第17話 普通の姉弟

 ユウは、今まで自分の運命を呪わしいと思ったことはない。

 しかし、二歳上の姉であるユイが背負う運命は呪わしかった。

 なぜ先祖の巫女は、子孫が苦しまなければならない契約を龍神と結んだのだろうか。

 どれだけ考えても、その答えはわからなかった。ユウにできたのは、ユイに近づくよこしまなものを祓うすべを身につけることだけだった。

 剣術や体術は師範から、土の精霊操術は父ともう一人の姉から習った。

 既に桜花という強力な守り手はいたが、彼女だけに寄り掛かりたくなかった。

 強くなる。強くなって、姉ちゃんを護る。護って……その先は?

 ユウは自分に問いかける。

 あと一週間ほどで、ユイは肉体を失い龍の瞳になってしまう。今まで懸命に強くなろうとしてきた目標が、なくなってしまうのだ。


(お前は、お前が幸せになる道を探すんだ)

 どこからか、知らない男の声がする。いや、一度だけ聞いた……そうだ、依苦に襲われた時に代われと言った、あの声だ。

 姉ちゃんが幸せになるのが、おれの幸せだよ。

 ユウは暗闇の中、声の主を見出そうときょろきょろと辺りを見回す。

(違う、そうじゃない……それでは、お前の幸せは他人に左右されてしまう)

 わからないよ……今は、何も考えられない……考え始めると、辛くなるだけだから……

 ユウは探すことを諦め、俯いた。

(ユウ、歩みを止めるな。前を向くことを恐れるな。俺も桜花も……お前が、これから自分自身の幸せを掴んでゆくのを、心から応援している)

 そうか、あんたが桜花の……

(俺がお前の身体と別れる日も近い。その時は、桜花もお前達と袂を分かつことになるだろう。俺達は、お前の人生の邪魔はしたくない。それに、こちらの事情もある)

 桜花の事情か……そういえば、桜花は自分の生家のこと、あまり話さなかったな……確か、巻き込みたくないって言われた気がする……

(そう。本来、俺達妖魔の王族が人間と関わるなど、あってはならないことだ。人間がそれを知れば知るほど、ろくなことにならないからな……さあ、ユウ……ユイが呼んでいるから、そろそろ目を覚ませ)

 うん、わかった。ありがとう……



 ふと瞼を開くと、そこには夜闇に浮かぶ天井があった。七日間だけ借りている借家の天井だ。

 ぼんやりとした肉眼でそれがわかるのは、すぐ近くに灯りが置かれているからだった。

「良かった。目が覚めたか、ユウ」

 ユウの視界に、微笑を浮かべたユイの顔がひょっこりと現れる。

「姉ちゃん……ごめん」

「謝るのは私の方だぞ? お前がそうなっているのは、私が原因なんだからな」

 ユイは苦笑し、ユウの瞳をじっと見つめた。

「依苦はもういないから、安心していいようだぞ」

「えっ!」

 ユウはがばっと半身を起こす。

「どこまで覚えている?」

「えっと……確か、狸のあやかしを檻に閉じ込めて、図体のでかい兄ちゃんを気絶させて……そしたら依苦が来て……戦ったんだ」

 そこまで喋ると、ユウは一度口をつぐんだ。

「記憶がない。依苦と戦って、どうなったんだ、おれは!」

「どうやら完成体に近づいているのは、龍の瞳だけではないらしい」

 ユイは呟き、ユウの胸を指さす。

「お前の魂と混ざり合っている、桜花と同族の魂も完成体に近づいていると。それが顕現したのだと桜花が言っていた」

 はあ、とユイは小さくため息を吐いた。

「覚えていないのか、なにも?」

「……いや、そういえば……今、目を覚ます直前までその人と話をしてた」

「そうか……どんな話をしたか、覚えているか?」

 問われ、ユウは沈みつつある記憶を底から引き戻した。

「おれの人生の邪魔は、したくないって」

「それは、どういう意味だ?」

「わからない……けど、嫌な感じはしなかったよ」

 ユウの答えに、ユイは少しの間黙り込んだ。

「そうか。時が満ちて、初めて真実を知ることになるのだろう。その時にはもう、私はこの身体と別れているだろうが」

 途端にユウの表情かおが強張った。

「頼みがある」

 ユイは懐から四本の紐を取り出し、ユウに差し出す。

「これは私が編んだものだ。父さんと母さん、ユカ姉と。ユウ、お前に」

 ユウは紐をそっと受け取った。

 紐には赤、青、緑、白の四色の糸が使われ、透明な石が編み込まれている。

「私の身体が龍の瞳に変わっても、心はそこにある。本当に……感謝している」

 ユイは静かに頭を下げた。

「今まで守ってくれて、ありがとう。私を……龍の瞳を国に届け終わったら、どうか好きなように生きてくれ。私の分まで」

 ユウは紐を握りしめた拳を胸に押し当てる。本当に伝えたい言葉は、ごくりと飲み込んだ。

「うん……姉ちゃん、今度生まれ変わった時はさ」

 ユウは精一杯の笑顔を浮かべる。

「普通の姉弟きょうだいがいい。そんで、ちゃんと姉ちゃんが幸せになったのを見届けてから、おれも幸せになる」

 ユイは面を上げてユウを見つめた。そこにある微笑が、ユウの胸にじわりと染み渡る。

「お前が幸せになることが、私の幸せなんだよ。ユウ。それに、私はお前の姉で幸せだった」

 ユイはふわりとユウの頭を撫でた。

「ありがとう、ユウ」

「うん……」

 ユウには俯く事しか出来なかった。顔を上げれば、湿っぽい表情かおを見せてしまう。

 しんと張り詰めた夜の静寂が、二人を包んで流れていった。

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