第26話 手料理

「……ゼダ様、無事任務完了致しました」

 しん、と静まり返ったゼダの私室に若い男の声が響き渡る。その声音には、声の主の疲労が色濃く見えた。

「よし、よくやった」

 ゼダはニヤリと笑い、男に向かって労いの言葉を掛けた。

 ゼダの前で片膝をついて畏まっていたのは、人間の娘のように見える。背の半ばまである長い黒髪を一つに結き、少し華奢な体格だ。

「作戦の決行日は明日だ。お前は今からルイザと合流して、共にかの娘を葬ってこい」

 ゼダは男に言いつける。

「はっ、仰せのままに」

 娘の姿をした男は主であるゼダに深々と頭を下げると、ふっと姿を消した。

「兄上はどんな顔をするだろうなぁ……大事に隠していたアレを奪われるだなんて、想像もしてないだろうからな……くくっ、これは楽しみだ」

 手にしたグラスの中で揺らめく朱色の液体を眺めながら、ゼダは一人呟いていた。


「あぁ、腹減ったなあ」

 夕焼けから夕闇に変わろうかという頃、市から引き上げてきたユウがぼんやりと呟いた。

 市場への出店は今日が最後で、市場の責任者の男に挨拶に立ち寄ってからユウは桜花と共に家路についていた。

 通りに立ち並ぶ家屋からは、各家庭の夕餉の香りが流れ出ている。

「明日あの家を出るから、買置きしてあるものでなにか作ろう」

 ユウは頭の中で献立を考えながら、呟いた。

「……大変だ、ユウ」

 ユウの先を歩いていた桜花がピタリと足を止めた。

「えっ、どうしたんだ?」

 ユウはサッと顔色を変えた。

 まさか、あの男が言っていた“弟の手の者”が現れたというのだろうか?

「ユウが借りている家から匂いが出ている……色んなものが混ざりあった、複雑な匂いだ」

 神妙な面持ちで桜花は言った。

「……ま、まさか……姉ちゃんが料理を?」

 ユウは青ざめた表情のままで言った。

「……どうする?」

 桜花は真顔のまま頷き、ユウに問う。

「い、いや、どうするって言っても……屋台で何か買うほど金に余裕はないし」

 この先の海がある町でも宿として家を借りる予定である上、滞在中の食費等もかかる。しなくて済む出費は極力避けたいのが本音だ。

「え……なんでだろ……あんなにおれがやるから料理はしなくていいって言ったのに……」

 ユウは複雑な表情で重い足を踏み出した。

「なにか心境の変化でもあったのか?」

 桜花も不思議そうに首を傾げる。

「私もミミも食事をとらなくてもなんてことはないが、ユウはそうはいかないからな」

 少し気の毒そうに桜花はユウを見た。

「う、うん……大丈夫、水で薄めればなんとか食べられるだろうから……多分……ただいまぁ」

 意を決したように深呼吸をし、微かな笑みを浮かべながらユウはガラリと家の戸を開けた。

「あっ……ユウ……おかえり……」

「おかえり、ユウ」

 そこにはすっかり意気消沈したミミと、見たことがないほどにこにこと笑ったユイが座っていた。

「……ごめん、ユウ……おいら、頑張って止めたんだけど……」

 ボソボソとミミが言った。

「明日にはこの家を出るし、いつどうなるかもわからないから、最後に手料理でも振る舞おうと思ってな!」

 そんなミミとは対照的に、ユイは明るく言い放つ。

「ね、姉ちゃんの気持ちはありがたいけど……あ、いや、ありがとう」

 ユウは言いかけた台詞を無理やり捻じ曲げた。

「残り物の食材で鍋を作ったんだ。鍋なら失敗しにくいからな」

「そ、そうなんだ……」

 ユウは台所に置いてある鍋の蓋をそっと外して中を盗み見た。

「色が濃いっ……」

 ユウはガクリと肩を落とした。

「うん、まあ、見た目は黒っぽいけどな、味はまぁまぁだぞ」

「ユイの味覚は、ちょっとレベルが違いすぎるんだよな」

 ユイには聞こえないように、ミミは小さな声で言った。

 普段ユウが作っている食事にも、ユイは毎回自前の調味料をかけているのだ。それでも、体調に異変が出るわけではない。

「カクノヒメだからなのかなぁ……普通あれだけ塩分とったら、過剰摂取であの世行きになると思うんだけどな……」

「塩辛いなら、甘くすればいい」

 ミミの言葉にユイはさらりと言ってのけた。

「いや……もうそういう段階じゃないでしょ……」

「姉ちゃん、これミミに味見してもらった?」

 ユウがぎこちない笑みを浮かべてユイに訊ねた。

「えっ、あぁ、まあ……」

「おいらはしてない。代わりにリィが喜んで味見してたぞ」

 言い淀んだユイに代わってミミが答える。

「あいつ……!」

 ユウは手のひらで目を覆い天を仰いだ。

「さすがユイさん、個性的で刺激的です! ……って、瞳を輝かせて言ってたよ……リィは体内の毒を即座に解毒できるんだきっと……いいよなあ、高位の魔族ってのはさぁ……おいらにはそんな能力ないもん」

「ミミ、お前は口にするな」

 ユウは言いながら、そっと鍋の中身を小さな鍋に移し替え、そこに水を注いで火にかけた。

「これで少しでも塩気が抜けてくれれば……」

「余計なことをしてしまっただろうか?」

 少し気落ちしたようなユイの声音に、ユウはハッとして笑顔を浮かべた。

「いや、料理は気持ちだから! おれらのことを思って作ってくれたんだろ? ありがたいよ!」

「そ、そうか……なら良かった」

 ユイは気を取り直し、にっこりと微笑んだ。

「……なんか、姉ちゃんがそんなに笑ったとこ見るの、久しぶりな気がする」

 思わずユウが素直な思いを口にする。

「恋の偉力だなぁ」

 ミミがしみじみと言った。

「そ、そんなんじゃない! ただ奴に最後の頼み事を託したから、安心しただけだ!」

「……頼み事?」

 赤い顔をしてミミの言葉を否定するユイを直視せず、ユウはユイに問う。

「私が海を見る前に体が変化することになったら、私を海に連れて行って欲しいと頼んだんだ。その後、龍の瞳をお前に渡すことも」

 ユイはとつとつとユウの背中に言った。

 おれにじゃなくて、あいつにそれを頼んだのか……

「あいつには、瞬間移動という能力があるからな」

 ユイはリッシュに願いを託した理由をユウに説明する。

「……うん、わかった。姉ちゃんがそう決めたんなら、おれはいいよ……あいつのことは、良くは思えないけど」

 ユウは自分自身に言い聞かせるように言った。

「……やっぱりしょっぱいや……」

 小鍋の中の煮えた野菜を口にしながら、ユウはユイの手料理の味を噛みしめていたのだった。

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