つながりトンボ

大出春江

つながりトンボ

「そんなに寂しそうな顔をして、何かあったかい?」

 北海道の十月上旬。

 夏の熱気は嘘のように消え去り、体を芯から凍らせるような風が、服の隙間という隙間から入り込む。北海道に越してきて一年も経たない私にとって、この寒さはかなり堪えるところだ。そんな私の隣で、あらゆる意味で完璧に防寒装備を着こなしているのは、彼女、新橋桜である。

「寂しそう、ですか?」

「空を見上げた君の顔が、そんな風に見えてね」

 驚いた。私はそんな表情をしていたのか。

「それは……」

 思い当る節はない、が。

「秋が、失っていく季節だから……。ですかね?」

「詳しく話してくれ」


「まず——春は、生物が生まれる季節でしょう。長い冬を超えて、目覚めの時期と言える。それは夏まで続く。夏は言わば全盛期で、生物の繁栄が頂点に達する時期です。そういった考え方をすれば、冬は無の時期で生物は寒さに耐えることを強いられます。そして秋は……無に向かっていく時期だと、思います」

 私はこんなことを考えていたのか? それはわからない。しかし、自身の内側、本音で話そうとした結果、スラスラとこんな言葉が滑り落ちたのだから、あながち間違いでもないかもしれない。

「なるほど、つまり、春と夏はいいとして、冬は無であると。そして、「冬は無」と認識するが故にその寂しさを免れて。秋は、生命の残り香を感じさせるが故に、その寂しさを強く感じる……ということかな?」

 少し自慢げに彼女は話した。

「流石、お見通しですか」

「それはそうさ。伊達に君と付き合っていないからね」

 マフラーから漏れる彼女の顔が、これ以上ないほどの満面の笑みだったので、私もつい笑みがこぼれてしまった。

「まあ、しかしだね。秋というのも悪くないものだよ?」

「詳しく聞かせてください」


「そうだな——夏の分厚い雲は、広がるいわし雲に変わる。街路樹には真っ赤なナナカマドが実る。日没も随分と早くなり、空気はどこか雪の香りがする。トンボをほとんど見れなくなったころ、今度は雪虫が宙を舞う。一見、生物は皆、冬に向かって死へと向かっていくように見えるかもしれない。だが、私はね……。これは、春を迎える準備だと思うのだよ。——分厚い氷雪の大地が、ゆっくりと積み上がり、ゆっくりと溶け出す。その溶け出した氷雪の下には、ナナカマドなんかの木の実や虫なんかが潜んでる。それらを手にすべく他の生物たちも動き出す。季節は循環し、春を迎える」

 彼女の横顔が、いつにも増して儚げに、また、どこか納得したように見えた。

「あっ、すまない。これでは結局、結論を話してはいないね。つまりだね……」

「いや、大丈夫ですよ」

 彼女は一瞬、驚いた顔をしたが、すぐさま察した顔をして横目に尋ねた。

「もしや、お見通しかな?」

「もちろん。伊達にあなたと付き合っていませんから」

 ただ、笑い合う。

 ただ、話しているだけ。

 しかし、それが私の人生において最も幸福で有意義な時間であることは否定のしようがなく、もしも永遠に続くとすればどれほど素晴らしいことだろうと、そう思った。


「いやいや、しかし君ね、解ってはいてもまるっきり同意ってわけじゃないだろう?」

 もう、流石としか言いようがない。

「その通りですね」

「ま、あくまで私の意見だからね、参考程度にしておいてくれ。君は君だから私の好きな君なのだよ」

 そういって背中を軽く叩いてきた。


「——そうだ、賭けをしないか?」

「また唐突ですね」

 この唐突さ、行動の速さ、けれども決して間が悪いわけではないこの感覚。実に彼女らしい話しの切り出し方である。

「賭け、というと?」

「簡単な話だ、君は秋が好きではない、対して私は秋が好きだ。そこで、だ。君が秋を好きになるか否かを賭けよう」

「また訳のわからないことを……、その賭け、私が不利すぎませんかね。いや、そもそも期間はいつまでなのか、勝者は何を得るんですか」

「まぁ待ちたまえ。不利かどうかは君しだいだよ。期間は一生。勝者は……そうだな、愛を手にするってのはどうかな?」

 ほんの一瞬、沈黙が流れた。そして、二人して同時に吹き出した。

「これ以上あなたからの愛を手にしてしまったら、どうなってしまうか分かりませんよ」

「おいおい始まる前から勝った気でいるのかい? それじゃあ不利でも何でもないわけだ」

「——ま、いいでしょう。その賭け、乗りますよ」


 そんなくだらない、最高の時間を過ごしていたわけだ。

 空にはつながりトンボが飛んでいた。

 もう、この寒さでは行き場もないだろうに。

 何故か、何故かその姿に自身の影が重なったような気がした。

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