第8話 外すよりも残すことを
ユイの体調が戻るのを待って、一行は海を目指して町を出た。
「次の町を過ぎれば、海に着くなあ」
先頭のユウ、ユイ、桜花の三歩後ろを、土竜のアヤカシ、ミミが歩く。
「皆さんは、海を目指しているんですか?」
その隣を歩く魔族の青年、リッシュがミミに訊ねた。
「あぁ、一度も見たことのない海ってのを、見てみたいって、ユイがさ。おいらも、山しか知らないから楽しみにしてるんだ」
「ユイさん達が生まれ育ったのは、山間の里ですものね」
「あれ、よく知ってるね?」
ミミが不思議そうな表情でリッシュを見た。
「はい、使いからの報告書に記載されていましたから」
そんなミミに、リッシュは微笑みかける。
「あぁ、なるほどねぇ。じゃあさ、ユイ達の仕事のことも知ってる?」
「仕事ですか? いえ、それは知らないです」
「そっか、じゃあ教えてやる。ユイの家は、鉱石を山から削り出して、それを装飾品に加工したり、そのまま売ったりしてるんだ。掘るのは男の仕事、加工は女の仕事だ」
「ほう……では、ユウさんが持っているあの仕込杖の水晶も」
リッシュは、ユウが腰から下げている杖の柄に目をやった。そこには、直径十センチほどの透明な水晶がある。
「そうだよ。鉱物はお守りとしても人気があるから、素材の買付にくる馴染みの商人がいるんだ。その商人から海の絵を見せてもらったのが、今回の旅のきっかけなんだよ」
ミミは、じっとリッシュを見つめた。
「なあ、ところでさ、実際のところどうなの? 石って、魔を祓う効果とかあるの?」
「まあ、全てがそうとは言わないですが、だいたい石自体に効果はありませんね。美しい装飾品を身につけたりすることで、その人の気が上がる、つまり魔が寄りつきにくくなるというのはあると思いますが」
リッシュの答えに、ミミはふんふんと頷いた。
「それと、鉱石は自然エネルギーの結晶ですから、それを活かせば精霊魔法の効果は上がりますよ。ユウさんは土の精霊を使役するようですから、あの仕込杖は彼に最適な武器だと思います。力の弱い私の同族なら、イチコロでしょうね」
「ううむ、さすが本家本元の言葉は説得力あるな」
「まあ、力の強い人には、通用しないと思いますけどね」
にっこりと笑って、リッシュは言った。
「だろうね。おいらだって、リィみたいな高位の魔族なんか相手にしたくないもん」
ミミはげんなりとした表情を浮かべる。
「まあ高位の魔族は、人間から気を奪わなくても生きていけますからね。そういった方々が人間に近づくのは、たいてい退屈しのぎの遊び目的です。あ、私の場合は違いますよ!」
リッシュは慌てた様子でミミに言った。
「うん、リィが遊びでユイをターゲットにしたんじゃないってのは、わかってる。あと、気になってたんだけど『落とす』ってのは、具体的にどういうことなの?」
ミミはかねてから思っていた、もう一つの疑問をリッシュにぶつけた。
「我々魔族の言う落とすとは、対象相手を“気が落ちる”、“恋に落ちる”、”闇に落ちる”、などの状態に陥らせることです」
「ふぅん……まあ、恋に落ちるってのは、わかりやすいな」
「例えば、病にかかる、大切な財産を失う、信じていた人に裏切られるといった体験をすると、たいていの人は心を病みます。その落ちた気を、奪うんです」
「……最悪じゃん」
ミミがジトッとした視線をリッシュに向ける。
「……すみません」
リッシュは真顔でミミに謝った。
「しかし、今まで七百七十六回も失敗してきたのは、なんでなの? リィは顔も性格も悪くないから、相手から惚れさせるなんてのは、お手のものだったろ?」
ミミの言葉に、リッシュはうっと言葉に詰まった。
「そ、それがですね……なんだか、申し訳ない気持ちで一杯になってしまって」
「はあ?」
「恋愛だけじゃなくて、儲け話や不慮の事故もそうなんですが、見ていられなくなってしまうんですよ。騙されちゃいけません、って、つい言ってしまうんです」
ミミは見ず知らずのリッシュの教育係に対し、激しく同情した。
「おい、今回は大丈夫なのか? ていうか、今のところリィの方がユイに落とされてるよな」
グサリとリッシュの胸にミミの言葉が刺さる。
「そうなんですよ」
はあ、とリッシュは重いため息を吐いた。
「まだ大して関わってもないのに、なんでユイに惚れるかねぇ?」
ミミは首を傾げる。
「ユイさんが、とても強くて美しいからです」
きっぱりとリッシュは言った。
「えぇ? 確かにユイは頑固で、まあ面はかわいいと思うけどさ、気の強いベッピンさんなんて、そこら中にわんさかいるだろ?」
「私が言っているのは、ユイさんの魂のことですよ」
ミミの言葉にリッシュは苦笑する。
「ユイさんの魂は、強くて優しくて、なにより美しいんです」
リッシュはユイの細い後ろ姿を見つめ、頬を緩めた。
「あぁ、もうこりゃ、そうとう重症だな!」
ミミは天を仰いで、そう叫んだのだった。
いくつもの露店が並ぶ市に、ユウは生まれ故郷の里から持ち出した商品を並べた。
市の責任者と交渉し、場の代金を払って出店するのがこの市の決まりだ。
ユイ達が旅を続けるには路銀が必要だった。食材の調達だけではなく、短期間だが雨露を凌げる場所も確保しなければならない。
ユウは目的地直前のこの町に至る前にも、何度か露店で品物を売りさばいていた。
ユウが売る鉱物は、この町の市ではあまり並ばない品物だ。加工品のブレスレットやリング、お守り等は特に人目を引いていた。
「ほう、これは綺麗だ」
金髪碧眼の男が、ユウの露店の店先で感嘆の声をあげた。
黒髪、黒い瞳がこの島国の民の特徴で、男は一目で外国の民だとわかる。それに、身長も多くの島民より随分と高く、骨格もしっかりしていた。
「それは、虹水晶と呼ばれてる水晶だ。天然の亀裂に光が当たって、まるで虹がかかったように見える水晶なんだよ」
男が興味深そうに見ているブレスレットについて、ユウは説明した。
「珍しい石で、あまり量が採れないから値が張るけど、綺麗だろ? どう、お客さん?」
ユウはにっこりと男に笑いかけた。
「うん、いいね。これをもらおうかな。いつか、誰かにこれをプレゼントするとしよう」
男は穏やかな笑顔を浮かべて、ユウに代金を支払う。
「いつか、なんだ?」
そこに引っかかりを感じて、ユウは男に品物を渡しながら訊ねた。
「あぁ、私はまだ、人生の伴侶に巡り会えていなくてね」
「へぇ、そうなんだ……早く、会えるといいね」
「ありがとう。時間は余るほどあるから、焦ってはいないんだけれどね。じゃあ、また後で」
また後で?
「毎度どうも……」
くるりと踵を返す男の後ろ姿に声をかけながら、ユウは内心首を傾げていたのだった。
ユウが抱いた疑問は、その日の夜に解決する。
トントン、と借りた家の戸が叩かれ、ユウが戸を開くとそこには金髪碧眼の男が立っていた。
「あれ? あんた、昼間にうちの虹水晶のブレスレットを買ってくれた人だよね?」
「そうだよ。覚えてくれたんだね、嬉しいよ」
男は、にこにこと笑顔を浮かべた。
「どうしてここに?」
怪訝そうな表情でユウが男を見上げていると、男の後ろからリッシュがそっと姿を見せた。
「お前っ!」
途端に、ユウの表情が厳しいものに変わる。
「やれやれ、リィはこの子に随分と嫌われているんだね」
少し背を丸めて隣に立つリッシュに、男は笑って言った。
「うん、そうなんだよカイル……正直、私は少し困っているんだ」
「あんた……こいつの知り合いなのか……魔族か?」
低く唸るようにユウは呟き、カイルの碧眼を睨みつけた。
「あぁ、私は彼の友人だよ。けれど、彼と同じ魔族じゃない。私は神だよ」
「神?」
言われ、ユウの表情が少しだけ柔らかいものになる。
弱冠十六歳ながら、これまで邪鬼の類との戦いを何度も経験してきたユウは、それらの気配に敏感だ。
「確かに、あんたからは何も感じないけど……」
「まあ、疑うのも無理はないよ。私の身分を証明するものなど、何一つ存在しないからね」
「ユイさんから呪いを外すことができないか、彼に相談したんです」
リッシュは、意を決したようにユウに向かって言った。
「そうしたら、直接会ってみないとわからないと言われて……ユウさん、お願いです。彼をユイさんに会わせてください」
リッシュはユウに向かって頭を下げた。
「……わかった……入れよ」
ユウは低い声音で呟いた。
「あっ、リィ」
リッシュの姿を見つけたミミが声をあげた。
「こんばんわ、ミミさん」
ミミに挨拶したリッシュの視線が、自然とユイの姿をとらえる。
ユイは、窓からぼんやりと夜空を眺めていた。
「ユイ、お客さんだぞ」
その隣に座る桜花が、ユイに声を掛けた。
「客?」
振り返るユイの瞳には、真剣な眼差しのリッシュがいた。
「この間言っていた、お前の知り合いか?」
リッシュとカイルの二人に向き直りながら、ユイはリッシュに言った。
「初めまして、私の名はカイルといいます。自ら天上より降りて来た神です」
「神……」
ユイは呟き、じっとカイルの碧眼を見つめた。
そうしていると、不思議なほど落ち着くのをユイは感じていた。
「私の名はユイだ。カイルさん、せっかく来てもらったのに悪いが、私は自分の呪いを解きたいと思っていないんだ」
「……そうなんですか?」
カイルは、その碧眼を細めてユイを見た。
「どう、カイル? 彼女の呪い、外せる?」
リッシュは小声でカイルに訊ねる。
「リィ、残念だが、彼女の呪いは外せないよ」
カイルは穏やかな口調で、傍らのリッシュに言った。
「この呪いは複雑すぎる上に、もう殆ど完成に近い。契約した当人達は、二人共この世に存在していないし、どうしようもない」
「そんなっ」
カイルの淡々とした説明を聞き、青ざめたのはリッシュとユウの二人だった。
「やっぱりそうか……」
口の中で、ユウは呟いた。
「あと二週間くらいかな、彼女に残された時間は……リィ」
うなだれたリッシュに、カイルは言った。
「人間の命は、実に儚い。呪いがあってもなくても、いつどこでその命の灯火が消えるかわからない。大切なのは、残された時間を彼女がいかに生きるかだ。君が彼女を大切に思うのならば、全身全霊をかけて彼女の真の思いを叶えなさい」
「真の思い……」
リッシュは顔を上げて、カイルを見た。
「彼女の望みの根底にあるもの、それは生ける者全てへの愛だよ。それは、誰もが持っているものじゃない。持っていても、本人がそれに気がついていない場合もある。リィ、君のようにね」
カイルの言葉に、リッシュは押し黙った。
「同じものを持っている君なら、彼女の思いも理解できるはずだよ。ねぇ、ユイ」
にっこりと笑って、カイルはユイを見た。
「これは、リィの友人としての私からの頼みなんだけどね。彼の背中を、押してくれないかな」
「背中を?」
ユイは、カイルの言葉に微かに眉根を寄せた。
「彼は、現在の魔族のしきたりを変えなきゃならない。今が、その最後のチャンスなんだ」
「……こいつにその気があるのなら……己れの全てをかけて、民の為に生きる覚悟があるというのなら、私は協力しようと思っている」
「そうかい、ありがとう。良かったね、リィ」
カイルは満面に笑みを浮かべて、リッシュを見た。
「良くないですよ……これじゃあ、ユイさんは救われないじゃないですか!」
リッシュは真剣な面持ちで叫んだ。
「救い? リィ、それを言うのなら、私の意志をお前が継ぐことが私にとっての救いになる」
ユイは、微かに笑ってリッシュを見つめた。
「私がこの国の人々を思うように、お前がお前の国の民を思い行動すること、それが私にとっての救いだ」
「ユイさん……」
リッシュは呆然とユイを見つめた。
「長く生きることだけが、救いなのではない。大切なのは、何の為に、どう生きるかだ。私は、自分のことを不幸だとは微塵も思わない」
「ユイは、本当に強くて美しい人だね、リィ。君が心を奪われるのも頷けるよ」
カイルは言い、ユイに微笑みかけた。
「君のような女性が、ずっとリィの傍にいてくれたらいいのにね……」
カイルの呟きに、リッシュの胸がサッと冷たくなった。
「リィ、君は強くならなきゃならない。いや、これからどんどん強くなれるよ。例えどんなに短い時間だったとしても、彼女と一緒にいたならばね」
それは、彼女に思いを寄せるリッシュには辛いことかもしれないが。
口には出さず、カイルは思う。
「わかりました。私は、覚悟を決めます」
リッシュは、言葉に力を込めてユイに言った。
「うん、わかった。頑張れ」
ユイは微かに瞳を細め、リッシュに頷いて見せたのだった。
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