カクノヒメ

鹿嶋 雲丹

第1話 落ちない娘

 真っ直ぐで長い黒髪を背で一つに結いた娘が、道の真ん中で転んだ。

 足元には、小石一つ転がっておらず、履き物の紐が切れたりもしていない。

 娘はしばらくの間じっと地面に突っ伏していたが、やがて立ち上がり服についた土埃を払った。

「なんで!」

 そうして歩き出そうとした娘の背に、若い男の声がかかる。

「なんで落ち込まないんですか! もう、十日間も同じ場所で転んでいるのに!」

 娘は声の主を振り返った。

 そこには顔立ちの整った若い男が立っている。

 背が高く、細身でひょろリとした印象だ。娘と同じく、瞳と髪の色は黒だった。

「そうだったか?」

 娘は男の指摘に首を傾げた。

「もしかして、覚えてないんですか? 普通ね、十日間も連続で転んだら落ち込むものでしょう? もしくは、私、呪われているのかしら? とか不安になったり」

「ならない」

「な、ならない? ……なぜ……」

 男は愕然とした。

「なぜって……というか、どう思おうが、そんなのは私の勝手だろうが」

 娘は淡々とした口調で言う。

「まあ、そりゃあそうなんですが、それだと私が困るんですよ」

 男は整った形の眉根を寄せた。

「なぜだ?」

「それは、あなたが私の七百七十七人目の標的だからです。あ、ちなみに成功した件は、今まで一つもありません」

 ひゅうぅ、と二人の間に一陣の風が吹き抜けた。

「お前、魔族だろ」

「な、なぜそれを」

 娘の指摘に男は体を強張らせた。

「あのさ、魔族というのは人の心を読む専門家だろ? それなのに、私のような常に無を心がけてる者を標的にするなど」

 すぅっと、娘は息を吸い込んだ。

「まるで、なってない!」

「うぁああっ!」

 男は叫び、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「ジークと同じ事を言う……ひどい!」

「悪いことは言わん、対象を変えろ。じゃあな」

 落ち込む男をまったく意に介さず、娘はくるりと踵を返した。

「変えられないんですよ!」

 その背に向かって、男は叫ぶ。

「今回の標的を落とせなかったら、匙を投げるとジークに言われてるんです! もう、後がないんです」

 最後は消え入りそうな男の声に、娘ははぁと大きなため息を吐いた。

「今回は特殊な事例だったから、変更もやむを得なかったと、そのジークとやらに伝えろ」

 仕方なく男に向き直り、娘は言う。

「特殊な事例? あぁ、もしかして、その呪いのことですか?」

 男は言い、娘の心臓あたりを指差した。

「……お前、私の呪いの事はわかるのか」

「はい、わかります!」

 ぱあっと表情かおを輝かせ、男は言った。

「とても強い呪いですよね! そのうち、あなたそのものをそっくり飲み込んでしまいそうな感じがします!」

「……合ってる」

「合ってますか! あぁ、良かった」

 男はホッとため息を吐いた。

「良くないぞ……何一つな」

 娘のこめかみが、微かにぴくりと動く。

「私は、その呪いに飲み込まれるのを少しでも遅らせるために、常に精神を防御しているんだ。どうだ、標的を変える立派な理由になるだろう、それは」

「えっと……それは、ジークに聞いてみないと……私には決定権がないので」

「じゃあ、さっさと聞いてこい!」

 言い捨て、娘は男に背を向け歩き始めた。

「あ、じゃあ後で結果を報告しに行きますね!」

 遠ざかっていく娘の背に、にこにこと笑って手を振りながら男は叫んだ。

 娘はその明るい声音に微かに頭痛を覚え、小さくため息を吐いたのだった。

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