第17話 普通の姉弟
自分の運命を、呪わしいと思ったことはない。
しかし、二歳上の姉が背負う運命は、呪わしかった。
子孫が負わなければならないその契約を、なぜ先祖は自ら望んで結んだのか。
どんなに思いを巡らせても、その答えはわからない。ただ自分にできるのは、その姉に近づく邪なものを祓う術を身につけること。
剣術、体術を師範に習い、土の精霊操術は父ともう一人の姉から習った。
既に妖魔の王の一人“桜花”がずっと傍で姉を護ってくれていたが、彼女だけに寄り掛かりたくはなかった。
強くなる。強くなって、姉を護る。護って……その先は?
自分で自分に問いかける。
あと一週間ほどで、懸命に強くなろうとしてきた目標がなくなる。
その時、自分は空っぽの状態になるだろう。その先のことなど、何一つ想像できない。
想像したら、恐怖のあまり足が竦んで動けなくなる。
今はただ、姉の望みである“龍の瞳を国の中枢に届ける”事だけを考える。
その後のことや自分のことなどは、今はどうでも良かったのだった。
(お前は、お前が幸せになる道を探すんだ)
どこからか、知らない男の声がする。いや、一度だけ聞いた……そうだ、ヨクに襲われた時に“代われ”と言った、あの声だ。
姉ちゃんが幸せになるのが、おれの幸せだよ。
(違う、そうじゃない……それでは、お前の幸せは他人に左右されてしまう)
じゃあ……わからないよ……今は、何も考えられない……考え始めると、辛くなるだけだから……
(ユウ、歩みを止めるな。前を向くことを恐れるな。俺も、桜花も……お前が、これから自分自身の幸せを掴んでゆくのを、心から応援している)
……そうか……あんたが桜花の……
(俺がお前の体と別れる日も近い。桜花もだ。俺達は、お前の人生の邪魔はしたくない。それに、こちらの事情もある)
桜花の事情か……そういえば、桜花は自分の生家のこと、あまり話さなかったな……確か、巻き込みたくないって言われた気がする……
(そう。本来、俺達妖魔の王族が人間と関わるなど、あってはならないことだ。人間が、それを知れば知るほど、ろくなことにならない……さあ、ユウ……ユイが呼んでいるから、そろそろ目を覚ませ)
うん、わかった。ありがとう……
ふと目を開くと、そこには闇夜に浮かぶ天井があった。七日間だけ借りている借家の天井だ。
ぼんやりとした肉眼でそれがわかるのは、すぐ近くに灯りが置かれているからだった。
「良かった、目が覚めたか、ユウ」
ぼんやりとしたユウの視界に、微笑を浮かべたユイの顔がひょっこりと現れる。
「姉ちゃん……ごめん」
咄嗟にユウの口から出たのは、謝罪の言葉だった。
「なぜ謝るんだ? 謝るのは私の方だぞ? お前がそうなっているのは、私が原因なんだから」
ユイは苦笑し、ユウの瞳をじっと見つめた。
「ヨクはもういない。だから、私達があいつに襲われることは、もう今後一切ないから安心していい」
「えっ!」
ユウは、驚きの声を上げて半身を起こした。
「……どこまで覚えている? とは言っても、私も桜花から聞いたことしかわからないが」
「えっと……確か、でかい狸のアヤカシを檻に閉じ込めて、図体のでかい兄ちゃんを気絶させて……そしたらあいつが……ヨクと戦ったんだ」
そこまで喋ると、ユウは一度口をつぐんだ。
「記憶がない。ヨクと戦って、どうなったんだ、おれは!」
「どうやら、完成体に近づいているのは、龍の瞳だけではないらしい」
ユイは呟き、ユウの胸を指さした。
「お前の魂と混ざり合っている、桜花の同族の魂も、完成体に近づいているらしい。それが、顕現したのだと桜花は言っていた」
はあ、とユイは小さくため息を吐いた。
「覚えていないのか、なにも?」
「……いや……そういえば……」
目を伏せて、ユウは記憶を巡らせる。
「今も……目を覚ます直前に、その人と話をしてたような気がする」
「どんな話をしたのか、覚えているか?」
ユイは静かな声音で問いかけた。
「おれの人生の邪魔はしたくない、って……そう言ってたような」
「それは……どういう意味なんだ?」
「……わからない……けど……嫌な感じはしなかった」
ユウは素直に言った。
「そうか……わからないことだらけだな。その時がきて、初めて真実を知ることになるんだろう。きっとその時には、私はもうこの体と別れているだろうが」
ユイの言葉に、ユウは表情を強張らせる。
「頼みがある」
ユイは、そんなユウに四つのお守りを示した。
「これは、私が編んだものだ。父さんと母さん、ユカ姉と、ユウ、お前に」
ユウは、そっとそれらを受け取り、じっと見つめた。
ユイが作ったお守りは、四色の糸で透明な石を編み込んだものだった。
「私の体は龍の瞳に変わっても、私の心はそこにある。本当に……感謝している」
すっ、とユイはユウに頭を下げた。
「今まで体を張って守ってくれて、ありがとう。私を……龍の瞳を国に届け終わったら、どうか好きなように生きてくれ。私の分まで」
ユイに言われ、ユウは手の中のお守りをギュッと握りしめた。
「……うん……姉ちゃん、今度生まれ変わった時はさ」
ユウは精一杯の笑顔を浮かべた。
「普通の姉弟がいい……そんで、ちゃんと姉ちゃんが幸せになったのを見届けてから、おれも幸せになる」
ユイは面を上げてユウを見た。
「お前が幸せになることが、私の幸せなんだよ、ユウ」
ユイの浮かべたその微笑みが、なにより尊くユウの胸に染み渡る。
「それに、私はお前の姉で幸せだった」
そっとユイはユウの頭を撫でた。
「ありがとう、ユウ」
「……うん……」
ユウは俯き、呟くように言った。
しんと張り詰めた夜の静寂が、二人を押し包んで流れていったのだった。
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