第13話

「わたくしたち、二周目ですわ」

「ぼやくなよ。置いてくぞ」

「geez、その方がいいよ」

「ほらほら、急いで」

 『コウモリ』と『イカ』と戦った洋館から、テルコのいる病院までずっと走ってきたのだ。

 山道から国道へ。自動車のヘッドライトが時折すれ違うのみの寂しい国道をひたすら北上した。

 オレンジの街灯が夜の蒼を強調している。

 さっき聞いた所によると、オレたちが出動した後、イロハとコマチは別々に研究所を出たらしい。

 イロハは駅まで行って引き返した。暗くなりかけた山を必死に登ると、門の所にコマチがいたという。コマチはずっとそこから動けなかったらしい。

 どちらがというわけではなく、《ゴッドピースメイル》を着装すると、追跡機能でオレたちを追ってきたのだ。

「ぼくは怒りっぽいから――……。そんな事で、もう二度と誰かを失うのは御免だったんだ」

 イロハは駆けつけた理由をそう述べた。伏せた目には悔恨が見えた。

 過去に何かあったのだろうが、今オレが踏み込める領域ではない。

「わたくしはアカシアに負けたままが悔しかっただけですわ」

 コマチはそう言ったが、門から動けなかった人のセリフではない。もっと他に理由があると思えるが、これも今は言わないでおいた。

 そもそもオレはなんか勝ったっけ……?

 ただ、オレは二人に深く頭を下げた。感謝の念を込めて。

 二人が来てくれなかったら、『イカ』を倒せたかどうか――。

 顔を上げた時の、二人の笑っていいのか、照れていいのか、そんな困惑の表情が印象的であった。

 その後、三人でテルコの元へ走っている。という状況に繋がるわけだ。

 少し勾配のあるカーブの向こうに、研究所のシルエットが浮かんだ。

「もう少しだ」

 振り向いて言うと、後ろの二人が頷いた。もう声が出ないらしい。よく付いてきている方だ。

 再び走り出して三分。なかなか近付かない建物に、いらいらが募りだした頃、正面に人影が見えた。走っているようだが、歩いてもそれほど変わらない速度だ。

 正面の影が転んだ。何もない場所で。

 誰かは分かった。

「ハナだ」

 言って速度を上げると、後ろの二人も同じ速さで追随してきた。

 声を掛けると、転んだ影が顔を上げた。

 濃い影の中でも彼女の顔は涙で崩れているのが分かった。

「お、おい……――間に合ったんだよな?」

 崩れた表情のままハナが頷いた。何度も何度も――。

「そうか。良かった」

 追いついた二人がしゃがみこんだ。

「もう、ゆっくり行っても良いですわよね」

「phew――」

 イロハとコマチが息も切れ切れに言った。

 オレはハナの頭を撫でた。

「よくやった」

 ハナは涙に鼻水まで加わったすごい状況のまま笑った。

 ポケットからハンカチを出すとオレはハナの鼻水を拭いてあげた。

 ハナはハンカチに顔をうずめたまま号泣し始めた。

「良く思いついたな、アカシアくん。最初からそのつもりだったのか」

「まあな――」

 オレは少し煮えきらない返事をした。

 『コウモリ』をハナに倒させたことで、『コウモリ』は『アイアンメイデン』の《プリズン》となる。フュージョンならこの状況を打破できるかも、とは思っていた。

 そのつもりだった――といえばその通りだが、半分以上は賭けであった。

 フュージョンできるかどうか――。飛べるかどうか――。スピードはでるかどうか――。

 この賭けにオレは……いや。オレたちは勝った。

 『コウモリ』のフュージョンにより得た飛行アビリティで、ハナは病院へ一飛び。テルコの生体エネルギーが入った《ゴッドピースメイル》を持って、シャロンと共に先行したのだ。

 残ったオレたちは走ることになったが、タイムリミットには間に合った。

 作戦は成功だったのだ。

 オレも小さく安堵のため息を洩らした。

 ハナの号泣もようやく収まり、しゃくりあげる声だけが蒼い夜に静かに聞こえていた。

「アカシアくん――」

 イロハが小さく声を掛けてきた。

 彼女の視線に合わせると、道の先に仁王立ちの影があった。

 二メートルを超えるマント姿は、そこにいるだけで他を圧倒する威圧感がある。

「『カブト』……」

 緩やかな坂上で街灯を背負う影へ、オレは拳を突き出した。

「テルコは無事だ。安心しろ」

 『カブト』はじっと立っていた。

 言葉を理解するのに時間が掛かっているのか、それともテルコの無事を噛みしめているのか――分かり得ないことであった。

 『カブト』がオレを襲ってきた理由。それだけはちょっと理解できた気がする。

 きっと腕試しだったのだ。

 敗けはしたが、玉を渡されたから合格だったのだろう。

 渡してどうする気だったのか。

 病院で戦いに巻き込まれたのは偶然だ。玉を持っていた偶然。病院でテルコが襲われた偶然。《ゴッドピースメイル》が手に入った偶然。

 狙って出来るものではない。『カブト』の執念が起こした奇蹟なのかもしれない。

 ただ一つ言えるのは、オレとテルコを結びつけたのは、彼だ。

 山は夜陰そのものを飲み込んだように、静かに時を刻む。

 その沈黙を乱さぬように、『カブト』が厳かに頭を下げた。

 礼に始まり礼に終わる。サルノベ柔術の理念だ。実に堂に入った挙動であった。

 『カブト』は頭を上げると、背を向けた。

 礼に終わるということは、共闘はここでいったん終了……ということだろうか。

 あんたはもしかしてテルコのおにいさんでは――?

 その言葉を呑み込んだ。

 『カブト』の姿は既に夜闇の向こうに消えていた。

 確証は全くない。そうであったら良いなという期待だけがあった。

「あいつはヒューマノイド。シャロンちゃんとは違うネ」

 シレルがまた出てきていた。

 イロハとコマチがぎょっと顔を上げた。

 そこでオレは改めてシレルを紹介した。いまだにすすり泣くハナを除き、挨拶を済ませた。

 『イカ』との戦いで協力プレーをしたおかげか、それとも彼女たちの中で何かが変わったのか、シレルを敵視することはないようであった。

「ところでナツと違うって、何のことだ?」

「シャロンちゃんはヒューマノイドではないから仲良くしてても良いネ。でもあいつはヒューマノイドだから、いつかは決着をつけるネ。」

「そういうものなのか?」

 シレルが答えに逡巡していると、声は別の所から上がった。

「お前は説明がヘタだな、『クモ』」

 今度はオレもぎょっとした。

 シレルの横にもう一人、女の子が立っていた。

 オレの偏見で言わせてもらえば、生徒会の優等生女子だ。

 隙の無さそうな目を濃い睫毛がアイラインのように縁取り、その目力は最強の圧迫感を持っていた。

 この流れからすると、この子は『イカ』だな。

 そう思うと、ヒューマノイドだった時の雰囲気は残っている気がする。

 ひっつめ髪より下の位置で編み込んだ髪型は頭部のえんぺら部分だ。背を反らすような姿勢。OLさんのようなタイトな上下のスーツは夜暗に映える白だ。同じく白いシャツは第二ボタンまで外されている。

 真一文字に結ばれた小さな口が開いた。

「そういう面倒くさいことはお前には関係ない。『クモ』の言っていることは嘘だ」

「ええ~~、シレルは嘘言わないネ」

 シレルの抗議に、かつて『イカ』だった少女はチッと舌を鳴らした。

「この世は九十九パーセントの嘘と一パーセントのごまかしで動いてるんだよ」

「真実全くなしかよ」

「『クモ』のように何でもかんでも教えてやる義理はない」

 シレルがむくれた。

「それはともかく。お前、あの『イカ』だろ。これからよろしくな」

 ハナがハンカチを押さえる手を離さないため、しゃがんだまま挨拶を済ませる。

 『イカ』だった少女の、最大級の舌打ちが夜に響いた。

「ヒューマノイドがみんな『クモ』のように好意的なわけじゃない。うちは人間――お前の寝首を掻く機会を狙ってると思いな」

「え――……と、それは嘘?」

 言動には九十九パーセント嘘が入っているのなら、今の発言も嘘になる。

「なに――?」

 『イカ』だった少女が、怒りと困惑がごちゃ混ぜになったような表情を浮かべた。

 元ヒューマノイドとは思えない豊かな感情表現がおかしくてオレは大声で笑った。

 『イカ』だった少女の舌打ちもその笑い声に負けた。

 困惑色を強めた少女の横でシレルも笑っていた。

 オレは改めて少女に言った。

「とにかく一蓮托生だ。諦めて、よろしく頼むぜ」

「リゴ――」

 小さくだが、『イカ』だった少女はそう言った。

「リゴ?」

「うちの名前だ」

「そうか。オレはアカシア・キリだ」

「人間の名前など覚える気はない」

「そう言われると、絶対言わせたくなるな。キリさま、大好きよ――とかね」

「な――セクハラだぞ」リゴは夜目でも分かるほど頬を赤らめた。「死んでも言わん」

 表情は人間よりも人間らしかった。

「シレルだったら、いつでもいくらでも言ってあげるネ」

「はい、はい、ありがと」

「もっと感謝するネ」

 まだバカ話できそうであったが、イロハが会話を終了させた。

「そろそろ病院へ行かないか?」

「そうだな。ハナ、行くぞ」

 ハナは顔をハンカチに埋めたまま首を横へ振った。もう涙は止まっているようだが、頑なに手を離そうとしない。

 既に立ち上がっているイロハとコマチが顔を見合わせた。

「まさかと思うけど、今更ながらに涙顔を見られたくないからじゃないよな」

 ハナは激しく首肯した。

「ふざけるな。手を離せ」

 強引にハンカチを取ろうとしたが、石のようにハナは動かなかった。

 と、両脇にイロハとコマチが立った。

「なんだ?」

 脅えた声で訊くと、二人はガッと腕を押さえこんだ。

「乙女の泣き顔を見ようとするなんて酷い男だな」

「サエジマ、今ですわ」

 コマチの声を機にハナが離脱した。ハンカチをそのまま顔に当てたまま――。

「バカ、危ないぞ――」

 言い終わる前に、ハナは擁壁へ真正面から激突した。変な声を上げながらしゃがみ込んだ。

 イロハとコマチがハナの名を呼びながら駆けていく。

 二人がハナを介抱する姿を横目に、オレはリゴとシレルに声を掛けた。

「どうだい、人間の姿は?」

「姿に憧れた訳じゃない。それに《プリズナー》じゃどうしようもないだろ」

「シレルは満足だけどネ」

「アホクモは黙ってろ」

 ひぇぇ――と情けない声でシレルが泣きついてきた。

 リゴの舌打ちがシレルの泣き声を貫いて響く。

 ハナを抱えるようにイロハとコマチが研究所へ歩きだした。

 よしよし――と肩へ置かれたシレルの頭を撫でながら、その背中を見送る。

「じゃあ何で人間に憧れたりしたんだ?」

 リゴは舌打ちしかけたようだが、思い直したようにオレを見返した。

「人間は強いくせに群れて弱者を虐げる。かと思えば、弱いくせに弱者を助けたりする。不思議だ。うち自身が人間になれば分かるのかと思っただけだ」

「人間のそういう不思議さは、オレにも理解不能だ」

 リゴが顔を歪めた。不愉快さをストレートに表せばこうなるだろう。

「からかってる訳じゃない。多分……いや、きっと誰にも分からないことだと思うんだ」

「それでも――良いんだ。うちは輪に入りたかっただけだ――」

 小さくリゴが洩らした。それは本心のようだ。

 いつの間にかシレルも肩から離れ、リゴを見ていた。

「そうか――」

 オレは自然と浮かぶ笑みを口から外せずにいた。

 姿が違ったって同じ時間を過ごすことは可能だ。

 変わらずそう確信している。

「お前たち《スピリット》は必ず自由にしてやる」

 凛と言い放つ。

「なに――?」

「《スピリット》……ネ?」

 シレルとリゴは同時に声を上げた。

「オレはお前らを仲間だと思ってる。だから《プリズナー》じゃなくて別の名称が欲しかったんだ」

 シレルとリゴの二人を視界に収めて、続けた。

「ヒューマノイドとしての身体を失った今、お前らは魂といえるかも……そう思ったら今、良い案が浮かんだ。それが《スピリット》だ」

「自由にする――ってのは何だよ」

「今は手段が全くない。だけど絶対に見つけ出して、ここから解放してやる」

 そう言ってオレは、右腕のブレスレットに左手を置いた。

「気長に待っててくれ」

「そんな夢物語――」

 リゴは呆れるように言った。シレルまで唖然と口を開けたままだ。

「そしたら、みんなで一緒に弁当を持ってピクニックへ行こう」

「子供かよ――」

「……そうなったら、嬉しいネ」

「だろ」

 にぃ――とシレルとリゴへ笑った。

 シレルはやっと笑顔で返し、リゴは顔を逸らしながら舌打ちした。

「お前にキャプチャーされたのは、うちの一生の不覚に思えてならんよ」

「そう言うな。オレといて良かったって思う時がくるよ」

 研究所へ歩き出す。

 山道を白い街灯が強く照らしている。緩く勾配する路面は、雨上がりの薄さで青く輝き、研究所へ延びていた。

「どうだろうな。疑わしいものだ」

「シレルは思ってるネ」

 声が後ろをついてくる。

「うるさいと言ってるだろが、アホクモ」

「リゴっちがいじめるネ~」

 またシレルが腕にくっついてきた。

「リゴっち――だと?」

「仲良くしてやって。リゴっち」

 からかうように言うと、リゴは返す言葉をなくしたのか、そっぽを向いた。

 怒っているというわけでもないらしい。舌打ちはそれから数歩の後だった。

 研究所は山に優しく抱き抱えられ、山は星々に寄り添われている。きっとその星たちにも誰かが傍にいる。

 オレは一人では何もできない。ハナやナツ、イロハとコマチそれにシレルがいたからこそテルコを助けることができたのだ。

 もしかしたらリゴや『コウモリ』も作用していたのかもしれない。

 誰かが山であり、誰かが星なのだ。

 オレは強くそう思った。

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