第3話 引力

「いったいどうしたんだ、ユイは?」

 家で二人を待っていた小柄な娘が、サッと血相を変えた。

 少年ユウの肩にもたれかかり、ぐったりとした様子の娘、ユイを見たからだ。

「話は後だ、ミミ。奴らが来る」

 ユウの表情と声音は緊迫したものだった。

「わかった」

 ミミ、と呼ばれた少女は事情を察し、すぐにユイの体をユウから受け取る。

 小柄な体に似合わない力で、ミミはユイの体を抱きかかえて寝床に横たえた。

「すまない、ミミ……」

「大丈夫だ、おいらもユウもついてるからな、安心して寝ていろ」

 力なく呟くユイに、ミミは笑顔を浮かべて力強く頷いて見せた。

 やがてガタガタと大きな音をたてて、家の戸や窓ガラスが軋み始める。

 内側に溜め込んでいた悪しき気を全て放出したユイの内側の核が、今度はそれを吸収しようとしているのだ。

 つまり、今ユイに近づこうとしているのは邪気や悪鬼、魑魅魍魎の類いである。

 それらに対し、ユウは戸に、ミミは窓に向かって身構えた。

 ユウの手には、大きな水晶球が柄に埋め込まれた仕込杖がある。

 杖の先を地面に当て、ユウは思念を水晶球に送った。

 そうして地中の土の精霊に命を下すのだ。

「姉ちゃんに近寄る邪な気は、全て排除だ」

 ユウの命令を受けた土の精霊が、戸の向こうに漂う悪しき気を祓っていく。

 その様はまるで、濃い霧が地中に吸い込まれていくかのようだった。

 命を下した精霊が、それに従って働いているのを杖づてに確認し、ユウは呼吸を整える。

 そして、杖を握る手に力を込めた。

 ガラッと戸が開き、するりとなにかが入り込もうとする。

「させるか!」

 ユウは、抜き打ちで仕込み杖の剣を横薙ぎにした。

 まるで小さな哺乳類を数匹、切り裂いたような感覚を覚える。

 そのすぐ後ろには、複数の人影らしきものが集まっているのが見えた。

「幽体か、生きてる人間か……どっちだ?」

 ユウはチッと舌打ちした。

 本当は、そのどちらも斬りたくはない。

 だが、躊躇っている場合ではないのだ。気を抜けば、相手にユイを奪われてしまう。

 仮に生きている人間だったならば、的確に急所を狙い、気を失わせる。

 だが場合によっては、それでは済まない。

 ユウの背後では、窓ガラスの隙間から入り込んだ邪気を、ミミが鋭く長い爪で切り裂いていた。

 その爪は、人間のものではない。アヤカシの力の籠もった獣の爪だ。

「ユウ、数が多すぎて、全部は無理だ!」

 ミミが叫ぶ。

 もう既に、少しずつユイの体の内側に邪気が吸い込まれている。

 ユイの体内にある核が、自らそれを引き寄せているのだ。

「わかってる、できるだけでいい!」

 ユウは叫び、戸から侵入してこようとする人影を剣で薙ぎ払う。

 実体を持たないそれは、まるで塵のように霧散した。

 そうして幾つかの人影を無に返しながら、ユウは戸の向こうに目をやった。

「あれは、肉体持ちだ……」

 これは面倒になった、とユウは内心で舌を巻いた。

 町人の格好をした男や女が数人、戸に殺到する。

 ところが、戸に手を掛けたそれらの動きがピタリと止まった。

「なんだ?」

 剣を捨て、拳を繰り出そうと体制をとっていたユウは訝しんだ。

 しばらく動かなかった町人達は、やがて何かに操られるかのようにふらふらと戸から離れ、次第に遠ざかっていく。

「退いた……」

 ユウは、体中から力が抜けていくのを感じていた。

 足元に転がった剣を拾い、腰に提げた布で刃を拭ってから、元の仕込杖に戻す。

「なにが起きたのかわからないけど、助かったな」

 ミミはホッとした様子で、ユウの隣に立つ。

 窓ガラスからの邪気の侵入も、どうやら止んだようだ。

 ほっと胸をなでおろしている二人は、新たな気配に気がついた。

 開かれたままの戸の向こう側に、その気配の主である一人の男がふらりと現れる。 

「お前は、さっきの魔族!」

 男は、つい先程ユウが『二度と来るな』と言い放った相手だった。

 無言のまま立っている魔族の男は、両手に何かを握っている。

 その手がおもむろに開かれると、そこからボロボロと土埃のようなものがこぼれ落ちた。

「あ、あれ、さっきまでおいらが祓ってたやつだ」

 ミミがそれに気がついて、声をあげる。

「……おれに、恩でも売ったつもりかよ……」

 ユウが低い声音で呟いた。

 おそらく、先程の町人達が立ち去ったのも、この男の仕業なのだろう。

「恩? いいえ、私は自分のターゲットに手出しをされては困るので、退いてもらっただけですよ」

 警戒するユウに、男はにっこりと微笑んで見せた。

「それより、ユイさんは大丈夫ですか?」

「お前! なんで、姉ちゃんの名前、知ってるんだ!」

 ユイを心配する男を、ユウは睨みつける。

「あ、もしかして、さっきおいらが言ったからバレた?」

 ミミはそれを思い出し、ハッとした。

「はい、そうです。私はずっと彼女の名前を知りたかったので、助かりました。私の名はリッシュ。魔族です」

 にこやかに、男はミミに自己紹介をする。

「あっ、どうも初めまして、土竜のアヤカシのミミです……」

 つられて名乗るミミだったが、隣のユウから怒りのオーラを向けられてるのを感じ、気まずそうに下を向いた。

「ユウさん、あまりミミさんを責めないでください」

「黙れ! それに、おれの名を気安く呼ぶんじゃねぇよ!」

 ミミを気遣うリッシュに、ユウはいらっとして言った。

「あ、私の事は、リィと呼んでください」

 しかし、ユウの苛立ちなど微塵も気にせず、リッシュはにこにことミミに笑いかけた。

 あまりに対象的な二人を見て、ミミは思わず吹き出してしまう。

「笑うな、ミミ!」

「あぁ、ごめんごめん。なんだか二人は顔見知りみたいだけど、おいらはまったく話がみえないんだ。どっちか、おいらに説明してくれないかな?」

 顔を赤くして怒るユウに、ミミは笑顔を浮かべた。

「姉ちゃんが倒れて、邪気どもが押し寄せてきたのは、こいつのせいなんだ」

 仕方なく、ユウはミミに説明する。

「え、そうなの?」

「ご迷惑をおかけして、すみません……こんなことになるとは、まったく想像していませんでした」

 リッシュは、素直に頭を下げた。

「あ、いや、あいつらを追い払ってくれて、おいらは正直助かったけど……あんた、いったいなにやらかしたの? ユイがぶっ倒れたってことは、普段感情を押し殺してるユイが、感情的になったってことだろ?」

 ミミの問に、リッシュはため息を吐いた。

「そこなんですよ……あれからずっと考えていたのですが……なぜあの時、あんなにもユイさんが怒ったのか、その理由がどうしてもわからないのです」

「わかんねぇのかよ。だったら、さっさと帰れ!」

 ユウがぶっきらぼうに叫んだ。

「えぇっと……リィ、だっけ? あんた、ユイになにをしたの?」

 ユウでは埒が明かないと、ミミがリッシュに訊ねる。

「私は、ユイさんをターゲットにしたんです。正確には、私の教育係のジークがそう決めたのですが……でも、私はあまりやる気がなくて……そう言ったら、彼女は怒ってしまったんです」

「はあ? なんだそれ……そりゃ怒るだろ、ユイの性格なら」

 リッシュが口にした回答に、ミミは呆れたように言った。

「えっ、どうしてですか?」

「ユイをターゲットにする意味がないからだ。だいたい、最初っからやる気がないのに、なぜそれをしようとするんだ? 単純に、やらなきゃいいじゃないか」

 ミミのもっともな意見に、リッシュは一瞬口をつぐんだ。

「そ、それはその……一応やる気を見せておかないと、悪いかなって……ジークや両親に対して……」

「そこだよ。リィ自身に、本気で達成する気がないのが問題だ。意味のないことに付き合うなんて、ユイが一番嫌うことだ」

「ミミ、喋り過ぎだ」

 ユウはミミに釘を刺す。

「うん、でもさ、ちゃんと納得してもらわないと、こいつは引き下がりそうにないよ。それなのに、ユウはまったく会話する気なさそうだしさ。それだと、おいらが話すしかないじゃん」

 うっ、と今度はユウが口をつぐんだ。

「おいらが思うに、リィは一度ちゃんとユイに叱られた方がいい気がする」

「えっ……私、あまり叱られるのは好きではないのですが……」

 ミミのアドバイスに、リッシュは表情を曇らせた。

「好きじゃないってことは、今まで何度か叱られてきたんだろ? それでも今の状態なんだから、仕方がないな」

 ため息混じりに言うミミの言葉が、あまりに図星だったのでリッシュは何も言えなくなった。

「ユイが起き上がれるのは、三日後くらいかな……リィがユイと話をしたいのなら、その頃を見計らってまた来なよ」

「はい、そうします……」

「あ、それとさ、これはおいらの個人的なお願いなんだけど」

 ミミは、そっぽを向いている傍らのユウをちらりと見てから言った。

「さっきみたいにさ、ユイに群がってくる邪気を、祓ってくれないかな?」

「ミミ!?」

 ユウが、信じられない、と声をあげた。

「だってユイがああなっちまったら、あいつらが引き寄せられてくるのはわかってるだろ? とてもおいら達だけじゃ、祓いきれない」

「そ、そうだけど……」

「いいですよ。ついでなので、結界も敷いておきますね」

 嫌そうな表情を浮かべるユウとは対象的に、リッシュは嬉しそうな笑顔を浮かべる。

「おっ、気が利くねぇ、頼むよリィ。そうしてもらうと、おいら達も安心して休めるし。なあ、ユウ?」

 ミミがそれとなく促しても、ユウは口を真一文字に結んだままだ。

「元々、こうなったのは私が原因ですし……それに、ユイさんは私のターゲットですので、しっかりとお守りしますよ」

「おぉ、頼もしいねぇ! よろしく頼むよ、リィ!」

 ミミは、リッシュに笑顔を向けた。

「はい、お任せください!」

 ぱあっと表情を輝かせ、リッシュはすぐにその場から姿を消したのだった。

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