第4章 炎都崩壊編

第17話 呂布奉先

漢王朝の都、洛陽内に武装した騎兵隊が行軍する。

その一団に守られながら一際、大きな車に乗って、都を横行するのは涼州刺史・董卓だった。


まるで自分がこの洛陽の主であるかのように振舞っている。

洛陽の民衆の目には、恐怖とともに異常な光景として写った。


そして、その董卓は、臣下の身にあるまじき不遜なことを堂々と言い放つ。

「少帝を廃位しようと思うがどうだ?」

問いかけたのは参謀の李儒。


「そうですね。傀儡かいらいとするならば、どちらでも構わないと思われます」

この李儒も皇室に対するうやまいがない言葉を返した。

この主にして、この部下ありというところか・・・


「うむ。劉弁は、馬鹿でな。馬鹿の相手は疲れる。・・・劉協の方が、まだ、ましだ」

「なるほど。・・・董卓さまの思われるようになさればよろしいかと」

漢王朝に脈々と流れる天子の系譜を簡単に覆す発言をする二人である。


「よし、ならば、早速・・・」

「ただ、少しお待ちください」

李儒が、主の行動を止める。もちろん、諫めるつもりの発言ではない。


「わが軍には、まだ足りないものがございます。そこを補ってからの方がよろしいかと」

「足りないもの?」


洛陽をほぼ手中に収め、何進、何苗の兵を吸収することで軍備も充実している。

李儒がいう足りないものの存在が、董卓には分からなかった。


「何が足りないというのだ?」

「それは軍を率いる勇将の存在です」

「むぅ・・・」


確かに董卓の配下の中にも強者として何人か名を上げることができるが、一騎当千と呼べる者は、何人いるか・・・


そして、勇将と言われて真っ先に思いつくのは、あの無礼な男の傍らにいた豪傑、二人。

あの者たちと闘って、勝てる見込みがあるものはいるだろうか?


しばらく考えるが、誰の名も浮かばなかった。

「しかし、そんな男、そうはいないだろう?」


いえいえと、不敵な笑みを浮かべる李儒は、

「実は集まった諸将の配下の中に思い当たる人物が一人おります」と自信を持って言い放つ。


「ほう」

董卓をその発言を、いたく気にいった。


すると、李儒の後ろから、進み出る男がいる。

騎都尉きとい李粛りしゅくだった。


「その者は私と同郷の男で、飛将と称えられるほどの馬術と弓術に優れ、腕力も人並み以上にあります」


「うむ、飛将とは大きく出たな。名は何と言う?」

「はい。その男の名前は・・・丁原ていげんの配下で呂布奉先りょふほうせんと申します」



矢に射られた雁が地面に転がっている。

「ふんっ」


気合の声が聞こえる度に地面の雁の数は増えていった。

馬が高く飛び、着地からやや遅れて、二羽の雁が、また落ちる。

落ちている雁はすべて、頭を射抜かれ絶命していた。


身の丈、一丈に強弓を構え、馬上から弓を射る男は、もう一羽の雁を認めると、再び、気合を込める。


しかし、馬がいうことを聞かず、動くことができなかった。

馬が体力の限界を越えてしまったのだろう。


「ちっ」

興が冷めたのか男は馬から降りると、自身の得物『方天画戟ほうてんがげき』を煌めかせる。

一瞬で馬の首が落ちるのだった。


「もったいないことをしますね」

すると、林の中から一人の男が現れる。


「その馬、なかなかの駿馬でしょうに」

「ふん、たった今、こいつとの契約が切れたのよ」

馬との契約とは不思議なことを言う。


「契約とは?」

「この馬が俺の意のままに動いている内は、大切に扱う」


何と勝手なものいいか。

「相変わらずですね。呂布」

呂布と呼ばれた男は、方天画戟についた血を払うと、

「それで何かようか。李粛」

刃先を李粛に向けた。


この程度の脅しにうろたえていては、この男と会話をすることもできない。

「ええ。帰りの足をなくした男のために馬を用意しました」

「馬だと。先ほど、お前が駿馬と評した馬以上でなければ承知せんぞ」

呂布は凄むが李粛は平然としていた。


それはそうだ。

これから紹介するのは、一日に千里は駆けるという名馬中の名馬、李粛は絶対の自信をもっていた。


「見ればわかりますよ」


李粛の手招きで登場した馬を見て、さすがの呂布も絶句する。

全身が燃え上がるような赤色をしており、隆々とした筋肉は鋼のようだった。

雄々しく生き物としての格が、先ほどまで跨っていた馬とは全然違う。


「この馬を・・・俺に?」

「ええ、乗ってみて下さい」


呂布は喜びに震えながら、馬に跨る。

「この馬の名は赤兎せきとといいます」

「うむ。赤兎、赤兎馬せきとばか」


興奮冷めやらぬる呂布は、上空に雁の一団を見つけると、弓を構える。

と、同時に赤兎馬が翔んだ。

雁が三羽、落ちた後、赤兎馬が着地する。


「素晴らしい」

まさに翔ぶという感覚だった。


「この馬は誰から?」

「涼州刺史、董卓さまからです」

「董卓か・・・俺の新しい契約相手だな」

呂布は冷酷な笑みを浮かべるのだった。


李粛は、ふとある物に気づくと、足元にある黄色い襟巻を拾う。

赤兎馬と翔んだ際に、呂布が落としたものだ。

呂布を見やれば、すでに赤兎馬を駆って、はるか先にいる。

「ふふふ、これで董卓さまの覇業が近づきましたね」



盛大な宴が董卓の屋敷で行われた。

名目は、少帝奪還祝いと洛陽の安穏を祈念するということで、都中の有力者が集められた。


その人数は百人を越え、これほどの人数を集めることができるのだと、董卓の力を誇示しているようでもあった。

宴の主賓が会場に登場し、上座中央に座る。


そこで、董卓は一堂を見渡した。

「ここで皆に問う。少帝劉弁は暗愚で惰弱。一方、陳留王劉協は聡明。この事実をどう思われる?」


「何を言いたいのか分からんが、まずは、少帝陛下と尊称をつけよ」

董卓の暴言に対して、即座に盧植が立ち上がる。


そもそもこの宴席に参加するのは、気が進まなかった盧植だった。

立場上、参加せねばならず、ならば早々に退出しようと思っていた矢先、このような振る舞いに遭遇し、黙っていられなかったという経緯。


「何を言いたいかだと?少帝陛下を廃位し、陳留王を新しい天子に立てるのよ」

董卓がそう言い放つと会場にどよめきが生まれる。

あまりにも恐ろしい発言に盧植は言葉を失った。


董卓の睨みに、誰も逆らえない中、執金吾しつきんごの丁原が立ち上がる。

「少帝陛下は即位したばかり、何の落ち度もないのに廃位して新皇帝を立てるとは、董卓、お主の魂胆が丸見えだ」


「ほう。儂に逆らうか?」

董卓が合図を送ると、兵たちが会場に入ってくる。


しかし、丁原には、いっさい怯む様子はなかった。

「ふん。力で従わせようとしても無駄だ。私には無双の養子むすこがついておる」


丁原は自分の後ろを振り返ると呂布に目配せをする。

だが、肝心の呂布からの反応はなかった。


「どうした?奉先」

名前を呼ばれて、はじめて呂布は顔を上げた。


「何だ、俺のことか。養子むすこなどど呼ぶから、誰のことか分からなかったぞ」

「な・・どうしたのだ?」

呂布は立ち上がり、威嚇するように丁原ににじり寄った。


「野盗だった俺の罪を帳消しにするというから、お前と契約した。だが、その契約も先日、切れた」

「契約?お前は私の養子となると言ったではないか?」

丁原は、まだ信じられないとうろたえるが、呂布はにべもない。


「それは契約者のお前が、そう返事をすれば喜ぶからだ」

呂布の冷たい視線に射すくめられた丁原は、言葉を発することができなかった。


「すでに新しい契約者が、そこにいるのでな」

呂布の視線を追い、振り返った先には董卓がいた。


ニヤリと笑う、董卓は、

「まだ、何かあるか?丁原よ」と勝ち誇る。

「くっ」

背後から呂布の殺気を感じ取った丁原は、恐怖に表情がゆがんだ。


「ひぃぃ」

「じゃあな」

方天画戟が一閃されると、丁原の首が転がった。

会場内に大きな悲鳴が響きわたる。


この光景に、もはや逆らう者はいないと思われたが、

「董卓。お主の暴挙、このような地獄絵図。儂は認めんぞ」

と盧植が敢然と言い放つ。


ならばと、盧植を斬ろうとすると、李儒が止めた。

「董卓さま、あの者の影響力は大きく、打首にすると朝廷において、離れていく者が多数現れる懸念があります」

最悪、政治が止まると言う。


「むぅ。分かった。ならば、下がらせろ」

殺すことはできないが、会場から追い出すことはできる。

兵たちに命じて、盧植を無理やり退場させた。


これで、この会場内に逆らう者は、誰もいなくなる。

「吉日を選んで、少帝を廃し陳留王を新たな天子に立てる」

その宣言に、皆、頭を垂れて礼をとった。


その中、呂布が董卓の前まで進み出る。

「赤兎馬が俺のもとにある限り、俺はあなたに従おう」

「うむ。お前の言を借りれば、これで契約成立だな。わっはっは」

董卓の高笑いが響いた。


最悪同士の主従の契りを見せられ、漢王朝をおおう暗雲はさらに分厚くなることを多くの臣下が感じる。

誰もが諦め、早くこの場から立ち去りたいと願う中、一人、冷静に二人の様子を見つめる人物がいた。


それは曹操孟徳である。

「用意周到。洛陽を支配する手並みといい、ここまでの参謀李儒の手腕は見事。・・・さて、あとは董卓自身、お前はどの程度か・・・」

喧騒の会場を気にせず、一人、杯を傾けるのであった。

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