第10話 虜囚

宛県城が落ち荊州も一段落したため、劉備は師である盧植のもとへ戻ることにした。

師は、まだ、鉅鹿郡の広宗県で戦っているはずである。


一路、北上した。しかし、その移動距離は長く、馬上とはいえ、劉備の顔色にも疲れが見えた。


そんな中、劉備たちの前に囚人を乗せた護送車が通る。

何気なく眺めていたが、劉備はハッとし、一瞬、自身の目を疑うのだった。


何と、これから会いに行くはずの盧植が鉄格子の中にいるのだ。

疲れも吹っ飛び、劉備は駆け出す。


「・・盧植先生、これは一体?」

劉備が近づこうとすると護送兵たちに止められた。


「玄徳、・・劉備玄徳か?」

劉備の声に中の盧植が気づいたようだ。


「そうです。何があったんです?」

強引に鉄格子の前まで辿り着くと、檻の隙間から盧植の手をとる。

劉備に近づこうとする護送兵を関羽と張飛がせき止め、大騒ぎになった。


「何をしている」

そこにこの隊を指揮している上官らしき男が現れる。


「お前こそ、何をしている。間違いじゃないのか?なぜ、先生が虜囚りょしゅうの辱めを受けなきゃならない」


劉備に襟元を捕まれた上官は息がつまり、顔を赤くした。

「こら玄徳よ、騒ぐな。お前まで捕らえられるぞ」

「・・しかし」

盧植の言葉に手を緩める。


ようやく会話が可能となった上官は、

「我々は指示に従っているだけだ。そこは理解してほしい」と弁解した。


意外と物腰が柔らかいこの上官は、

「あなたは何者ですか?」と質問。

「俺は劉備玄徳。盧植先生の門弟だ」


劉備と盧植の関係を知り、なるほどと納得する。

そのうえで、じっと劉備を見つめた。


「劉備玄徳・・・はて、私の父の恩人の名も確か・・・」

そして、何やら独り言をつぶやき始める。


「もしかして、楼桑村の劉備玄徳殿ですか?」

何の話か分からないが、楼桑村に劉備玄徳は一人しかいない。


「そうだけど、それが何?」

「おお、ではやはり、あなたが父の恩人ですか」


急に手を取られ、劉備は驚いた。

この上官は感謝の言葉を繰り返すが、何のことかさっぱり分からない。


「楼桑村でお水をいただいたと聞いています」

「ああ、黄巾党に襲われた商人か」

やっと、理解した。


劉備は、あの時の商人の面影を思い出す。

しかし、薄汚れていた印象しか残っておらず、目の前にいる男と親子と言われても、なかなか合致しなかった。


とはいえ、当人が言っているのだから、間違いないのだろう。

それならば直接、命を助けた張飛もいると話すと、この上官は泣きながら感謝した。


すると、

「本当はまずいのですが、少しの時間でしたら、お話をしていただいて結構です」

師と対話する時間を許可してくれたのだった。

人助けはしておくものだ。


劉備は、早速、盧植の前に座る。

「何故、このようなことに?」

「軍の視察にきた左豊さほうという男が賄賂を求めてきてのう。断ったら、この様よ」

「そんなことで・・・」

漢王朝の腐敗ぶりに、二の句がつかない。


「玄徳、もしもの時は伯珪はくけいを頼るがいい」

「伯珪殿ですか?」


公孫瓚伯珪こうそんさんはくけい

劉備の同窓で、今は遼東りょうとう鮮卑族せんぴぞくを相手に功をあげていると聞いたが・・・

師の言葉なので、心に留め置こうと思う。


「それで、玄徳。・・・・いや、止めておこう」

盧植はやや歯切れの悪い物言いをした後、劉備を下がらせた。


そして、後ろに控えていた簡雍を呼び寄せる。

「私に御用ですか?」

簡雍は高名な盧植と話す機会を得て、珍しく頬を上気させた。


「うむ。・・・これは玄徳には話せないことだ」

「それを私に?」

「そう。あいつは変に悪ぶるところはあるが性根が優しい。また、度量がとんでもなく大きいから、善悪問わず、受け入れてしまうことがある」


なるほど。

さすがに師匠らしく、劉備のことをよく見ている。

「あいつの器に、あれは入れるのは忍びない」

「あれ・・・とは?」


簡雍の問いかけに盧植は、声を落とす。

人目をはばかるように、簡雍にも近づくように指示した。


他の誰にも聞かせられない内容なのか、簡雍は聞き取るのがやっとだった。

そして、最後に小瓶が渡される


簡雍は盧植から聞いた内容を正直、整理できてないが、

「頼む」

その言葉と握りしめられた手から伝わる想いに、

「分かりました」

と、答えることしかできなかった。

「玄徳をよく見てやってくれ」


その後、再び、劉備と入れ替わり、師弟の対話がなされる。

しばらくすると、護送兵上官の咳払いが聞こえた。

そろそろ時間なのだろう。


「儂のことは心配するな。都に行けば話のわかる奴もいる」

その言葉を残して、師が連れていかれる護送車は劉備の前から消えていった。



「先生から、何を言われたんだよ」

「不肖の弟子を頼むと言われました」


本当のことは言わないだろうとは分かっていたが、相当、重要な話だったのだろう。

平静を装っているが、普段の簡雍ではないことを劉備はおろか関羽や張飛も気付いている。


盧植の態度から、何となく劉備自身にもかかわる話だったのではないかと想像するが、心当たりは一つもなかった。

何か頼まれごとだとは思うのだが・・・


分からないが、この出来の悪い弟子に代わり先生を助けてあげてほしい。

そんな気持ちでいっぱいになるのだった。



護送車が去ったあと、これからの劉備一家の行動には三つの選択肢があった。

皇甫嵩のもとか朱儁のもとか、盧植の後任のもとへ行くかのいずれかである。


みんなで相談したところ、とりあえず、近くまで来ているので、盧植の後任の将に挨拶にいくことにした。


特に劉備は大きな後ろ盾をなくしたばかり。

少しは立ち回りを気にした方がいいだろう。

しかし、この時の判断を数刻後には後悔するのだった。



目の前に非常に恰幅かっぷくのいい男が椅子に腰かけている。

恰幅がいいというのは非常に上品な言い方で、はっきり言って、ただの肥満体だ。

目つきが鋭く、立派な顎鬚あごひげを貯えているのだが、いかんせん突き出した腹部や膨れた顔が、台無しにしている。


この男が董卓仲頴とうたくちゅうえい

盧植の後任の東中郎将とうちゅうろうしょうだった。


劉備が挨拶に訪れると、目の前にいるのにも関わらず、その場で待たせ、自身は部下たちと雑談をしている。


そこに早馬がきた。

「黄巾党と交戦中の部隊から増援要請がきております」

「そんなもの、適当に中央の官兵を送っておけ。間違っても子飼いの兵は出すなよ」

指示を受けると部下が下がっていく。


「こんな戦で身を削る必要などない。全く、盧植の奴め、いい迷惑だわ」

そう吐き捨てると劉備との面会を許可するでもなく、また、部下たちと笑い話にふけるのである。


こいつは駄目だ・・・

あの体格もそうだが、とことん自身に甘いのだろう。

絶対といっていいほど、話が合うはずがない。

こうなったら・・・


「すいません」

劉備は近くの董卓の部下に声をかけた。

体調が悪い仕草をすると、

「昨日の酒が、まだ・・・うっ」

その部下めがけて、吐く素振りをした。


「な、あっちへ行け」

「す、すいません」

一応、許可をもらったので、そそくさとその場を離れる。


もっとも、もとの場所に戻る気はさらさらなかったが・・・

どうせ、向こうも会う気はないのだから、問題ないだろう。


劉備は、他のみんなと合流すると、兵をまとめてここから立ち去るよう指示する。

「何か命を受けたんですか?」

「いや、話してもいねぇよ」


結構な時間待たされたはずだが、話してもいないというのに驚く。

しかし、劉備に事情を聞いて納得するのであった。


「あの調子なら、すぐに他の将が代わりに送られてくる。この近くで待ってようぜ」

「そうですね。きっと、その董卓って人は罷免でしょうから」

「いや、あの野郎、何かうまく追及をかわしそうだ」


あれだけ自己保身的な考え方をする男だ。

身を守るために、あらゆる手段を使うんじゃないかと思う。

あんな奴が、一旦、権力を握ろうものなら、それはあらゆる手段を使って地位を守るんじゃないか?


変な想像をして、劉備は身震いする。

「吐くなら、あっち言って下さいよ」

「さっきのは、演技だっての」



劉備一家は、広宗県のさびれた村で待機することにした。

黄巾党の爪痕は鋭く、あばら家が残っているが、人は誰もいなかった。

「戦禍のあとだ。ひどいもんだな」

全員が抱いた感想だった。


ここで救援物資を調達するのは無理だが、手持ちの糧食は、まだ、十分にある。

「雨、風がしのげるだけ、まだいいな」


劉備たちは誰もいない民家に入る。

休むにしても屋根があるだけで大分違う。


「長兄、壁に何か書いているぜ」

随分と古い書き残された文字だが、

蒼天已死そうてんすでにしす 黄夫當立こうふまさにたつべし

と書かれている。


「ん?書き間違いか?」

『黄天』ではなく『黄夫』となっており、その後の文章もない。


「何でしょうか。天と夫ですから、勢い余って、そう書いてしまった可能性もありますが・・・」

劉備、関羽、張飛がそろって考えるが、あてはまりそうな答えが出てこない。


ここで、いつもなら簡雍からの一言があるのだが・・・

「どうした?」

「いえ、何でもありませんよ」

そう答えただけで、その後、何かに気を取られるように考え事をする簡雍だった。



その夜

「大将、すいません。ちょっと別行動させてもらいます」

そう話す簡雍だが、理由は教えてくれなかった。

真剣な表情から、譲れない事態だということは分かる。


「わかった。いいぜ」

何をするのか知らないが、簡雍を疑う余地など何もない。


しばらく、この場所で待機しているから、気にせず行ってきなと、簡雍を送り出した。


民家から出た簡雍は、懐に小瓶があることを確認する。

その小瓶をぎゅっと握りしめる。

そして、意を決して駆け出すのであった。

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