第16話 顕現

 日は落ち、町外れにある古寺の周辺は薄暗い。

「ほら見ろ、あれだ!」

 男は震える人差し指で石段の先を指差した。見上げた先から吹きつけてくる生臭い風に、ユウは顔を顰めた。

 残念なことに、男が言っていた事は嘘ではなかったらしい。ユウは次第に重苦しくなってくる呼吸を整え、隣の大男を見た。

「お前はここにいろよ。なんとかできるかどうか、もう少し近くで見てくるから」

「わかった」

 男はがくがくと頷いた。

 境内に続く石段を一歩登るたびに、怪しげな気配は濃くなる。だがそれは、危機感に足を止めるほどではない。

「人魂が飛んでる……あの兄ちゃんの言ってた通りだな」

 階段を登りきった先には、薄ぼんやりと光る人魂がいくつも見えた。

 ユウは腰に提げた仕込み杖を地に着けた。そして、柄に嵌め込まれている水晶球を両手で包み、意識を集中させる。

 生臭い風は境内の奥にある本堂から流れてくる。おそらく、それがこの人魂を発生させている原因なのだろう。ユウは土の精霊づてにその姿形を知ろうとしていた。

「獣だ……」

 すぐにイメージは伝わってきた。豊かな小豆色の体毛を逆立てた、まるで大型犬のような獣の姿。

 長生きした野生の獣は時に妖となる。ミミのように。

 ミミはユウが出入りしていた鉱山で倒れていた、土竜もぐらあやかしだ。

 ユウに命を助けられたことに恩義を感じ、ユウとユイを守るために行動を共にしている。

「こいつもそのたぐいか」

 杖から感じた相手の力量は、対処できないほどではなかった。

「できれば命までは奪いたくないな」

 ユウはミミの屈託のない笑顔を思い浮かべ、深く息を吐くと境内に足を踏み入れた。

 ひた、と地に足をつけると同時に、体重をかけて杖の先端を地面にめり込ませる。真っ黒な本堂の中、金色に光る双眸が見えた。

 来る!

 ユウは水晶球に手を当て、地中の精霊にイメージを送る。

 即座に地面から砂塵が巻き上がり、本堂の中心からユウに向けて放たれた、まるで暴風の様な妖気を遮断した。

 砂塵はそのままユウの足元から本堂へと一直線状に巻き上がり、本堂の妖がいるあたりの床を突き破る。

 大量の土煙が本堂の中に充満して視界を奪い、さらに大量の石礫が妖を襲った。

「狸か!」

 石礫に追われ、古寺の外に出た妖の姿は大型犬程の狸のものだった。

「ギャイン!」

 その自由を、地面から生えた牢が奪う。妖は狂ったように柵に噛みつくが、びくともしなかった。

「おれにできるのはここまでなんだよな。あとは桜花に頼むしかないや」

 ほっと安堵のため息を吐いたユウは、はっとして身をかがめた。

 次の瞬間、棍棒が空を切る。ユウの頭すれすれの高さだ。もしまともに当たっていたら、とても無事では済まないだろう。

「ちっ!」

 仕込み杖を手に体勢を整えながら、ユウは襲いかかってきた相手を振り返る。

「聞いてたのと違うじゃねぇか」

 ゆらりと大きな体を揺らし、地についた棍棒を握り直したのは、化け物退治を依頼してきた男だった。

「やっぱり罠だったか」

 はあ、とユウは大きくため息を吐いた。

「おかしいと思ったんだよな。おれみたいな子供がきを頼るなんてさ」

 ユウは少し憐れむような目で男を見、手の中の仕込み杖を握りしめた。

「誰に頼まれた? どうせ、そこらへんの生臭坊主とかだろうけどな」

「龍の瞳さえあれば、オレらは幸せになれるんだ! よこせ!」

 叫ぶ男の目は完全に血走っている。

「阿呆か、やれるわけねぇだろが! 帰ってお前の依頼主に伝えろよ! 欲しけりゃ自分で取りに来いってな!」

「いいからよこせ!」

 男は棍棒を振りかぶり、渾身の力を込めて振り下ろす。それをぎりぎりでかわして、ユウは男の太い首筋に素早く手刀を叩き込んだ。

 どすん、と大きな体が地面に転がる。

 ぴくりとも動かなくなった男を見つめ、ユウは再びため息を吐いた。

「見事ですねぇ」

 と、突然、どこか嘲笑うかのようなしわがれれた男の声が響き渡る。

 ざわ、とユウの体中の細胞がざわめいた。

「……黒幕はお前か……また器を変えて来やがったのか!」

 ユウは石段をゆっくりと登ってくる気配を睨みつけた。

 その声音を聞くのは初めてだったが、感じる気配はよく知っている。

「お久しぶり……三年ぶりでしたかねぇ?」

 にやにや笑いながら姿を見せたのは、ユウより頭二つ小さい、小柄な男だった。長い白髪を半分頭上で丸め、長く伸ばした顎髭も真っ白だ。

 男は地面で伸びている大男をちらりと見た。

「体術もあの頃より上達したようですねぇ……その男を地面に転がすなんて芸当、あの頃のあなたにはできなかったはずですよ」

「そりゃあ、三年もお前らみたいなのとやり合ってたら、腕も上がるだろうよ」

 仕込み杖を地に押しあてながら、ユウは男を睨んだ。

依苦よく

 よく、とユウに呼ばれた男はにやにやと笑った。

「あと一週間もすれば、龍の瞳は完成する。その後でお前から奪ってしまえばことは早い。だがあの緑王の小娘がいる限り、それは難しい。だが、好機は訪れた! 今、あの女はいない!」

 かっと依苦は細めていた瞳を見開いた。その色は、黒から白に変わっている。

「お前の力ではワシは退しりぞけられんぞ! わかっておるだろうがな!」

 言うが早いか、依苦の体がユウめがけて宙を駆ける。先の狸の妖のように、体の自由を奪われないようにだ。

「ちっ、やりにくいなあっ!」

 杖を構えながら、ユウはどうしたら良いか迷っていた。

 相手は人間ではなく、人間に取り憑いている妖魔だ。しかも、ユウは今まで三回も依苦と対戦していてその力のほどを知っている。どう考えても、分が悪い戦いだった。

 依苦は手にしていた錫杖で鋭い突きを繰り出す。

 それを何度も杖で払いながら、ユウは避け続けるしかなかった。杖に仕込まれた剣を抜けば、無関係の人間の体を傷つけてしまうからだ。

「甘いねぇ、そこは何年経っても相変わらずだ!」

 ユウが器である人間を傷つけることを選ばないのを、依苦は知り尽くしていた。

「くそっ!」

 どん、とユウの背が木の幹に当たる。

 しまった、と顔色を変えるユウの手から杖が吹き飛んだ。その瞬間、錫杖の先端がユウのみぞおちに食い込む。

 激しい吐き気を覚えるのと同時に、ユウの意識が白く霞んだ。

(代われ……ユウ)

 白から黒に変わる意識の奥底から、聞き覚えのない男の声がする。それが誰のものなのか、考えている間もなくユウの意識は遠のいた。

「あの女さえいなければ簡単なんだよ!」

 依苦はにっこりと笑いながら地に足を着け、倒れ込んでいるユウの首を掴み上げ、幹に押しつける。

「さて、この餌で龍の瞳を釣るか……ん? なんだ、この蔓草は?」

 依苦は微かに眉根を寄せた。

 いつから絡まっていたのか、足や腕にいくつもの蔓草が絡まっている。引っ張ってもちぎれないそれをよく見れば、無数の鋭い棘が生えていた。

「この蔓草……どこから……」

 ざわり、依苦の肌に鳥肌が立つ。

 その原因は、意識を失いだらりとしたユウの身体だった。棘のある蔓草は、まるで自生しているかのようにユウの身体からするすると伸びているのだ。

 冷たい汗をかき始めた依苦は、しかしユウの体を離さなかった。否、離したくても離せなかったのである。

「貴様っ、誰だ!」

 もはや体の自由がきかない依苦が、掠れた声で叫ぶ。

 ゆらめくユウの髪色は、いつの間にか黒から深緑色に変わっていた。

「りょ、緑王……なぜ?」

 依苦の皺だらけの手首にそっとユウの手が添えられる。その明るい黄緑色の瞳が、依苦の瞳を覗き込んだ。もう、疑う余地はない。依苦は完全に顔色を失った。

 妖魔である依苦は知っていた。深緑色の髪と明るい黄緑色の瞳が、緑王と呼ばれる妖魔の王族の特徴であることを。

「完成体に近づいてるのが、龍の瞳だけだと思うなよ」

 低い声音は、変声期を終えたばかりのユウのもなのではない。なにより、そこはかとなく妖艶さが漂う笑みはまるで別人のようだった。

「くそっ、こんな身体いらんわっ!」

 依苦が叫ぶと、その身体ががくりと傾いた。依代よりしろとしていた、人間の男の身体を捨てたのである。

 ユウはその行き先を目で追った。

「なんだあれは! くそっ、仕切り直しだ! あっ!」

 依苦は空中でぴたりと動きを止めた。その顔色は真っ青だ。

 腕を組んだ無表情の桜花が、突然目の前に現れたからである。

「私のいない間に、よくも好き放題してくれたな」

 桜花の低い声音は、苛立ちを微塵も隠していない。その全身から、鮮やかな赤紫色の気配が立ちのぼる。

「し、しまった……」

 依苦はすぐさま桜花に背を向けた。

「ぐはっ!」

 その直後、依苦の身体がぐしゃりと音をたてた。見れば、体の中心から太い木の幹が突き出ている。

「今の貴様は本体だけだからな、仕留めるのにちょうどいいわ」

 桜花は残忍とも妖艶ともつかない笑みを浮かべた。

「た、助けっ!」

「この私が見逃してやったのだ、三回も。それなのに、お前は四度やってきた。お前を助ける道理が、どこにあるというのだ?」

 依苦の体を貫いた木の幹からいくつもの枝が伸び、依苦の体全体の肉を割いていく。

「くそっ、あの妙な緑王さえいなければぁ!」

 依苦はあまりの苦痛にぐしゃぐしゃに顔を歪めた。

「そうだな。お前の行動を褒めるとすれば、その一点だけだ」

 桜花はふわりと微笑んだ。

 ――美しい。

 その艶やかさに、死の間際の依苦さえも一瞬引き込まれた。

 だがすぐに、依苦の体は塵となって風に攫われていく。依苦の体を貫いていた太い幹も、同様に消えていた。

 桜花はそれを見届け、眼下を見る。

 そこには、本来の桜花と同じ髪と瞳の色をしたユウが立っていた。

 桜花はそのすぐ近くの地にとん、と足を着ける。

薇博びはく……」

 桜花は大切そうに、名を口にした。

「桜花姫……あんたは、いつ見てもきれいだな」

 薇博と呼ばれた男は言い、眩しそうに目を細めて桜花を見る。

「ユウは、どうしている?」

「心配するな、すぐに戻るさ……今はまだ」

「やはり、そういうことか」

 桜花は額を曇らせた。

「龍の瞳が完成体に近づくほど、俺の魂も完成に近づいてしまうようだ」

 桜花の抱いている不安を、薇博は理解している。

「俺とて、ユウの未来を奪いたくはない。方法としては、俺の魂だけをこの肉体から分離することだが……」

 ふと桜花の脳裏に金髪碧眼の男が浮かぶ。かつて桜花と龍神との間を取り持った神だ。

「その時が来たら、おそらく向こうから来るだろうがな」

 ふふ、と桜花は笑った。

「そうなのか?」

 薇博は首を傾げる。

「こういう滅多にない行事が好きなようだからな、あの男は……この間も、姿を見せていたし」

 もっとも、前回はリッシュに頼まれてユイに会いに来たのだが。

「そうか……ならば、そう悲観しなくても良いんじゃないか?」

「悲観?」

 桜花ははっとする。

「浮かない表情かおをしていること、自覚していないのか」

 思わず、薇博は苦笑する。

「気になるか? ユウの事が?」

 じっと桜花の黒い瞳を見つめ、薇博は真顔で問いかけた。

「……私が思いを寄せているのは、お前だけだ」

 その瞳を強い光をもって見つめ返し、桜花も真顔で答える。

 その様に、薇博はふっと笑った。

「……わかりやすいな、桜花姫は……」

「姫と呼ぶなと言っただろう!」

 桜花は頬を赤く染めて叫ぶ。

「異性としてではなくても、気になるなら気になるで良いじゃないか……俺は、そんなこと少しも気にしない」

 薇博は桜花に近づいて手を伸ばし、その頬にそっと触れた。

「今のユウの体は、桜花より小さいんだったな」

「私の背などすぐに追い越すさ。ユウは成長期だからな」

 薇博の手にそっと手を重ね、桜花は目を伏せる。

「そろそろユウと交代しよう……またな、桜花」

 薇博が笑みを浮かべると、その身体ががくんとくずおれる。桜花は、それを優しく抱き抱えた。

「早く帰らないと、ユイ達が心配しているぞ、ユウ」

 黒髪に戻りすやすやと寝息をたてるユウに、桜花は優しく微笑みかけた。

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