言葉をなくして立ち尽くすのだった。

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