第29話 決戦其の二 リッシュvsコレクション
「ふん、やっと来たのか。遅いぞ、リィ……こっちはそろそろ遊びに飽きてきたところだ」
ルイザは妖艶な笑みを浮かべ、背後に立つリッシュを振り返った。
「リィ……」
既に数回ルイザからの攻撃を受けて傷ついたミミが、リッシュの姿を見つけてほっと安堵する。
「今のうちにっ」
ルイザがリッシュに意識を向けたのを確認し、ミミはよろよろと後ろで座り込んでいるユイに向った。
「ミミっ!」
ユイはルイザによって体の自由を奪われていた。地面に両手両膝を着いた状態でだ。
それはまるで、見えない力で地面に押しつけられているような感覚だった。なにもしなければ、地に押し付けられて呼吸ができなくなる。抵抗するしかないユイは体力と精神力を相当消耗していた。
「大丈夫だユイ、おいらは体が丈夫にできてるからな」
傷の痛みに顔を顰めつつも、ミミはユイに笑って見せた。
「すまない、なにもできなくて」
涙が滲んだ目を細めるユイの声はかすれている。ルイザに何度も『やめてくれ』と叫んだからだ。だがルイザは、ミミをなぶるその手を止めなかった。
ユイが、ミミを妹のように思っているのを知っていたからだ。ルイザの目的はあくまでユイであり、ミミではない。ルイザがその気になれば、ミミなど一撃であの世行きになっている。
「お前に見せたいものがあってな」
ククッと喉の奥で笑い、ルイザはパチンと指を鳴らした。その瞬間、ルイザの横に一人の娘が現れる。一つに結いた娘の長い黒髪が、風に揺れた。
「えっ、ユイ?」
ミミが腫れた瞼を見開いた。
ユイそっくりな娘はミミとユイを見てにやりと笑うと、すぐに後ろのリッシュを振り返った。
娘が着ている服の色は水色だ。仮にユイと同じ薄紅色の服を身につけていたら、どちらが本物かわからない程に似ている。
「なんだろう、あれは?」
「魔族が化けているんじゃないのか? 気味が悪いな」
ユイは眉根を寄せて、自分に瓜二つの娘の背を見つめた。
ミミはユイの額の汗を拭き、その口元に水の入った筒をそっと添えた。
「ごめんな、ユイ……おいらにできるのはこんなことしかない。おいらがもっと強ければ、あいつの枷も外せるだろうに」
体勢を変えられないユイに、ミミがすまなさそうに言った。
「気にするなミミ。お前が生きているだけで、私は嬉しい」
疲労感を浮かべながら、ユイはミミに笑いかけた。
「うん、声は少し戻ったね。リィはどうするんだろう? たしか、同族には手を出せないんだったよね?」
ミミは不安げに遠くに立つリッシュを見た。
「随分と悪趣味な演出ですね。わざわざご苦労なことです。私は、あなた達に手出しできないというのに」
リッシュは微かに笑って、ルイザとユイにそっくりな娘に向かって言った。
「なぜわざわざこんな面倒なことをするのか、お前にわかるか?」
ルイザは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、豊かな胸を張る。
「わかりますよ。私の心を根元から折るつもりなのでしょう? そこに立つ君は、ユイさんに姿を変えているのではない」
リッシュはきゅっと瞳を細め、ルイザの隣で不敵な笑みを刻む娘を見た。
「それは、私の収集品でしょう? 首筋にある傷が、その証拠です」
「収集品だと? なにを言っている、そんな玩具ではないだろうが!」
ルイザは眉根を寄せ、語気を強めた。
「これはお前の大事な器だ。あの小娘が死ぬ間際に、魂を移そうとお前が用意していたものだろうが。それを、収集品だと?」
「……そうですよ」
リッシュは笑いながら二人にゆっくりと近づいた。
「やれ」
それを見たルイザは娘に短く指示を出す。
頷いた娘は、歩み寄ってくるリッシュに向かって歩き始めた。
「悪く思わないで下さい。私にも、立場というものがあるんです」
娘の中身である若い男の魔族は、対峙するリッシュに言った。その声音にはわずかに怯えの色がある。
「おやおや、中は男性でしたか」
リッシュは人懐っこい笑みを浮かべ、足を止めた。
「君はゼダ側の子かな? それともルイザ側かな? あえて立場と口にするのなら、前者かな。まあ、どちらでも良いけれどね……君のことは、よぉく覚えておくよ。私は記憶力がいいんだ」
「くっ」
男は顔を歪めた。もし目の前にいるリッシュが王位を継承すれば、自分の立場は一気に危ういものになってしまう。
「今さら迷うな、馬鹿者が!」
ルイザから発破をかけられ、男ははっとした。
そうだ、ここで迷ってどうする。あんなに苦労して手に入れたのだ、この器を……
「大変だったでしょう? 部屋にたどり着くまでに、トラップを何重にも仕掛けておきましたからね」
「そうだ。だから、今さら後戻りはできない」
男は呻くように言い、全身に魔力を漲らせる。
その瞬間、身体のどこかでパチンという音が聞こえた。
「なんだ?」
男は顔を顰める。
「おや、気がつきましたか?」
リッシュは男ににっこりと微笑みかけ、再び男に歩み寄ろうと足を踏み出す。
「く、来るな……」
男は後退りした。その額には玉のような冷や汗がびっしりと浮かんでいる。だが、リッシュは歩みを止めなかった。
「私が近づこうと近づくまいと、仕掛けた時限装置は止まりませんよ」
顔色を失う男の耳元でリッシュは囁く。
「もう、手遅れです」
リッシュはにやりと口元に笑みを浮かべた。
それは残忍で残虐で美しく、まさに王に相応しいと男は気を飲まれた。
「何をしているんだ! リィに一撃を入れた後で器を壊せと言っただろうが!」
リッシュが近づいても微動だにしない男に苛立ち、ルイザは叫んだ。
「時限装置……罠」
男は虚ろな瞳で、うっとりと目の前の赤い瞳を見つめた。脳裏には見るものを虜にする大粒の紅玉が浮かんでいる。
「そうですよ。ルイザはまだ気づいていないようですが……あなたには、わかるでしょう?」
耳元に生ぬるい息がかかる。鼻腔をくすぐる香りは、嗅いだことのない甘美なものだった。
身体のあちこちに発生している熱の原因は、心と身体のどちらにもありそうだ。ふと見れば、指先に青黒い炎がちらちらと灯っている。
「うわっ、燃えてる!」
男は焦り、身体のあちこちを見回した。
「そのうち爆発して、あなたごと木っ端微塵です」
リッシュはにこりと微笑んだ。
男は夢から覚めたような
「お、お許しください!」
男は即座に土下座するが、リッシュには先程まであった優しげな雰囲気はない。
全身に鋭い刃の切っ先を当てられているように、男は身動ぎ一つ取れなかった。一気に炎が燃え盛り、男の体を包む。
「あっ、ユイが燃えてる!」
それを見たミミが心配そうな
「まるで自分が燃やされてるようで気分が悪いな」
ユイはしかめっ面で呟いた。
「結局、あれはなんだったんだ?」
ミミが首を傾げる。
「わからんが、とりあえず魔族なのは間違いないだろう。でも、それならリィはなにもできないはず」
ユイも腑に落ちない、と燃え盛る男を見る。
「大丈夫なんだろうな、リィ?」
がくがくと震え続ける男の丸まった背を、リッシュは冷たく見下ろしていた。
「言っておきますが、これはあなたとあなたの主が私の罠を見破れなかったことが原因です。私はなに一つ、あなたに攻撃していない。つまり、掟をやぶってはいないということです」
ボンッと破裂音がして男の両手の指先が吹き飛んだ。人形に入り込んでいるだけだというのに、まるで自身の指を失ったかのような痛みが走る。
「逃げ……」
「逃しませんよ。それがたまたま収集品だったから良かったものの、本当の器だったら私は気が狂うところです。君が行った愚かな行為の責任は、きちんと取らなければならないよ」
リッシュはにやりと笑みを浮かべた。
「リィ! そいつを殺すな!」
その場に悲痛な叫び声が響き、リッシュの表情が一変する。その声音はユイのものだった。
「ユイ……」
叫び声に驚いたミミが、真横のユイの横顔をじっと見つめる。
「公正な裁きを志す者が、私情に流されてどうするんだ! ひとまず捕らえて、後でちゃんと話を聞いてやれ! くっ……」
ユイは再び叫び、ごほごほと激しく咳き込んだ。
「ユイさん……」
リッシュははっとして、すぐに男の額を鷲掴みにする。
「ユイさんの言う通りです。駄目ですね、私は……やはりあの人がいてくれないと」
自嘲するような笑みを浮かべ、リッシュは掴んだ手を横に薙ぐ。
そこに現れたのは、真っ青な顔で地面にヘナヘナと座り込んでいる若い魔族の男だった。
「た、助かった……」
土下座の姿勢の人形は頭上高く飛んでいき、大きな爆発音を上げ続ける。
「ユイさんに感謝しなさい。あの人の言葉がなければ、君は間違いなく粉微塵になっていました」
リッシュから厳しい視線を向けられ、男はうなだれた。
「君からは後で話を聞かせてもらいます。言っておきますが、君の額には刻印が入っていますから逃げても無駄です」
「わかりました」
ひれ伏す男の額には、一本の金色の線が光っている。
「貴様!」
一連の出来事を見ていたルイザは、リッシュを睨みつけぎりっと厚ぼったい下唇を噛んだ。
「これで信用してもらえましたか? あれが収集品であると」
リッシュはルイザに微笑みかける。
「くそっ!」
ルイザは怒りに顔をぐしゃりと歪め、くるりと振り返った。その視線の先にはユイとミミがいる。
「まずいっ」
ミミが真っ青になって呟くのと、リッシュがミミとユイの目の前に現れたのは同時だった。
「そこをどけ、リィ」
ルイザは低い声音で呻いた。
「嫌です」
すっとリッシュが手を上げると、透明な壁がルイザとリッシュ達の間に築かれる。
「壁か……ちっ!」
ルイザは忌々しげに舌打ちした。
「大丈夫ですか、ユイさん」
リッシュはすぐさまユイの傍らにひざまずく。
「あぁ、大丈夫だ。助かった、体が楽になった」
リッシュが壁を作ったことでルイザの力も遮断され、ユイの体を押さえつけていた圧力はなくなっていた。
だがユイには、自力で立ち上がれるほどの体力は残されていない。
「この壁越しでも、ルイザと話ができるか?」
ユイは心配そうに覗き込んでくるリッシュの瞳を、じっと見つめながら問う。その色は赤から黒に変わっていた。
「はい、この壁は声までは遮断しませんから……ルイザとなにか話すつもりなんですか? ルイザは話の通じる相手ではありませんよ?」
「それはわかってる」
ユイは頷き、はぁと大きな息を吐いた。
「それでも、私にはルイザに言いたいことがあるんだ」
ユイは地面に座り込んだまま、真っ直ぐな視線を壁の向こうのルイザに向けた。
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