第5話 わからない

「これから買い物に行ってくるから、留守番を頼むな、ミミ。言っとくけど、万が一あいつが来たとしても、絶対に家の中に入れるなよ!」

 翌日の朝、ユウは玄関先から室内のミミに向かって叫んだ。

「はいはい、わかってるって……行ってらっしゃい」

 ミミは微かに頬を引きつらせ、笑顔でユウに手を振った。

「ほんとに大丈夫かねぇ、ユウは……おいら達がついてるからなって、昨日言ったけどさあ……あの様子じゃあ、ユイがいなくなったら精神病んじゃいそう……」

 はぁ、とため息を吐いてミミは言った。

「ユウには私がついているから大丈夫だ」

 突如聞こえてきた女の声に、ミミの体がビクリと震える。

「あ、おかえり、桜花……」

 声の主を振り返ると、そこには真っ直ぐな黒髪を肩のあたりで切り揃えた美しい女がいた。

 まるでユイを守るかのように、その傍らに座っている。

「向こうの用事、もう済んだの?」

 ふぁ、と欠伸をしながらミミは桜花に訊ねた。

「あぁ、大したことではなかったからな。単なる定例会議だ」

 凛とした声音で桜花は言い、その涼やかな瞳を眠っているユイに向けた。

「ミミ、お前はいつからあんなに上等な結界を張れるようになったんだ? お陰で、私はここに入るのに少し苦労をした……それに、なぜユイは力を放出したのだ?」

 矢継ぎ早に、桜花はミミに訊ねる。

「あー……えっと……それはだね……」

 何から話そうかとミミが考えていると、コンコンと窓ガラスを叩く音がする。

「あ、その原因が来た」

 窓ガラスの向こうには、にこにこと笑ったリッシュがいた。

「桜花、あいつを家に入れたこと、ユウにはナイショな? おいら、怒られちゃうからさ」

 言いながら、ミミは窓を開ける。

「ありがとうございます、ミミさん。ユウさんは今、お出かけ中ですよね?」

 その隙間から部屋に入り込み、リッシュはミミに頭を下げた。

「お前、ユウが出かけたのを確認してから来ただろ……桜花、ユイがこうなった原因が、こいつ。で、昨日の晩に上等な結界張ったのも、こいつ」

「ふぅん……魔王の跡継ぎか」

 微かに瞳を細め、桜花はリッシュを見た。

「あれ? 桜花はリィのこと知ってるの?」

 ミミが首を傾げる。

「私は緑王の桜家の跡取りだ。緑王は妖魔の王族だから、魔族の王家とも繋がりがあるのだ……とは言っても、会うのは久しぶりだがな」

 桜花の説明に、なるほどという表情になったのはリッシュだった。

「あぁ、桜の! どうりで、どこかで見たような気がしていました」

「お前のせいで、ユイはこうなったのか?」

 にこやかなリッシュに対し、桜花はそうではなかった。

「あ……はい……すみません……あの、なぜそんなに苛立っているんですか?」

 おずおずとリッシュは桜花に訊ねる。

「ユウが悲しむからだ!」

「あぁ……それは確かに……昨日、ユウさんから散々『帰れ』と言われました」

「当たり前だ。ユイの事になると、ユウは人が変わったようになる。それほどまでに、大事な存在なんだ。ユイは、ユウにとって……」

 はぁ、と桜花は深いため息を吐いた。

「まったくもって、妬ましい」

「……そうなんですか?」

 リッシュは桜花の言葉に首を傾げた。

「また、随分とユウさんを気に入っているんですね、桜の姫君は」

「リィ……桜花の場合は、気に入ってるってレベルじゃないから」

 ミミが苦笑しながら説明する。

「もう、命がけなわけよ。恋してるから」

「こ、恋ですか」

 リッシュはどきりとして、たじろいだ。

「まあ正確には、ユウにじゃなくてユウと融合してるもう一つの魂の方に、なんだけどな」

「融合……」

 ふむ、とリッシュは顎に手を当て考え込んだ。

「ちょっと特殊なケースなんですね」

「そうだ。ともかく、私がユイを守るために結界を張ったり、妙な者どもを蹴散らしたりしているのは、全てユウの為だ」

 桜花はニコリともせずに言う。

「なるほど……よくわかりました」

 リッシュは頷き、にっこりと笑った。

「で、リィは何しにきたわけ? 昨日の夜、三日後に来なよって言ったよね、おいら。まさか、もう忘れたの?」

 ミミが怪訝そうな表情でリッシュを見る。

「あ、今日はですね、ユイさんの寝顔を見に来たんです……昨晩、ちょっと嫌なことがありまして」

「嫌な事?」

「まあ、大したことではないのですが……こう、心がズタズタにされるというか……」

「ねぇ、それ、大したことだろ……」

 呆れたように、ミミが言った。

「しかしそれで何故、ユイの顔を見に行くになるんだか」

「ユイに惚れたのか?」

 桜花の指摘に、ミミの表情が強張った。

「いや、そんなまさか……ターゲットだから、ユイは……なあ、リィ? ……そうだよな?」

「……わかりません」

「おい! なんだよ、わからないって!」

「わかりませんが……ユイさんが、もし笑ったら……きっと、素敵なんだろうなと思ったら、居ても立っても居られなくなってしまって」

 リッシュの言葉を聞いたミミは、天を仰いだ。

「ユイには、時間がない」

 桜花がすっぱりとした口調で言った。

「龍の瞳の呪いに飲み込まれるまで、あと二十日あるかないかだぞ」

「はい、わかっています。今、なにか良い手段がないか模索している最中です」

「おい、リィ。お前、目的がズレてるぞ。ユイを落として、王位継承権を守るんだろ」

 ミミの言葉に、リッシュは黙りこんだ。

「えっ……やっぱり、やる気が出ないとか?」

「……色々とありまして……それについては、ユイさんと話をして、よく考えたいのです」

 呟くように言い、リッシュはユイの寝顔を見つめた。

 静かな寝息をたてるユイは、昨日より幾分顔色が良く見える。

 リッシュはホッとため息を吐いた。

「ユイさんが眠っている間に、彼女の呪いを外す方法を見つけ出します」

「う、うん……あればいいけどな……もしそんな方法があるなら、ユウだって喜ぶだろうし」

 ミミは少しだけ明るい表情を浮かべた。

「必ず見つけてこい」

 桜花はただ一言、リッシュに向かって言う。

「はい、頑張ります」

 表情を引き締め、リッシュは桜花に頷いて見せた。

「おい、その熱意、向ける方向を間違ってねぇか……」

 ミミがボソリと呟く。

「長居をしますとユウさんが戻って来そうなので、ここで失礼しますね。では、また」

 ミミにぺこりと頭を下げ、リッシュは姿を消した。

「ただいまぁ」

 そこへ、玄関先からユウの声が聞こえてくる。

「……間一髪、セーフだったあ……」

 ミミは、ほっと小さくため息を吐いた。

「おかえり、ユウ」

 桜花はにっこりと微笑んで、ユウを出迎える。

「あ、桜花、おかえり」

 ユウも、笑顔を浮かべて桜花を見た。

「あいつ、次はいつ来るんだろう……」

 ユイの寝顔に目をやりながら、ミミはユウに聞こえないようにそっと呟いたのだった。

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