最終話

「イナギはどうしてお屋敷にいるの?」

「学園まで通えないオレのために、一部屋貸してもらったんですよ」

 何度来ても迷う屋敷の中央階段の途中だ。降りてくる途中のテルコと中ほどで向き合う。

 踊り場の壁は全面のステンドグラスで、そこに描かれるは宗教画だ。多色な後光を背負う黒髪の少女は、神秘的であった。絵の一部のようだ。

 浮き世離れした空気を放出しておきながら、テルコは世俗的な仕草で頭を傾げた。オレの答えが理解できなかったようだ。

「Jチームの詰め所が屋敷内にあるんです。何度も言いましたよ」

「それなら聞いたわ」

「でしょ」

 オレは苦笑で返す。

 でもテルコはまだ納得いかないようだ。

 念願の『アクション同好会』の認可は下りたのだが、しばらくはこっちの活動がメインなのだ。本日も土曜の休日返上。仮部室が設置されたテルコの家――というか洋城のような屋敷へやってきたのだ。部室は二階の一部屋をあてがわれている。

 階段を一段上がったところで、テルコが再び言った。

「部屋には誰もいないわよ」

「何で?」

「みんな出動したもの」

「へ――?」

 魂が抜け出たような顔をテルコに向けた。

「変な顔~~」

 テルコが指をさして笑った。転がるような笑い声が七色の空気を揺らした。

「どれどれ――、変ってどのくらい変ネ」

 場違いな高音と、舌打ちが同時に聞こえた。

「変――というより間抜けではないか」

 リゴが直球で表現してくれた。

 間抜け――という言葉に反応してテルコとシレルが更に笑った。

 リゴとシレルはオレの正面に出てきたので、上段から見下ろす位置に立っている。テルコは下から。三人の少女にこけおろされている最低男の図が出来上がった。

「お前らが出てると通信が利かないんじゃないのか、これ?」

「うちのせいにするな」

 リゴは容赦ない。

「何をしている、アカシア・キリ!」

「あ――聞こえた?」

 ナツの声は生音であった。

 振り向くと、両開きのドアから強い日差しが入り込んでいた。その光が人の形に切り取られている。声でナツだと分かるが、怒っているのも分かった。

「何度も呼び出したというのに、何をしていた!」

 ナツの叱咤が吹き抜けのロビーに木霊した。

「待っててくれたのか――」

「一応な。……チームメンバーではあるからしょうがあるまい」

 ナツが少し優しく言った。それも刹那。

「みんな待ってるぞ、急げ!」

 女軍曹のような余韻を残してナツは光の向こうへ消えていった。

 はいはい――慌てて降りようとしたが、動けず後ろへ仰け反った。

 シレルとリゴが上段に立ったままだ。

 エレメンタルテリトリー外では、この二人はオレから周囲数メートルしか動けない。

 その逆もまた然り。

 彼女らが出ている時は、オレも動けないのだ。

 これじゃオレの方がプリズナーだな

 心で大きくため息ついた。動かない理由を訊き出す。

「二人とも、どうしたんだ?」

「めんどくさい」

「部室でいちゃいちゃするネ」

 当然の権利とでもいうように、頑なに動かない二人を宥め、渋々ブレスレットに戻ったのはそれから十分後であった。

 リゴの舌打ちが一人のロビーに残った。

 やっと自動車へ乗り込んだ。

「遅くなった――」

「たるんでる。自分の部下くらいちゃんと教育しろ」

「Jチームはトクエダさんの加入で機動性が増したというのに、スタートが遅れていては意味がないぞ」

「どうせいちゃいちゃしてたんですわ」

「ガンバです――」

「今日はどちらへ?」

 ――シレルは部下じゃないネ。

 ――うちが言い聞かせてやるか。

 キリの一言に全員が捲くし立てた。

「ややこしくなるから、やめてくれ~~」

「ややこしいとは何だ!」

「こっちの話だ」

「こっちってどっちですの?」

 リゴの舌打ちが頭の中で響いた。

 それから数十分。今度は女子たちを宥め尽くした。

 で、疲れきった……。

 もう一生分宥めた気がした。

 静かになった車内。なぜか隣でハナが熟睡している。

 開いた口から意外と静かな寝息が肩口に届いてくる。

 窓の外へ視線を移すと、風景は既に山道だ。

 イロハが言っていた通り、ナツはオレのチームに入った。リーダーとしてではない。

 リーダーはイロハである。

 そういえば、イロハとコマチは部活も辞めず、Jチームのままでいてくれていた。

 それがなんとなく嬉しい。

 結局、イロハでリーダーを固定し、ナツはドライバーを買って出た。なぜか免許を持っているらしい。その辺りは深く追求しなかった。

 裏方に回ったのかと思ったが、ナツがシレルに向ける視線はライバル心だ。一度敗れた者への再挑戦に燃えているようだ。

 もっともシレルにその気はない。

 間に入る身にもなってほしいと切実に思った。

 五月晴れから落ちる陽光に、斜面の木々の葉がきらめいている。

 人の肩を枕にするハナの頭越しに、崖側から町が見下ろせた。建物が波打つように続いている。

 この世界のどこかにヒューマノイドが潜み、その中にテルコの半身が二人いる。そいつらを捕まえるのがオレたちの役目だ。

 気が遠くなりそうな話であった。

 テルコに『行ってきます』くらい言いたかったな。

 さっき屋敷で階段で会った時のことだ。いつの間にかいなくなっていた。

 つれないよな。

 ――なら、今言えば良いネ。

 ――チッ。『行ってきます』は留守番する相手に言うもんだ、バカクモ。

 ――ひい。

 シレルの怯む声がした。

 しかし彼女の泣き声にまで思考が回らなかった。

 今言う――? 留守番じゃない――?

「ちょっ――……待て。じゃあ、テルコはここに?」

「はい、何?」

 助手席から声と共に、ひょっこりと黒髪が現れた。シートベルトをぎりぎりに伸ばし、座席と座席の隙間に覗いているのは確かにテルコであった。

「何でここにいるんだ?」

「今更ですか」

 テルコを皮切りに、今更だ――と皆が異口同音でそう言った。

 リゴのみならず、シレルまで呆れ口調であった。

 テルコはヒューマノイドに狙われている。

 『テルコを殺せば人間になれる』

 そう思われているそうだ。

 リゴからの情報では、意図的に言いふらしてるヒューマノイドがいるらしい。

 シレルや、恐らく『コウモリ』もその情報に踊らされたのだろう。

 リゴだけは少し事情が複雑だ。彼女は手放しで信じてはおらず、接触する他のヒューマノイドの動向を見守っていたようだ。病院でシレルと戦った時にも確かにいた。

 シレルの方もそんなリゴの存在に気付いていたのかもしれない。

 もしかしたら、元から知り合いだったのかもしれない。学校で『イカ』を見つけた時の反応が、会いたくない所で知人に会った時の態度に似ていたからだ。

 例えるなら、真面目な執行部部長が美少女フィギュアを買おうとしてたとか、渋い生徒会長がアイドルの握手会に参加して列を何往復もしていたとか――。

 そこで考えるのを止めた。

 それも彼女たちの個性なのだ。

 まだ《スピリット》たちが全面的にオレを信用したわけではない。

 友好的なシレルだって、秘密や隠し事だってあるだろう。

 いつか必要があった時に教えてくれればいい。

 その時のために、オレは心を開放しておくと決めたのだ。

 さて、彼女たちのことは置いておいて――テルコが狙われている……ということについてだ。

 情報に騙されるヒューマノイドが他にも現れる可能性が高いため、《ゴッドピースメイル》を護衛につけようという結論となったようだ。

 テルコはその護衛を、オレのいるチームを選んだのだ。

 だから同行しているのだと、散々こけおろされながら説明された。

 そういえば自動車に乗り込んだ時、既にテルコの声は聞こえていた。

 確かに今更だ。

 涙目で窓の外を見た。いつの間にか舗装されていない山道になっていた。振動がシート越しに伝わる。林と林の間を突き進んでいく。

 横のハナの頭もでこぼこに合わせ、肩から上下している。

 先程の口撃に加わらなかったのはハナだけであった。

 寝ていた――ということは差し引いてもだ。

 お前だけはオレを傷つけないでくれよ。

 ん――と、ハナが急に頭を起こした。後頭部がオレの顎を打ち上げた。

「着いた?」

 ハナが寝起きの声で言った。

「そうみたいだな」

 顎を撫でながら答えた。

 山道は開けた場所へ通じていた。神社らしき建物が木と木の隙間から見える。

 自動車が減速した。

 木々が途切れ、人の手の入った広場へ停車した。

 自動車から降りると、足が雑草に埋まった。

 建物はボロボロに朽ちていた。放置されて何十年というレベルだ。

「心霊スポットだ」

「まじ?」

 イロハの言葉に反応したのはオレだけであった。

「大丈夫ですよ。幽霊なんていませんから」

 ハナが優しく言った。

「も……もちろん、知ってるさ」

 強がりを込めて返した。

 誰が訪れるかも分からない神社の立地なんて充分オカルトであった。輪をかけて荒廃しているとくれば、なんの謂われが無くても肝試しには最適だ。

 手入れはされていないのに、人の出入りが見受けられるのはきっとそのせいだろう。

 カメラ視点のドキュメンタリータッチで魔女を追ったホラー映画があったが、ここはその舞台にそっくりだ。

「夜な夜な森の奥を這う音が響きわたるそうですわ」

 突然、耳のそばで低い恨めしそうな声でコマチが言った。

「なに――」

「その中心はここだ。何人かは姿を見ており、接触を試みた者が――」

「どうした?」

「何かにとりつかれたように叫びながら走っていったそうだ。追いかけた仲間を振り切るとそのまま行方不明に――」

 唾を飲み込んだ音が静まる境内に響いた。

「……いったいどこへ?」

「砂場に埋もれるように眠っていたそうよ。当然、本人にその記憶はない」

「つまり、何かがいるということか――」

 イロハとコマチが交互にした説明に、じわりと玉粒のような冷えた汗を浮かべ、オレは周りをゆっくりと見た。

 しんと音を飲み込んだように林は佇み、静謐を受けた荒社はひとを拒否しているようでもあり、手招きしているようでもあった。

「でも、いるのはヒューマノイドですよ」

 ハナが伸びをしながら日溜まりのような口調で言った。

「へ――?」

 オレは力のこもらぬ声で聞き返した。

 また間抜けた顔をしていたようだ。テルコが指をさして笑っている。

「サエジマ。もう少し引っ張るべきですわ」

「そうだな。これからがおもしろかったのにな」

 イロハとコマチの会話にハナは小首を傾げたが、オレには察しがついた。

「お前ら、からかったな!」

「ミーティングにこないのがいけないのだ」

 ナツがぴしゃりと言い止めた。

 ぐうの音もでない。

 まだ止まないテルコの笑い声は、荒廃したマイナスイメージを払拭していた。

「都市伝説調査部なのだ。ホラーやオカルトが苦手でどうする」

「嫌いなだけだ――」

「大丈夫、キリくんのフォローはあたしがしますよ。『コウモリ』と戦った時みたいに」

 そのハナの発言はイロハたちを色めき立たせた。

 いや。『コウモリ』の時も確かに怖かったが、ハナに助けてもらうほど脅えていなかったはずだ。オレはそう信じている。……自信は紙っぺらほどだが。

 女子たちの追及が始まる前に、オレは苦肉の策で神社を指さした。

「あれは何だ?」

 皆の視線が指の延長線を向いた。

 と、戸の陰に動くものがあった。

 光の届かない深淵の底のような屋内で、ゆらりと影が動いた。

 後ろでひきつった声がした。

 幽霊じゃない。

 その影に質量を感じていた。

 オレは右手首のブレスレットに触れた。

「装着!」

 凛とした声が空へ抜けた。

 光に包まれ、二呼吸で視界が戻ってくる。額と腕と足、そして左肩に装着感と重みが加わる。バイザー内に情報が表示された。

 屋内に【Enemy】の赤三角。背後に【ハナ】の名前。

 緑三角が近付いてくる。

「大当たりでしたね」

 ハナが横に並んで言った。

 あのイレギュラーな異常事態でも動じず、《ゴッドピースメイル》を装着したのはさすがであった。

 暗視モードでズームする。強固そうな甲羅のような外装と、小さなハサミ、特筆すべきは後頭部から出ている結い髪のような尻尾――先には毒針のようなものも見える。

 蠍か。

 やはり女性らしいフォルムであるが、オレたちを認識しておきながら逃げるつもりはない所を見ると、彼女も気が強いのだろう。

 ――も、だと?

 頭で舌打ちが続く。

「他に誰がいるんだよ」

 ――お前のことネ。

 頭で笑い声がする。

 深くため息をついた。

 シレルにまで受け答えしていたら変に思われる。完全な独り言なのだから。

 現にハナが不思議そうに見ている。

 ハナの視線を逃れるようにオレは後ろへ振り返った。

 イロハとコマチはようやく金縛りから意識が戻ってきたようだ。

「イロハ、コマチ。先に行ってるぞ」

 その向こう――自動車の横に立つナツと目が合う。

 ゆっくりと、だが力強く、ナツは頷いた。

 その隣にはしっとりとした黒髪を讃えた少女が、笑顔で手を振っている。

 二人に笑顔を返した。

 視線を戻すと、すぐ傍に黒鉄色の『アイアンメイデン』がいる。

 飾りの少ないヘッドセットの中で血色の良い顔がオレをまだ見ていた。

 目が合うと目を伏せながら一歩下がった。

 相変わらずだ。

 苦笑いを浮かべながらも、頼りになる相棒へ声を掛ける。

「ハナ、《エレメンタルテリトリー》だ」


(了)

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GodPeaceMail ~亜種系少女をチームに入れたら新時代の幕が開けた~ Emotion Complex @emocom

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