第5話 ヤッファ条約
1229年2月18日、神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世とアイユーブ朝スルタン・アル=カーミルとの間に結ばれたヤッファ条約によって、キリスト教側はエルサレムを手に入れることとなった。
ただし、預言者ムハンマドが一夜にして昇天する旅を体験をした場所とされる
そして、旧約聖書においてアブラハムが我が子イサクを神に捧げようとした場所であるなど、キリスト教徒・ユダヤ教徒にとっても聖地としての意味を持つ岩のドームへの、キリスト教徒の参拝も認められ、一方、キリスト教徒の領域へのイスラム教徒の参拝も認められる。
元々、海岸沿いの地域には、第一回十字軍の時から入植が始まった
フリードリヒはアッコンに上陸した当初から、中東にあってキリスト教徒の保護に努めてきた三大宗教騎士団――チュートン騎士団、ホスピタル騎士団(聖ヨハネ騎士団)、テンプル騎士団の協力を仰ぎ、防衛網の強化に取り組んでいた。
これによって、キリスト教徒はより安全に、エルサレムにあるキリストの墓に巡礼することができるようになった。
ただし、三大騎士団といっても、その立ち位置は微妙に異なっている。
いかなる国家とも距離を置き、神に――具体的には、地上における代理人たる教皇にのみ従うホスピタル騎士団およびテンプル騎士団と、ドイツ人のみで構成され、神聖ローマ皇帝の臣下ではないものの、きわめて結び付きが強いチュートン騎士団とでは、当然フリードリヒとの関係性も違っていた。
チュートン騎士団は、言うまでもなく総長ヘルマン以下フリードリヒに好意的。ホスピタル騎士団は、やや距離を置きつつも好意的中立。そして、テンプル騎士団は、教皇のフリードリヒに対する怒りが伝わってくるにつれ、次第に関係が悪化していった。
テンプル騎士団との対立の決定打となったのは、
彼らは設立当初より、イスラム教徒から奪ったこのモスクを本部としていたのだが、サラディンに奪い返され、今回ようやく自分たちの手に戻ってくる(本来どちらのものかという議論はともかく)と思っていたら、これはイスラム教徒のもの、とされてしまったのだ。
そんなわけで、彼らのフリードリヒに対する憎悪は行きつくところまで行ってしまい、ついにはその暗殺を
時系列がやや前後するが、これより少し後、エルサレム入りしたフリードリヒが少数の供だけを連れて、キリスト洗礼の地であるヨルダン川対岸のベタニアに
考えてみれば、同じキリスト教徒を殺すのにイスラム教徒の承諾ないし協力を仰ぐというのもおかしな話なのだが、えてして同門の異端に対する憎悪は異教徒に対するそれをも上回るものであるらしい。
彼らから
フリードリヒがスルタンの友情、ないし騎士道精神に感激したことは言うまでもないだろう。
なお、この和平条約の有効期限は、調印から十年間。ただし、双方の合意により十年単位での更新が可能と定められた。
この時の二人が、この和平が十年のみならず二十年、三十年と続いていくものと期待していたのか、それとも、十年間破棄されずに続いたら上出来だと思っていたのか、それはわからない。
このように、様々な思惑が錯綜する状況ではあったが、フリードリヒは調印から約1ヶ月後の3月17日、エルサレム入りし、翌18日、
ヘルマンの助言により、教皇らの顔を立てるため、本来の戴冠式から宗教的要素を取り除いたものとし、冠も聖職者の手でかぶせられるのではなく、フリードリヒが自らの手でかぶるという形式となった。
いわば略式での戴冠式ではあったが、エルサレムのキリスト教徒や巡礼者達を感動させるには十分だった。
エルサレムを「解放」し、巡礼者の安全が保障される状況をこしらえたのは、ローマに居座る教皇でもなく、アッコンに逃げ込んだまま戻って来ようともしないエルサレム総主教でもなく、いま目の前にいる赤毛の男に他ならないのだから。
フリードリヒは戴冠式の後、一週間ほどエルサレムに滞在し、市内をあちこち見て回った。
ある日、岩のドームを訪れた彼は、カーミルの命で接待役を務めていた
「“
それは元々「多神教徒」を意味する言葉だが、ここでは
そんなことは百も承知で、しどろもどろになる
さらには――。
「ドームの入り口のところに金網がかけてあるのは何のためかな?」
「鳥が入ってこないようにするためです」
神妙な顔で答える
「なるほど。しかし、アッラーの神は、“豚”が入ってくることはお許しになったわけだね」
いうまでもなく、豚はイスラム教徒にとっては不浄な生き物であり、引いてはそれを平気で食べるキリスト教徒に対する当てこすりともなっている。
冗談にしてもいささか度が過ぎるというべきだが、まあ、この時のフリードリヒは、大仕事を成し遂げて
時として人の悪い冗談でからかったりしつつも、異教徒に対して一切偏見を持たぬ彼は、彼の接待役の
「そう言えば、ここに来てからアザーン(イスラム教の礼拝の時刻を告げる呼びかけ)を耳にしないようだけど?」
「は、
フリードリヒは笑って、
「お心遣いはありがたいが、あなた方が
実際、フリードリヒの領国内のイスラム教徒の町ルチェーラでは、毎日定刻になるとアザーンの声が響き渡っているのだった。
そんな調子でエルサレム滞在を満喫するフリードリヒ。思えば、この時が彼の人生の中でももっとも誇らしい日々であったのかもしれない。
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