第15話 戻らない理由

 それは、肉体を失いむき出しになった魂だった。

 失いたくない。どうしても。

 ちらちらと青白く燃えるそれを、桜花はそっと抱きしめる。

 しかし、どうしたら良いのだろうか。焦る頭には妙案はちらりとも浮かばない。

 思い悩んでいる間にも、腕の中の炎は次第に勢いを弱めていく。

「手を貸しましょうか?」

 突如降って湧いた聞き覚えのない男の声に、桜花は振り返った。そこにいたのは、金髪碧眼の男だった。

 男が人外の者であることは疑いようがない。妖魔の棲むこの深い森には、人間は立ち入ることができないからだ。

「条件は?」

 桜花は男の碧眼をじっと見つめた。

 見知らぬ男の素性など、今はどうでも良かった。この腕の中の魂が、消えさえしなければ。

「条件……私は魔族ではありません。神です」

 等価交換を持ち出すのは、魔族の定石だ。真っ先に桜花が口にした問は、それが理由だった。

「お前の素性など、どうでもいい! 本当になんとかなるのか!」

「なりますよ。こちらの願いを、聞いてもらえるならね」

 鬼気迫る勢いの桜花の迫力を目の前にしても、神を名乗った男は柔らかい笑みを崩さない。

「願いだと? それはなんだ、早く言え!」

「実は、守護者を探しているんです。私ではなくて、私の友人がね。それに協力してくれるのなら」

 男は碧色の瞳を細めた。強く吹き荒れる風に、金色の真っ直ぐな髪が肩の上で激しく揺れる。

「あなたの望みは、叶うでしょう」

「いいだろう、お前の願いを受け入れよう。ただし、本当に私の望みが叶うのならな」

「もちろんですよ。ただし、その魂が混ざるのは、妖魔ではなく人間の魂になりますが」

 桜花のきりりとした眉尻がぴくりと動いた。

「人間だと? それではすぐに肉体が滅びてしまうではないか!」

「 そうですね。でも人間の魂には、輪廻転生というシステムがあるんですよ」

「それは知っているが……」

「その魂が、永遠にある一族に生まれ変わるようにしますから、心配ご無用です」

 永遠に、ある一族に? どういうことだ?

「私が守護するのは、お前の友人ではなくてその一族なのか」

「正しくは、そのどちらも、です」

 男はにこりと笑った。

「詳しい話をする前に、その魂は保護しないともう持ちませんね」

 男は言い桜花に向かって手を伸ばした。

「なにを……」

 訝しむ桜花の腕の中が、虹色に光り輝く。見れば、先程まで弱々しかった炎の勢いが戻っているではないか。

 桜花は瞳を潤ませ、深いため息を吐いた。

「これで信じてもらえましたか? 私の名はカイル。こう見えて、最古の神の一人なんですよ。まあ

それはともかく、急ぎましょう」

 カイルと名乗った神は、すっと手を差し出した。桜花は迷わずその手を取る。

 迷う道など残されていない。狂う運命に従い、進む他ないのだ。

 

 五つある妖魔の王族の一つ、緑王。その桜家唯一の跡取りである桜花は、あの日決めたのだ。

 約束の時が来るまで、カクノヒメと呼ばれる娘を守護することを。

 龍の瞳と呼ばれる宝珠には、核と殻がある。中央にある核が悪しき気を取り込み、外側の殻が善の気に変える。

 長い時の間、龍神の作った宝珠は人々の為に使われた。だが、それは永遠には続かなかったのである。

 龍神に仕えていた巫女は、壊れることもやむ無しと考えていた龍神に一つの提案をした。

 それが、カクノヒメが誕生したいきさつだ。

 その役目が代々女児に受け継がれてきたのは、そもそも龍神と龍の瞳の契約を交わした人間が巫女だったからだ。

 子孫に龍の瞳が受け継がれていくたびに、壊れかけた宝珠は完成体に近づいていく。

 ある娘は、自分が最後の番ではないことを喜び。

 ある娘は、龍神と契約を交わした先祖を呪い。

 ある娘は、子孫に役目を引き継いでしまった己を責めた。

 彼女達の様々な感情を、守護を引き受けた桜花はずっと間近で見てきた。

 最後のカクノヒメとなるユイ。彼女は、あと数日で龍の瞳の完成体になる。

 龍神から桜花に示された契約期間は、龍の瞳が完成するまで。もうじき終了する。

 終わるのは、カクノヒメの守護役だけではない。

 桜花が龍神に望んだ、消えかかった想い人の魂を人間の魂に混ぜることもまた、終わるのだ。

 魂の融合先に選ばれるのは、カクノヒメ一族の男児の魂だ。今はユイの弟、ユウが融合している。

 人間の肉体には、寿命がある。ユウとて例外ではない。

 桜花は考える。

 龍の瞳が完全体となった後、ユウと想い人の混ざり合った魂は、いったいどうなるのだろうか。

 契約を交わした当の龍神は、もう既にいない。訊ねる相手がいなければ、どれほど気に病んでも事実を知る術はなかった。

『おれのじゃなくて、おれと融合してる誰かの傍にいたいんだろ?』

 つい先程、ユウに言われた台詞が桜花の脳裏に蘇る。桜花はあの瞬間とき、自身の心が揺らいだのをはっきりと感じていた。

「桜花姉様?」

 不意に名を呼ばれ、桜花ははっとした。

 目線を上げると、その先には仕事を依頼した芳葛ほうかに瓜二つの少女が立っている。芳葛の双子の妹、翠葛すいかだ。

「あぁ、すまない。芳葛に頼んでいた品を受け取りに来たんだが、できているか?」

 桜花は微笑を浮かべ、すいかと呼んだ娘に訊ねた。翠葛は、にこりと微笑んで頷いた。

「はい、こちらに……桜花姉様、あまり浮かない表情かおをされていましたけれど、なにか気がかりなことでも?」

 少々粗野な兄と違い、翠葛はそこはかとなく上品さが漂う少女だ。

 二人は緑王の王家の一つ、葛家かずらけの子である。

「いや、大丈夫だ。それより、仕事を急かして悪かったな」

 桜花は翠葛から紙包みを受け取った。

「いいえ、それはお気になさらず……桜花姉様から頂いた素材で、お兄様が夢中になって遊んでいるのが私も嬉しいので」

 そう言うと、翠葛はふと額を曇らせた。

「桜花姉様は、もう里には戻らないのですか? このようなこと、私のような若輩者が聞くべきことではないと、わかってはいるのですが……桜家の跡を継ぐことができるのは、桜花姉様一人しかいませんし」

 翠葛の言葉に、桜花は苦笑する。

 翠葛は数人いる王族の子ども達の中で最年少だ。だが、我が道を行くタイプの多いその中で、翠葛は周りに気配りができる貴重な存在であった。

「まったく、耳が痛い話題だな……定例会議でここに戻るたびに、父上から翠葛と同じ問を向けられているよ」

 はぁ、と桜花はため息を吐いた。

「もうすぐ、その答えを出すつもりだ。あ、今私が言った事は、みなには内緒だぞ」

「はい、わかりました。今のお返事を聞いて安心しました。もし桜花姉様が緑王ここからいなくなってしまったら、我が一族のバランスが崩れてしまいますもの」

 翠葛は柔らかい笑みを浮かべる。

「そうだな……まったく窮屈だ、王族というのは」

 桜花は低い声音で呟く。

 その脳裏に、魔族ではあるものの同じ王族という立場であるリッシュの姿が浮かんで消えた。

「品物、確かに受け取った。ありがとうな翠葛、芳葛にもよろしく伝えておいてくれ」

 そう言うと、桜花はくるりと翠葛に背を向け姿を消した。

 翠葛は桜花の姿が見えなくなってからも、しばらくの間じっとその場に立ち尽くしていた。

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