第15話 宦官殺戮

「本当に宦官たちを殺さないのですね」

何太后は念を押す。

「実権さえ奪えれば、問題ない。何も好き好んで人を殺めたいわけではないぞ」


何進の言葉を慎重に吟味すると、何太后は兄の提案を了承するのだった。

宦官たちの実権をなくす詔を少帝の名で発する指示を出す。


何苗と組んで何進を除こうと考えていたが、やはり何進の影響力は大きい。

今も宮中の前で、有力な武官が兵を連れて待機している。


簡単に除ける相手ではないとした場合、ここら辺が落としどころだと何太后は考えた。

お気に入りの宦官には、いずれ折をみて失地回復の機会を与えればいい。


「よくぞ了承してくれた。これで安泰だ」

何進は上機嫌で何太后の前を辞した。

廊下を歩いていると何苗と会う。


「宦官から力を奪って、兄者は何をする?」

「少帝陛下の横で、政治を司るに決まっている。お前にも存分に働いてもらうぞ」

笑いながら歩く、何進の背中に何苗は刃を突き刺した。


「な、何をする・・」

「少帝陛下の横に立つのは俺だ」

「き、貴様っ」


何進の抜刀しかけた手を張譲と段珪が抑え込む。

「何苗殿、今のうちにとどめを」


何苗は宦官、二人に言われるがまま、何進の首筋に刃を立てるのであった。

「これで、俺が大将軍だ」



袁紹は何進の帰りが、あまりにも遅いため、不穏な空気を感じ取った。

同じく待機していた同門の袁術公路えんじゅつこうろも同意見であったため、兵五百ともに宮中に突入する準備を始める。


その時、袁紹たちの前に首が投げ込まれた。

「俺が新しい大将軍だ。兵をひけ」


そして、血塗られた刃を持った何苗が現れたのだ。

転がる首を何進のものだと確認すると、

「な、なんということを。・・・貴様っ」

袁紹が怒りに任せて抜刀する。


「俺は大将軍だぞ」

「夢でもみていろ」


袁紹、袁術の手によって、何苗はあえなく討ち取られるのであった。

「このまま宦官を皆殺しにするぞ」

袁紹の号令のもと宮中に兵が突入する。


宮中は、あっという間に阿鼻叫喚あびきょうかんの世界に変わった。

宦官と思しき男は手当たり次第に殺したため、中には髯がないだけで殺された文官もいた。


その状況に慌てたのは張譲と段珪である。

何進の死は秘匿ひとくにしておいて、時間を稼ぎ、その間に体制を整える算段だったのを何苗が先走ってしまったのだ。


「何太后さま、お助け下さい」

「何があったのです?」

異常な慌て方に二人を問いただした。


「何苗さまが何進さまをお討ちになり、怒った袁紹たちが宮中に兵を入れました」

「な、何と早まったまねを・・・」


何太后に何進を殺すつもりはなかったが、何苗と結託した事実はある。

正常な判断ができない兵であれば、あるいは私も・・・


「少帝陛下をお連れして。まずは、この場を離れましょう」

一度、相手が冷静になるのを待つしかない。

そう思った何太后は、まずは逃げることを選択したのだ。



「陛下、落ち着いて下さい。私がついております」

少帝を落ち着かせているのは、さらに年下の陳留王・劉協だった。

宮中の騒ぎに気付いた劉協が、すぐさま少帝のもとに駆け付けたのだ。


「母上は、どこじゃぁ」

「間もなくお見えになりますよ」

何とか励ますものの劉協も不安で仕方がないのだ。


そこに張譲と段珪がやって来た。

「おお、少帝陛下。何太后さまがお待ちしております。急ぎましょう」

少帝を連れて行こうとする。


「陳留王はどうするのじゃ?」

この問いかけに、まさか見捨てますとは言えなかった。

また、万が一のときは人質にできると邪な計算をすると陳留王も連れていくことにした。


何太后と無事、合流した五人は、一緒に車にのり、張譲が御者となって馬にむち打つ。

宮中を抜け、洛陽の街を走った。

そこに盧植が現れる。


「賊、逃がさんぞ」

手戟しゅげきを投げると見事、段珪に命中し車から落ちた。

その際、何太后に捕まったため、巻き添えとなり、一緒に車から落ちるのだった。


「母上」

車中で少帝が泣き叫ぶが、陳留王が励ます。


「今のは盧植殿です。あの方なら、むやみな殺生はしないはず。何太后はきっと無事ですよ」

少帝も盧植のことは知っていたので、何とか落ち着く。

陳留王は人質として連れてきたが、幼い皇帝のお守りをしてくれて正直、張譲は助かったと心の中で感謝するのだった。



一方、車中から落ちた何太后は、目の前に段珪の死体が転がっているのに気が動転する。

「ひぃぃ、殺さないで」


四つん這いになりながら、その場を逃げようとした。

「落ち着いて下さい。盧植です」


何太后は地面に投げ出された痛みに耐えながら、振り返った。

「きゃー」

最初に視界に入ったのが張飛の顔で驚いてしまう。


「いや、起こすのに手を貸そうと・・・」

張飛は悪くないのだが、改めて盧植が何太后に手を貸す。

「無体なことは、いたしませぬ」


よく見ると相手が盧植であることに気づき、何太后はやっと落ち着くのであった。

盧植の人となりは、宮中でも知れ渡っている。

自身の安全が分かり、気持ちが落ち着くと、別れてしまった少帝のことが気にかかる。


「少帝が先ほどの車に乗っています。そなたが保護してくれるのなら、安心です。どうか、助けて下さい」

何太后は盧植の両肩を掴み、懇願した。


少帝陛下も乗っていたとは・・・不覚。

体が小さく、見えなかったのだ。

すぐさま、お助けしなければならない。


「玄徳、追うのじゃ」

「承知!」

劉備、関羽、張飛、簡雍は盧植の下知に従い、張譲が駆っていた車を追った。



「どっちへ行った?」

「北門らしいです」


劉備はその情報に従い、馬を走らせる。

北門に行くと、もうすでに車は通過した後だという。


「なんのための門番だよ」

「昔は鬼のような部尉がいたらしいですが、もうその威光もありませんね」

「どさくさに紛れて、人をあげつらうのは止めていただこう」

いつの間にか曹操が劉備たちと平行に馬を走らせていた。


「宮中にいるんじゃなかったのか?」

「宦官の虐殺に私が付き合うわけがないだろう」

それはそうだ。


「結局、無駄になってしまいましたね」

簡雍が何進に提案した詔のことである。


こういった虐殺を懸念してのことだったのだが・・・

「何苗の乱心を読み切れなかった、私の不徳だ。・・・それより」


今は、少帝の行方の方が大切である。

「二手に分かれよう」

「わかった」


曹操は夏侯惇、夏侯淵を伴っている。

劉備一家とは別れて、探すことにした。



「あそこに灯りが見えます。行ってみましょう」

幼い少年二人が、薄暗くなった道を歩いている。

遠くの民家に灯りが見えたのだ。

陳留王は少帝の手を取り歩き出した。


一緒に車に乗っていたはずの張譲は、車輪が外れて壊れてしまうと制御できなくなった車を見捨て、自分だけ逃げ出してしまったのだ。


泣き出す少帝を連れ歩く陳留王も、さすがに心細くなっていたところに見つけた灯り。

二人の足は次第に早まるのだった。


民家に辿り着くと、陳留王が声をかける。

「もし、ここの家主。申し訳ないが、一晩、こちらに泊めていただけないだろうか?」


家主は、子供らしからぬもの言いに、注意深く観察する。

泥にまみれているが、よく見ると二人とも高貴な身なりをしていた。


「あなた方は、一体?」

誰とも分からない男に身分を明かすのを陳留王はためらっていたが、

「朕は、この国の皇帝だ」

少帝がばらしてしまう。


つい最近、新帝が即位されたが、この少年がそうとは・・・

実はこの家主、一年前まで宮中につとめる文官の一人だった。

しかし、些細なことで張譲の不興をかい、洛陽から追い出されたのだった。


「分かりました。粗末な家ですが、休んでください」

「かたじけない。・・・できれば、お水をいっぱい、いただけないだろうか?」

陳留王が水を願い出ると、

「朕はお腹がすいた。何か食べ物はないのか?」

少帝は我慢ができずに、駄々をこねだした。


すると、家主の顔色が変わる。

「残念ながら、この家には陛下のお口にあう食べ物はございません」

意外と大きな声だったため、少帝は驚いて陳留王の陰に隠れた。


「家主、すまない。陛下も悪気があってのことではなかったのだ」

「いいえ、この際なので申し上げます。宦官による腐敗政治でこの国は反乱が絶えません。そして、その代償を払わされるのは、我々、名もない民衆です」

家主の声は、だんだんと熱を帯びてきた。


少帝は恐怖で耳をふさいでいるが、陳留王は、しっかりと受け止めていた。

「洛陽の一歩外を出ると、食べるものもろくになく、飢えで誰かがなくなるのは日常のこと。私もその日暮らしで、明日はどうなるのやら、わかりません」


「その辺にしたら、どうです。」

民家の入り口に一人の男が立っていた。

話に夢中になっており、家の扉が開いたことに誰も気付かなかったのだ。


「誰だ?」

「私は驍騎校尉ぎょうきこうい、曹操孟徳でございます。陛下、お迎えにあがりました」

曹操は恭しく、礼をとる。


少帝はすぐに曹操の足元へ駆け出すのだった。

「家主、貴重な話、参考になった」

陳留王は、礼を述べると曹操に案内せよと申し付ける。


その様子に、

『ほう・・・この少年、なかなか・・・』

曹操は感心する。

平静を取り戻した家主は、平伏するが、陳留王はよいと、だけ伝えて、この民家を後にした。


夏侯惇と夏侯淵が馬からおりて、代わりに二人の皇族を乗せる。

手綱を歩きながら引くので、徒歩と変わらぬ速さであるが、少しずつ洛陽に近づいていった。

洛陽への到着、間近に迫った時、一軍が曹操たちの行く手を遮る。


旗には『董』という文字と『涼』という文字が見えた。

「涼州・・董卓か?・・・なぜ?」

曹操が思案を巡らすと、ある憶測にたどり着く。


袁紹が何進に断りなく、勝手に地方の諸将を招集したのではないか・・・

「少帝陛下をこちらに引き渡してもらいましょうか」

董卓の参謀、李儒りじゅがやってきた。


見る限り董卓の兵は数万人。

こちらは、夏侯惇と夏侯淵の二人のみ。


「くっ」

曹操は唇をかみしめるのだった。

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