第11話 殻

「リィ、もういなくなった?」

 ユイとリッシュの二人の会話が終わった頃を見計らって、土竜のアヤカシ、ミミがむくりと布団から起き上がった。

「ん? もしかして、私達が話をしていた時、起きていたのか?」

 ユイが掃除を始めようと窓を開けながら問う。

 朝の匂いがそこはかとなく漂う空気が、開け放たれた窓からゆるやかに入り込んできた。

「まあな、おいらは空気の読めるアヤカシだから」

 ふふん、とミミは得意げに笑って鼻の下を擦った。

「余計な気遣いなどいらん」

 ピシャリと言い、ユイは頭に三角巾を巻く。

「ユイ、少しはリィの気持ちを汲んでやって」

 はぁとため息を吐きながら、ミミは自分が横になっていた布団を畳み始める。

「あいつの気持ち?」

 パタパタとはたきをかけながら、ユイが問う。

「ユイ、リィにプロポーズされただろ? 嫁にならないかってさ」

 不意にホコリを吸い込み、ケホケホと咳をしながらミミが言った。

「プロポーズ? あぁ、あの零点をやった台詞のことか」

「一応、覚えてはいたんだ……本気で受け取ってないみたいだけど」

 ミミは部屋の片隅から箒を持ち出す。

「本気もなにも、あの男の目的は私を落とすことだろう?」

「……まあ、そりゃそうだけどさ……リィにもユイにも、感情ってもんがあるじゃん」

 ザッザッと箒で畳をはきながら、ミミは言った。

 ふと手を止め、ユイは虚空を見つめた。

「今更、感情など……もうすぐ、私は体を失うというのに」

 一瞬、その場の空気がしんと静まり返る。

「そうかもしれないけどさ、生きてる以上、それを無視するのは体に毒だ」

 ミミが静かな声音で、呟くように言った。

「……無視はしていないさ……ただ、あの時のあいつの台詞は、私には響かなかった。それだけだ」

 ユイははたきを置き、雑巾がけに使う雑巾を取りに台所に向かう。

「間に合うのかねぇ、リィは……」

 集めた埃をちりとりに集めながら、ミミはひっそりと呟いたのだった。


「あいつの弟が来るかもしれない?」

 ユウと桜花が買い物から帰宅し、四人で朝食をとりながら、ユイはリッシュとの会話の内容を話した。

 満面に渋いものを浮かべたのは、ユウだ。

「ほんとにアイツ、ろくでもねぇな。おれたちには、なんにも関係ないじゃん、誰が王になるとかさ」

「うん、そうだよな……巻き込んでしまってすまない、ユウ」

 ぶつくさとこぼすユウに、ユイは謝った。

「そ、それは姉ちゃんのせいじゃないだろ」

「いや、これは私の決断が招いた事だ。私の責任だ」

 気まずそうに言うユウに、ユイはきっぱりと言った。

「王位が欲しいというのなら、間違いなく奴らは手を出して来るだろう。私達の行動や会話も、既に漏れているかもしれない。この家の周りには特に強固な結界を張っているから大丈夫だと思うが、外ではこうはいかない」

 凛とした静かな声音で、妖魔“緑王”の桜花は言った。

「桜花なら、高位の魔族を相手にしてもなんとかできるだろうけどなあ」

 その力のほどを知る、ミミがため息混じりに言った。

「まあ、私は魔族とアヤカシの中間に位置する存在だからな……ミミ、念のために言っておくが、お前には奴らの対処は無理だぞ」

 桜花は微妙な表情を浮かべるミミに向かって言った。

「うん、それはわかってる……桜花がいる時に、向こうが一人で来てくれたら安心なんだけどな」

 はは、と力なくミミは笑った。

「だけど、そんな都合よくいかないよな……桜花の存在だって、向こうにバレてるかもしれないし」

「それに、奴らは魔族だから見知らぬ人間の精神を乗っ取ることもあるかもしれない……色々と厄介だぞ。様々な手を考えておかなくてはならないからな」

「あぁ、めんどくさい……」

 桜花の言葉にがっくりとユウがうなだれた。

「なにが来ようと、ユウは私が守るから大丈夫だ。問題なのは、ユイだ。あの男が役に立たないなら、ユイは自力でなんとかしなければならないからな」

 桜花はユイの瞳をジッと見つめながら言った。

「いや、防御はするってリィ言ってたぞ……」

 ミミは何気なくリッシュをフォローするが、それに気がつく者はない。

「それなんだが、龍の瞳の“殻”の部分を、利用できないかと考えているんだ」

 ユイも桜花の瞳を見つめながら言った。

「殻って、浄化作用のフィルターの事だよね?」

 ミミが首を傾げる。

「そうだ。私が核の善エネルギーを開放しても、高位の魔族は彼らの持つ陰の力で、それを中和できてしまうらしい。ならば、逆に向こうが善のエネルギーを放出するよう仕向ければいい」

 ユイの言葉に、ミミとユウが目を丸くした。

「魔族が善エネルギーを出すようにするって……いったい、どうやって?」

 ユウが首を傾げる。

「私の殻を使ってだ」

 ユイはユウに短く答えた。

「ふぅん、なるほど……それは面白そうだ」

 にやりと桜花は笑った。

「頼めるか、桜花?」

 ユイが桜花に訊ねる。

「こちらにそういうのが好きな子達がいるから、彼らに頼んでみてもいいが……一つ条件がある」

 桜花はユイの問に答えた。

「条件?」

「殻の情報や成分を解析・抽出する代わりに、それらを永久にこちらでも使えるよう、許可をもらいたい」

 桜花の出した条件に、ユイはしばし黙り込んだ。

「私の殻は、悪しき気を善の気に変えるものだ……それを悪用しないと約束してもらえるなら、そちらで使ってもらっても構わない」

「わかった、いいだろう。殻を預かる」

 ユイの許可を得た桜花は、ユイに向かって頷いて見せた。

「ねぇ、ところで龍の瞳の殻って、具体的に何?」

 ミミが恐る恐る聞いた。

「私の表面を覆うものだ。皮膚、爪、髪の毛」

 ユイは説明しながら、小刀を取り出す。そして腰あたりまで伸ばした真っ直ぐで黒い髪を、肩の上あたりで切った。

「これで足りるだろうか?」

 ユイは髪の毛の束を桜花に渡す。

「これだけあれば充分だろう。早い方がいいから、私は今から向こうに行ってくる」

 桜花はそう言うと、サッと姿を消した。

「桜花ってほんとに頼りになるよなあ……桜花が味方で良かったよ」

 ミミはホッと安堵のため息を吐いたのだった。


 一人の若い男が、裏庭に面した窓ガラス越しにユイ達の様子を覗き見ていた。

 男は町人と同じような服を身につけており、髪と目の色はこの島の民と同じものだ。

「いやあ、これはこれは……やることが早くて関心だねぇ」

 突如背後から聞こえてきた声に、男はビクリと体を震わせた。

 男はぎこちない動作で声の主を振り返る。

 その顔は青ざめ、額には冷たい汗が浮かんでいた。

「あ、リッ」

「シッ」

 名を口にしようとした男に、リッシュは口元に人差し指を当てて見せた。

 男は壁に背を預け、ずるずるとその場に座り込む。

「もう偵察を寄越してくるとはね……まあ、大方あの女性から焚き付けられたのだろうけど」

 男に近づき、リッシュは身を屈めた。

「な、なんで……」

 男は掠れた声で目の前のリッシュに問う。

「なぜ、私が君の存在に気づいたのかって?」

 リッシュは、にっこりと人懐っこい笑顔を浮かべて見せた。

「その答えはね、トラップだよ」

「トラップ?」

 男は呟き、地面をちらりと見やる。だがそこになにか仕掛けがあるとは、男にはわからなかった。

「いくら気配を消したところで、君が魔族であるのは変えようがないだろう? まあ、そんなことよりもね、私は感謝しているんだよ。私の弟の為に、働いてくれている君に」

 リッシュは言い、笑みを浮かべたまま男の瞳をずいっと覗き込んだ。

「君の顔、よぉく覚えておくよ」

「そ、それは……どういう意味ですか」

 王位継承権を持つリッシュは、同族に危害を与えることができない。男もそれを知っていた。

 だが、身に危険が及んでいるかのような緊張感が男の全身に広がっている。

「戻ったら、ゼダに伝えるといい。私は、本気で王位を継ぐつもりだとね。さっきの言葉の意味、これでわかったかな?」

 言われ、男は一瞬で理解した。そして一気に迷いが胸の内に広がっていく。

「おっと、姿を消す前に私の気配を消しておかないとね……私と話をしたことがゼダにバレたら、君の身が危うい」

 リッシュは言い、サッサと男の肩の辺りを手で払った。

「は、では、失礼致します」

 男は頭を垂れながら言うと、すぐに姿を消した。

「さて……桜の姫が戻るまで、私がなんとかしないとね……」

 呟き、リッシュは神妙な面持ちで考え込んだのだった。

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