第86話

西方諸国、都市国家・エクヴォリス市の港




 アスファリフ率いる傭兵軍団は、海賊船に乗ってエクヴォリス市へと到着した。


 エクヴォリスは西方諸国でも反帝国派の政治家が取り仕切る都市国家である。


 シルーハ人であるアスファリフだが、シルーハ王国から破格の報酬で引き抜かれるまではこのエクヴォリス市の傭兵将軍として働いていた。


 もちろん、エクヴォリス市の議会の承認を得ての転出で、その際シルーハはエクヴォリス市へも議員達への賄賂を含めて相当の金を払っている。


 そのエクヴォリス市はアスファリフの拠点とも言うべき都市国家であった。


 アスファリフは主にここエクヴォリスにて軍を率い、西方諸国の内、親帝国派の都市国家や王国と戦い、日々腕を磨いてきたのである。




「まあったく、こんなに逃げたのは久しぶりだぜ~」




 長い船旅を終え、桟橋を伝って埠頭へと降り立ったアスファリフは思い切りのびをしながら言った。




「仕方ありません負けは負けです」


「ま、その通りだな!帰ってこれただけでも良しとしなきゃな!」




慰めの言葉を掛けてきた斥候頭に、伸びを終えたアスファリフは頷きながら答えると、周囲を見渡した。


 続々と船から下りる重装歩兵傭兵達。


 出発時と比べればその数は半減しているが、傭兵とは言え敗戦でもアスファリフに付き従ってくれる股肱の臣達である。


 エクヴォリス市の伝手を使ったとは言え、アスファリフが自分の名前で集めた傭兵達であり、彼らも名高いアスファリフの指揮下ならばと遠いシルーハや西方帝国で戦うことを承知した練達の兵士達である。




「遠い所まで引っ張り出した挙げ句に苦労させちまったなあ……」




次いで運び出されて来た金貨の入った箱を眺めつつアスファリフは小さい声で言うのだった。


 あの金は今回の戦いで命を散らした兵士達の家族に手渡す物。


 国や雇い主にとっては換えの利く傭兵であっても、その家族にとってみれば代りの無い父であり、兄であり、夫であり、親族であり、友人である。


 今回は負け戦であったが故に死者も多く、契約金や雇用金はほぼ全て彼らの家族への弔慰金となる予定であった。


 もちろん、生きて帰った傭兵達の給料を除いての話であることは言うまでも無い。




「まあ、せしめる金があっただけましっちゃ、ましかね」


「違いありません」




 斥候頭の生真面目な口調に苦笑を漏らしつつ、アスファリフは腕を頭の上で組み、ぽつりとつぶやく。




「ふん、次は負けねえようにするだけさ。まずはシルーハをそっくり頂かないとな」




 その思考の内には、ハルとアルトリウスの姿がある。


 あの2人に勝たなければ西方で自分達傭兵の明日は無いだろう。




「またその際はお声を掛けて頂けますか?」


「もちろんだ!……まずはここから帝国に揺さぶりを掛けてやる」




 再度の斥候頭の声に、アスファリフは快活に答えるのだった。
















 フレーディア市街、大通り






 かつてハルにその不衛生さと雑然さを評されて“黒い街”と呼ばれたフレーディアであったが、それも既に過去の話となった。


 石畳で舗装された大通りに、排水路、地下水道によって汚水は奇麗に排除され、上水道の整備が進んで今や帝国の都市と遜色ないまでに発展したフレーディア市。


 その大通りを、護衛の騎兵に取り囲まれた家畜用の檻馬車が進んで行く。


 中に居るのは家畜では無く、ダンフォードという、ある意味家畜より始末に負えない人間ではあったが……




 伸び放題に伸ばされ薄汚れた髪と髭、痩せこけた身体、矢が突き立ったままの壊れた鎧を身に纏い、目だけはぎらぎらと異様な光を放っていたが、腕は妙な方向へ曲がっている。


 その姿は正に敗残兵と呼ぶに相応しい酷いモノで、このフレーディアを支配した名残はひとかけらも残っていなかった。










「死ねっ馬鹿王子っ!」


「恥知らず!」


「お前のせいで息子は死んだんだっ!」


「私の子供を返してよっ」


「爺さんは病気だったのに……むごい殺し方しやがって!」




 次々と自分に浴びせられる罵声や悲鳴じみた抗議に、ダンフォードは痛む手首を抱えて聞くことしか出来なかった。


 反論しようにもきつく締められた首輪が邪魔で思うような大声が出せない上に、沿道に集まったフレーディア市民達はすさまじい勢いで悪口雑言を浴びせかけてくるので反論のいとまが無いのだ。


 






 思うさまの罵声と怨嗟の声を受け、野菜くずや泥団子を投げつけられてすっかりボロボロになった馬車とダンフォードは、フレーディア上へ入る前に水を北方軍団兵達によって四方から浴びせられた。


既に冬も間近いフレーディアの水は冷たく、凍えそうになったダンフォードであったが、現れた人物の姿を見て怒りに打ち震えた。




「アルキアンド!」


「お久しぶりですな、ダンフォード王子」


「貴様ぁ……」


「……無残な姿になりましたな」


「誰の、誰のせいだと思っているんだっ!!お前が最初に裏切ったから!」




 吼えたダンフォードの言葉を優しげな声が受け取った。




「少なくとも、自分のせいであるとは思われていないようですね?」


「この方があのアルフォード英雄王のご子息とは……嘆かわしいです」




 アルキアンドの後ろから現れた2人のうら若い美女を見てダンフォードの言葉が止まる。


 典型的な北方美人の2人を見たダンフォードは、自分の姿と比べて気後れしたのだ。




「初めまして、セデニアのディートリンテと申します」


「ポッシアのトルデリーテです」


「うっ……」




 次いで2人の出自を聞いて思わず唸るダンフォード。


 その様子を見て冷ややかな視線を送っていた2人の目が更に細められる。




「……どうやら心当たりがあるようですね」




 ディートリンテの言葉で冷や汗を吹き出させたダンフォードが狭い檻の中を後ずさった。


 他でも無い、この2部族を壊滅させてしまったバガン率いるハレミア人を呼び込んだのは自分なのである。




「檻から出せ」




 アルキアンドの命令で北方軍団兵が檻を開き、中に繋がれていたダンフォードを無理矢理外へ引っ張り出して跪かせる。


 必死に抵抗するが、手首が折れている上に長時間閉じ込められて運ばれてきたことからすっかり体力を無くしているダンフォード。


 北方軍団兵に敢え無く抑え込まれた。


 引きだれてきたダンフォードの視界の端に燦めく金属の輝きが映る。




「ひっ……」


「……部族の恨み!」


「ぎゃああああああああ」




 抵抗出来ないダンフォードの脇腹にディートリンテの短剣が深く刺さり、ねじ込まれた。




「ぐええええええ……」


「一族の無念を……っ」




 だらだらと涎を垂らし、痛みに耐えかねているダンフォードの腰に今度はトルデリーテの短剣が柄までゆっくり埋まった。


 最早叫び声すら上げられず、びくんびくんと短剣が自分の身体に滑り込む激痛に身体を反応させるだけのダンフォードを見て、アルキアンドが冷たく命じる。




「刺さった短剣を抜かれないように手枷を嵌めろ。終わったら地下牢へ放り込め、傷の手当ては一切するな」


「はっ」




 こうして地下牢へ放り込まれたダンフォードであったが、翌日には死体となり、広場に晒されることとなったのだった。














 南方大陸、アルトリウスの廃棄砦






相変らず雨が降り続く南方大陸のアルトリウス廃棄砦。




 その司令官室として設えた部屋では、カトゥルスが眉間にしわを寄せて地図を眺めていた。


 本国からの増援がようやく到着したのみならず、群島嶼からヤマト剣士が義勇兵として入ってきており、兵力的には一時に比べて随分状況は好転している。


 そうしてカトゥルスの手元にあるのは、南方派遣軍の残軍1万5千に第6軍団、群島嶼派遣から転用された第7軍団の1万4千、加えて群島嶼のヤマト剣士1000名である。


 また本国から増援に寄越された第6軍団が埋もれていた街路を修復し使用出来るようにしたこともあって、補給状態も好転していた。




 更には、カトゥルスの献策で武器防具用に腐食防止の油や群島嶼の蝋が支給され、また濡れた衣類や手入れ布の類を素早く乾かすために乾燥室も砦内に設けられている。


 更には群島嶼の雨衣も多数用意され、戦場の環境は随分と良くなっていた。




「司令官殿、そろそろ出た方が良いのではないかのう?」


「これは…剣士隊長、いや、それはそうなのだが、何分慣れぬ土地であることもあって、どの辺りまで攻勢を掛けるべきか迷っていた」




 見慣れない青い群島嶼風の鎧に弓、箙を背負った老齢のヤマト剣士、秋瑠源継が本陣へ入って来るなりのんびりと言うと、カトゥルスが気さくに応じる。


 群島嶼は南方大陸の諸部族とは抗争を繰り返していたことから、熱帯地域での作戦行動に慣れており、ヤマト剣士達は非常に使い勝手の良い兵士であった。


 その為、個々の武勇と相まって1000名という少数でありながらも、主力と位置付けられ、源継も軍議への参加を認められている。




「ふむ……では、この川の線までで如何かな?」


「なるほど……妙案ですな」




 源継が示した地図上の地点は、現在ゴーラ族が陣を張っていると思しき場所であるが、確かにその近辺には小川があり、境目としては分かり易いものである。


 ゴーラ族主体の南方諸族連合軍は5万程であることが掴めていた。


 カトゥルスが指揮を執り始めてからは特に目立った罠や策略を仕掛けてくることも無く、伏兵にあったことも無いので、ひょっとしたら何らかの事情でゴーラの指導者が代わったのかもしれない。


 また当初帝国を壊滅させた時に見られたシルーハ系の兵士達もおらず、兵数も幾らか減じている。




 加えてカトゥルスは帝国領の近隣に住まう諸族に対しては宥和政策を打ち出し、商業上の便宜を図り、一旦スキピウスが全面禁止した帝国都市への出入りも認めた。


 これによって乾燥地帯に住まう諸部族は態度を軟化させ、強硬なゴーラ族主体の熱帯部族のみに敵を限定することが出来たのである。


 流石に一度こじれた関係はそう簡単には改善しないが、とにかく直接敵対しないまでの関係に持っていくことが出来たので、南方のみに集中する事が出来る。


 そしてカトゥルスは立て籠もった砦を主体に着々と反撃の機会を狙っていたのであった。








「国境画定のためにこの小川から北は帝国領と宣言し、何人たりとも帝国の許可無く国境を踏み越えさせてはならない。その為にも今この砦に迫っているゴーラ戦士団は完全に撃ち破る!」




勢揃いした帝国軍3万余を前に、カトゥルスは力強く宣言した。


 シアグリウスは砦の守備に居残り、スラは今回カトゥルスの副官として従軍する。




「出撃っ!」




 3万の帝国軍が足音も高らかに出撃した。
















 モースラ樹林北端、オールオ川支流付近






 帝国軍が出撃したことを悟ったゴーラ戦士団は真正面から挑んだが、正面切っての会戦方式で戦えば帝国軍は強い。


 アルトリウスの廃棄砦の直ぐ南の平原で対峙した両軍は、敵を見るなり交渉すらせず正面衝突へと移った。


 ゴーラ戦士の蔦や蔓で編んだ鎧や盾に矢はあまり効果が無い。


 投げ槍も同様で、投射兵器については、蔦や蔓で編まれた鎧や盾が緩衝効果を発揮してしまうのだ。


 それ故に帝国兵は今回投げ槍を装備から外している。




「いいか!今までのことは忘れろっ!正面から戦えば我々に敵うものはいない!」




 ゴーラ戦士団の甲高い時の声を聞いて怖気を震っている兵士達を最前線で励まし、カトゥルスが声を張り上げる。




「今こそ我等がここで失った名誉を取り戻せっ!」




 槍を振りかざして迫るゴーラ戦士達だったが、整然と大盾の隊列を組み、規則正しい号令で進撃してくる帝国兵に困惑していた。


 今まで不意を突いた時の帝国兵は脆く、まともな抵抗を示したことは少ない。


 確かに正面から打合った事は無いが、不正規戦の時の軟弱振りが嘘のような頑強な抵抗と鋭く整然とした攻撃に、ゴーラ戦士達は戸惑いを禁じ得ないのだ。


 ゴーラ戦士達は思い切り突っ込んで石槍の穂先を大盾に突き立てるがさして効果は無く、また石斧を叩き付けても大して動揺しない帝国兵の戦列。




 ゴーラ戦士達は狂ったように武器を叩き付け続けた。




 しかしそれでも動揺すること無く少しずつ前に出る帝国兵達は、時折攻撃の合間を縫って大盾の間から剣や槍を突き出してはゴーラ戦士を血祭りに上げる。


 何時もであれば投げ槍を撃つ隙を突いたり、こちらが突撃した際に出来る動揺に付け込んで戦列へ雪崩れ込むことが出来たのだが、今回帝国兵は投げ槍を使ってこない上に隙や動揺も無い。




「突撃!」




 頃合いを見切ったカトゥルスの号令で正面から帝国兵が盾を構えたまま突撃をかけると、たちまち戦陣を撃ち破られるゴーラ族戦士団。


 帝国兵の剣で首を打たれ、腹を刺されて倒れるゴーラ戦士達が続出し、一部では敗走が始まった。


 そして戦線全面において押しまくる帝国兵。


 それでもなお南方の剽悍な戦士達は挫けず帝国軍の戦列へと再度挑みかかったが、迂回してきた群島嶼のヤマト剣士隊に本陣を衝かれ、今後は後方がにわかに崩れた。
















「今じゃ!かかれいっ」




 秋瑠源継の号令で刀を振りかざし、驚くゴーラ戦士の横合いから乱入するヤマト剣士達に、あっという間にゴーラ戦士団の本陣が壊滅しさせられた。


 源継は先頭切って飛び込むと、ゴーラ戦士団の戦士長へと挑みかかる。




「群島嶼ヤマト剣士総帥、秋瑠源継!」


「ぬう?群島嶼の剣士が何故!」


「名を名乗らんか、馬鹿め!」




 そう吐き捨てつつ慌てて槍を構えた戦士長の首筋をすり抜けざまに刀で打ち据えて頸骨を砕き絶命させると、その先に居たゴーラ戦士の脇腹を刀で突く源継。


 更に返す刀で横から迫っていたゴーラ戦士の顔を横に払い、その後方で狼狽えていたゴーラ戦士の腋を切り下げる。


 次いで後ろから迫っていたゴーラ戦士の槍を搗ち上げざまに眉間を叩き割った。




「むうん、動きがワルイわい。年は取りたくないもんじゃ」




 びゅっと刀を勢い良く振って刀身に付着した血糊を飛ばすと、周囲を見回す源継。


 ゴーラ戦士団の本陣内に動いているゴーラ戦士は最早おらず、立っているのは味方の剣士だけである。




「……帝国兵の鎧兜は堅くていかんが、コヤツらの蔦や蔓など屁でもないわい」




 息のある敵戦士にとどめを刺しながら、源継が言う。


 そうこうしている内に前線からわっと歓声が上がった。


 帝国軍が最後の突撃を掛けたのだろう、ちらほらと逃げてくるゴーラ戦士達が現れ始めた。




「どれ、もう一戦するか……者ども、逃げてくる者とて容赦するでないぞっ」




 おう




 野太いヤマト剣士達の声が周囲に響いた。










こうしてあっという間に包囲され、斬り立てられたゴーラ戦士団は降伏すら許されず、殲滅され、モースラ樹林北端の戦いで帝国南方派遣軍はようやく勝利を上げる事が出来たのだった。


 カトゥルスはこの後石碑を国境線に沿って建造し、帝国の南方大陸における国境線を画定させることが出来たのである。














 ハルのシレンティウム帰還より2月半後、オラン人の都トロニア






 色取り取りの布で飾り付けられたトロニアの大通り。


 木と漆喰で作られた三角屋根の建物が主体のトロニアは、かつて見たフレーディアやハルになじみのある帝国風の石造りの都市とは異なる、また一風変わった趣を持つ街であった。


 ハルは騎乗のまま1500名の北方軍団兵を率いて大通りを静かに進む。




 通りの両脇にはオランの各部族から選ばれた戦士達がぴかぴかに磨かれた鎧兜を装備し、新調されたマントを身につけて、これまた研ぎ澄まされた槍を捧げ持って並んでいる。


 その外側にはトロニアに住むオラン人だけで無く、各地から王位に就く北の護民官を一目見ようと駆け付けたオランの民達が溢れんばかりに詰めかけていた。




「これはこれでまた面白いな……世界は広い」


「土台に石を使ってはいますが、木と漆喰造りがオランの民の建設の基本です」




 ハルが感心したように言うのを聞いたベレフェス族のテオシスが解説し、その建築の要諦を聞いたハルが再び感心したように言った。




「湿気の多い、それでいて冷涼な気候の街らしいな」




 間もなくハル率いるシレンティウム軍は、トロニアの王宮へと到着する。


 ここ100年は誰も主の居なかったトロニア王宮。


 今日、オランの民の希望と期待を一身に受けた、北の護民官ハル・アキルシウスが宮殿へ入るのだ。


 トロニアに集ったオランの民達は、希望に胸を膨らませて王宮の門へと消えてゆくハルを見送るのであった。






 祝宴や族長達の紹介は後回しにされ、まず王位継承の儀式が執り行なわれることになっており、ハルは旅塵を落とす暇も無く広場へと案内された。


王宮内の広場では盛大に火が焚かれ、既にオラン人の各部族や長老達が集まり、広場を円形状に囲んで立って居る。


 ハルはかねてから教わっていたとおり、焚き火の周囲を一周すると最上席に空いた自分の立ち位置へと向かう。


 ハルの後方には、オラン人の最長老族長であるルナシオニ族長のカテクラウィウスと最大部族であるアレオニー族族長のクリッスウラウィヌスが控え、更にはベレフェス族の族長であるランデルエスが居る。


 この3人がハルの後見人に位置付けられることになるのだ。




「北の護民官、ハル・アキルシウス。この者を新たなるオランの王と迎えるに当たり不満不服のある者は申し出るが良い…我々はこの場に出席した者の自由意志による発言を尊重し、保護し、妥当な物については協議の上採用する」


「………」


「……」




 カテクラウィウスの厳かな言葉に反応する者は居ない。


 しわぶき一つ無い広場に緊張が満ちる。




「では、後見人たる我等、ルナシオニのカテクラウィウス」


「……アレオニーのクリッスウラウィヌス」


「ベレフェスのランデルエス」


「以上の3名がオランの民を代表し、オランの偉大なる先代王達に問う…この者、王に迎えるに相応しき者たるや?」




 しんと静まりかえった広場。


 ぱちぱちと焚き火のはぜる音だけが響いていたが、やにわに焚き火が小さくなり、遂には消えた。


 驚くハルを余所に、オランの族長達は全員が跪く。


 そしてすぐに、ぼんやりと光を放つ人物が4名、ハルの周囲へと表われた。




『ほう、群島嶼人か……だが異存は無い、その者の仁義は王に値する』


『同じく……その者の智勇、王に値する』


『……異存なし、その者の気心、王に値する』


『異存は無い……その者の武技、王に値する』


「では?」




 厳かな、小さくもはっきりと聞き取れる4通りの声音が広場に響くと、カテクラウィウスが跪いたまま問い掛けると、その人影は一様に頷いた気配と共に声を協和させ、周囲へ届かせる。




『この者、オランの王に相応しき者なり。わが民は良き者を選んだ……オランの民に有らざる者よ、そなたをオランの王に迎えるに当り誓いを立てよ』




 驚きつつも人影の中央に居た者に促され、ハルは努めて動揺を気取られぬよう誓いの言葉を述べる。




「私は、オランの民の平穏と生活、誇りと伝統を守り、新たな風となってオランの民の将来を約束することを誓います」




 余りにも平易な言葉遣いに、跪いている族長達の肩が震える。


 笑っているのだろう。




「……如何なるや?」




 こちらも笑いを堪えながらカテクラウィウスが人影に問うと、人影は一瞬呆気にとあられていた様子であったが、次の瞬間それぞれから笑いが漏れた。




『ふ、ふふふふ……』


『くくくく……』


『……はははっ』


『うわははははっ、その誓い、努忘れるでないぞ?』


「承知しています」




 憮然としながら、内心は失敗してしまったと大いに焦っているハルがそう答えると、近くに居た人影が笑いを堪えきれないまま最後の言葉を授けた。




『くくく……では我等オランの先王4名はその方をオランの第5代の王と認めよう……オランの民の良き導き手たれ、群島嶼の剣士よ!そなたの治政は朗らかな笑いが満ちるであろう』




 その言葉が終わり、ハルの手に何かが握らされた途端、焚き火の炎が戻った。


 ぱっと光が満ち、人影は跡形も無く消え去ってしまっている。




「はあ、ひやひやしましたぞアキルシウス殿」




 ランデルエスが非難めいた言葉を掛けるが、その口角は未だ笑いに歪んでいる。


 ハルが少し情けない顔で後ろを振り返ったその瞬間、どっと笑いが広場に満ちた。




「しかし、こんな明るい笑いを聞いたのは久しぶりだな」




 腕組みをしながらぽつりとつぶやくクリッスウラウィヌス。


 大笑いしている族長達の自己紹介を受け、困り顔で応対しているハルを見ながらクリッスウラウィヌスは自分の口も綻んでいることに気が付いた。




「笑いが満ちる……か」




 ハルが手の中から先代王達より賜った古代龍の鱗で出来ていると言われている首飾りを集まった族長達に披露していた。


 どうやら着用の仕方が分からないらしく戸惑っているハルを見てまた族長達から笑いが湧き起こった。


 何時も苦虫をかみ潰したような顔をしているカテクラウィウスが大笑いしながらハルの首に首飾りをつけてやっている。


 行く先も見えず、将来に希望の持てなくなったオランの民から笑顔が消えてしまって如何程になるだろうか。




 それが今日終わる。




 強い予感を持ってクリッスウラウィヌスはハル達に歩み寄った。




「さあ、祝宴を執り行ないましょう。民も待っております」




 これから3日間、オランの流儀に則って新王のお披露目を兼ねた祝宴が街中で張られるのだ。


 ぼやぼやしている時間は無い。


 苦笑いしながらも首飾りをようやくつけて貰い、頭をかきながらカテクラウィウスに礼を言っているハルの肩を抱き、クリッスウラウィヌスは全員に向かって拳を衝き上げつつ叫んだ。




「アキルシウス王万歳!」




 わっと歓声が上がる。




 何事かと押っ取り刀でやって来た護衛戦士達を巻き込み、族長達は歓声を上げながら今度は祝宴の準備が為されている大広間へと雪崩れ込むのだった。














 西方帝国レムリア州、レムリア山道南口関所






「本当に来たよ……予定より随分早いな、こりゃ魂消た。おい、直ぐにマルケルス将軍へ伝令を出せ」


「はっ」




 関所当番を預かる当番隊長の命令で兵が走る。




「はあ、すげえ……本当に軍団だよ」




 別の兵士が呆れたような声を出したので、隊長は視線を足音が聞こえた関所の先の山道へと移す。


 そこには全員徒歩であるが、冬期装備にガッチリ身を包み、軍団旗を掲げた北方軍団兵が隊列を組んで規則正しく行進している姿があった。


 やがて関所へと到着した隊列。


 その先頭を歩いていた小柄な若い男が後方に停止を命じると、関所に向かって声を張り上げる。




「北の護民官、ハル・アキルシウスと護衛兵の第21軍団総勢1500名!帝国への越境許可を求めるっ!」


「……遠路お疲れ様でした、既に越境許可は下りています。門を開けますので少々お待ち下さい」


「了解した。厄介になります」




 思ったより物腰の柔らかいハルの態度に、関所当番の帝国兵達は拍子抜けした。


 クリフォナムの英雄王を一騎討ちで破り、北で40万の蛮族を殲滅した北の勝利者。


 シルーハの傭兵将軍で西方諸国において名を上げていた雷撃のアスファリフを寡兵で破り、貴族派貴族軍を壊滅させた、帝国内戦勝利の立役者がやって来ると怖気を振っていた兵士達は、怪訝そうに互いの顔を見合わせる。


 盗賊や騙りの類いでは無いかと最初は疑った兵士達だったが、北から越境してくる者自体がそもそもいないレムリア山道、その上群島嶼人が北の地にいる事は非常に珍しい、と言うか北の護民官以外にあり得ない。




 またこの峻険なレムリア山道をわざわざ1500名もの兵士を連れて、しかも北の護民官であるという擬装をして、ましてや冬に越境してくる様な理由のある者いるまい。


 早々に本物であると確証を持った兵士達。


ほとんど人が通ることの無いこの砦に詰めている兵士はわずか50名、その当番兵士達が慌ただしく動き始める。


 北の護民官がレムリア山道を踏破してくるから出迎えをするようにという通知は来ていたが、実際誰も本気にしていなかったのだ。




 加えて関所への到着予定日は明後日である。


 関所は正規編制であれば2000名の兵が駐留出来るように造られているので、広さには余裕がある。


 準備といっても休息場所となる大部屋を掃除しておくくらいしか無い。


 当番兵達は、普段使わない大部屋を掃除する良い機会と思って、掃除だけはしてあったので、あとは倉庫から食糧を出して炊き出しをするくらいである。


関所へ入ってきた北方軍団兵の身体の大きさに驚きつつ、その手助けを受けながら部屋の仕分けや炊き出しの準備をする帝国兵達。




 そうこうしている内に国境警備隊北中管区隊長のマルケルス将軍が馬で駆けつけてきた。




「北の護民官殿、遅れて申し訳ない。予定では明後日というお話だったので……」


「いえ、こちらも無理を言って日程の読めない山道を使いましたので仕方ありません。思ったよりも早く着けますね?」


「………」




 ハルの思わせぶりな言葉に、黙り込んでしまったマルケルスへ、ハルは言葉を継いだ。




「帝都までの道案内は将軍が?」


「あ、はい、私が承ります……では、日程を少し調整致しまして、明後日昼頃に出発をしようと思うのですが、構いませんか?」


「宜しくお願いします」




 物思いに耽っていたマルケルスはハルの声で我に返り、慌てて取り繕うように予定について述べると、ハルはにこやかに答えるのだった。










 帰り際、護衛兵士達の1人に帝都への手紙を託すマルケルス。




 詳細は自分が北の護民官を帝都へ案内した際に意見具申する他無いだろうが、とにもかくにもこの事実を早急に報告しなければならない。




「まさかレムリア山道が軍道の用に足りるとは盲点だった。早急に対策を取らねばなるまいな……」




 マルケルスは関所の見張り台から見送るハルへにこやかな笑顔を返しながらつぶやくのだった。

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