第87話

見渡す限りの大平原が広がる帝都周辺平原を行進する第21軍団の北方軍団兵達は、見る物全てが珍しく感じられるのか、農地の造りや、街道の構造、道標や用水路に到るまでじっくり見ながら進む。


 ハルがそう意図したこともあって、歩みはゆっくりであった。


 しばらく、というか、レムリアの山塊を越えたあたりからずっと遙か遠くに霞むように見えている帝都。


 その威容がようやくはっきり捉えられるようになってくると、北方軍団兵達はその規模をシレンティウムとそう変わらないものだと思い込んでいた。


 しかし、進めど進めど帝都には到着出来ない。


 街道はどんどん太くなるが、結局その日のうちに帝都へは到着しなかったことに北方軍団兵は驚き、興奮する。


 翌日も、更にその翌日も、目には見える帝都は一向に近くなったと言う感覚が持てないまま北方軍団兵達は進み続けたのだった。








 帝都北大門






「これが帝都……の門?」


「でかい……」


「シレンティウムの何倍あるんだこれ……」




 ようやく到着した北大門で、その大きさと壮麗さ、手入れの行き届き具合に圧倒される北方軍団兵達は、ぽかんと門を見上げるばかりであった。




「さあ行くぞ、シレンティウム軍団の晴れ舞台だ、しゃきっとしろ!」




 ハルの檄が飛び、呆けていた兵士達の顔に生気が戻る。


 ゆっくりと北大門の扉が開き始めた。


 その中にはシレンティウムに比すべくも無い、すさまじい数の帝都市民がそれこそ黒山の人だかりとなって沿道を埋め尽くし、周囲の建物の窓という窓から、新たな北の英雄とその精強な軍兵を一目見ようと身を乗り出していたのだ。


 帝国軍元老院衛兵儀仗隊のラッパが一斉に鳴らされる。




「第21軍団前進!」




 地響きのような歓声に包まれつつ、ハル率いる北の護民官軍は帝都へ入った。


 










 帝都中央街区、皇帝宮殿






 市民達の熱烈な歓迎を思う存分浴びた北方軍団兵達は、皇帝宮殿に付属する、近衛兵宿舎へと入った。


 今までも警備兵程度の近衛兵は居たが、ユリアヌスの代になって人員装備を充実させ、宿舎も改築を行っている。


 ユリアヌスはいずれ近衛隊を半個軍団程度まで増強するつもりであったが、今はまだ帝国軍本隊の再建に尽力しており、その余裕が無いことから、建物だけが完成していたものを北方軍団兵の宿舎へと転用したのである。








 皇帝宮殿、皇帝執務室






「全く……やってくれたな」




 皇帝執務室へ挨拶に出向いたハルへ、ユリアヌスはのっけから厳しい表情を向けた。


しかしハルは特に悪びれた様子も無く答える。




「そうですか?」


「まあいい、これでレムリア山道の価値は色んな意味で高まった。巧く整備すれば一般人も通れるようになるだろ」


「そうして下さると助かります。しかし、これでいつでも帝都に非常事態があった時はこちら側から北方軍団を差し向けられますよ?」




 半ば諦めたように言ったユリアヌスであったが、続いたハルの言葉にぎょっとした顔を見せ、ゆっくりと口を開く。




「……トロニアには何個軍団を置くんだ?」


「取り敢えず2個軍団1万4千と守備隊1000を考えています」


「なるほど……よく分かった」




 帝都守備を預かる第1軍団と第4軍団と同数である事を聞いて取り敢えずは納得するユリアヌスであったが、有名無実となっている帝都守備隊を再建することを内心で決めた。




「全くお前は一筋縄じゃ行かないな、尤も周囲の人間を上手く使っているんだろうが……」


「そうですね、私はいつも周りの人に助けられてます」




 ユリアヌスの言葉にそう答えようやくそこで2人の顔に笑みが浮かぶ。




「ま、国同士のしがらみは仕方ないが、仲良くやろう」


「こちらこそよろしくお願いします」












 翌日、帝都中央街区・元老院議場






 市民派貴族や今回の内乱に参加しなかった領地持ちの貴族、更には引退した元高位文官や高位軍人達からなる元老院。


 現役の官吏や軍人の姿は議場から消え、また貴族派貴族は一掃されていることは言うまでも無い。


 元老院議場は、普段以上の厳かな雰囲気に包まれていた。


 その中央壇上で、新たに元老院議長となったクィンキナトゥス卿が議員達に向かって熱心に演説を行っている。


 今までのハルの功績を滔々と述べているのだ。




「……以上の功績から、辺境護民官ハル・アキルシウスを北の護民官と為し、北方の安寧秩序を托す事を承認したい。これは帝国皇帝ユリアヌスから我ら元老院への依頼であり、また我ら元老院が恩を知る帝国臣民を代表して為さねばならぬ皇帝への依頼であると思う」




 演説を終えたクィンキナトゥス卿が壇上から降り自席へと戻ると、議員達が満場の拍手で迎えた。




「では、ハル・アキルシウスを北の護民官に任ずる事に賛成の者はご起立願いたい」




 クィンキナトゥス卿が採決を宣言すると、元老院議員全員が拍手と共に立ち上がった。


 ハルの北の護民官就任が承認されたのである。




「おめでとう」


「ありがとうございます」




 臨席していたユリアヌスが隣の臨時席に座っていたハルへ、祝福の言葉を述べながら握手を求めると、ハルははにかみながら応じる。


 それを見ていた議員達が次々とハルの元へとやってきた。




「北の護民官殿、私カルウスと申します……実は……」


「北の護民官殿、私は……」


「護民官殿っ、私の話を……っ!」




 どっと押しかけてくる議員達を驚きの目で眺めつつ、ハルはそれでも丁寧に応じてゆく。




「全く、利がありそうだと思うとこれだからのう~帝国人の腐敗は高位の者からじゃな」




 執政官として臨席していた大クィンキナトゥス卿が呆れたようにハルを囲む議員達を見て言うと、息子のクィンキナトゥス議長が応じた。




「全くですが、まあそんな輩にどうこうされてしまうような者でもありませんし、今日だけの話です、大目に見ておきましょう」


「うむ、それでも後ほどアキルシウス殿に声を掛けた連中を抽出しておくのじゃぞ?」


「分かっておりますよ、先代議長」




 にやっとしながら答えた息子を見て、大クィンキナトゥス卿は満足そうな笑みを浮かべる。


 この後は盛大な祝宴が皇帝宮殿で催される事になっている。


 参加者はそれこそ帝都市民なら誰でも参加出来る形式になっており、今より更に、そしてより深く、あくどく、狸や狐や悪魔が様々な動きをするだろう。




「まったく、アキルシウス様々じゃな」


「ははは、お陰でこちらは詳しく自力で調査を入れずに済むので助かります。立ち上がったばかりの帝国の改革とユリアヌス帝、ここで潰す訳にはいきませんからな」


「ま、良いだろう……わしは北で骨休めとゆくか」




 頼もしそうに息子を見て、次いで未だ騒ぎ立てている見苦しい元老院議員達を見てから大クィンキナトゥス卿が言うのだった。
















 更に5か月後、シレンティウム






 1か月半余りの期間、思うさま帝都でその空気を感じ、技術を学び、知識を身に着けて様々な物品を買い入れた第21軍団に参加した面々。


 正式な協定文書を取り交わし、ハルはその文章を胸に惜しまれつつも帝都を後にし、帰国の途へと就いた。


大所帯であり、また荷物が大幅に増えたことで、帰還の道順は帝国の街道に従ってコロニア・リーメシア、コロニア・メリディエトを経由して帰ってきたので、かなり時間的には早く帰還することが出来たのであるが、それでも2月余りの長旅を終えた第21軍団の面々は疲れ果てていた。




 しかし、ハルにはその疲れを癒やす猶予すら与えられない事態となっていた。




 戦勝後に帰還した時よりはるかに熱狂的なシレンティウム市民達が待ち構えていたからである。


 しかも今回はシレンティウム市民だけでは無い。


 各クリフォナムの部族、新たに同盟に加わったオランの民達も大挙して北方連合国誕生の瞬間に立ち会おうとシレンティウムへと押しかけてきていたのだ。


 もちろん、その最大の功績者であり、また間違いなく初代の北方連合最高指導者となるハルの勇姿を一目でも見ようとやって来ている者達も少なくない。


 ハルがオラン王を示す古代龍の首飾りと、帝国皇帝ユリアヌスが交付した北の護民官終身辞令が入った筒を掲げた時、その歓声と熱気は最高潮に達した。














 大波がうねるような歓声が地響きと共にシレンティウム市街を揺らしているその時。


 人気の無い太陽神殿でアルトリウスはオランやクリフォナム、果ては元帝国臣民までもが上げる歓声の余波を感じ取っていた。


 その希望と歓喜に満ちた歓声を聞き、アルトリウスは太陽神殿において跪きながらも口元が自然と綻ぶのを押さえられなかった。


 そんなアルトリウスを窘めるかのような調子で音声が発せられる。




『………、……………』


『は、分かっておるのであります、最早大方において未練は御座いませんが、たった一つだけ未練というか……見届けたいことがあるのであります』


『…………?』


『……そうであります。今しばらく此の世に留まることをお許し戴けますでしょうや?』


『……、……。……』


『有り難き幸せであります、ではこれにて…後ほどご挨拶には伺うのであります』




 謝辞を述べ、立ち上がったアルトリウス。


 間もなく自分が見込んだ後任者が名実ともに北の地の指導者となるのだ。


 この最後の晴れ舞台、難としても目に焼き付けておかなければなるまい。




『ハルヨシよ、我が生涯に悔い無しと成ったのはお主のお陰であるっ』




 アルトリウスはそれまでの笑みを引っ込め、真剣な表情でつぶやくと太陽神殿から足早に行政庁舎へと向かうのだった。




















『さて、これで最後の仕上げであるからな!早くするのである!』


「ちょ、一寸くらい休ませてくれても良いんじゃないですか先任」


『ふふふん、我は構わんであるが……おそらくクリフォナムの民達が待ちきれんであろうと思うぞ?』




 帰還早々、いきなり現われたアルトリウスから急かされて正装に身を包むハル。


 その傍らではエルレイシアがにこにこ笑みを浮かべながらハルの着替えを手伝っている。




「そんな事……ないとは言えませんね……」


『であろう?』


「ハルは人気者ですから」




 一旦は抗議しようと再度口を開き掛けたハルであったが、アルトリウスの言うとおりハルが帰還した時の熱狂振りを見れば、シレンティウム市民のみならず、クリフォナムの民が初めてその王位に就くハルを切望しているのは明らかであった。


 既に手紙でシレンティウムへ帰還途中に王位授与の話が纏まったことを知らされては居たが、まさか帰還直後に式典が待っていると思わずハルは大いに戸惑ったのであった。










 既に北方諸都市の各市長やクリフォナムの族長達も北、南、東全てアルトリウスやシッティウスの手配で勢揃いしている。  


オランの民を代表してランデルエスとクリッスウラウィヌス、東照帝国からは黎盛行と介大成も駆けつけ、また今回帯同してきた西方帝国シレンティウム初代大使の大クィンキナトゥス卿もいた。


 当然、アダマンティウスも到着しており、ようやくエルレイシアを伴って現われたハルを誰もが笑顔で迎える。


今回も舞台は太陽神殿。


 既に族長達が今や遅しとハルを待ち構えており、ハルがエルレイシアと壇上に上がると、彼らは一斉に立ち上がった。


 最長老のアルペシオ族長ガッティが左右を見渡し、クリフォナムの全族長が立ち上がっていることを確認すると徐に口を開く。




「我等クリフォナムの全族長が一堂に会したのは、今回が2回目のことじゃし、今まで王が居たこともないので、故に作法というものは無い。全部族を統括する王がおらなんだのじゃから仕方ないが、色々考えて相談した末、王には我等部族を代表する者の誓いを太陽神様の下に受けて貰うことにしたのじゃ。無論、各族が各々の族民達の合意を得ての事じゃがの」




 そう言うとガッティが真剣な表情で剣を抜き放ち、切っ先を床に付け、剣身を掌で持って頭を垂れて跪いた。


 各族長がそれに倣う。




「我等クリフォナムの民を代表せしものなり。我等族民の総意を受けハル・アキルシウスをクリフォナムの王と為し、我等の良き導き手として補佐を為し、戦場にて勇を表し、村邑にて仁を示し、その治世を助くことを約束するものである」




 その宣言が終わると、ざっと音を立てて立ち上がった族長達は、今度は剣の柄を持ち目の前に掲げると、くるりと剣を回して切っ先を天井へと向けた。


 それに応じてハルも腰の刀を目の前へ鞘ごと水平に差し出す。




「我等王の下に!」


「誓いを受ける。良き働きには褒美を、不実には罰をもって報いよう。王として民に尽くし、良き導き手たらん」




 ハルが答礼を返すと、にっと笑みを浮かべたガッティが剣を一度上げ、それに合せて各族長達は刃音も鋭く剣を衝き上げた。




「ここにクリフォナムの初代王が即位しました。太陽神の名の下にこの即位を承認し、祝福します」




 ハルの横でエルレイシアが厳かに宣言し大神官杖で天を示すと、天窓から射した陽光が族長達の持つ剣へ降り注ぎ、剣は光に包まれた。


 その光はハルが持つ刀と繋がり、しばらく強い力を放った後に静かに消える。




「各族長の剣は族長の証となると共に、クリフォナムの王との絆を示す物となりました」




 不思議な光を仄かに放ち続ける自分の剣を驚いたように見つめる族長達の耳にエルレイシアの宣言が届く。


 最初にガッティが我に返って剣を鞘へと収めた。




「……以上じゃ、アキルシウス王」




 その言葉に続いて他の族長達も剣を収め、ハルも刀を腰に差し直す。




「皆さん、これからも宜しく」




 相変らず飾らないハルの言葉に、エルレイシアは笑みを深くしてその手を強く握りしめ、緊張していた族長達の顔にも笑みが上る。




 次いでハルはクリフォナムの族長達が全員椅子に掛けたことを確認すると、息を胸一杯吸いみ…




「ここにハル・アキルシウスはクリフォナム王、オラン王、北の護民官を兼ねて併せ、クリフォナム人、オラン人、北方諸都市の連合政権、略称北方連合の樹立を宣言する!!」




 北方連合国の成立を宣言した。




 シレンティウム中のみならず、ハルの治める地域全てに直ちに宣言布告分が発布さっれることになっており、郵便協会の職員達は今頃てんてこ舞いとなっていることだろう。


 そしてたちまち興奮の坩堝へと投げ込まれるシレンティウム市街。


 会場も例外では無く、歓声とも悲鳴ともつかない声があちこちで一斉に湧き起こった。


 感極まって泣き出す者も居る。


 興奮で顔を真っ赤にして雄叫びを上げている者も居る。


 歓声を上げて隣の者達と抱き合う者がいる。


道ばたと言わず、公共設備と言わず設けられた振舞所の酒樽が一斉に開かれ、シレンティウム市は一大宴会場と化したのだった。












 夜になり、ハルは一旦会場を引き払うことにした。




 ハルはエルレイシアと共にあちこちからやって来た族長達や部族の主立った者達、更には諸国の来賓や、軍人、官吏達、更には市民達と握手や言葉、それに笑顔を交わしながら行政庁舎へと向かう。


 行政府の官吏や長官達に囲まれて珍しく笑みを浮かべるシッティウス。


 黎盛行と介大成は、大クィンキナトゥス卿となにやら酒を酌み交わしながら話し込んでいる。


 楓はルキウスと一緒に居て、顔を真っ赤にしているプリミアを冷やかし、アルスハレアと陰者の長に宥められていた。


 オランからやって来た2人の族長やアダマンティウスを交え、シレンティウム同盟のクリフォナム人族長らが飲み比べをしている。


 待ちの誰も彼もがこの今の時を楽しみ、慈しみ、祝福しているのだ。






 その後継を笑顔で眺めつつ一旦自分達の部屋へと戻ったハルとエルレイシアは、子供の面倒を任せていた鈴春茗を帰し、双子の様子を見た後に屋上へと向かった。


 その屋上、かつてこの廃棄都市へやって来た時にその有様を3人で眺めた場所には、かつて都市を造り、最も深く思い続けてきた神がいた。


 その視線の先には、笑い声と歓声が満ち、賑やかな音曲や歌声と共に今日の日を祝福して乾杯の音頭を取る声や、祝詞を述べる声が聞こえる。




 シレンティウム市街の建物という建物に明かりが灯り、街路を煌々と照らしていた。


 2人の姿を見ると、腕組みをしてそんな祝賀一色の街並みを眺めていたアルトリウスがにっと口角を上げて言葉を発した。




『おう、来たのであるか……会場はもう良いのであるか?』


「ええ、後はシッティウスさんやアダマンティウスさん達が上手くやってくれるでしょうから」


『ほほう、偉くなったモノである……人に仕事をさせることを覚えたであるか』


「あはは、先任の教育が良かったですから」


『ふん……言うようになったのである』




 ハルが笑顔で言うと、アルトリウスは苦笑で言葉を返すと、再び街へと視線を戻した。


 すっと抜けてゆく風が街中で振る舞われている料理や酒の良い匂いを運ぶ。




「アルトリウスさん、どうして会場においでにならなかったのですか?」




 しばらくの沈黙の後、エルレイシアが気遣わしげに声を掛ける。


 もう彼はかつての死霊ではないのだ。


 誰憚ること無く神殿に入ることも出来るし、神であるのだから式典へ参加しても何ら問題は無い。


 しかし、ハルを急かし正装させたアルトリウスは太陽神殿に来ていなかった。


 エルレイシアの疑問にアルトリウスは口を引き結んで答える。




『都市の復興とこの地に平和をもたらすことは、我の悲願と言えば悲願であった。しかし、恐れ多くも神の末席を汚す今の身であっても、我は既に人にあらず。此の世はお主ら人の物、今を生きるモノの世界であるのだ。手助けはしたがそれ以上のことはしていない、その方ら人の為した偉業に連なることは出来ん。故に欠席させて貰ったのである』


「……先任が居なければ今は無かったとしてもですか?」


『そうであるな……そう思ってくれるのは有り難いが、主体はハルヨシ、お主であるのだからな、我を余りアテにして貰っては困るのであるぞ?』




 ハルの言葉にほろりとさせられたのか、アルトリウスは苦みを感じさせる笑みを浮かべて言う。


 しかし、ハルはその言葉に内容以上の不穏なものを感じ取った。




「先任?」


『ハルヨシよ、お別れである……事ここに成れり、我の役目はここまでである。人知れずゆくつもりであったが、都市を見回ってからと思っていた所、つい懐かしくてな。この場でお主達に会った時のことを思いだしておったのであるが……』




 再び街に目を移すアルトリウス。


 そこには彼の成し得なかった成果がある。


 自分が果たせなかった使命を思えば複雑な気持ちもあるが、しかしそれを為し遂げたのは彼の後任者。


 この自分の前に立つハル・アキルシウスなのだ。


 


『今思えばやはり最後に会えて良かったのである』




 絶句したハルを慈愛溢れる目で見ながら、アルトリウスが言葉を紡ぐ。


 このバルコニーで他愛ない言葉を交わしたのは、ついこの間の事に思えたが、時の移ろいは早いものである。


 その言葉を聞いたエルレイシアは動揺しつつも気丈に質問を投げかけた。




「……神の理による縛りが働いたのですね?」


『わははは……実際に手を下すことはなるべく避けていたとはいえ、我は死霊の時代から数えても些か人の世に関与し過ぎてしまったようである。太陽神よりお叱りを受けた、しばしお別れであるが……そもそもこの段階では最早我の助力も必要なかろう?』




アルトリウスは白の聖剣を取り出すとそれを横にし、未だ衝撃から立ち直っていないハルの両手に握らせた。




「これは?ちょ、ちょっとまってください先任っ」




 慌てて白の聖剣を押し返そうとしたハルに、アルトリウスはじっとその目を正面から見つめ、噛んで含めるようにゆっくりと口を開く。




『これを託す……ハルヨシよ、お主と此の世で会うことはもう2度と叶うまい。我はこの都市の何処にでもいる、それでいて何処にも居らぬ存在になる。だがしかし、先々の世でお主の志を受け継いだ者が困った時にはきっと手助けをしようぞ』


「そ、そんな……」


「もう変更はできないのですか?」




 すっとアルトリウスが離した白の聖剣をしっかり握りしめながらも崩れ落ちそうになるハルを支え、エルレイシアが再度質問をすると、アルトリウスは静かに首を左右へ振った。




『太陽神には無理を言って今日まで……北方連合の成立まで待って貰ったのである、これ以上の引き延ばしは出来ぬのだ』




少し目を伏せるアルトリウスの身体が、静かに淡い光を放ち始めた。


 もう猶予は無いのだろう。




『皆宛に手紙をしたためて我の祭壇の中へしまっておいた、本来ならば自ら挨拶せねばならんのだろうが、どうしても言い出せなくてな……はは、我にしては感傷に過ぎるが、まあ渡しておいて欲しいのである』


「分かりました……」




涙を溢れさせた目でエルレイシアが答えると、優しく頷きながらアルトリウスはハルへと目を向けた。




『ハルヨシよ、この数年は不遇であった我が一生において最も良き期間であった。お主が為すべき事を為してくれたからこそ、我の人生も無駄では無かったと思えるようになったのだ。礼を言う』


「そんなことは……無い事も無いのですか?私は、胸を張れるのですね?」




ハルが泣き笑いの顔で言うとアルトリウスが朗らかな笑声を上げた。




『わはは、それは間違いないのであるが、その顔では何とも締まらんであるな!だが、ありがとう我が後任……いや、我が同志にして友よ!そして……さらばだ!』




 右手を広げて肩まで上げたアルトリウスは笑顔のままでそう言った。


 その瞬間、アルトリウスの身体がきらきらと光を放ち、やがて光がシレンティウム中に見える程までに溢れ、最後にその光は粒となる。


 粒となった光はシレンティウム中にぱっと散り、この街に居る全員の元へ、ありとあらゆる物の中へ少しずつ融け込んでゆく。


 そして、最後の光が散り、暗闇が戻った。




「いってしまった……」


「ええ」


「しっかりしなきゃね」


「そうですね」




祝宴は続く。




 アルトリウスが深い眠りについたことは2人以外に知る者は無い。


 祝いの声や音楽がシレンティウムに響き、明かりは煌々と街中を照し出している。


 ハルはエルレイシアとしっかり手を繋いだまま、アルトリウスが最後に見ていたであろうシレンティウムの夜景を見続けるのだった。














 シレンティウム中央広場、アクエリウスの噴水最上段






 大きな光の玉が噴水の噴出し口に座るアクエリウスの前に現れた。




『あなた……アルトリウスね?良いの?貰っちゃうわよ、それ』




 アクエリウスが玉自体を指さしながら発した言葉を肯定するように、その玉が明滅した。


 しかし、アクエリウスはしばらく玉の様子を眺めると、ふうとため息をついた。




『本当に私も物好きだと思うの、でも惚れた弱みって言うのもあるし……契約は継続ってことで良いわ、アルトリウス』




 玉が戸惑ったように明滅すると、アクエリウスはふっと笑って言葉を継ぐ。




『……良いのかって?』




 再び明滅する玉。




『あなたの志で完成した街だもの……今の人を手助けするのは楽しいし、子供は可愛いしね、いいわ、契約は度外視ってことで、私も協力してあげる』




 そう言うとアクエリウスは両手を差し出して光る玉を自分の胸に抱き取ると、玉は光を放ちながらすっとアクエリウスの胸の中へと入った。




 暖かで大きな力がアクエリウスの身の内で脈動する。




『だから、しばらく私の中でお眠りなさいなアルトリウス。またあなたが必要とされる時代は必ず来るわ…その時にはきっと出してあげる』




 そう微笑むと愛おしそうに自分の胸に両手を当て、アクエリウスはその大いなる魂が見守った街並みへと視線を移した。






『永遠は無い、でも永続は可能、それが人の世なのね……私も少し分かったわ、アルトリウス。きっとあなたの意志を継いだように、ハルヨシ君を継ぐ者もいる。だから心配はいらない、あなたの意志は永遠よ』












 北方連合国はその有能な官吏や軍人によって支えられた北の護民官ハル・アキルシウスの的確な政策と戦争指導の下に発展を続け、大陸西方において西方帝国と並ぶ大国として歴史に名を残していくこととなる。


 その後幾度もの戦争と危機を乗り越えて発展した北方連合国。


 危機の際には、不思議な古代の英雄が必ずどこからともなく現れ、時の志ある指導者に的確な助言を行ったという。




 その時の話はまたその時に……


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

辺境護民官ハル・アキルシウス あかつき @akiakatuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ