第10話 新しい一手
「どうやらいつもよりやる気になってるみたいよ、あの子」
甘く気だるい声で、魔族の女ルイザが言う。
ルイザは現后の姉の娘だ。王家の血が流れる家柄とあって、それなりの館に住んでいる。
ルイザは人気を払った自室で、波打つ美しい黒髪をかきあげた。
それは室内にいる男、ゼダに向けたアピールだ。
二人の外見は、生来のものだった。
その頭には左右にはねじれた角が生え、瞳孔は紅、角膜は金色、結膜は闇を表わすかのような黒だ。
「兄上が、課題をやる気になっているだと?」
ルイザが言ったのは、王位継承権の譲渡のかかった兄リッシュの課題の事だとゼダはすぐに気がついた。
「まさか、なぜ今さら……」
金色に輝く豪奢な椅子に、ゆったりと腰掛けたゼダは額を曇らせた。
その脳裏には、弱々しく笑う兄の姿が浮かんでいる。
「さあ、なぜかしら? というか、あなたあの子をマークすらしていないのね」
ゼダの背後からその肩に腕を回し、ルイザは耳元で囁いた。
「ちょっと甘く見ていると、足元を掬われるかもしれないわよ」
ルイザは言い、にやりと口元を歪めた。
「……なにが起きている?」
低い声音でゼダが問う。
「教えて欲しい? 言っておくけど、私は王の妻になれるなら、どちらでもいいのよ……あなたでも、あの子でも……どちらでもね」
ふっとゼダから体を離し、ルイザは言った。
焦燥感を煽るようなルイザの言葉に、ゼダは苛っとしたような表情になる。
言葉には出さなかったが、どちらでもいいのはゼダも同じだった。
妻とする女は、ルイザでなくても良いのだ。
「いや、やはり自分の目で確認したほうが確実だ。兄上がターゲットの傍にいるのなら、バレないように細工しなければならないが、そんなのはお手のものだ」
くく、と可笑しそうにゼダは笑う。
「もし本当に兄上が本気になったというのなら、私も本気で止めに行くさ。駒は、既に考えてある」
「ふぅん、抜け目ないのね……」
ルイザは今回の課題の結果がどうであれ、次期王の妻の座につくつもりだ。それ故、今回あえて危険を犯す理由はなかった。
「当たり前だ。私は、王の次男だぞ。次男には、長男にはない野望があるんだ」
生まれてすぐに、王位継承権を与えられたリッシュ。
その弟として生まれたゼダには、始めから兄のサポートをすることが義務付けられている。
「なにがサポートだ……あんなやる気のない、弱腰の兄上の補佐など誰がするものか……」
ゼダは誰に言うでもなく呟いた。
「兄上より、私のほうが王にふさわしい」
ガタン、とゼダが腰掛けていた椅子が音を立てた。
ベッドに腰掛けたルイザが視線を向けると、そこには既にゼダの姿はなかった。
「行動が早いわねぇ……心臓が小さいったらありゃしないわ……やっぱり、リッシュの方が王の器なのかもねぇ……」
ルイザは満面に笑みを浮かべながら、サイドテーブルのグラスに朱色の酒を注ぎ、一気に飲み干す。
その笑顔は、勝利を勝ち取る自信に満ち溢れたものだった。
翌朝、ユウと桜花が買い物に出ている隙を見計らって、リッシュはユイの元に姿を見せた。
ユイは床の布団をあげ終え、掃除をしようとしているところだった。ミミは隅っこの、日が当たらないところでまだ眠っている。
「これ、ユイさんにプレゼントです」
朝の挨拶を済ませ、にっこりと笑ってリッシュが差し出したのは、真っ白な巻き貝だった。
丁度手のひらに乗るくらいのサイズのものだ。
「どうしたんだ、これ?」
それを両手でそっと受け取って、ユイは訊ねた。
「昨日の夜、海で拾ってきました。この町を通り過ぎて、峠を一つ越えれば海に着きますよ。峠からも、海が見渡せます」
ユイはリッシュから受け取った貝殻をしげしげと見つめた後、リッシュの顔を見上げた。
「ありがとう、大事にする」
「はい」
リッシュは、はにかんだような笑顔を浮かべた。
「……しかし特になにもないのに物をもらうのは、なんだか気が引けるな……私からもなにか渡したいが……魔族というのは、何をもらったら喜ぶんだ?」
「そうですね……」
ユイからの問いに、ふむ、とリッシュは顎に手を当てて考えこんだ。
「他の魔族ならば、魂や気力、生力といったところなのでしょうが……私には必要ないですし……ユイさんが私の為に選んでくれるものなら、なんでも喜びますよ」
「なんでも?」
にこにこと笑って答えるリッシュに、ユイは少し困ったような表情を浮かべた。
「なんでもと言うが、お前は魔族だから人の食べ物は不要だろうし、かといって装飾品もな……うーん、意外と難しいな」
ユイの言う装飾品とは、ユイの故郷で採掘・細工された石のアクセサリーのことだ。
「ユイさんが作ったアクセサリーなら、喜んで身につけますよ」
にこにこと笑って、リッシュは言う。
「それだと私がいなくなった後でも、壊れない限り形として残ってしまうだろう? 終わった課題のターゲットを思い出すような品など、必要ないだろうに」
淡々とした口調でユイは語った。
「なんか、寂しくなる物言いですね……」
リッシュは少し泣きそうな表情になっていた。
「そうか? まあ、なにか形の残らないものを考えるよ」
「はい……あ、そうだ、考えると言えばユイさん達にお願いがあるんです」
少し言いにくそうに、リッシュは言った。
「お願い?」
「お願いというか……その原因が私にあるので、大変申し訳ないことなんですが……私の、弟の事です」
「弟……あぁ、今回の課題に失敗したら、王位継承権が移るっていうあの話か」
リッシュに言われ、ユイは思い出した。
「おそらく、弟は私の邪魔をしてくると思います。弟は、王位という立場に取り憑かれていますので……ですが、私は弟の手の者とは戦えないんです。そういう決まりがあって」
「確かに、次期王となる者が揉め事を起こすのは、望ましくないだろうな」
ふむ、とユイは顎に手を当て考えこんだ。
「しかし、下位の魔族ならばユウやミミでも蹴散らせるだろうが……高位の者となると、対処できるのは桜花くらいだろう」
「そうですね、私も防御はできますが……こう、なにかもう一つ、別の手を考えなければと」
「別の手か……できれば、私が使えるようななにかがあれば……」
考え、ユイはハッとした。
「そういえばお前は以前、私の核から放ったエネルギーを浴びてもなんともなかったな? あれは善のエネルギーの塊だから、陰の存在である魔族のお前はさぞ傷むだろうと思ったが」
「あぁ、あれは何もしなければ相当なダメージを受けますよ」
「ん? あの時なにかしていたのか?」
ユイは眉根を寄せてリッシュを見た。
「はい、魔力……つまり、陰の気を放出して善の気を打ち消していたんですよ。あの白い光のせいで、よく見えなかったかもしれませんが」
「なるほどな……そのあたりに、なにかヒントがあるかもしれない。少し、桜花と相談してみる」
「本当にすみません」
苦しそうな表情を浮かべるリッシュに、ユイは笑ってみせた。
「気にするな。お前の最後のターゲットになると決めたのは私だ。役目を引き受けた以上は、ちゃんと責任を持つさ」
「はい……ありがとうございます」
力強い口調のユイの言葉に、リッシュはホッとしたように微笑んだのだった。
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