第7話 魔族の未来

「おい、ジーク」

 ふと呼び止められ、銀髪の男が振り返る。

「これはゼダ様」

 ジークと呼ばれた男は、声をかけてきた男に対しうやうやしく頭を下げた。

 男は長身ですらりとした体型だ。短髪の黒髪に黒い瞳をしている。それは、人間世界用の仮の姿だった。

「兄上はどうしている?」

 見下すような視線をジークに送りながら、ゼダが問う。

「リッシュ様は、最後の課題に取り組まれている最中です」

 だが、ジークはゼダに対する不愉快さなど、微塵もおもてに出さない。

「そうか……で、どうなのだ? うまくいきそうなのか、今回?」

 いかにも、兄であるリッシュの成功を願っているようなゼダの言葉選びに、ジークは内心辟易していた。

「まだわかりませんが、うまくいくようリッシュ様を補佐するのが、私の役目です」

「そうだよな……お前は、もうずいぶんと長いこと兄上を支え続けて、兄上はことごとく失敗している」

 にぃ、とゼダの瞳が意地悪く歪んだ。

「優秀なお前が、ついていながらな」

「優秀などと……恐れ多いお言葉です」

 ジークはゼダの言葉に薄っすらと笑みを浮かべる。だが、そのブルーグレーの瞳の奥には、鋭く冷たい光が宿っていた。

「謙遜しなくても良い。お前の家系は、代々我が王家の教育係を務めている。しかも、兄上を溺愛してやまないあの両親が選んだのが、お前だ」

 ゼダはジークの肩に手を置き、その耳元に唇を寄せた。

「あと一回だ……あと一回、兄上が失敗すれば私が次期王となる」

「左様でございます。仮にそうなれば、私はゼダ様の教育係となるでしょう」

 ふっ、とゼダが満面に笑みを浮かべた。兄であるリッシュが今回の課題を成功させるなど、万に一つもない。そう思っているかのような笑みだった。

「そうなったら、お手柔らかに頼むよ」

 ゼダは不敵な笑みを浮かべ、ジークに背を向ける。その背に深々と頭を下げながら、ジークは内心穏やかではなかった。

「やれやれ、よく我慢しているねぇ」

 物陰から姿を見せた女が、艶のある声でジークに話しかける。ジークと同じ銀色の髪、ブルーグレーの瞳だ。

「母上」

 ジークは微かに眉をひそめた。

「心配いらないよ、ちゃんと盗み見、盗み聞きされないようにしてあるから」

 ジークが母と呼んだ女は、外見からはジークとほぼ変わらない歳に見える。

「そうですか。ならば良いのですが」

 はあ、とため息を吐いてジークは額を人差し指で押さえた。

「ルイザ様との関係も、相変わらずお盛んなようだしね」

 母は肩をすくめて言い、嘲るように笑った。

 彼女は現在の王の教育係と秘書を務め、その役をジークの姉に引き継いでからは、隠密業に徹していた。

「婚姻の儀式まで貞操が求められているのは、あくまで継承権を持っている者側、ですからね。もし関係が露呈しても、ルイザ様が罪に問われることはない」

「そうそう。それをいいことに、あちらこちらでつまみ食いされているよ。あたしゃ魔族とはいえ、男にだらしない女は嫌いだね」

 きっぱりと言う母の言葉に、ジークはうっすらと微笑んだ。

「ルイザ様は、リッシュ様の母方の従姉妹……我が家の者は、誰一人仕えていません」

「きちんと教育もされていない娘が、王の妃にふさわしいわけがないよねぇ。色香と暴力ばかりは一級品で、品もないし。まったく、許嫁いいなずけを決める時期が生まれてすぐってのはやめたほうがいいんじゃないかと思うよ」

 母は真面目な表情かおで顎に手を当てた。

「それについては私も同意見ですが、王家の血をひいている以上、やはり最高権力者の伴侶という立場をどうしても手に入れたくなってしまうのでしょうね」

「ルイザ様とゼダ様は、お似合いだと思うよ。あのお二人は、狡猾さで見れば似た者同士だからね。まあ残虐さでみれば、ルイザ様の方に軍配が上がるけど」

「そうです。リッシュ様は幼い頃から、ルイザ様に色々な嫌がらせを受けてきました。もちろん、私の目の届かないところで、です。それを知りながら私がなにもしてこなかったのは、リッシュ様の精神こころが少しでも鍛えられたらと願っていたからなのですが」

 ジークはふと額を曇らせた。

「失敗でした。もし仮に今回の課題を達成し、リッシュ様が王位継承権を守ったとしても……ルイザ様が伴侶となられるのならば、それはリッシュ様にとって地獄の始まりです」

 はぁ、と母は渋面を作ってため息を吐いた。

「リッシュ様が、もうちょっとしっかりしてくれたらねぇ……今のまま一緒になられたら、間違いなくルイザ様の天下さ。まあ、もし仮に今回の課題に失敗したとしても、ルイザ様は色んな手を使ってゼダ様とくっつくだろう」

「……成功しても失敗しても、どちらにせよ、ゆくゆくはルイザ様が実権を握ることになる」

「そういうことだ! 嫌な役目だねぇ、王直属の特殊部隊ってのは……もしそうなったら、あたしゃ隠居するよ。とても精神きもちが持ちそうにないからね」

 長年現在の王に力を尽くしてきた母なら隠居も可能だろう。だが、まだ年若いジークや姉はそうはいかない。

「他者を見下すゼダ様に、王に必要な学をお教えするのは、仕事と割り切ればさほど苦ではありません。しかし、民の上に立つ者としての素質となると、話は別です」

「そこなんだよ、一番大事なのはさ。リッシュ様には、生まれついての人を魅了するお力がある。それに加えて、他人の心に寄り添おうとする心までお持ちだ。それは、教育で備わるものじゃない。もしリッシュ様の良さが発揮されれば、我々魔族の未来も明るく感じるんだけどねぇ」

「発揮されれば、ね」

 ジークの口の中の呟きは、誰の耳にも届かない。

「今の王陛下は、罪人を問答無用で裁かれるだろう? まあ、場合によっちゃあ、それが正しい時もある。だが、処刑じゃなくて処罰や更生で済む者まで処刑されている。せめて、その者の声を聞くことをなさってくだされば良いのに、一切なさらない。加えて傲慢で、誰からの言葉にも耳をお貸しにならない」

 その王の教育を担ったのは、他ならぬ母だ。

「生来持っているものが、いかに大事かという良い見本だ。これでリッシュ様が強靭な精神こころをお持ちであったら、なんの問題もない。あのルイザ様の事とて、王に就きさえすれば婚約破棄もできよう」

「そうですね」

 幼い頃から成長を見守り、教えを説いてきたリッシュには、誰より幸せになって欲しいとジークは心から願っている。そしてなにより、新王となって新しい魔族の時代を築いて欲しいのだ。

「どうすれば、リッシュ様はお強くなられるのかねぇ」

 母のこぼした嘆きともつかない呟きに、ジークは深く考えこんだ。

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