第21話 我儘
「なんて面してんだよ」
ギータは家の外壁に背を預け、くくっと喉の奥で笑った。
夜闇の中、最近鳴き始めた虫の音があたりに響いている。
「笑わないでくださいよ……」
リッシュは泣きそうな表情で、膝を抱えて地面に座りこんでいた。
そこはユイ達が借りている借家の裏庭だ。もちろん、外部に情報が漏れないように二人は結界を張っている。
「どうしたらいいんでしょうね……教えてくださいよ、ギータ兄さん」
はぁと重いため息を吐きながら、リッシュは膝に顔を埋めた。
「お前なあ、それを俺に聞くか? 俺は、お前の邪魔をしに来たんだぜ」
少し呆れたように、ギータは言う。
「だって……」
「お前は昔っから、他人の気持ちに寄り添い過ぎなんだよ。まあ、そこがいいとこなんだけどな。しかし、あのお嬢ちゃん相手にそれじゃあ、辛くなるばかりだろうよ。強引にいけ、強引に」
ギータは語尾を強めて言った。
「……もう、あの人から気持ちをもらったもん。課題は達成したんだ」
「なに!」
弱々しく言うリッシュの言葉に、ギータは思わず叫んだ。
「なんだよ、それじゃあ俺は必要ないじゃん。あーあ、つまんねぇの……で、なんで目標達成したってのに、お前はそんなに落ち込んでるわけ? 喜べよ、もっとさ」
素直じゃねぇな、とギータは小さくため息を吐いた。
「私は、あの人のことが好きなんだ。お嫁さんにしたいくらいなんだよ。もう、ターゲットとか、王位とか、そんなんじゃなくてさ……」
その言葉を聞いたギータは、即座に青ざめた。
「げっ、そりゃマズい。そうなったら、まずルイザの奴が黙っちゃいねぇだろうよ」
「うん……ルイザは、ゼダにあげようと思う」
きっぱりとリッシュは言い切った。
「……いるか? あんな女」
ぼそりと呟いたギータの言葉に、リッシュは下からギータにジトッとした視線を送った。
「……ギータ兄さんだって、昔ルイザと付き合ってたじゃない」
「む、昔の事だろ……今さら蒸し返すなよ……俺の人生の汚点なんだから……まぁそれはともかく、王位継承権の話だよ」
ギータは気を取り直して話を続ける。
「課題を達成したっていう、なにか証明できるもんはあるんだろうな? 俺はよく知らんが、どう判定するんだ? 心なんて、目に見えないだろう」
「ジークが見てくれていれば、ジークの証言が証拠になるんだけどね」
「あぁ、あのおっかない教育係な」
脳裏にブルーグレーの瞳をギラリと光らせたジークを思い浮かべ、ギータは引きつった笑みを浮かべた。
「そういや、そいつの気配を感じないな」
「うん、最近ちょっと色々頼んでいるから、忙しいんだと思う……そうか、証明……どうしようかな」
ボソボソとリッシュは呟く。
「じゃあさ、俺が証人になってやろうか?」
ギータがニヤリと笑みを浮かべて提案する。
「俺があのお嬢ちゃんにちょっかい出してさ、お前への気持ちを確認してやるよ。ちょうど、ゼダにお前の邪魔をするって言っちまった以上、何もしないわけにもいかないしな」
「えっ、いいの?」
リッシュの表情が少しだけ明るくなった。
「おう、いいぞ。かわいい弟の為だからな」
ギータはにこにこと笑って、リッシュの真っ直ぐな黒髪をわしゃわしゃと撫で回した。
「その代わり、俺を自由にしてくれよ。ゼダの野郎、俺を駒扱いしやがって……あぁ、腹立たしいったらないぜ」
整った眉根を寄せ、ふぅとギータはため息を吐いた。
「うん……ゼダは、最悪ユイさんを消すつもりなんだね」
昼間の金魚売りの台詞を思い出し、リッシュは言った。
「青は心理的妨害、赤は物理的妨害……黒の金魚は、そういう意味だ」
ギータは暗闇を見つめ、静かに言った。
「もしそうなったら、今回の課題は無効になって、もう一度新たなターゲットを選ぶことになる」
淡々とした口調でリッシュは言った。
「そうだ。たとえお前が既にターゲットを落としていたとしても、有耶無耶にされてしまう可能性がある」
ギータは真顔で言った。
「護れるか? あのルールがある中で?」
ギータの言うあのルールとは、王位継承権を持つ者は同族への攻撃を一切禁ずるというものだ。
「護りますよ、何が何でも……私は、あの人をお嫁さんにするんです」
リッシュはキッとギータに強い視線を送る。
「お前、時々そうやって王子様らしく我儘になるよなあ……面白れぇの」
リッシュのその様にふっと笑顔を浮かべ、ギータは壁から背を離した。
「じゃあ明日の朝、早速伺うとするわ……楽しみにしてな」
「……うん、ありがとう」
夜闇に溶け込んだギータの背に向かって、リッシュは言葉をかけた。
リッシュの落ちた気持ちは戻り切っていなかったが、いつまでもそうしているわけにはいかなかった。
最悪の事態を想定し、様々な対策を考えなければならない。それは既に考えていた事だったが、実行するための根回しを始める。
雲の掛かった新月を、リッシュは暗い面持ちで見つめていたのだった。
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