第25話 密談
金魚売りの男は、路地裏でふと足を止めた。
よく知った気配が、突如として背後に現れたからだ。
日没が早まるこの季節は、辺りが夜闇に包まれるのが早い。
暗いばかりの路地裏に人の気配はなかった。
「わざわざこっちにまで来てるとはね……お前、案外あいつの事気に入ってるのかい? 見ていて、とてもそうとは思えかったけれど?」
男は気配の方を振り返り、ニヤリと笑った。
そこには一人の背の高い美女が立っている。
波打つ艷やかで美しい黒髪、見るものを惑わす魅惑的な黒い双眸。ボディラインも異性にとって魅力のオンパレードだ。
人の姿をしてはいるが、その正体は男同様魔族だった。しかも、王家に連なる血筋を引いていることも共通している。
「馬鹿なことを言うな……あんな甘ったれのガキを、この私が気にかけるわけがなかろう」
妖艶な笑みを浮かべながら、女ルイザは言った。
「私がここにいるのは、リィの課題の進捗状況を確認するためさ」
「ほぉ……じゃあ、知っているんだな? リィが課題をクリアしたってのは」
金魚売りの男ギータは真顔でルイザの瞳をじっと見つめる。
「あぁ知っている。あの甘ちゃんが、ターゲットの小娘に骨抜きにされるなど、笑えないほど馬鹿馬鹿しいわ」
吐き捨てるように言うルイザを見、ギータは今朝のユイの涙ぐんだ表情を思い出していた。
「嫉妬じゃないのか、それは?」
「嫉妬?」
ギータの口から出た言葉に、ルイザは声を上げて笑った。
「私に一欠片でも、リィへの思いがあると思うのか? 私は昔から、あいつの怯えた視線しか向けられたことがないんだぞ。まあ、それはそれで楽しいから良いのだがな」
ルイザは薄っすらと浮かんだ笑い涙を拭った。
「そりゃあ……お前がリィにそうさせるオーラしか出してないんだから、そうなるだろうよ。あいつはそういうところに敏感で正直だからな……昔っから」
ギータは目を細めて、幼い頃忍び込んだ王家の裏庭で初めてリッシュに出会った時のことを思い出していた。
母が違うとはいえ、自身に兄がいたことをジークから教わったリッシュは瞳を輝かせた。そしてすぐにその場を離れようとしたギータに、『また会える?』と問うてきたのだ。
振り返ったギータの瞳には、頬を赤く染めたリッシュが映っていた。羨ましいばかりだった義理の弟が、実は可愛い存在だったとギータはその時初めて知ったのだ。
初見で見下されるのに慣れっこだったギータにとって、それはとても新鮮だった。
もちろん今目の前にいるルイザからも、ギータは卑下するような視線を向けられたし、リッシュの弟妹からも同じ仕打ちを受けた。
親同士の都合でルイザと婚約させられたリッシュが、ギータにはつくづく気の毒に思えた。
今朝ギータがかけた揺さぶりに戸惑いを見せた、ユイという娘に心惹かれるリッシュの気持ちもよくわかる。
「なにが敏感で正直だ……大体、私は野心のない男になどまるで興味がない。男として手応えを感じないからな……ギータ、自由が一番とほざくお前もそうだよ。昔ちょいと遊んでやったが、私にとってお前はなんの魅力もない、ただの軟弱者だ」
ルイザは嘲るような笑みをギータに向けた。
「それはそれは……それを聞いて安心したよ。お前と付き合ってたなんてのは、俺の長い人生の黒歴史だからな。しっかしよぉ、ルイザ……」
ふっと笑ってギータは言った。
「お前、自分の面を鏡で見たことあるか? 権力欲にまみれて、正気を失ってるようなそのひでぇ面をよ」
「なんだと? この私の美しさにひれ伏す男は、星の数ほどいるんだぞ!」
ぎっと目を見開き、ルイザはギータを睨みつけた。
「お前が持ってるのは美しさじゃなくて、男を誑かすフェロモンだろ?」
怒りを顕にするルイザに、ギータはあっさりと言い肩をすくめた。
「まあ、俺も一時騙されたからあまり他人のことは言えねぇが、まあ気の毒に思うよ。ゼダも他の連中も。まあ、本人達は性欲が満たされて満足なんだろうけど」
フッとギータの頬スレスレに、黒い炎が通り過ぎる。怒り心頭のルイザが指から放った波動砲だ。
「気に入らん……お前も、リィもあの小娘もな!」
「ほぉ、あのお嬢ちゃんもか?」
ギータは薄ら笑いを浮かべながら首を傾げた。
「なんだよ……やっぱりお前、嫉妬してんじゃねぇか」
「……お前に説明するのも面倒だが、前に一度会った時に私に楯突いたのだ、あの小娘は……弱者である人間の分際で」
ふん、と鼻を鳴らしてルイザは吐き捨てるように言った。
「なるほど、それが気に入らんと」
ギータはルイザのその様に、にやにやと笑った。
物怖じしなさそうな娘だとは思ったが、このルイザ相手に反論するとはたいしたもんだ。
「気に入らん! リィもあの小娘も、どちらもぐちゃぐちゃにしてやる!」
ルイザは鬼のような形相で叫ぶ。なまじ美しい造りの顔立ちであるが故に、それは凄まじい迫力を生み出していた。
「随分張り切っているようだが、まあ少し落ち着けよ。見てたってんなら、もう知ってるんだろ? リィが課題を達成したってのはさ……てことは、お前の望みが叶うってことじゃねぇか」
「……その前に、奴に生えた牙を折らねばならない」
ルイザは無表情になり、静かな声音で言った。
「あんな人間の言葉でやる気になりやがって……本当に邪魔だ。なにが民の為だ! 好き放題やりたい放題できるのが権力者の特権ってもんだろうが! 今さら私の野望を邪魔させてたまるか!」
ルイザの静かな叫びにギータは口をつぐみ、微かに憐れむような視線をルイザに向けた。
ルイザがここまで権力欲に取り憑かれるようになった原因に心当たりがあるからだ。
「お前は……本当に幸せになれる日がくるのかねぇ……」
ギータはボソリと呟いた。
「なんだと?」
「あぁ、いやなんでもない。しかし、おまえはともかくゼダがどう出てくるかだ」
ギータの言葉に、ルイザは笑った。
「お前は阿呆か……ゼダが自分の手を汚すような真似をすると思うのか?」
「いや……だから俺を利用しようとしたんだろ? 結果何一つ役にたってねぇけどな」
「まあ、始めはそうだったのかもしれないがな。だがゼダとて、お前がリィびいきであることを知らないわけじゃない」
笑いながら言うルイザの言葉に、ギータは眉根を寄せた。
「私は個人的にあの小娘を亡き者にしたい……それは、ゼダと共通する目的だ」
ギータはハッとした。
「ルイザ、お前は……リィを見限るつもりか」
「まだそうするとは決めていない……愛しい小娘を失って、リィがやる気をなくすならゼダを選ぶし、また新たなターゲットを見つけてその課題をクリアしたなら、また考えてやってもいい」
ギータは表情を強張らせた。
「ギータ、お前はリィのことより自分の身を心配した方がいいぞ。この状況でも、お前はリィの側に立つのか?」
それより、とルイザは含み笑いを漏らす。
「力比べをしてみたいとは思わんか? 相手は妖魔一強いと言われている、緑王の桜の姫だ。滅多にない機会だぞ、これは」
「……確かに……」
今この状況でゼダの元に戻るのは危険な気がした。だからといって手をこまねいて遠くから見守るというのも、もうできそうになかった。
それに、単純に力比べには興味がある。他種族との関わりを嫌う妖魔の王族と手合わせする機会など、今を逃せば二度と巡ってこないに違いない。
ギータはそう判断した。
「ゼダのところに報告に行こうかと思ったがヤメだ。わざわざ火の中に飛び込む程、俺も命知らずじゃない。で、いつ決行するんだ?」
ギータの問に、ルイザは満足気な笑みを満面に浮かべた。
「明日、陽が出ている間だ。今奴らが滞在している街で行うつもりだ……あの小娘の『海を見たい』などという甘っちょろい望み諸共、闇に葬ってくれる」
殺気を隠そうともしないルイザの台詞に、ギータは後ろ暗い気持ちを抱えたのだった。
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