第15話 戻らない理由

 それは、肉体を失い、むき出しになった魂だった。

 ちらちらと青白く燃えるそれを、消えないように抱きしめる。

 失いたくない。どうあっても。

 しかし、そうするにはどうしたら良いのか、その方法がわからない。

 思い悩んでいる間にも、炎は次第に勢いを弱めていく。

「手を貸しましょうか?」

 突如降って湧いた聞き覚えのない男の声に、そちらを振り返る。

 そこにいたのは、金髪碧眼の男だった。

 男が人外の者であることは、間違いない。

 今この場所に存在していること自体が、その証明になる。

「条件は?」

 藁にもすがる思いで、問う。

 悪魔だろうがなんだろうが、この腕の中の魂が消えないというのなら。

 なんでもいい。なんでもする。

「ボディガードをね、募集してるんですよ。私ではなくて、私の友人がね。それに協力してくれるのなら」

 男は碧色の瞳を細め、穏やかな笑みを浮かべた。

「あなたの望みは、叶うでしょう」

「いいだろう、お前の条件を飲もう。ただし、本当に私の望みが叶うのならな」

 男は笑顔のまま、頷いた。

「もちろんですよ。ただし、その魂が混ざるのは、妖魔ではなく人間の魂になりますが」

「人間だと? それでは、すぐに寿命が尽きてしまうではないか」

 男は疑惑を向けられても尚、笑顔のままだった。

「人間の魂にはね、輪廻転生というシステムがあるんですよ」

「それは、知っているが……」

「その魂が、永遠にある一族に生まれ変わるようにしますから、心配ご無用です」

 永遠に、ある一族に?

「可能なのか、そんなことが」

「えぇ、可能ですよ。我々神の力を以ってすればね」

 にっこりと笑って、男は言った。

「その魂は、保護しないと持ちませんね」

 男は言い、その手を伸ばした。

 その瞬間、虹色の膜が弱々しく燃える魂を包み込む。

 男自身が言った通り、この男は神なのだ。

 腕の中の魂のゆらぎが収まったのを見て、男の言葉が嘘ではないことを悟る。

「これで信じてもらえましたか? 私の名はカイル。こう見えて、最古の神の一人なんですよ。まあ

それはともかく、急ぎましょう」

 カイルと名乗った神は微笑を浮かべ、すっと手を差し出した。

 その手を取る。

 迷っている時間は、もう残されていなかったのだった。

 

 妖魔“緑王”の桜家の姫、桜花はあの日決めたのだ。

 約束の時が来るまで、カクノヒメと呼ばれる“龍の瞳になる娘”を守護することを。

 龍の瞳の役目は、代々女児にのみ受け継がれる。

 そもそも龍神と、龍の瞳の契約を交わした人間が巫女だったからだ。

 子孫に受け継がれていくたびに、龍の瞳は完成体に近づいていく。

 ある娘は、自分が最後の番ではないことを喜び。

 ある娘は、龍神と契約を交わした先祖を呪い。

 ある娘は、子孫に役目を引き継いでしまった己を責めた。

 その様々な感情を、桜花はずっと間近で見てきた。

 そして、その最後の番である、ユイ。彼女はあと数日で龍の瞳の完成体になる。

 龍神から桜花に示された条件は、龍の瞳が完成するまで、カクノヒメを護ることだった。

 つまり、桜花と龍神の契約期間は、もうじき終了するのだ。

 そして、桜花が龍神に望んだのは、消えかかった想い人の魂を人間の魂に混ぜ、永遠に自分と共にいられるようにすることだった。

 その望みは叶えられ、桜花の想い人の魂は、カクノヒメの一族の男児の魂に刻まれてきた。

 今は、ユイの弟であるユウがそれだ。

 人間には、寿命がある。ユウとて、例外ではない。

 龍の瞳が完全体となった後、混ざり合った魂はいったいどうなるのか。

 契約を交わした、当の龍神はもう既にいない。訊ねる相手がいなければ、どれほど気に病んでも、事実を確認する術はなかった。

『おれの、じゃなくて、おれと融合してる誰かの傍にいたいんだろ?』

 つい先程、ユウに言われた台詞が桜花の脳裏に蘇る。

 桜花はあの瞬間、自身の心が揺らいだのをはっきりと感じていた。

「桜花姉様?」

 不意に名を呼ばれ、桜花はハッとした。

 目線を上げると、その先には仕事を依頼した芳葛に瓜二つの少女が立っている。芳葛の双子の妹、翠葛だ。

「あぁ、すまない、翠葛……芳葛に頼んでいた品を受け取りに来たのだが、できているか?」

 桜花は微笑を浮かべ、“すいか”と呼んだ娘に訊ねた。

 翠葛は、にっこりと微笑んで頷いた。

「はい、こちらに……桜花姉様、あまり浮かない表情をされていましたけれど、なにか気がかりなことでも?」

 少々粗野な印象の兄・芳葛と違い、翠葛はそこはかとなく上品さが漂う少女だ。

 二人は、緑王の王家の一つ、葛家の王の子である。

「いや、大丈夫だ。それより、仕事を急かして悪かったな」

 桜花は、翠葛から紙包みを受け取った。

「いいえ、それはお気になさらず……桜花姉様から頂いた素材で、お兄様が夢中になって遊んでいるのが私も嬉しいので」

 そう言うと、翠葛はふと額を曇らせた。

「桜花姉様は、もうこちらには戻らないのですか?

 このようなこと、私のような若輩者が聞くべきことではないと、わかってはいるのですが……桜家の跡を継ぐことができるのは、桜花姉様一人しかいませんし……」

 翠葛の言葉に、桜花は苦笑する。

 確かに翠葛は、数人いる王族の子ども達の中で最年少だ。だが、我が道を行くタイプの多いその中で、翠葛は周りに気配りができる貴重な存在であった。

「まったく、耳が痛い話題だな……定例会議でここに戻る度に、父上から翠葛と同じ問を向けられているよ」

 はぁ、とため息を吐いて桜花は言った。

「もうすぐ、その答えを出すつもりだ。あ、今私が言った事は、皆には内緒だぞ」

「はい、わかりました。今のお返事を聞いて、私はホッとしました……もし桜花姉様が緑王からいなくなってしまったら、我が一族のバランスは崩れてしまいますもの」

 翠葛は柔らかい笑みを浮かべ、言う。

「……そうだな……まったく窮屈だ、王族というのは」

 桜花は、低い声音で呟く。

 その脳裏に、魔族ではあるものの同じ王族という立場であるリッシュの姿が浮かんで消えた。

「品物、確かに受け取った。ありがとうな翠葛、芳葛にもよろしく伝えておいてくれ」

 そう言うと、桜花はくるりと翠葛に背を向け姿を消した。

 翠葛は桜花の姿が見えなくなってからも、しばらくの間じっとその場に立ち尽くしていたのだった。

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