第28話 決戦其の一 桜花vsギータ

 ユウは約定に従い、施錠した後で借家の鍵を人気ひとけのない場所にある壺の底に隠した。

「次の町に着いたら、いよいよ海が見られるなあ。海ってさ、どんなだろうな? 魚、いっぱい泳いでるかな?」

 ミミはそわそわした様子で隣を歩くユイを見た。

「そうだな、いるといいな」

 ユイは穏やかに笑ったが、それは長くは続かなかった。

「妙だ」

 ユイは呟き、足を止める。

「えっ、なにが?」

 隣を歩くミミもすぐに立ち止まり、不安げな表情かおで声をあげたユイを見つめた。

 一行が借家を後にしてから、まだ五分ほどしか経っていない。

「人が一人もいない……こんなことあるか!」

 先を歩いていたユウが叫ぶ。

 青い顔のミミが辺りを見回すと、確かにいつも片隅でごみを漁っている野良猫や野鳥すらいない。

「なんで!? あ、もしかして奴らの仕業とか!?」

「わからない……でも油断は禁物だ」

 ユウはまだ変化のない空気に身構えた。隣の桜花はどこか遠い一点を見つめたままだ。

「来るぞ」

 ぼそりとした桜花の声がユウの耳にすっと入ってくる。

 ユウは腰の仕込杖を手にとった。

 チリン、チリン……

 どこからか、可愛らしい鈴の音が微かに響いてくる。聞き覚えのあるその音にはっとし、ユイとミミは顔を見合わせた。

「これは、金魚売りの鈴だ」

 ユイは目を細め、土煙を巻き上げながら近づいてくる人影を注視する。

わりぃな、お嬢ちゃん。こんな形でまた会うなんてよ」

 手にした編笠を道端に投げ捨た金魚売りの瞳の色は、黒から赤に変わっていた。

 生来の瞳は持ち主の感情をありありと映し出している。力が漲り色鮮やかに爛々と輝く赤が、遠くからみるとまるで夜空で瞬く赤い星のようだった。

「あれ、姉ちゃんの知り合いか?」

 仕込み杖に嵌め込まれた水晶に手を当てるユウの全身からは、冷たい汗が流れていた。

 肌や瞳から脳に送られる情報。ぴたりと合う記憶は、高位の魔族だ。ならば。

「おれじゃ、無理だ」

 ユウはぎりっと唇を噛んだ。

「あいつは金魚売り……だったよな? ユイ?」

 ユイの前に立つミミの顔色は真っ青になっている。金魚売りに微かな好意を抱いていたミミには、その分動揺と落胆が追加されていた。

「そう、過去形だ。俺はもう、金魚売りじゃない」

 にやりと笑ったギータの全身から、赤と黒が混ざりあった殺気が溢れ出す。

 どん、とユウは背になにかが当たる感覚を覚えた。

「しまった、姉ちゃん!」

 目には見えない透明な壁が、ユウとユイを分断したのだ。ユウは激しく後悔したが、すぐに気を取り直して剣を抜く。

「ユウ、奴の相手は私だ」

 桜花はユウを手で制し、ほっそりとした掌をギータに向けた。

 虚空に生まれる無数の桜の花びらが一斉にギータに向かい、ギータが生み出した黒い炎を次々と飲み込んでは消えていく。

「ほう、さすがだね」

 ギータは満面に笑みを浮かべた。

 あまりの嬉しさに身体が勝手に踊り出しそうになるのを、必死で止めている。

「お前の目的はなんだ?」

 桜花は無表情のままギータに問う。

「俺の目的? 単なる暇つぶしさ、桜の姫さんよ!」

 叫び、ギータは動く。その目の前に数本の巨木が立ちふさがるが、それに黒い炎で穴を開け、ギータは飛び出した。

「桜花!」

 ユウが緊迫した表情で叫ぶ。

(ユウ、上だ!)

 声が聞こえたと思った瞬間、ユウは剣を上段に構え、足を後ろに引いていた。

 ぎりぎりぎり、と刃と刃の当たる音がユウの耳に届く。目の前にいたのは、よく知った気配だった。

依苦よく!」

 それはつい先日、桜花の手によって葬られたはずの依苦だった。しかし、にやにやと下卑た笑みを浮かべているのは間違いなくその気配だ。

「うわっ!」

 桜花めがけて突っ込んできたギータの身体が、勢いよく後ろに引き戻される。

 巨木から伸びた太い枝がギータの肉体を掴んで引き戻したのだ。

「ちっ!」

 依苦はそれを確認すると振り下ろした剣を引っ込め、すぐに上空に移動した。

「驚いたか? 妖魔には妖魔をって思ってさ、わざわざ霧散した魂を拾い集めたんだ」

 巨木に貼り付けられたまま、ギータはちらりと依苦を見た。体の自由を奪われても尚、ギータは楽しくて仕方がないといったていだ。

「もっとも容れ物は俺が用意したものだから、今は魔族寄りになってるけどね」

「まったく、無駄なことに力を割くものだ」

 一度依苦にとどめを刺した桜花は、ため息混じりに言った。

「そのままその身を括り切ってやってもいいが」

「おいおい、俺は魔族だぜ」

 そう言うが早いか、ギータの身体が風に攫われる砂のように崩れていく。

「こんな拘束、意味ねぇよ」

 砂状になったギータの身体はすぐに再生された。

 ユウは地に手をつき土の精霊に素早く指示を送ると、落ちている鞘を拾った。

 ユウの命を受けた土の精霊が、地面の砂を巻き上げてギータの体に纏わりつく。

「これ、まだ使ったことないんだよな……」

 ユウは剣を杖に戻しながら呟いた。

 リッシュに魔力を注がれた愛用の仕込杖。剣の状態で使っても威力が増したようには感じなかった。では、精霊を使役したらどうなるのだろうか?

 ユウは杖の先を地に着け、柄の部分に嵌め込まれた水晶球を掌で包む。

「地震?」

 ぐらりとギータの足元が揺れた。と同時にギータは宙に移動する。地表から漂い始めた嫌な空気がギータに危機感を覚えさせる。

 もっと上空へと上を向いた瞬間、眉間を寄せたギータの足元の地面がばきばきと大きな音をたてて割れた。そこから湧き出る帯状の黒い染みのような何かが、宙に浮いているギータの体を掴んで地割れに引き込んだ。

「げっ、なんじゃこりゃ!」

 その黒い染みはまるで、粘着力のあるいくつもの触手のようだった。しかも、振りほどくことも体を変質させることも出来ない。

 ギータの瞳には、今まで見たことのないものが見えていた。

 元々魔族にとって、精霊は天敵だがこれは普通の土の精霊ではない。

「これ……俺らの力が混じってやがる……くそ、リィの奴、やりやがったな!」

 触手から力の主の気配を感じ取り、ギータは悔しげに顔を歪めた。

 リッシュは元々、一族の長である魔王の位を引き継げる程の魔力ちからの持ち主なのだ。

「ちっくしょ、こうなりゃヤケだぜ!」

 ギータは叫び、自由が効く方の掌から波動砲を打とうとする。とその時、なぜか全身に走り抜ける違和感がギータを襲った。

「なんだ?」

 その原因がわからないまま、ギータは桜花に向けて波動砲を撃つ。膨大な力を持つそれは、白い光となって桜花に向かって行った。

「えっ……白いんだけど?」

 それは明らかに魔力による波動ではなかった。真逆の力、善の波動だ。

 桜花に向かったそれは、ユウが構えた杖の水晶球にみるみる吸い込まれていく。

 その様を見た桜花は、人知れず口元に笑みを刻んでいた。同胞に頼んで作ってもらったが、計画通り効果を現したからだ。

「なんかよくわからんが、善の波動を出せるってすごくないか!」

 興奮状態に陥り、ギータは明るい声で上空の依苦に向かって叫んだ。

「お前は阿呆か! 喜んでる場合じゃないだろうが!」

 上空から眉根を寄せた依苦が忌々しげに叫んだ。

「頭のイカれた主人になど、仕えておれんわ」

 吐き捨て、くるりと踵を返した依苦の目の前にすっと人影が現れる。

「どちらに行かれるんですか?」

 にこにこと人懐っこい笑みを浮かべ、手を振りかざしていたのはリッシュだった。

「なんだお前は……」

 突然目の前に現れた人物に、依苦は狼狽えた。その心臓が早鐘のように鳴っている。

 相手から感じる夥しい魔力ちからと殺気に、本気で逃げなければと依苦の本能は告げていた。だがあまりに強すぎる恐怖のためか、身体がぴくりとも動かない。

「あなたは妖魔なので、掟を破った事にはならないんですよね」

 リッシュがさっと手を降ろすと、途端に依苦の体が地面に叩きつけられる。

「ゲハッ、お、掟だとっ……おい、貴様! なんの話だ!」

 依苦は地に這いつくばりながら、主でもあるギータに向かって怒鳴った。

「え? あぁ、あいつ王位継承者だからさ、同族には手を出せないわけよ。その点お前は妖魔だからさ、手加減なしでイケるってわけだ」

 あっけらかんとした口調で、ギータは痛みに顔を歪める依苦に説明した。

「はあ? そんな話聞いてな……」

 ざっと地面の砂が踏まれる音と共に、細長い人影が依苦の上に差した。鼻をつく死の香りに、依苦は体を硬直させる。

「最近まともに魔力ちからを使っていなかったので、ちゃんと使えるか不安だったのですが」

 依苦はあまりの恐怖にがちがちと歯を鳴らした。

 リッシュは座り込んで、その様を興味津々の体でしげしげと眺める。

「うわぁ。その表情、ぞくぞくしますね。あぁいけない、やはりこういうところは魔族なのだと痛感してしまいます」

 リッシュは笑いながらそっと依苦の真っ白な髪を撫でた。

「や、やめろ……」

 かすれ声で言う依苦の体を、ちらちらと青黒い炎が包み始める。

 リッシュはその手を止めない。依苦の頭を撫で続けるその様は、端から見れば慈悲すら感じさせた。

「二度も死の苦しみを味わうとは、なかなかできるものではありませんよ」

 にやりと笑って撫でる手を引っ込め、リッシュは依苦の瞳を覗き込んだ。その赤い瞳はまるで、玩具で遊ぶことを楽しむ幼子のようだった。

「おいお前、なんとかしろ!」

 依苦は恐怖に血走った瞳を見開き、地割れに嵌まったままでいるギータに助けを求める。

「ん? しゃあねぇな、じゃあ手伝ってやるよ」

 言うと、ギータはさっと手を払った。その瞬間、ひゅっと乾いた音が依苦の耳に届く。

 助かった、と思う間もなく依苦の体は細切れになり、それは青黒い炎に焼き尽くされて灰になり風に舞った。

 それを見たギータは、不貞腐れた表情かおでため息を吐いた。

「あーあ、もう少し遊べると思ったのにな。それにしてもお前にはやられたよ。いったい何個仕掛け作ってるんだ?」

「ナイショだよ」

 リッシュはにっこりといたずらっ子のような笑みをギータに向ける。

「それより、桜の姫との遊びはもういいの?」

「あぁ、俺はもう一つの遊びの方を楽しむわ」

 ギータは気を取り直したように笑った。

「女同士の戦いがどうなるか、お前も興味あるだろ? あぁ、壁は適当にぶっ壊してくれ……って、俺が言わなくてもやるか」

 ギータが向けた視線の先には、透明な壁の向こうに立つ背の高い女の後ろ姿があった。

 リッシュは立ちあがって振り返り、その妖艶さが漂う背中をじっと見つめる。

「ルイザ……」

 婚約者の名を呟くリッシュのおもてには、先程までの笑みはない。

 瞬時に壁の前に移動したリッシュは、壁に手を当てて穴を開ける。そして領域内に入ると、すぐにその穴を閉じた。

「おぉおぉ、警戒されて光栄だねぇ……まあ、俺はここからゆったりと観戦させてもらうわ」

 桜花とユウから冷たい視線を向けられてもまったかく気にせず、ギータは頬杖をついてにやにやと笑っていた。

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