第29話 決戦其の二 リッシュvsコレクション
「ふん、やっと来たのか。遅いぞ、リィ……こっちはそろそろ遊びに飽きてきたところだ」
ルイザは妖艶な笑みを浮かべ、背後に立つリッシュを振り返った。
二人の間には十メートル程の距離がある。
「リィ……」
既に数回ルイザからの攻撃を受けて傷ついたミミが、リッシュの姿を見つけてホッとしたように呟いた。
ルイザがリッシュに意識を向けたのを確認し、ミミはよろよろと後ろで座り込んでいるユイに向かって歩く。
「ミミっ……」
ユイはルイザによって体の自由を奪われていた。地面に両手両膝を着いた状態でだ。
それはまるで、ルイザの見えない力で地面に押しつけられているような感覚だった。それに抗うだけでユイは体力を消耗している。
「大丈夫だユイ、おいらは体が丈夫にできてるからな」
体に浮かぶいくつもの傷の痛みに顔を顰めつつも、ミミはユイに笑って見せた。
「すまない、なにもできなくて……」
ユイは涙を浮かべた目を細め、かすれた声でミミに言った。
ユイは、妹のように思っているミミが力の差を知りながらもルイザに立ち向かって行く様を見続けていた。
ユイはルイザに『やめてくれ』と何度も叫んだ。そのせいで、ユイの喉は枯れている。
一方ミミと対戦したルイザは、本気でミミの相手をしていなかった。彼女がその気になれば、ミミは一撃であの世行きになっている。
つまり、なぶってリッシュが来るのを待っていたのだ。
「お前に見せたいものがあってな」
ククッと喉の奥で笑い、ルイザはパチンと指を鳴らす。
その瞬間、ルイザの横に一人の娘が現れた。
一つに結いた娘の長い黒髪が、風に揺れる。
「えっ……ユイ?」
ミミが目を丸くする。
ユイそっくりな娘はミミとユイを見てニヤリと笑うと、すぐに後ろのリッシュを振り返った。
突如現れた娘は、髪を切る前のユイに瓜二つだった。服の色はユイが身につけている薄紅色のものではなく水色だ。
「なんだあれ……ユイにそっくりだ」
嫌悪感を顕にしたミミが呟くように言った。
「魔族が化けているんじゃないのか? ……それにしてもあまりに似すぎていて気味が悪い」
ユイは眉根を寄せて、自分に瓜二つの娘の背を見つめた。
ミミはユイの額の汗を拭き、その口元に水の入った筒をそっと添えた。
「ごめんな、ユイ……おいらにできるのはこんなことしかない。おいらがもっと強ければ、あいつの枷も外せるだろうに」
体勢を変えられないユイに、ミミがすまなさそうに言った。
「気にするなミミ……私はお前が生きていてくれるだけで十分だ」
疲労感を浮かべながら、ユイはミミに笑いかけた。
ミミから飲ませてもらった水のお陰で、幾分ユイは声が出せるようになっていた。
「うん……リィはどうするんだろう……リィは、同族には手を出せないんだよね?」
ミミはユイの言葉に瞳を潤ませながら、遠くに立つリッシュを見た。
「随分と悪趣味な演出ですね。わざわざご苦労なことです。私は、あなた達に手出しできないというのに」
リッシュは微かに笑って、ルイザとユイにそっくりな娘に向かって言った。
「なぜこんなことをするのか、お前にわかるか?」
ルイザは勝ち誇ったような笑みを浮かべてリッシュに問う。
「わかりますよ。私の心を根っこから折るつもりなのでしょう? そこに立つ君は、ユイさんに姿を変えているのではない」
リッシュはキュッと瞳を細めて、ルイザの隣で不敵な笑みを刻むユイそっくりな娘を見た。
「それは、私のコレクションでしょう? 首筋にある傷が、その証拠です」
「コレクションだと? なにを言っている、そんな玩具ではないだろうが」
ルイザはリッシュの言葉に笑みを絶やさずに言う。
「これはお前の大事な小娘の器だ……あの小娘が死ぬ間際に、魂を移そうとお前が用意していたものだろうが……それを、コレクションだと?」
「……そうですよ」
リッシュは笑いながら二人にゆっくりと近づいた。
「……やれ」
それを見たルイザは娘に短く指示を出す。
それに頷いた娘は、歩み寄ってくるリッシュに向かって歩き始めた。
「悪く思わないで下さい。私にも、立場というものがあるんです」
娘の中身である若い男の魔族は、対峙するリッシュに言った。
「おやおや、中味は男性でしたか……」
リッシュは人懐っこい笑みを浮かべて、足を止めた。二人の距離は五メートルほどだった。
「君はゼダ側の子かな? それともルイザ側かな? あえて立場と口にするのなら、前者かな……まあ、どちらでも良いけれどね……君のことは、よぉく覚えておくよ。私は記憶力がいいんだ」
「くっ……」
ユイの中の男は顔を歪めた。もし仮に目の前にいるリッシュが次期王となることが決まれば、自分の立場は危ういものになる。
「今さら迷うな、馬鹿者が!」
ルイザの発破をかける声を背に受けて、男はハッとした。
そうだ、ここで迷ってどうする……あんなに苦労して手に入れたのだ、この器を……
「苦労したでしょう? それを置いておいた部屋にたどり着くまでに、トラップを何重にも仕掛けておきましたからね」
まるで男の胸の内を見透かしたように、リッシュは言った。
「そうだ……だから、今さら後戻りはできない」
男は呻くように言い、全身に魔力を漲らせる。
その瞬間、体の内側のどこかでパチンとスイッチの入ったような音が聞こえた。
「なんだ?」
男は顔を顰める。
「おや、気がつきましたか?」
リッシュは男ににっこりと微笑みかけ、再び男に歩み寄ろうと足を踏み出す。
「く、来るな……」
男は冷や汗をかいて後退りした。だが、リッシュは歩みを止めない。
「私が近づこうと近づくまいと、時限装置は止まりませんよ」
顔色を失う男の耳元でリッシュは囁く。
「もう、手遅れです」
リッシュはにやりと口元に笑みを浮かべた。
「何をしているんだ! リィに一撃を入れた後で器を壊せと言っただろうが!」
リッシュが近づいてもなにもしようとしない男に苛立ち、ルイザは叫んだ。
「時限装置……罠……」
ルイザの叫び声は男の耳には入らず、男は虚ろな瞳で目の前のリッシュの黒い瞳を見つめた。
「そうですよ。ルイザはまだ気がついていないようですが……あなたには、わかるでしょう?」
リッシュに言われてみれば、指先に青黒い炎がちらちらと灯っている。だが、不思議となにも違和感がない。
男は焦る。感覚がなければ、異常に気がつくことができないからだ。
男は体のあちこちを見回し始める。
「そのうち爆発して、あなたごと木っ端微塵です」
そんな男に、リッシュはにこにこと笑って説明する。
「なっ……」
男は言葉を失った。優しげな雰囲気のリッシュの笑顔が、さらに底なしの恐怖感を煽る。
「先ほど言った通り、それは私のコレクションです。つまり、私の大切なあの人の器ではありません。よく考えてみなさい。そんな大切なものを、私が自分の部屋に置いておくと思いますか?」
一気に炎が燃え盛り、男の体を包む。
「あっ、ユイが燃えてる!」
それを見たミミが心配そうな表情で叫んだ。
「……まるで自分が燃やされてるようで、気分が悪いな」
ユイはしかめっ面で呟いた。
「結局、あれはなんだったんだ?」
ミミが首を傾げる。
「わからんが、魔族なのは間違いないだろう……でも、それならリィはなにもできないはず……」
ユイも腑に落ちない、と燃え盛る男を見る。
「あの男、大丈夫なんだろうな?」
眉根を寄せたユイが男の身を案じていた頃、リッシュは男にさらなる説明をしていた。
「言っておきますが、そうなったのはあなたとあなたの主が私の罠を見破れなかった結果に過ぎません。私はなに一つ、あなたに攻撃していない。つまり、ルール違反は犯していないということです」
ボンッと破裂音がして両手の指先が吹き飛んだ。それでもやはり、男には痛みもなにも感覚がない。
「逃げ……」
「逃しませんよ……それがたまたまコレクションだったから良かったものの、本当の器だったら私は気が狂うところです……君が行った愚かな行為の責任は、きちんと負わなければならないよ」
リッシュはニヤリと笑みを浮かべた。
「リィ! そいつを殺すな!」
その場に悲痛な叫び声が響き、リッシュの表情が一変する。その声音はユイのものだった。
「ユイ……」
叫び声に驚いたミミが、真横のユイの横顔をじっと見つめる。
「公正な裁きを志す者が、私情に流されてどうするんだ! ひとまず捕らえて、後でちゃんと話を聞いてやれ!」
ユイは再び叫び、ゴホゴホと咳き込んだ。
「……ユイさん……」
リッシュはハッとして、すぐに男の額を掴む。
「ユイさんの言う通りです……駄目ですね、私は……やはりあの人がいてくれないと……」
自嘲するような笑みを浮かべ、リッシュは掴んだ手を振り下ろした。
「た、助かった……」
振り下ろしたリッシュの手の下で、真っ青な顔で地面にヘナヘナと座り込んでいるのは若い魔族の男だった。
そのすぐ傍で、ユイにそっくりな人形がバタリと倒れ爆発音を上げ続ける。
「ユイさんに感謝しなさい。あの人の言葉がなければ、君は間違いなく粉微塵になっていました」
男を冷たく見下ろし、リッシュは言った。
「君からは後で話を聞かせてもらいます。念のために額に刻印を入れましたから、逃げられませんよ」
「……わかりました」
うなだれた男の額には、一本の金色のラインが光っている。
「……貴様……」
一連の出来事を見ていたルイザは、リッシュを睨みつけギリッと厚ぼったい下唇を噛んだ。
「これで信用してもらえましたか? これがコレクションであるということを」
リッシュはルイザに向かって言い、笑みを浮かべた。
「くそっ!」
ルイザは苛立ちを面に浮かべ、即座にユイとミミを振り返る。
「まずい……」
ミミが真っ青になって呟くのと、リッシュがミミとユイの目の前に現れたのは同時の事だった。
「どけ……リィ」
目の前のリッシュに、ルイザは低い声音で呟いた。
「嫌です」
スッとリッシュが手を払うと、透明な壁がルイザとリッシュ達の間に築かれる。
「壁か……ちっ」
ルイザは忌々しげに舌打ちした。
「大丈夫ですか、ユイさん」
リッシュはすぐさまユイの傍らにひざまずく。
「あぁ、大丈夫だ……助かった、体が楽になった」
リッシュが壁を作ったことでルイザの力も遮断され、ユイの体を押さえつけていた圧力はなくなっていた。
だが、奪われたユイの体力は著しく、ユイは自力で立ち上がることはできなかった。
「この壁越しでも、ルイザと話ができるか?」
ユイは心配そうに覗き込んでくるリッシュの瞳を、じっと見つめながら問う。
「はい、この壁は声までは遮断しませんから……ルイザとなにか話すつもりなんですか? ルイザは話の通じる相手ではありませんよ?」
「……わかってる……」
リッシュの答えにユイは頷き、ハァと大きな息を吐いた。
「それでも、私にはルイザに言いたいことがあるんだ」
ユイは地面に座り込んだまま、真っ直ぐな視線を壁の向こうのルイザに向けたのだった。
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