第20話 小さな命達

 そこは借家から歩いて二十分程の場所にあった。

 ユイがミミに探してくれと頼んだ、野の花が咲く広場だ。

「ちょうど花の咲く時期で良かった……幸い、辺りに人もいないし」

 ユイはきょろきょろと周囲を見回し、すっと腰をおろした。その足元には、細く長い茎を持つ、小さな白い花が群生している。

『お前とはもう喋らん』とユイに宣言され、すっかりしょげかえったリッシュは、ユイの正面に座り黙ったままユイを見つめた。

 ユイは無言のまま摘んだ花を輪状に編み、花冠を作り上げる。

「できた!」

 その出来栄えににこりと会心の笑みを浮かべ、ユイは手にした花冠をリッシュの頭にふわりと乗せた。

 緩やかに吹く風がリッシュの短い黒髪と白い花を揺らす。

「……似合うな」

 ふと笑ったユイに、落ち込んでいたリッシュの表情かおがぱぁっと明るくなった。

「似合いますか?」

「うん、似合う。可愛いぞ……あ、男に可愛いはないか」

「いえ、嬉しいです。ありがとうございます」

 リッシュはそっと、頭上の花冠に手を伸ばす。指先の柔らかな花びらは、触れたら壊れてしまいそうだ。リッシュはすぐに手を引っ込めた。

「私は、お前に嘘をついてしまったことに気づいてな。それを、ちゃんと謝りたかったんだ」

 ユイはじっとリッシュの黒い瞳を見つめた。

「嘘、ですか?」

 リッシュはきょとんとした表情で、ユイの瞳を見つめ返す。

「私はカクノヒメの運命を、受け入れて生きてきたんじゃない。必死に抗って、今まで生きてきたんだ」

 リッシュから視線を外し、ユイは過去に思いを巡らせる。

「この身の内にある核は、善のものに変えようと悪しき気を取り込もうとする。その意思は強固で強烈だ。それにそのまま従っていると、私達カクノヒメの肉体は早くに龍の瞳に変わってしまう」

 ユイは小さくため息を吐いて、晴れ渡る水色の空を見上げた。

「カクノヒメの役を負う者は、核の力を制御する術を幼少期から叩き込まれる。それを代々受け継いできて、私もそうしてきた。少しでも長く、この身体で生きていたかったからだ」

 ユイは自嘲するようにうっすらと笑う。

「自分以外の誰かの為にと言いながら、私は身体を失いたくないと抗った。矛盾していて、おかしいだろう? いや、おかしいというより、あさましいな」

 それに比べ、空を飛ぶさえずる鳥や、優雅な舞をみせる蝶はなんと美しいことだろう。

「ユイさん。私達の体は、沢山の命の集合体なんです。細胞、という名の小さな命の」

 空を眺め続けるユイに、リッシュはゆっくりと言葉を紡ぐ。視線を移したユイの瞳に映るその表情かおは、いつも以上に穏やかなものだった。

「細胞?」

 それは、ユイが初めて耳にする存在だった。

「はい。私達が生きている限り、この小さな命達は私達を必死になって生かそうとするんです。だから、あなたが……あなたのご先祖様達が、必死に生きようと抗ってきたのは当然のことなんです。生きているのですから」

 むしろ、とリッシュは額を曇らせる。

「生かそうとする命達の声と、核の強い要求との狭間で生きることは、相当な重圧だったはずです。それこそ、本能対本能の戦いのようなものでしょうから」

 ユイはリッシュの言葉に息を飲んだ。

「責めないのか……私を、嘘つきだと」

「だって、嘘ではないでしょう?」

 やっと口を開いたユイに、にこりとリッシュは微笑んだ。

「他の誰かに呪いを継がせたくないというユイさんの想いは、嘘偽りではないはずです。いいじゃないですか、矛盾していても。それが真実なら……あなたは、嘘つきじゃない」

 まっすぐに見つめてくる、ユイの双眸が愛おしくてたまらない。リッシュはそっとユイの頬に触れた。風にあたって冷たくなっていても、リッシュの胸はじわりと熱くなる。

「あなたは自分に正直に生き、苦しんだ。ただ、それだけです」

 ユイの瞳が潤み熱を帯びる。リッシュに触れられている頬も、燃えているのではないかと思うほど熱かった。

「……リィ」

 気づけば、ユイはリッシュの手に己の手を重ねていた。

「私の身体が終わりを迎える時、私の心をお前にやろう」

「ユイさん……」

「驚いた……正直、こんな気持ちになるとは思っていなかった」

 はあと深いため息を吐いて俯き、ユイは白い花の中に両手をつく。

「これで……返せるかな、お前に……いい王になれよ、リィ」

 言い、ぱっとユイは面を上げた。いつからそこにあったのか、すぐ近くにリッシュの顔があった。

「近……」

 近い、という間もなく、リッシュの柔らかな唇がユイの口を塞ぐ。

 なんだこれは……

 ユイはぎゅっと目を閉じ、その甘さに胸を震わせた。それは十八年間生きてきて、ユイが初めて味わう苦しみだった。

「……このバカ……」

 もっと、生きたくなってしまうではないか。

 リッシュにきつく抱きしめられて、ユイははっとした。

「駄目だ、掟を破るな!」

「嫌です」

 ユイを抱く腕に力を込めて、リッシュはその耳元に囁く。

「愛しています、ユイさん」

「我儘を言うな!」

 強い光を帯びたユイの瞳が、リッシュの胸を深く貫いた。たじろいだリッシュは腕の力を抜く。

 その身体を乱暴に突き放し、ユイは顔を背けた。

 日が傾き始め、冷たさの増した風が二人の間をすり抜けていく。

「もう十分だろう。これで、課題は達成したんだ。お前は王になれる……頑張れ」

 消え入りそうなとつとつとしたユイの言葉に、リッシュの心は揺れた。

 望んだはずのユイの心を手にしてみても、リッシュの胸に湧いたのは、なぜか深い悲しみだった。

「はい」

 小さく頷くもその理由がわからず、リッシュは虚ろな視線を宙に向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る