第16話 少帝強奪

董卓が率いる大軍の前、打開すべき策を曹操が考える。

そんな中、一人の少年が進み出た。


陳留王・劉協である。

「こちらにおわすのは、少帝陛下であるぞ。無礼ではないか!」

小さな体からの一喝だったが、効果は十分だった。

李儒は思わず礼をとる。


「少帝陛下をお守りせよ」

「はっ」

返答をすると李儒が、少帝と陳留王のもとへと歩いてきた。


陳留王が浮かない表情をしているのは、このまま少帝を董卓へ預けることに不安があるからだろう。

しかし、この状況では逆らえないことも承知しているのだ。


ちっ・・・

曹操は心の中で舌打ちした。

曹操自身、打つ手がない。

このままでは、少帝奪還の手柄が董卓のものとなり、その後の政治運営に大きな影響を持つ可能性がある。


曹操が苦慮していると、

「かっこいいなぁ」

そこに現れたのは、劉備一家である。

曹操と別れて、少帝を探していたが、やっとここで合流ができた。

先ほどの陳留王の行いを指して、惚れ惚れとしているようだ。


「そなたは誰だ?」

陳留王の問いかけに、

「盧植先生の従者です」

想像もしていない答えが返ってきて、目を丸くする。


「名はないのか?」

「あ・・いや、私、劉備玄徳と申します」


さすがに陳留王に名前を聞かれて、ごまかすことはできないと本名を伝えた。

「おお、そなたも劉姓。同族か」

「はい、その通りでございます」

ひざを折り、恭しく礼をする。


すると、陳留王は自身の玉帯ぎょくたいを外して、劉備に渡した。

「よくぞ、一族を代表して迎えにきてくれた。まずは、褒美をとらす。陛下をお守りし洛陽まで、無事にお届けせよ」


玉帯を託す小さな手が震えている。

初めて会う名も知らなかったこの男が、董卓の大軍を前に固辞してしまう可能性があるため、陳留王は賭けに出たのだ。


この小さな少年の勇気、陳留王の心意気は劉備にしっかりと伝わる。

玉帯を受け取り、その手を握りしめると劉備は立ち上がるのだった。


「ここは、陳留王さまの命により、劉備玄徳が陛下をお連れする。みな、ついて来い」

董卓軍に対して、堂々と言い放った。

劉備が意図を理解してくれたことに陳留王がほっとした表情を見せた。



「何を調子のいいことをほざいている」

すると奥から、董卓がゆっくりとやってきた。


やって来たと言っても歩いてではなく、車に乗ってだが・・・

あの体形だ。歩くのが辛いのだろう。


董卓は劉備の姿を見つけると、

「貴様は!」

なんで、俺のことなんか覚えているんだよと心の中で舌を出す。

「儂に面会を求めておいて、途中でいなくなる無礼者は、後にも先にも貴様だけだわ」


董卓は侍従の持つ槍をひったくると劉備に投げつけた。

しかし、その槍は劉備に届く前に関羽の手によって簡単に掴まれた。


「俺だって、事情があったんだよ」

「その事情、二日酔いって伝わってますよ。・・・そりゃ、怒ります」

・・・お前、どっちの味方だよ。


董卓はこの無礼者を討てと命じるが、関羽と張飛の両名が立ちはだかる。

一瞬にして、十名程度の兵が倒された。


「やめないか。そもそも董卓、そちの挨拶が遅いのではないか」

「む?」

董卓は陳留王を値踏みするように眺めた。

・・・こいつは、面白い。


「おい、二人を儂の車に乗せろ」

少帝がすでに李儒につかまっていた。そこら辺は抜け目がない。

陳留王も素直にいうことを聞くしかなかった。


董卓の兵は、少帝と陳留王の二人を董卓がのる車に無理矢理、乗せる。

陳留王の無礼であるぞと、いう言葉にはまったく耳を貸さなかった。


「行くぞ。儂は今、機嫌がいい。命はとらないでおいてやるから、馬鹿なことは考えるなよ」

馬鹿なことを考えているやつに言われたくない・・・


そう思ったが、少帝と陳留王を掌握されていては、迂闊うかつなことができるはずもなく、劉備と曹操は董卓軍を見送るしかなかった。


「これは、どうなる?」

「何進大将軍が亡くなったばかり。政局は混乱している。その隙に・・・」

曹操でも読み切れないのか、最悪の想像をしたくないのか言葉を濁した。


「いずれにせよ。あまりいい状況ではありません。我々も洛陽に戻りましょう」

とりあえず、簡雍のいう通り、一旦、洛陽に戻ることにした。



朝日が昇るころ、洛陽は『董』の旗で溢れかえっていた。

簡雍がいう、あまりいい状況どころの話ではない。


「一晩でこれかよ・・」

劉備は驚きの声を漏らす。

昨日までの洛陽の状況とまるで違うのだ。


董卓は洛陽に入るやいなや、何進、何苗の兵を吸収し軍権の掌握を図った。

宮中も朝廷も混乱しており、董卓への対応が遅れたことも重なる。


「盧植先生、これからどうなりますか?」

「うむ。思ったより、董卓の動きが早い。完全に掌握されるのも時間の問題だろうな」

どうやら打つ手はなさそうだ。


「何人かはすでに洛陽を脱している者もおる。玄徳よ、お主も洛陽を出ろ」

「先生は、どうするのですか?」

「誰かが董卓を見張る必要があろう。儂は残るよ」


それでは、私もという劉備を盧植は突き放す。

董卓に目をつけられている事実があり、洛陽に残るのは危険なのだ。


「仮だが平原の県令となる手はずを整えている。できるだけ、早く向かうのだ」

盧植は劉備の罪を解くだけではなく、役職の手配までしてくれていたようだ。

これ以上、師の心に反することはできないと思う劉備だった。



「本初、少し話がある」

そう袁紹に声をかけたのは、曹操だった。

昼間っから、酒屋で酒をあおる姿に御曹司の面影はなかった。


「孟徳か。ふふふ、私を笑いにきたのか?」

董卓を洛陽に招いたのは袁紹だった。


地方の諸将を呼びよせる書状を何進に断ることなく独断で送ってしまったからだ。

その諸将の一人が董卓なのである。


今の洛陽の状況に眠れぬ日々が続いているのか、多少、やつれて見えた。

酒でも飲んでなければ、やってられないのだろうが・・・


店主に水を一杯、所望すると曹操も席に着く。

「笑えんさ。董卓が少帝陛下を保護した現場に私もいたのだから」

何もできなかったよと、自嘲気味に話す。


「これから、どうする?」

「董卓の支配が完全に整う前に、本初、君は都を脱するべきだ」

「お前はどうするんだ?」


曹操は、すぐに答えなかった。

「お前、まさか董卓につくつもりか?」

「それはない。・・・ないが、一度、やつを見極めるために会う必要があると思っている」


「危険じゃないのか?」

「かもしれないが、いずれ、戦うかもしれない相手なら、よく知っておく必要がある」


これは曹操の持論なのだろう。

戦う相手や気になる相手のことは徹底的に調べ上げる。

「董卓と戦う時は君の力も必要だ。今は生き延びることだけを考えろ」

曹操は、そう言って水を差出した。


受け取った袁紹は、一気に飲み干すと、

「ああ、わかった」

袁紹は、その日のうちに都を脱し、本拠地の渤海へと向かうのだった。



洛陽中に翻っている『董』の旗を見て、ため息とともに考え込む男がいる。

司徒しと王允おういんだった。


董卓が洛陽に入った際、もう少し目を光らせていれば、今のような状況にならなかったのではないか?

今なら、まだ間に合うか?

後悔と考えることが繰り返し、王允の頭の中を駆け回るのだった。


「ご主人さま」

そんな王允に家の者が声をかけてきた。

どうしたのかと尋ねると、娘の意識が戻ったという知らせだった。

王允は娘が眠る寝室へと急いだ。



以前、王允は張譲の逆恨みにより投獄されたのだが、何進大将軍をはじめとした高官たちの嘆願があり、釈放されるという事件があった。

釈放後、すぐには宮仕えする気にもなれず、最近まで諸国を放浪していた。


そして、半年前、長安のあたりを旅していたところ、偶然、路上で倒れている娘をみつけたのだ。

手足はすり切れ、多数のあざが体にあり、すっかり衰弱していたが、何とか息があることを確認した王允は、自身が九死に一生を得た経験と重ね、この娘の命を助けようと誓う。


洛陽の屋敷まで、何とか運ぶと手厚い看護を施した。

そのかいがあって、今、娘の意識が戻ったのだ。


「おお、無理をするでない」

寝台の上から起き上がろうとする娘を止めると、

「私は王允という者だ。そなたが倒れているところを偶然見つけてな」

優しい笑顔を向ける。


王允は、これまでの経緯を簡単に説明する。

ここはどこかという問いに、洛陽だと答えると、非常に驚き、続けて、半年近く、眠っていたと告げると言葉を失っていた。


そして、最後に名前を尋ねると、

「・・貂蝉ちょうせんです」

娘は、そう答える。


王允は薬湯の手配のために部屋を出た。

意識を取り戻した娘の目に復讐の炎が宿っていることに、その時は気づかないのであった。

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