第22話 精一杯のことを
「なんだよ、話って」
ユウは後ろをついてくるリッシュに向かって、ぶっきらぼうに言った。少し話がしたいというリッシュの頼みに、仕方なく頷いたのだ。
ユウは食材を買う為、朝市に向かっている。
「実は昨日、ユイさんから『私の心をやろう』と言われましたので、ご報告をと思いまして」
「えっ!」
浮かない表情のリッシュから飛び出た言葉に、ユウは絶句し思わず足を止めた。
「噓だろ……だったら、なんでお前はそんなに辛そうな顔してんだよ!」
「いえ、それは嘘ではないのですが……なぜか今になって、ユイさんの身体が龍の瞳になってしまうのが悲しくて仕方ないんです」
「あぁ、それでそんな
ユウは頷き、小さくため息を吐いて再び前を向いて歩き始める。リッシュはその三歩後ろを歩く。
「おれは、もうずっと前からその辛さと戦ってる。姉ちゃんは、おれら家族とは一緒に育たなかった。姉ちゃんは、村で大ババって呼ばれてるばあちゃんに育てられたんだ」
とつとつと、ユウは語る。
「おれがこっそりと姉ちゃんに会いに行った時、姉ちゃんは七歳、おれは五歳だった。姉ちゃんはさ、たった七つの
当時のユイを脳裏に浮かべ、ユウは微かに目を細めた。
「おれはその時初めて、姉ちゃんを護りたいって思ったんだよ。姉ちゃんを護るために、強くなりたいってさ。ただそれだけの思いで、今まで突っ走ってきたんだ。だからさ、この先姉ちゃんの望みが叶ったら、おれは空っぽになるんだと思うんだよ」
でもさ、とユウは続ける。
「それだけ、おれは一生懸命やってきたってことだろ? 目標を失って、空っぽになるほどにさ。それって、悪くないと思わない? ただ、空っぽのなにかが埋まるまでは、辛いのかもしれないけどさ」
ユウは再び足を止め、後ろのリッシュを振り返った。
「今できることを精一杯やる以外、なにかできることあるか?」
「ない……ですね。確かに」
ユウからの問に、リッシュは足元を見つめながら小さく頷いた。
「お前さ、考えてもどうにもならない事に時間を割くなよ。時間も体力も、もったいないだろ?」
「ユウさんは前向きですね。少し羨ましいです」
「一番辛いのは姉ちゃんだ。姉ちゃんはさ『私で良かった』って言ったんだよ。ユカ姉は心臓が悪かったから、体の丈夫な私で良かったってさ」
「ユカさん……ユイさんのお姉さんですね」
「そうだ。ユカ姉は、姉ちゃんが母ちゃんのお腹にいた時から呪いが消えていったらしい。わかるか、お前? ユカ姉がどれほど自分を責めたか」
ユウはリッシュの瞳をじっと見つめた。
「生まれたばかりの妹を見て、ユカ姉は泣き崩れて……母ちゃんは言葉を失ってたって、父ちゃんから聞かされた」
はぁ、とため息を吐いてユウは薄い水色の空を見上げた。
「できる限り抗って生き延びてやるって言ってたけど、いくら抗っても完全に龍の瞳の循環行為を止めることはできなかった。その時が来るのを悟った姉ちゃんの最後の望みが、海を見ることだったんだ」
ユウは、海の絵を見て目を見開いたユイの表情を思い出す。
見たことのない世界を感じてみたい。未来がどこかに繋がっているような、希望を胸に抱いてみたい。
ユイは瞳を輝かせて、そう言った。
海への旅路は、そのまま村やユウを除く家族との別れとなる。それがわかっていても、ユイは海を見ることを望んだのだ。
「お前、姉ちゃんに何を言ったんだ? どうして、姉ちゃんはお前に心をやるだなんて言ったんだ」
「私はただ、ユイさんの気持ちに寄り添っただけです。あらゆる感情は、否定するものではなく自身から湧き出る自然なものです」
「なんかはっきりしない答えだなぁ。まあいいや。頑固な姉ちゃんが決めたことだからな。それこそ、おれが口を挟むことじゃねぇや」
「上手く説明できなくてすみません。あの、それとは別の話なんですが」
「今度はなんだよ?」
ユウは面倒そうな表情でリッシュを見た。
「私が課題を達成したことは、確実に弟に知られてしまいます。そうなったら、ユイさんの身に迫る危険度があがります」
「なんだって!!」
ぎりっとユウの眦が吊り上がった。
「弟は、私が課題を達成するくらいなら、標的を廃して今回の課題を無効にしようとするでしょう」
「おい! どうするんだよ!」
「私は、私にできることをするのみです」
リッシュはユウが腰に提げている仕込み杖に視線を移す。
「私は同族の者に対して、直接攻撃することができませんので」
「なるほど……できる限りの下準備ってことか」
薄紫の靄のようなものがリッシュの全身から立ちのぼり、ユウの杖に嵌め込まれた水晶球に吸い込まれていく。
「本当にすみません。私達の争いに巻き込んでしまって」
作業を終えたリッシュは申し訳なさそうに目を伏せた。ユウは口を閉じかけたが、ぐっと唇の端を持ち上げる。
「おれはもう、別れの挨拶は済ませた。だからこのあと姉ちゃんがどう行動したとしても、おれはそれをそのまま受け止める。だからお前も、覚悟を決めろよ!」
「ユウさん……」
リッシュは軽く息を飲み、ユウの黒い瞳をじっと見つめた。
「詳しいことは話せませんが、私はどんな手を使ってでも、ユイさんを私の妻として迎えるつもりでいます」
それはユウに言うつもりのなかった事実だ。ユウは目を丸くした。
「なにを馬鹿な、姉ちゃんは人間だぞ! それにあともう少しで龍の瞳になっちまう! いや、ちょっと待て……まさかお前、姉ちゃんの魂をどうにかするつもりなのか?」
人間には到底できない技でも、魔族であるリッシュならできるのではないか?
「確実にできるとは言い切れません」
一瞬差し込んだかに見えた光が、リッシュの暗い表情で掻き消える。
「
「そうか、わかった」
ユウは呟き、深呼吸を繰り返した。
なにが起きようと、その時にできる精一杯のことをするしかないのだ。
ユウはあらためて決意を固くしたのだった。
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