第2話 変更不可
「お呼びですか、リッシュ様」
低く落ち着いた声音と共に、銀髪の男がリッシュの目の前に現れた。
「あっ、ジーク! 実は、お前に頼みがあって呼んだんだよ」
リッシュ、と呼ばれた魔族の男はほっとしたような笑みを浮かべる。
反対に、リッシュの笑顔を見たジークは微かに銀色の眉根を寄せた。
「実は、私の七百七十七人目の標的の事なんだけどね。相手を変えたいんだ」
だが、リッシュはそんなジークの表情などお構いなしだ。
「それは、なぜでしょうか?」
ジークは、淡々とした口調でリッシュに問う。
「いや、昼間にね、本人から言われたんだ。相手を変えてもらいなさいって」
にこにこと笑いながら答えるリッシュに、ジークは明らかに不機嫌になった。
「リッシュ様……あなたはなぜ、対象者の言う事を、そのように素直に聞き入れるのですか」
「あっ、だって、あの人はとても強い呪い持ちで、普段から心をずっと無にしているみたいなんだ。だから私には、あの人を落とすのがすごく難しくて」
リッシュはジークの顔色にあたふたしながら言った。
「知っていますとも、そんなことは」
はぁ、とジークは小さくため息を吐く。
「えっ、知ってたの?」
リッシュは拍子抜けしたように言った。
「当たり前です。その上で、あの娘を最後の課題対象に選んだのですよ」
「えぇ……なんで?」
リッシュは不服そうな声を漏らす。
「いいですか、これが最後の機会なのですよ! 今回の標的を落とせなければ、リッシュ様は王位継承権を失ってしまうのです!」
ジークは一気にまくし立てた。
「そ、それはわかってるよ……」
リッシュは俯き、肩を落とした。
「でも正直、もうそれでもいいと思っているんだ。ジークには、申し訳ないのだけれど」
リッシュの脳裏に、実の弟と妹の姿が浮かぶ。
「弟のゼダや妹のレイルの方が、よほど王の資質があると思うよ」
「お二人は王に必要な学を学んでおりません」
ジークは落ち着きを取り戻し、静かに言った。
「学問は、これから教えればいい。私には、王に必要な冷徹さが足りないんだ」
己自身を責めるようなリッシュに、ジークは再びため息を吐く。
「リッシュ様に足りないのは、冷徹さではありません」
ジークは言い、リッシュの黒い瞳をじっと見つめた。
「何度も申し上げているように、あなたに足りないのは自信だけです」
「ジークはそう言ってくれるけど、自信を持てるようになるには、標的の気持ちを落とさなきゃならない。私には、それを成功させたいっていう気持ちが湧かないんだよ」
「確かに、リッシュ様は優し過ぎると思います」
これまで、七百七十六件の課題をすべて失敗してきた。ジークは、その原因をリッシュの心根のありようだと考えている。
「しかし、リッシュ様の優しさは、これから民の上に立つ者には必要なものです」
とにかく、とジークは言った。
「対象者の変更は認めません。それが難関であるほど、突破した時の成果が大きいからです」
「うん……わかったよ」
リッシュは暗い面持ちのまま、力なく呟いたのだった。
町は夕暮れに包まれていた。
「明日には次の町に向けて出発しようぜ、姉ちゃん!」
たくさんの野菜が入った籠を持つ少年が、明るい笑顔を浮かべて、隣を歩く娘に話しかけた。
「あぁ、そうだな……この町には少し長居しすぎた」
娘は淡々とした口調で言った。そこに、笑顔はない。
身長は、娘より少年の方がやや高かった。髪や瞳の色は同じ黒で、顔立ちがどこか似ている。
「この町の野菜、うまいからもっと居てもいいんだけど……そうもいかないもんな」
少年が、少し残念そうに言った。
「……姉ちゃん」
ふと違和感を感じ、二人は足を止めた。
「誰だ」
少年は警戒し、身を強張らせる。
「こんばんは」
ぬらりと二人の前に姿を見せたのは、長身のひょろりとした体格の男だ。
「結果を伝えに来たんだ」
魔族の青年、リッシュは暗い面持ちで娘に話しかけた。
「結果? いったい、なんの話だ?」
娘を庇うように前に立ち、訝しる少年を娘が手で遮る。そして、一歩前に出てリッシュに近づいた。
「その様子では、変更はできなかったようだな」
先を読んだ娘の言葉に、リッシュの表情が強張った。
「が、頑張ってジークに説明したのですが……むしろ強い呪いを持った人間だからこそ、落とすようにと言われてしまいまして」
リッシュが口にした『強い呪い』の部分に、少年の表情が一変する。
「大丈夫だ、ユウ。動くな」
娘は、少年に低い声音で指示をした。
「姉ちゃん、こいつ誰だ……この雰囲気……そんじょそこらにいる、魔族じゃないだろ」
少年は、きりりとリッシュを睨みつける。
リッシュはそうと知られないよう隠していたが、全身から滲み出る魔力の大きさや、そこはかとなく漂う気品を少年は感じ取っていた。
「そうだ……だからこそ、対処を間違えてはならない。その後ろから、なにが飛び出してくるかわからんのだからな」
娘は、昼間に初めてリッシュに会った時からそれを察している。
「えっ、後ろですか?」
娘の言葉に、リッシュは振り返った。もしかしたら、ジークがついてきたのかもしれないと思ったからだ。
しかし、その姿はない。それを確認し、リッシュは安心したようにため息を吐いた。
「大丈夫です。後ろには誰もいませんから、安心してください」
にこっと笑って、リッシュは二人に向かって言った。
「違う、そういう意味じゃない……」
娘は呟き、少年は少し拍子抜けしたような
「ユウ、こいつはな、私を七百七十七人目の標的にしたんだ」
「誤解です! そうしたのは、私ではなくてジークですよ!」
「はあ? なんで姉ちゃんを標的になんかしたんだ!」
少年はリッシュの言葉を無視して素っ頓狂な声をあげた。
「あ、弟さんですか? どうりで似ていると思いました」
しかしそれを気にもとめず、リッシュは笑顔のままで言った。
「そんなことはどうでもいい……で、変更は不可ということなんだな。それで、お前はどうするつもりなんだ?」
「えっと……仕方がないので、とりあえず、あなたについて行こうかなって」
「なんだって!」
おずおずとしたリッシュの答えに、少年は叫んだ。
「なんで、高位の魔族なんかについてこられなきゃならねぇんだ! 迷惑だ、帰れ!」
「いやあ、それができればそうするんですけど、私も、もう後がなくて」
リッシュは困ったような笑みを少年に向けた。
「そういえば、昼間もそんなことを言っていたな。なぜ、後がないんだ?」
「それが、私の父が出した条件だからです」
「父?」
「はい、魔王です」
リッシュがあっさりと口にした言葉に、その場が凍りついた。
「おい、ちょっと待て……お前、魔王の息子なのかよ」
少年が焦りの表情を浮かべる。
「それもそうなんですが、私は長子なので生まれてすぐに王位継承権を与えられているんです。その権利の譲渡が、今回の課題次第で決まることになっていまして」
「あぁ、なんてこった……」
少年ははぁと大きなため息を吐いて天を仰いだ。
「あっ、でも安心してください。私、あまりやる気がありませんので」
「なんだと……」
ぴくりと眉尻を動かしたのは、娘だった。
「お前、やる気がないのに私をターゲットにしたのか……」
ゆらりと娘の周囲の空気が揺れる。
「あっ、やばい!」
少年の呟きと同時に、娘の身の内から波動砲が放出される。
それはすべてリッシュに向けられ、真っ白に輝く光の塊がリッシュの体を突き抜けた。
「わあ……すごい力ですね」
それをまともに全身に浴びたリッシュが、感嘆の声をあげた。
「お前……なんともないのかよ……魔族なのに」
少年が目を丸くした。
「すまない、感情を……抑えられなかった」
娘はがくりと片膝をつく。その顔色は真っ青だ。
すぐに少年は娘に駆け寄り、その体を肩に担ぐ。
「どうしたんですか?」
「お前のせいだ!」
少年は怒りに顔を赤く染めてリッシュに怒鳴り、さっさと歩き始めた。
「手伝いましょうか?」
「二度と来るな!」
気遣うリッシュを振り返ることなく、少年は暗くなりかけている空に向かって叫んだ。
「……困りました……」
夜風が吹き抜ける道の真ん中で、リッシュは微かに眉根を寄せて立ち尽くしていたのだった。
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