第11話 巨星、堕つ

月夜の中、見渡す限り何もないところにぽつんと一軒のいおりが建っている。

中から灯りが見えるので、家主はいるようだ。

男が一人、その庵を訪れる。


「おや、今夜は盧植殿ではないのですね」

家主は書をしたためている途中のようで、訪問者に視線を送らずに話しかけた。

気配で分かるのだろうか・・・

「夜分の訪問、恐れ入ります。張角さん」


家主は名前を言い当てられ、手を止めた。

しかし、ただ驚いたというより、来訪者に興味がわいたという表情だった。


「道に迷ったという訳ではなさそうですね。・・・私を誰がご存知のようだ」

「やはり間違いないようですね。私は簡雍憲和と申します」


張角を訪れたのは劉備から単独行動を許された簡雍である。

盧植から聞いていたとはいえ、本当は半信半疑だった。

黄巾党の首魁が、こんなところに一人でいるとは・・・


「盧植殿に何かありましたか?」

「ええ。都に更迭されましたよ」

簡雍の言葉に張角は目を伏せた。

「やはり、私のことで・・・・」



張角と盧植。

実は医者とその患者という間柄であったらしい。


張角が黄巾党を率いて、漢王朝に反旗をひるがえすより十年も前のことだが、盧植が山中で怪我をおったときに診てもらったことがある。


足の怪我だったため、しばらく動くことができず、その間、張角の家で世話になった。

その際にじっくりと語らい交流を結んでいたのだ。


念のため、付け加えると昔のよしみがあるとはいえ、盧植は今回の討伐に手心を加えたことは一切ない。


自身の職務に対しては、誠実に務めあげていた。

但し・・・・

張角と密かに会って話をするまでは・・・


なぜ、会おうと思ったのか、その時のことは正直覚えていないという。

張角がいるという情報も不確かなものだったので、ただの興味本位だったのかもしれない。


ただ、昔、一度だけだが、自身の怪我を見てもらった青年。

あの時の青年と黄巾党の張角が、どうしても一致しなかったことが、気になっていたという。

確かに人は変わるものだが、果たして・・・


そして、会ったことで盧植の苦悩が始まった。

張角自身は、あの頃から、何一つ変わっていない真っすぐな男であり、黄巾党の発足経緯も聞かされたからだ。


盧植の迷いは、戦の指揮にも影響する。

今まで、全勝と言っていいほどの勢いが止まり、一進一退、虜囚となる直前は劣勢にまわることもあった。


洛陽より、罪状が届いたとき、もう戦わなくて済むと、ほっとした自分を自覚すると、大人しく更迭されようと思ったという。


ここまでが、簡雍が盧植本人から聞いた話である。



「表向きは違いますが、盧植先生、ご本人の中では、あなたの件は大きくのしかかっています」

問いに答えると、張角は嘆息を漏らした。


「大変、申し訳ないことをしました。・・・私が悩みを打ち明けなければ、あるいは・・・」

「悩みですか?」


張角は何も答えず、窓越しに外を眺める。

そこには一本のすももの木が植えられていた。


「どうして、このような乱を起こしたのですか?」

「直接的ですね」

「ええ。そういう性分なものですから」

張角は天井を見上げる。


「今度は、あなたを巻き込んでしまうかもしれませんよ」

「大丈夫です。信じる大将ものがありますから」

「分かりました」


張角は、全ては言い訳になりますが・・・

という前置きをして、話し始めるのだった。



張角は昔、あるきっかけから医術を習おうと誓った。

これまでは、農夫としてくわしか握ったことのない男。

その道のりは、大変なものだった。


それでも出会った師、南華老仙なんかろうせんと自称していたが、その人の指導がよかったのか、張角は医療の才能に目覚める。


村人の診察から始まった医療行為だったが、評判が評判を呼び、いつしか大勢の人間が張角のもとを訪れることとなった。

張角としても人生で二番目に充実していた日々だった。


そんな幸せもつかの間、ある男たちの来訪で崩れていく。

それは、李宝りほう李梁りりょうの兄弟だった。


張角自身、彼ら二人には逆らえない理由があり、李兄弟はそこを逆手に張角を利用した商売を始める。

張角が煎じたと称し、怪しげな丸薬を作っては高額で売りつけたのだ。


そのようないい加減な薬で病気が治るわけがないが、治らないのは病人自身のせいだと因縁をつける。

実際、張角の医療行為は絶大で、診てもらうと完治する人が多かったため、その張角が作ったものならばと、信じる人はかなりいたのである。


お金が増えるにつれ、よからぬ人間も周りに増えた。

いつしか、李兄弟は、張角の兄弟を勝手に自称し、張宝、張梁を名乗る。

また、集まった人間を使って、悪事も働くようになった。


漢王朝の腐敗も相まって、次第にその悪事は役人を標的とするようになる。

中には悪徳官吏も実際にいたため、英雄的な扱いを受けることもしばしばあった。


そうなると、また、擦り寄ってくる人間も増える。

暴力集団は、いつしか黄色い頭巾を被るようになり、世直しを理由に暴れまわる。


そして、その集団は各地へと広がり、その影響がこの国の八州にまで及ぶようになった。



「すべては私の甘さからです」

「ずるい」


簡雍は、そう断罪した。

嘆く前にやることはなかったのか?

簡雍には、ただ逃げているだけにしか見えなかった。


「まったく、その通りです」

張角は素直に謝罪する。


「止めようとは思わないんですか?」

すると、張角は自嘲気味に、

「今さら、私の一言で止まると思いますか?」と力なく話した。


制御できない力ほど始末の負えないものはない。

今の黄巾党が、まさしくそうである。


「『蒼天已死そうてんすでにしす』って、どういう意味なんですか?」

簡雍は急に話題を変えたので、張角は少し驚いた。

しかし、なかなか答えてくれなかった。


「うちの大将。まぁ、一家の頭なんですけど、天気のことだと勘違いして、しかも快晴だったものだから、五万人の前で、死んでないって大声で叫んだんですよ」

「天気・・・青空ってことでしょうか?・・・・・その発想はなかったですね」

張角の表情がわずかに緩んだ。


そして、また、窓の方に視線を向ける。

その視線に何が写っているのか、簡雍には分からなかったが、ずっと遠くに焦点があるような気がした。

張角の口元が小さく動く。

「・・・蒼天・か・」


「李が好きなんですか?」

現実の世界に急に戻されたように、張角は目を大きく見開いた後、

「李?・・・まぁ、そうですね」と頷いた。


「私もです。・・・そう言えば、李は五果でいうと青ですね」

「・・・そうですね」

張角の声の質が変わる。


「『蒼天已死そうてんすでにしす 黄夫當立こうふまさにたつべし』」

奥歯に力が入っているのか張角の口元が引き締まった。

柔和だった張角の表情が厳しいものに変わる。


「それをどこで?」

「広宗の民家で偶然に」

「偶然?・・・・そんなことが・・・いや、これは天意か」

張角は目をつぶった。


「これは、あくまでも私の想像です」

と、簡雍は前置きをすると、大きく息を吸い込んだ。


「あなたは大切な人を亡くした。恐らく、『すもも』にまつわる名前の方を。そして、黄夫、つまり農夫だった、あなたは一念発起して医者を目指した」

「まるで、私の半生を見てきたように言いますね。・・盧植殿から聞いたのですか?」


「いえ、本当に想像です。もともと上の句二行と下の句二行が合っていないような気がしいたところに、民家であの文を見たものですから、・・・別の意味を色々、考えた結果です」

「すごいですね」

そう言うと、張角は立ち上がり、裏庭へと向かい簡雍を手招きする。


李の木の下に、小さな墓碑があった。

「李明。・・・私の妻となる女性でした」

「李明さん・・・!」

李姓ということは、もしかして・・・


「そう、李宝、李梁の姉です」

「二人にお姉さんの死があなたのせいだと、なじられた。・・・その結果?」

「私の弱さのせいです」


張角は屈みこんで、墓碑に向かって手を合わせる。許可をもらって、簡雍も手を合わせた。


「あの言葉は、李明と同じ病で亡くなる人を、少しでも減らそうと誓った言葉。・・・それを勝手に変えられ、あまつさえ、いいように利用されるのは、正直、我慢できなかった」

簡雍は唇を結んで頷く。


「・・しかし、李明のことを持ち出されると、何もできなかった。・・情けない男です」

張角の頬を涙が伝う。

「張角さん。この黄巾の乱を止めたいと思いますか?」

「止めたい?・・・そうですね。できることであれば・・」


その言葉を聞いて、簡雍は意を決した。

正直、震える心を抑えるので、精一杯だったが・・・


心の中で踏ん張ると懐から盧植から預かった小瓶を取り出す。

手の震えを抑えながら、張角に渡した。



「この小瓶は?」

「中に毒が入っている」


手渡す盧植の手が僅かに震えている。

沈痛な表情で簡雍に向き合うと、


「時勢に流された男を救ってやってくれ」

「救うとは?」

「お主なら分かる」


あの時、盧植から託された言葉の意味がやっと分かった。

盧植は張角に寄り添ってしまったが、簡雍までが同調するわけにはいかない。

この人を救うためには・・・



「中身は毒です」

はっきりと伝えた。そして、それによる結果も伝える。


「実権は張宝、張梁が握っているのかもしれませんが、あなたという象徴がなくなれば、黄巾党の勢いは確実に衰えます」


小瓶を受け取った張角は、涙を拭うと姿勢を正した。

「・・・私は弱い。こうして背中を押してくれる人を待っていたのかもしれません」

「押した先は・・・私をひどい男だと恨んで下さい。・・・それで・・服毒できるのであれば」


張角は大きくかぶりを振る。

「いえ、あなたは優しい人です」


「人に自裁を勧めているのにですか?」

「あなたの見る目は確かですが、私もある程度、見る目はあると自負しています」

張角は簡雍の手を取った。


「あなたは大切な人を守るために心を鬼にしている」

簡雍は鼓動が早くなるのを感じた。


「恐らくですが、もし、この先、官軍の手が私にせまり、あなたの想う人と私が出会ってしまった場合、・・・・こんな私でも受け入れてくれる。そんな大きな器の方なのではないでしょうか?」

「変に引きが強いんですよね。大馬鹿なのに」


「ふふふ。大馬鹿ですか。・・・でも、今の私を受け入れた場合、その人にも破滅の道が待っている。・・・それは、あなたとしては阻止しなければならない」

簡雍は答えなかったが、それは肯定を示していた。


「答えなくても、結構ですよ。・・・ただ、一度、会ってみたかったですね」

「あなたが、私たちの仲間になったら、きっと、私の仕事がなくなりますよ」

簡雍と張角、二人から笑い声が上がる。


「李明とゆっくりと最後の話をしたい。・・・その後で・・」

「・・分かりました。私はこれで失礼します」

「あなたに会えて良かった。・・もちろん、李明にはたっぷりと叱られると思いますが・・ありがとう」

簡雍は振り返ることができず、その場を立ち去るのであった。



「やっぱり、今日、帰って来た」

劉備一家が駐留する廃村に、簡雍が戻るのは二日ぶりだった。

「みなさん、まだ、起きていたんですか?」


時刻は夜中である。

簡雍を迎えるために、村の入り口に劉備、関羽、張飛の三人が立っていた。

「長兄が憲和は今日戻るって、言いはるのでな。みんなで出迎えるってきかなかったんだ」

関羽が答えると、劉備は鼻の下をこすっている。


『・・大馬鹿のくせに、この人はまったく・・・』

劉備は簡雍の前に立つと、頭を下げた。


「よく分かんねぇけど、お前をちゃんと迎えてやらないとだめなような気がした」

「私は私の仕事をしてきただけです。気が咎めるなら、成功報酬を上乗せしてください」

「ああ、俺が乗る前に乗っていいぞ」

「それは楽しみですね」

劉備は簡雍の肩を叩き、大笑いする。


その時、

「あっ」

夜空に輝いていた大きな星が一つ、地平線に向かって落ちていくのであった。


簡雍はその方角に向かって、手を合わせる。

不思議と他の三人も自然に手を合わせるのであった。

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