第19話 熱意と注意喚起
「おかしい、なぜあいつらは戻ってこんのだ?」
私室で、ゼダはいらいらと親指の爪を噛んだ。
強い結界で守られている、兄リッシュのターゲットに接触する為に、結界を破るよう指示した使い達が戻らないのである。
ゼダが使い達に指示をしてから、もう二日が経過していた。
「もしや、兄上になにかされたのか……?」
訝しむゼダの耳に、どさどさっとなにやら荷物が置かれるような音が届く。
「……なんだ?」
ゼダが振り返ると、そこにはゼダが結界を破るよう指示した四人の使いが山となっていた。皆一様に、どこか体が痛そうに顔を顰めている。
「お前達っ、いったい今までどこにいたんだ!」
ゼダが眉尻を吊り上げ、四人に向かって怒鳴った。
「……おいゼダ、気にいったか? 俺の手土産は」
そこに、年若い男の声が降って湧く。
「……ギータか……」
ゼダの視線の先、四人の使いの山の隣に声の主の男は姿を現した。
「お前が密書なんてもん寄越すから、面倒だったらないぜ」
ギータと呼ばれた男は体つきが良く、背が高かった。ゼダより頭三つ分は大きい。
人間の世界から戻ったばかりだからだろうか、その姿は人間のものだ。
「ギータ、お前のその言葉づかい、なんとかならんのか?」
チッと舌打ちして、ゼダはギータを睨みつける。
「私は、王の子だぞ」
「それを言うなら、俺も王の子だぜ。お前らとは、母親が違うだけなんだからな。しかも、リィより俺の方が先に生まれている」
苛つくゼダをからかうように、ニヤニヤと笑いながらギータは言った。
「だいたい、お前は言葉づかいがどうとか言うがな。生憎俺はお前らみたいに良い教育は受けてないからな、言葉の使い方なんか知らねぇんだよ。それと、俺はお前の子分じゃねぇんだ」
ふと真顔になり、ギータはゼダの瞳をじっと見つめた。
「俺に頼みがあるなら、命令じゃなくて頭を下げろよ。なんだ、あの手紙の文面は」
「なんだと……」
ギータの言葉に、ゼダのこめかみに青筋が浮かぶ。
「まったく、お前はプライドの高さだけは一級品だな。だいたい、相手の力量を舐めてかかるからこういうことになるんだ、王子様よぉ」
ちらりと隣の四人を見、ギータは嘲笑うかのような笑みを浮かべた。
「先に言っておくが、俺がリィの邪魔をするのは単なる退屈しのぎだ。ゼダ、お前の出世の為じゃない。だから、うまく行ったとしても褒美はいらんぜ……その代わり、やり方は俺の好きなようにさせてもらう」
「……兄上が失敗さえすれば、方法なんてなんだっていい」
ゼダは吐き捨てるように言った。
「王位って、そんなに魅力的かねぇ……窮屈で退屈で、俺には向かねぇや……じゃあな、ゼダ」
そう言うと、ギータはふっと姿を消した。
ゼダはゆっくりと四人の使いに歩み寄り、ゾッとするような冷たい目線で彼らを見下ろした。
「お前らは全員クビだ。二度と私の前に顔を見せるな」
低い声音でそう言うと、ゼダはさっと手を払った。
その瞬間、四人の姿が消える。
「私には役立たずは必要ないのだ……兄上も……失敗するなら、ギータもな……」
誰に言うでもなくゼタは薄ら笑いを浮かべ、一人呟いていたのだった。
「あ、ユイに探してくれって頼まれてた場所、見つかったよ。はい、これ地図」
ミミは笑顔でユイに紙片を渡した。
「あぁ、ありがとうミミ。助かったよ」
ユイは微笑を浮かべ、ミミから紙片を受け取る。
「なにか探していたんですか?」
横から紙片を覗き込み、リッシュがユイに訊ねた。
「そうなんだ。本当は自分の足で見つけたかったんだが、あまり外を出歩けないからな……ところで、お前に一つ聞きたい事があるんだが?」
リッシュを見上げ、ユイが問う。
「はい、なんでしょう?」
にっこりと笑ってリッシュは問い返した。
「この場所に行きたいんだが、私を連れて瞬間移動できるか?」
ユイは、ミミから受け取った紙片の一点を指差した。
「私が知っている場所ならば、移動が可能なのですが……」
ふむ、とリッシュは顎に手を当てて言った。
「ここからそんなに離れていないし、少し気分転換しに散歩でもしてきたら? リィがついてたら大丈夫だろ? 防御は攻撃にはならないもんな? 危なくなったら、ここに瞬間移動すればいいし」
ミミがにこにこと笑って、二人に提案する。
「私は構いませんよ。ユイさんとお散歩デートができるなんて、私は幸せです」
リッシュは嬉しそうにユイに笑顔を向けた。
「これはデートじゃない、単なる散歩だ」
そんなリッシュに、ユイはピシャリと言う。
「またまたぁ、ユイはそういう言い方しないで、とにかく日が出ている内に二人で行ってきなよ」
引きつった笑みを浮かべながら、ミミは二人の背を押したのだった。
「その場所には、いったいなにがあるんですか?」
目的地に向かう道すがら、リッシュは隣のユイに訊ねた。
「前に、お前から貝殻をもらっただろう? あの礼だ」
家々の前を通り過ぎながら、ユイはリッシュの問に答えた。
「あぁ、そうなんですか……それは楽しみです」
穏やかな笑みを浮かべたリッシュの耳に、チリンと軽やかな鈴の音が届く。
リッシュはふと足を止めた。
「どうした?」
ユイがそれに気づき、同様に足を止める。
「ユイさん、金魚売りさんです」
にこりと微笑んで、リッシュは道の端に立つ金魚売りの桶の前でしゃがみ込んだ。
「へぇ、きれいだな……黒や赤いのは見たことがあるが、青い金魚は初めて見る」
ユイもその隣にしゃがみ込み、桶の中ですいすいと泳ぐ小さな金魚に目を細めた。
「お兄さん、お勧めはなんですか?」
リッシュが、笠を目深に被った金魚売りの男に訊ねた。
「仕入れ先のお勧めは、一番が赤、二番が青、最後に黒だ」
男は口元に笑みを浮かべながら答える。その黒い瞳は、桶の中の金魚を眺めているユイをじっと見つめていた。
「お兄さんのお勧めは?」
再び、リッシュが問う。
「俺は黒は勧めない。一番に青、二番に赤だな」
「……わかりました、ありがとうございます。ユイさん、そろそろ行きましょうか」
リッシュは立ち上がるが、ユイはしばらくそのまま金魚を見つめていた。
「広い世界で、自由に生きられたらいいな……」
ぽつりとユイは呟き、まるで金魚を撫でるかのように手をかざした。
一瞬水面が白く光り輝き、すぐに元に戻った。
「見せてくれてありがとう。たくさん売れるといいな」
ユイは、金魚売りの男にうっすらと微笑みかけた。
「……どういたしまして……」
男はほんの一瞬の間を置いて、ユイに微笑を返した。
「金魚、きれいだったな」
再び二人で歩き始め、ユイは隣のリッシュに話かけた。
「そうですね……ユイさん、唐突な質問ですが、ユイさんはどんな男性が好みですか?」
「はぁ? なんだ、藪から棒に」
ユイは怪訝そうな視線をリッシュに向けた。
「顔が好み、頼りがいがある、母性本能をくすぐる、冷たいと思ったら優しい、とか……」
指折り数え、リッシュは真面目な表情で言った。
「それらは全て、ハニートラップです。我が一族の仕業ですからね。絶対に、私以外の異性には興味を抱かないでくださいよ」
「……お前に心配されなくても、私は今さら異性になど興味は持たん」
呆れたように、ユイはため息を吐いた。
「それから、とても今更な質問ですが、ユイさんは今何歳ですか?」
「十八だが?」
まだなにか言うつもりか、とユイは眉根を寄せた。
「十八歳なら、子供が産めます。生命の危機を感じると、種を保存しようと本能が強く働くんですよ! 私ならいつでもお相手致します!」
「……おい、ルールはどうした……王位継承権を持つ者は、継承前の異性との交わりは禁じられてると、前に言っていたよな?」
引きつった表情で、ユイは言った。
「ユイさんが許可してくれるなら、ルールなんて私はいくらでも破りますよ!」
「……もうお前とは喋らん」
ふいっとユイはそっぽを向く。
「そっ、そんなぁ」
リッシュはあまりのショックに、顔を青くして肩を落とした。
リッシュの熱意と注意喚起は、ユイの前でことごとく空回りして、地に落ちたのだった。
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