第28話 決戦其の一 桜花vsギータ
借家の鍵の返却方法は、家の前に置かれた大きな壺の中に入れて置くのがルールだった。
家の借賃は保証金と共に既に前払いしてある。
ユウは全員が揃っているのを確認してから施錠をし、鍵を傍らの壺の中に入れた。
「次の街に着いたら、いよいよ海が見られるなあ……海ってさ、どんなだろうな……魚いっぱい泳いでるかな?」
ソワソワした様子でミミは隣を歩くユイに話しかけた。
「そうだな、いるといいな……」
言うユイの表情が、歩を進める毎に少しずつ険しくなっていく。
「妙だ」
ユイは呟き、足を止めた。隣を歩くミミも同じように足を止めた。
一行が借家を後にしてから、まだ五分ほどしか経っていない。それでも、街に漂う異様さにはすぐに気がついた。
「人がいない……こんなことあるか!」
先を歩いていたユウも足を止め、後ろを歩くユイとミミを振り返った。ユウの隣の桜花も立ち止まるが視線は前を向いたままだ。
「えっ?」
ユウの叫び声に、すっかり浮足立っていたミミの表情が一変した。
言われてみれば街はしんとしていて気味が悪いほどだった。
「これ、だ、誰かの仕業だっていうの?」
ミミはユイに寄り添い、キョロキョロと周囲を見回して警戒する。
「わからない……まだ、おかしな奴の気配は感じないけど……」
ユウは周囲に神経を張り巡らせる。
その時、ユイの耳に“チリン”とどこかで聞いたような鈴の音が響いた。
ユイはハッとして目を見開き、遠くから歩いてくる人影を注視する。
「あの鈴の音は……金魚売りだ」
ユイは低い声音で呟いた。
目深に被った笠に手をやり、金魚売りの男はふと足を止めた。
ユウと桜花の立つ場所から十五メートル程手前の位置だ。
金魚売りの足元には、緩く風が渦巻いている。
「悪ぃな、お嬢ちゃん。こんな形でまた会うなんてよ」
手にした笠を道端に投げ捨て、金魚売りは笑った。
「姉ちゃんの知り合いか?」
いつでも仕込み杖の剣を引き抜けるよう身構えながら、ユウは唸るようにユイに問う。
「そいつは金魚売り……だったよな? ユイ?」
ユイの前に立ちふさがるミミが、ユイに代わってユウに答えた。
「そう、だった……過去形だ。俺はもう金魚売りじゃない」
ギータは言い、ニヤリと笑った。
サッとその場の空気が変わる。
「姉ちゃん!」
目には見えない透明な壁がユウとユイを分断する。桜花はユウと、ミミはユイと一緒だった。
桜花は無言のまま掌をギータに向けた。
虚空に生まれる無数の桜の花びらがあたり一面にに飛び散り、黒い炎を次々と飲み込んでは消えていく。
「ほう、さすがだね」
ギータは楽しそうに、満面に笑みを浮かべた。
「お前の目的はなんだ? 場合によってはお前の息の根を止めるが?」
桜花は無表情のままギータに問う。
「俺の目的? 単なる暇つぶしさ!」
そう叫ぶとギータは動く。その目の前に数本の巨木が立ちふさがるが、それに黒い炎で穴を開け、ギータは飛び出した。
「桜花!」
ユウが緊迫した表情で叫ぶ。
あの男は魔族だ。しかも相当強い力を持つ上位の者であることは、あの黒い炎を見ればわかる。
(ユウ、剣を抜け!)
声が聞こえたと思った瞬間、ユウは仕込み杖の剣を上段に構え、受け身を取っていた。
ギギギ、と刃と刃の当たる音がユウの耳に届く。
「ヨク……なんで……」
ユウの視線の先でニヤニヤと笑っていたのは、先日桜花の手によって葬られたはずの依苦だった。
「うわっ!」
桜花めがけて突っ込んできたギータの体が後ろに引き戻される。
巨木から伸びた枝がギータの肉体を掴んで引き戻したのだ。
「ちっ!」
依苦はそれを確認すると振り下ろした剣を引っ込め、すぐに上空に移動した。
「驚いたか? 妖魔には妖魔をって思ってさ、わざわざ霧散した魂を拾い集めたんだよ。あれ」
巨木に貼り付けられたまま、ギータは笑って依苦のことを説明した。
「もっとも容れ物は俺が用意したものだから、今は妖魔よりも魔族寄りになってるけどね」
「まったく、無駄なことに力を割くものだ」
先日依苦にとどめを刺した桜花は、ため息混じりに言った。
「そのままその身を括り切ってやってもいいが」
「おいおい、俺は魔族だぜ」
そう言うが早いか、さらりとギータの体が砂のように崩れていく。
「こんな拘束、意味ねぇよ」
砂状になったギータの肉体はすぐに再生された。
ユウは地に手をつき土の精霊に素早く指示を送ると、落ちている杖を拾った。
ユウの命を受けた土の精霊が、地面の砂を巻き上げてギータの体に纏わりつく。
「これ、まだ使ったことないんだよな……」
ユウは剣を杖に戻しながら呟いた。
リッシュに魔力を注がれてから、まだ一度も杖を使っていない。今の状態でいつものように精霊を使役したらどうなるのだろうか?
ユウは杖の先を地に着け、柄の部分にはめ込まれた水晶球を手のひらで包む。
「地震?」
ぐらりとギータの足元が揺れた。
次の瞬間、眉間を寄せたギータの足元の地面がバックリと割れる。そこから湧き出る黒い染みのような何かが、ギータの体を掴んで地割れに引き込んだ。
「げっ、なんじゃこりゃ」
その黒い染みはまるで、粘着力のあるいくつもの触手のようだった。
ギータの瞳には、それが今まで見たことのないものに見えている。
元々魔族にとって、精霊は天敵と言える存在だがこれは普通の土の精霊ではない。
「これ……俺らの力が混じってやがる……くそ、リィの奴、やりやがったな」
触手から力の主の気配を感じ取り、ギータは悔しげに顔を歪めた。
リッシュは魔王の位を引き継げる程の魔力の持ち主だ。
その強い魔力の混じった土の精霊の拘束を、ギータは振りほどけない。さらに、先程のように体を変化させることもできず、ギータはもはや笑うしかなかった。
「ちっくしょ、こうなりゃヤケだぜ!」
そうなりながらも、ギータは自由が効く手のひらから波動砲を打とうとする。
とその時、なぜか全身に走り抜ける違和感がギータを襲った。
「なんだ……?」
その原因が何なのかわからないまま、ギータは両の手のひらから桜花に向けて波動砲を撃つ。
膨大な力を持つそれは、白い光となって桜花に向かって行った。
「えっ……白いんだけど……」
それは明らかに魔力による波動ではなかった。真逆の力、善のエネルギーだ。
桜花に向かったそれは、ユウが構えた杖の水晶球にみるみる吸い込まれていく。
その様を見た桜花は、人知れず口元に笑みを刻んでいた。
桜花が同胞に頼んで作ってもらったものが、計画通り効果を現したからだ。
「なんかよくわからんが、善のエネルギーを出せるってすごくないか!」
よくわからない興奮状態に陥り、ギータは明るい声で上空の依苦に向かって叫んだ。
「お前は阿呆か! 喜んでる場合じゃないだろうが!」
上空から眉根を寄せた依苦が忌々しげに叫んだ。
「頭のイカれた主人になど、仕えておれんわ」
呆れたように言い、くるりと踵を返した依苦の目の前にすっと人影が現れる。
「どちらに行かれるんですか?」
にこにこと人懐っこい笑みを浮かべ、手を振りかざしていたのはリッシュだった。
「なんだお前は……」
突然目の前に現れた人物に、依苦はうろたえた。宙に浮いている己の前に現れている時点で、相手が人外の者であるのは間違いない。
「あなたは妖魔なので、ルール違反にはならないんですよね」
サッとリッシュが手を降ろすと、途端に依苦の体が地面に叩きつけられる。
「ゲハッ、る、ルール違反だとっ……おい、貴様! なんの話だ!」
依苦は地に這いつくばりながら、主でもある真横のギータに向かって怒鳴った。
「え? あぁ、あいつ俺らの一族の王位継承者だからさ、同族には手を出せないわけよ。その点お前は妖魔だからさ、手加減なしでイケるってわけだ」
あっけらかんとした口調で、ギータは痛みに顔を歪める依苦に説明した。
「はあ? そんな話聞いていない……」
ザッと地面の砂が踏まれる音と共に、細長い人影が依苦の上に差した。その影が発するゾッとする殺気に、依苦は体を硬直させる。
「最近まともに力を使っていなかったので、ちゃんと使えるか不安だったのですが……」
依苦はあまりの恐怖にガチガチと歯を鳴らした。
リッシュは座り込んで、その様を興味津々の体でしげしげと眺める。
「うわ……その表情……ゾクゾクしますね……あぁいけない、やはりこういうところは魔族なのだと痛感してしまいます」
リッシュは笑いながらそっと依苦の真っ白な髪を撫でた。
「や、やめろ……」
かすれ声で言う依苦の体を、チラチラと青黒く燃える炎が包み始める。体の自由は既にきかない状態だった。
それでも、リッシュはその手を止めない。
依苦の頭を撫で続けるリッシュの様は、端から見れば優しさすら感じさせる所作だった。
「二度も死の苦しみを味わうとは……なかなかできるものではありませんよ……」
ニヤリと笑ってリッシュは依苦を撫でる手を引っ込め、炎が段々と燃え広がっていく依苦の瞳をじっと見つめた。
「おいお前……なんとかしろ……」
依苦は恐怖に血走った瞳を見開き、真横で地割れに嵌まったままでいるギータに向かって言った。
「ん? しゃあねぇな、じゃあ手伝ってやるよ」
言うと、ギータはサッと軽く手を払った。その瞬間、ひゅっと乾いた音が依苦の耳に届く。
何を……と思う間もなく依苦の体は細切れになり、それは炎に焼き尽くされて灰になって消えた。
「あーあ、もう少し長く遊べると思ったのにな……それにしても、お前にはやられたよ……いったい何個仕掛け作ってるんだ?」
ギータはため息混じりにリッシュに向かって問う。
「ナイショ」
にっこりといたずらっ子のような笑みを浮かべ、リッシュは答えた。
「それより、桜の姫との遊びはもういいの?」
「あぁ……もう俺はもう一つの遊びの方を楽しむわ」
ギータは気を取り直したように言って笑った。
「女同士の戦いがどうなるか、お前も興味あるだろ? あぁ、壁は適当にぶっ壊してくれよ……って、俺が言わなくてもやるか」
ギータが向けた視線の先には、自身が作った透明な壁の向こうに立つ背の高い女の後ろ姿があった。
リッシュは立ちあがって振り返り、その妖艶さが漂う後ろ姿をじっと見つめた。
「ルイザ……」
婚約者の名を呟くリッシュの顔には、先程までの笑みはない。
瞬時に壁の前に移動したリッシュは、壁に手を当てて穴を開ける。そして領域内に入ると、すぐにその穴を閉じた。
「おぉおぉ、警戒されて光栄だねぇ……まあ、俺はここからゆったりと観戦させてもらうわ」
桜花とユウから冷たい視線を向けられても一向に気にせず、ギータは頬杖をついてニヤニヤと笑ったのだった。
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