書状
ある夜、ロビンが郵便物の仕分けをしていると、見慣れぬ封筒が目についた。
金のふちどりに真紅の封蝋。透かしを見るまでもない。王家からの書状である。
書状は二通。一方はイグニス、もう一方はなんとロビンにあてたものだ。
(なんだろう)
どきどきと逸る気持ちを抑え、滅多に使わないペーパーナイフを持ち出してそうっと封を切る。あらわれた便箋はなめらかで重く、うっすら魔法の気配がした。
『得意魔法の分野を問わず、国のために持てる力を発揮せよ』
流麗な文字で綴られていたのは、王国内の全魔法使いへ向けた戦時召集の通達である。
また、戦争がはじまるのだ。
さきの戦で、幼かったロビンは家族はおろか、住んでいた村ごと失っている。記憶は曖昧なものの、その事実は年齢を重ねるごとにロビンを苛んだ。
自分に力があればと、何度願ったか知れない。
ロビンがこれまでまともに習ったのは、読み書きに計算、地理や薬草の知識ばかりで、魔法らしいことは一切教わっていない。仕方がないので、暇をみつけては魔術書と猫たちを頼りにほそぼそと独学している。
身体も大きくなって、いくらか知恵もついた。今度こそ、守ることができる。そう思うと、自然と手に力がこもった。
署名ひとつで返答できるらしい。ロビンはもちろん、応じるつもりでいた。師匠が何と言おうと、サインさえしてしまえばこっちのものだ。
意気揚々とペンをとるも、うっかりインクを垂らしてしまった。あわてて拭くものを探す目の端で、何かが動く。
ロビンは目を疑った。
手紙の文字がぐらぐらと揺れだしたのだ。紙から浮き上がるが早いか、蜘蛛の子を散らすように駆け出していく。次から次へと身投げする文字を目で追いかけるのが精一杯、残ったのは上質な紙とロビンが落としたインクのしみだけ。
がらんとした紙面を、ロビンは呆然とみつめた。
何が起こったのかわからない。いや、本当はわかっている。
戦力外とみなされたのだ。
手紙そのものに、魔法の実力を測る術が仕込まれていたのだろう。足手まといは不要、という明確な意思表示であった。
時差をおいてむかむかと腹が立ってきて、怒りはそのまま涙になってロビンの目から溢れ出た。無力なこどもは、いくつになっても無力なままなのだと、思い知らされたようだった。力任せに破ると手紙は驚くほど綺麗に裂け、それが自分の願いと重なってさらに泣けた。勢いでイグニス宛ての封書もつかんだが、自分の腹いせにどうこうしていいものではないと思い直して、紙のシワを丁寧にのばした。
イグニス宛の手紙はピンと元通り。ロビン宛の手紙は散り散りになってそれきりだ。
ロビンは大きく息を吐きながら嗚咽を鎮め、涙を拭いてから師匠の寝室の戸を叩いた。イグニスはちょうど細工物の最中だったようで、眼鏡をかけたままこちらを振り向く。
「これ」
彼は受け取った封筒を破り捨てることこそしなかったが、そうしたくて仕方ないのはありありと見てとれる。鼻の上にシワを寄せながら封を切り、内容を一瞥するなりフンと鼻を鳴らした。
「ロビン、お前にも来ただろう。出してみろ」
ロビンはうっと詰まってから、かろうじてひとこと絞り出した。
「もうない」
咄嗟のことで、うまく返せなかった。
「もうない? ていうことはやっぱり来てたんだな。どこにやった」
ロビンは黙って居間のほうを指差した。イグニスは重い腰を上げ、食卓に散らばる紙片をみとめるなり深く長い溜め息をつく。
「なるほどな」
惨めだった。意志を示すことすら許されず、挙げ句かんしゃくを起こした一部始終が隠しようもなくそこにある。
「行かなくて正解だ。戦争なんてろくなもんじゃない」
「でも、師匠は行くんでしょう」
「行かない。誰がこんなくだらないことに手を貸すか」
「くだらないこと……?」
ロビンの眉がぐっと寄る。
「たくさんの人が死ぬかも知れない、でも、強ければそれだけ誰かを助けられるんでしょう、くだらないとか言ってないで力を貸してやればいいじゃないですか」
「甘い」
イグニスは一言で切り捨てた。
「誰かを助けるために、敵方に立った誰かを殺すんだ。誰かを守れば誰かが死ぬ、それが戦争だ。口だけは立派で甘ったれのお前のようなやつは、守るどころかあっさり殺されるのがオチだ。思い上がるな」
「だって、師匠がなにも教えてくれないんじゃないか!」
もう我慢ならない。ロビンの腹は煮えくり返っていた。
「なにが魔法使いだよ、力があったって、使わなきゃなんの役にも立たない。僕なんかやりたくてもできないのに、やらせてももらえないのに、くだらないってどういうこと? 国をも滅ぼす力だなんて笑わせるよ、そんな力があるんなら、戦争になるまえに、襲ってくるような奴らみんなやっつけてしまえばいいんだ、そうしたら誰も、誰も戦わなくてすむ。それだけで、弱い人たちもみんな助けられたはずなんだ、でもできなかった、しなかった、そうでしょう、なにが伝説の魔法使いだよ!」
師匠の表情が曇る。しまった、と思ったがもう遅かった。
投げつけた言葉はすべて本心、ロビンの心に凝っていた澱だった。謝るなんて、己の矜持が許さない。
(だって、僕は間違ってない)
腹立ち紛れに目の前の椅子を蹴っ飛ばし、そのまま屋根裏への細い階段を一気に駆け上がる。季節は冬、夕方から雪がちらついている。外へ飛び出していこうにもこれでは寒すぎる。他に行くところがなかった。
(あれだけの啖呵を切っておいて、それでも僕はここにいるしかないんだ)
何もかも嫌になって布団をかぶって丸まった。もう涙は出なかったが、怒りで体が爆発しそうで、どうにかやりすごそうと枕に顔を埋めて獣のように唸る。
そのまま、とにかく気が済むまで眠り続けた。
ときおり目がさめても、雪空のせいで窓の外はぼんやりと暗く、どれだけ時間が経ったのかわからない。窓辺に積もった雪を溶かして口に含み、いくらか渇きが癒えるとあらためて布団にくるまる。
何度目かの目覚めは、頭痛によってもたらされた。身体を起こしてみれば喉もカラカラ。これが籠城の限界だった。
いきなり顔を合わせるのはきまずい。そろりと足音をひそめて降りていくと、家のなかはしんと静まり返っている。
にゃう、と声がしてキラリと光ったのはファゴの瞳、尾を立てて導くあとを追う。行く手でファルが待ち構えていた。
そこは、イグニスの寝室へ続く扉。
嫌な予感がして、ノックもせずに押し開く。
「うそ」
部屋の一切合財がきれいになくなっている。イグニスは姿を消していた。
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