第24話 そうだったなら

 川のほとりに座り込み、ユイはその流れをただじっと眺めていた。

 川の流れは穏やかで、水面には数羽の水鳥が浮かんでいる。

 ユイはあの不思議な金魚売りの男に言われたように、リッシュと共に金魚を川に放しに来たのだ。

「……その金魚売りの男に、なにか言われたんですか?」

 ユイの手から川へ流されたピンク色の金魚の姿を目で追いながら、リッシュは静かな声音でユイに聞いた。

 川までの道中終始無言だったユイが気になり、リッシュは問を口にする。

「いや……なにも言われていない」

 ユイは川面に視線を向けたまま答えた。

 それは嘘だ。あの金魚売りの男の一言が、ユイの胸の内に重暗く淀んでいる。

「そうですか……」

 リッシュは微かにその瞳を細めた。

 ただひたすらに穏やかな川の流れの音だけが、その場に響き渡る。

 しばらくして、ユイはため息を吐いて口を開いた。

「私はもう……ユウに渡したかったものを渡した……お前にも渡したいものがある」

 ユイはゆっくりと立ちあがって、腰に下げた小袋から白い巻き貝を取り出した。

 それは以前、リッシュがユイにプレゼントしたものだ。

「次に力を開放したら、私は間違いなく龍の瞳に成り変わる」

 背の高いリッシュを見上げて、ユイは言った。

「そうなってからでは言葉で伝えられないからな……今の内に伝えておく」

 そう言うと、ユイは白い巻き貝をリッシュに手渡した。

 リッシュはそれを無言で受け取り、少し切ない表情で手の中の巻き貝をじっと見つめた。

「その貝殻の内側に文字を彫ったんだが、読めるか?」

「文字……」

 ユイに問われ、リッシュは虹色に鈍く光る貝殻の内側を注視した。

 そこには小さな文字のメッセージがあり、その最後にユイと彫られていた。

「……ユイさん……」

 文字を判読したリッシュは、微かに瞳を潤ませた。

「それを、お前が課題を達成した証拠にするんだ」

 ユイはリッシュの表情を見て、ホッとしたような笑みを浮かべた。

「私の課題クリアの証明のことまで考えてくれていたなんて……嬉しいです。ありがとうございます」

 いえ、とリッシュは続けた。

「これは証明だけじゃなくて、私の一生の宝物にします」

 そう言ってリッシュは巻き貝を大切そうに懐にしまい込んだ。

「宝物だなんて、大げさだな」

「いいえ、大げさじゃありませんよ。ユイさんからこんなメッセージをもらう男性は、この世で私一人だけなんですから……」

 感極まったように言うリッシュに、ユイは少し困ったような表情を浮かべた。

「私は、お前に幸せになってもらいたいと願っている。王になって、制度を変えて……一族の皆の為に尽くすんだ。お前なら、いい王になれる。必ずな」

「……そうなれるように、頑張るつもりですが……」

 リッシュは少し弱々しく微笑んだ。

「もし私の隣にあなたがいなければ、私はもう立っていられない」

「……大げさだ……と言いたいところだが」

 ユイはふっと笑った。

「そこまで言ってもらえるのは、女冥利につきるな。ありがとう」

 ふと、川面を泳ぐ水鳥の番いが空に向かって羽ばたいた。

 それに視線を奪われたユイは、しばし真顔になる。

「縁とは不思議なものだな……私がカクノヒメでなければ、お前とはきっと出会わなかった……自分の命のことも、今のように尊いと思えなかったかもしれない」

「そうですね……」

 リッシュは飛び去った水鳥が飛んでいくのを、ぼんやりと目で追いながら言った。

「この先どうなろうと、それが私達の運命なんだ。ありのままを受け止めよう」

 淡々とした口調でユイは言った。

「私は……自分が納得できない現実なら、抗いますよ」

 ユイは眉をひそめて隣のリッシュを見上げた。

「お前……頑固だな」

「はい、私は頑固で我儘なんです」

 あっさりとリッシュはそれを認め、にこりとユイに笑いかけた。

「そうか……私も頑固なところは同じだから、他人に折れろとは言えないな」

 ユイは思わず苦笑した。

「実は、お前に頼みがあるんだが」

「はい、なんでしょう?」

「万が一、私が海を見ることができなさそうだったら……私を海に連れて行って欲しいんだ」

 真顔で言うユイの言葉に、リッシュは表情を曇らせた。

「知っている場所になら、瞬間移動できるんだろう? その貝殻を拾いに行ってくれたんだから、海の場所は知っているはずだよな?」

「……はい、できます」

「じゃあ、頼めるな? 私を海に連れて行った後、ユウに龍の瞳を届けてくれ……二つも頼み事をして申し訳ないが……いいだろうか?」

 ユイは真剣な眼差しでリッシュの黒い瞳をじっと見つめた。

「……それが、あなたの望みならば……」

 リッシュも真顔でユイの黒い瞳をじっと見つめる。

「その願い、私が必ず叶えます」

「……ありがとう。うん、これで気が済んだ!」

 ユイは笑って頷き、再び川面に視線を移した。まだ高い陽の光をきらきらと揺らめかせる水面に、ユイは目を細める。

「ユイさん、魔族と契約するのに見返りが必要なのをご存知ですか?」

 リッシュは微笑を浮かべながら、ユイに言った。

「契約? お前と契約なんて結んでいないぞ」

 ユイは不服そうにリッシュを軽く睨む。

「私が契約とみなせば、それは契約です」

「なんだそれは……しかし、見返りと言われてもな……私にはなにも差し出すものがない」

「私のお嫁さんになってください」

 にこにこと笑って言うリッシュに、ユイは口を真一文字に結んだ。

 そうしてしばらく考えこんだユイは、ようやく意を決したように口を開く。

「……もし私が、然るべき立場の魔族に生まれ変われたなら、なってやる」

「本当ですか! やったあ!」

 リッシュは満面に笑顔を浮かべて、困惑顔のユイを抱きしめた。

 ……本当にそうなれたら……最初からそうだったなら……良かったのに……

 ユイはリッシュの温もりを感じながら、そっと目を伏せそう思っていたのだった。

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