第30話 決戦其の三 ユイvsルイザ

「私に話したいことだと? ふん、今さら私に命乞いでもするつもりか?」

 ルイザは鼻で笑いユイを蔑んだ。

「私がしたいのは命乞いではない。頼みがある……リィの話を聞き、こいつを後ろから支えてやってくれないか……婚約者なのだろう、あなたは」

「ユイ?」

 思いがけないユイの言葉に、ミミは驚きの声をあげた。リッシュも複雑な表情かおでユイを見つめる。

「ふっ、なにを言うかと思えば、くだらないことを」

「私はリィの標的だ。私はこいつの言葉を聞いて、心を渡すと決めた。その証拠となる品も既に渡してある。リィが王位を継承することは、もう決まっているんだ」

「ほう。証拠品のことは知らなかったわ」

 ルイザは顎に手を当て、リッシュをじろりと睨んだ。

「それは本当の話なのか、リィ?」

「はい、本当です。実物はジークに預けてありますので、お見せできませんが」

 リッシュは神妙な面持ちで頷く。

「わかった。どうやらお前の言うことは嘘ではないようだ。で、お前は私に妻としてリィを支えろと、そう言うのか……断るがな」

「リィが今までやる気にならなかった課題を、なぜやる気になったのか、その理由を知っているか?」

 強い視線を投げかけるユイに、ルイザは赤い瞳を細める。

「もちろん、こいつが無様にもお前に心を持っていかれたからに決まっているだろうが!」

「違う! 今の王のやり方に不満を持ち、それを変える決心をしたからだ!」

 ユイは叫び、その拍子に激しく咳き込んだ。頬には血がのぼり、白い頬が紅く染まっている。その艶やかさにリッシュは一瞬気を奪われた。

 それに目ざとく気づいたルイザの頬が、ぴくぴくとひきつる。

「娘、いいことを教えてやろう。私の夫となる男が誰であろうと、そいつは所詮飾りものに過ぎんのだ。私が今の王のように、好き放題権力を振りかざす為のな」

「あなたは、今の王に憧れているのか?」

「憧れだと?」

 ルイザはそう言ったきり黙り込み、やがて意を決したように重い口を開いた。

「……逆だ。これは我が一家を冷遇してきた王への仕返しだ」

「冷遇?」

 ミミは首を傾げ、リッシュを見た。

「ルイザの母君は、私の母の姉です。私の父は、本当は彼女の母君と結婚するはずだったんですよ」

 リッシュは淡々と説明する。

「えっ……それって、妹に男を取られちゃったってこと?」

「まあ簡単に言うと、そういうことです」

 リッシュはミミの言葉に頷いた。

「王の妻となるべき母を裏切り、なお我が家を支配し続ける王に憧れる阿呆はおるまい! 私は幼少より母からずっと聞かされてきたのだ……王家に対する恨みつらみをな!」

 ルイザはユイに向ける瞳を微かに細めた。その脳裏には、幼き日よりずっと描き続けてきた未来予想図が広がっている。

「必ずや私が最高権力を握り、皆を意のままにする。そして我が家を再興させるのだ!」

「それはあなたの望みか? それとも母の望みか?」

「なに?」

 ルイザのこめかみに青筋が浮かぶ。

「私の望みに決まっているだろうが! 私とて怒っているのだ、今の王にな!」

「ならば、なぜその王と同じになろうと言うんだ!」

 叫ぶ度に何度も咳き込むユイの背中を、リッシュはそっとさする。

「リィは、変えようとしているのだぞ……その王のやり方をな……その道を、共に歩めばいいではないか」

 ユイは俯き、苦しげに呼吸を整えながら呟く。

「リィのような甘ちゃんに、そんな大それた事ができるわけがない。私はそいつを赤ん坊の頃から見ているが、私がどんなに痛い目をみせようと、こいつは私を睨むことすらしなかった。そんな奴に、なにができるというんだ」

「あなたになにもしなかったのは、リィが優しかったからだ」

 ユイは喉元に手を当て視線を上げた。今は背中に感じている、リッシュの優しさや温もりがじんわりと広がっていく。

「優しさと臆病は似ているのかもしれない……しかし目標を定め、それを実現すると決めたのなら、必ず成し遂げられる……リィなら……必ずできる。頑固者だからな」

 私と同じで、は口にせずユイは口元に笑みを浮かべる。

「もし私が魔族だったなら……もし私があなただったなら……リィと一緒に同じ夢を見ただろうに」

 ルイザの面に苛立ちが浮かぶ。

「なんだそれは……結局は私にお前の代理になれと言っているのではないか!」

「すまない、そのようだ……これは、私の我儘だ」

 ユイは自嘲するように笑った。ルイザの顔色があまりの怒りに赤黒く染まる。

「そのまま呪われてくたばれ! 私はリィと結婚し、権力を握る! ざまあみろ!!」

「あなたにリィの心は渡さん!」

「心だと……? いらんわ、そんなもの!」

 ルイザは吐き捨てるように言った。

「……リィ」

 ユイは隣でひざまずいているリッシュを見た。

「あの約束、頼んだぞ……私は、力を開放する」

 リッシュははっと目を見開く。

「なぜですか……あなたの力をルイザに放たなくても、私がこの場をなんとかします」

 ユイはにやりと笑った。

「リィ、これは女の意地だ。私からの一撃を受けたら、ルイザはおそらく忘れないだろう、私のことを」

「意地……」

「思い出し、悔しくなって……気持ちが変わるかもしれない。お前を支えたいと……」

「なにを言ってるんですか……あの人は私のお嫁さんにはなりませんよ!」

 リッシュはたまらずに目の前のユイを抱きしめる。

「私が愛しているのは、あなただけなんです」

「先のことは、誰にもわからない……でも、今の言葉は嬉しかった……ありがとう、もう十分だ」

 リッシュの耳元でゆっくりとユイは囁く。

「ミミ、後は頼んだ」

 一瞬、ユイはミミの瞳を見つめ柔らかく微笑んだ。

「ユイ……」

 ミミは表情を引き締め、深く頷く。

 それを見届けたユイはありったけの力でリッシュの身体を突き飛ばし、両手を地に着ける。

 ルイザの足元の砂が巻き上がり、ルイザを包みこんだ。

「なんだ、目眩ましか!」

「土の精霊を使えるのは、ユウだけじゃないんだ!」

 叫ぶユイの体全体が白く光り輝き、その波動が一斉にルイザに向かう。

「くっ……」

 リッシュは苦渋を浮かべたおもてで、自分が築いた壁を取り払った。

「こんなもの、私がくらうと思うのか!」

 ルイザは陰の力である魔力ちからを放ち、ユイの放った善の波動を中和させようとした。だが、ルイザから放たれた強烈な魔力は、ユイのものと同じものだった。

「なんだとっ」

 ルイザは力を受け流せず、まともに善の気をその身に浴びる。目が焼きつきそうなほどの白い光に、思わず手を翳す。

 そんな中、ざくりと何かが切り裂かれるような音と共に、ルイザの頬に熱が生まれる。

「なんだ……?」

 やがて光は収まり、ルイザはその辺りを指でなぞった。

 ざらついた奇妙な感触と、ぬめっとした濡れた感触とがそこにある。震える指を見れば、きらきらと赤い液体が光っていた。

「貴様!!」

 ルイザが睨みつけたのは、ミミだった。

 蹲るその手は獣のように豊かな黒い体毛が生え、同じ色の鋭い鉤爪が長く伸びている。

 これがミミの本当の姿だった――ミミは、土竜の妖なのだ。

「その傷、早く手当したほうがいいですよ、ルイザ……傷口から妙なものが入る前にね」

 意識を失い、ぐったりしたユイを抱き抱えたリッシュがルイザを見た。その黒い瞳は悲しげに影を帯びている。

「妙なものだと?」

 ミミに向けられていた殺気が一瞬で削がれる。得体の知れないなにかに、不安を煽られているのだ。

「その砂に混ぜてある粉のことですよ。今もあなたの全身に貼り付いています」

「私があんな力を出したのはそのせいか……なんなのだ、これは?」

 ルイザは忌々しげに美しい顔を歪めた。

「緑王が開発した特別な毒です。原料は龍の瞳の殻の部分……つまり浄化の力です。早く退いて洗い流さないと、そのご自慢の美しい肌が大変なことになりますよ」

 リッシュはくすりと笑った。

「これで勝ったと思うなよ! ふん、その娘はあの世行きか……ざまあみろ!」

 ルイザはユイを一瞥し、ふっと姿を消した。

「はあ……良かったあ、騙されてくれたあ」

 ミミはヘナヘナとその場に座り込んだ。緊張から妙な汗を大量にかいていた。

「リィに渡されてた偽物の傷、リアルだったもんなあ」

 それを思い出し、ミミは力なく笑った。

「体がぼろぼろなのに、無理をさせてしまってすみません」

 ユイを抱えたままミミに近づき、リッシュは屈み込んだ。

「ユイ……」

 ミミは呟き、リッシュの腕の中で気を失っているユイの頬に手を添える。その手は人間のものに戻っていた。

「……あったかいな」

 ミミは丸くて大きい瞳を細める。その眦から生ぬるいものがぽろぽろとこぼれ落ちた。

 渦巻く黒い染みはユイの頬まで広がり、さらにその上まで範囲を拡大しようとしていた。初めて見るあまりの速さに、ミミは目を瞠った。

「これじゃ、ユイはすぐに龍の瞳になっちまう!」

 ミミは深いため息を吐いてぎゅっと目を瞑り、すぐに力強く目を見開いた。そして、遠くで立ち尽くしているユウをちらりと見る。

 胸が痛んだが、ミミはユイの気持ちを優先させることにした。

「リィ、今すぐユイを海に連れて行ってくれ……ユウには、おいらから話しておくから……頼む」

「わかりました。では、先に行って向こうで待っています……ユウさんに、すみませんでしたと伝えてください」

 リッシュはミミに頭を下げると、すぐにユイごと姿を消した。

 しんとした街道に、強い風が吹き抜けていく。

 その風はまるで地表の砂を全て持ち去るかのように、しばらくの間吹き続けていたのだった。

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