第6話 違和感のなくしかた

 カフェの大きなガラス窓に、西園寺詩と、その隣には見たこともない少女の姿が映っていた。和音は思わず周りを見渡し、そこに自分たち以外は誰もいないことを確かめて、再びまたガラスに映った少女の方に向き直った。

 じゃあ、やっぱり詩の隣に立っている少女は——自分、なのだろう。

 眼鏡をテーブルの上に置いてきたのでぼやけているから尚更だけど、どう見てもそこにいるのは女の子だ。

「上杉君、私はあなたの声は、いやあなたの声こそが本当の個性だと思うの」

 隣に立っている詩が、視線をガラスに向けたままそう言った。

「個性……?」

「そう、個性。中学であなたに何があったかは知らない。でも、あなたの声は賞賛されるべきもので、揶揄からかう人たちがいるって意味が私にはわからないの、マジで」

 ため息をつきながら、詩は小さく横に首を振った。

 詩のストレートな言葉に思わず涙が出そうになって、グッと堪えた。詩とは同じクラスになってからも、ほとんど喋ったことがなかったから、どういう人かも知らなかったけど、きっと西園寺詩は元々こんないい子なんだろうな。

「あ、ありがとう……。でも、僕の周りの人たちは、君と違う。男の僕が当たり前の僕の声で話すのは違和感しかないみたいなんだ。残念ながら、僕はやっぱりこれからも僕の声を隠さなきゃいけない。でなきゃまた——」

 和音にいろんな感情が蘇った。もう2度と中学生の頃のような気持ちで高校生活を送りたくない。友達がたくさんいる君には、きっとわからないだろうね。

「じゃあさ、いっそその声と違和感のない姿になっちゃえばいいじゃん」

 とてもすごいことを思いついたというキラキラした顔で、詩が和音に振り向いた。

「えっ? 違和感のない姿って……」

「だから、そういう格好よ。周りを見てみて。誰も今のあなたのことを笑う人はいないよ」

 ほら、と詩は周りをぐるりと指差した。

「バカを言うなよ。僕は男だよ。スカートなんか履くのはおかしいだろ」

 和音は全力で否定した。ありえないよ!

「それって、そのままあなたを揶揄った人たちと同じ考え方じゃないの」

 言葉に詰まった。ど正論だ。反論できない。

「私はね、あなたに女の子の格好をしたらなんて言ってない」

「じゃあ、何だって言うんだよ」

「あなたに似合う服を着たらいいって言ってるの。それがたまたま多くの女の子たちが着る服だったとしても、それがあなたに似合う服なのよ」

 そっかあ。それが僕に似合うなら——

 違う、違う。何というか、彼女の言葉には妙に説得力がある。和音は危うく納得するところだった。

「いやだ。絶対断る」

「あら、意外と頑固なのね。いいの? バラすよ?」

 ふはははは。もう騙されるもんか。

「絶対に、い・や・だ」

 ざまあ。もう奴隷扱いはできないぞ。

「じゃあ、ずっと誰とも喋らないで高校生活を送るの? あのしゃがれ声で通すの? 普通に喋りたいと思わないの?」

 妙に必死に口説きにきてる。乗せられてたまるか。

「君の言う普通がどんな普通か知らないけどさ、僕は絶対に君の言う通りにはならないよ。いつ、どんな服を着るかなんて僕が決めることだよ。そうだよ、僕の権利だ。そこは絶対に譲らない。じゃあ君は、たとえば僕に女子の制服を着て学校に行けって言ってるの? プールはスクール水着でも着ればいいの? 体育は何を着て? ありえな——」

 クックック——

 突然、詩が口に拳を当てて肩を振るわせ始めた。

「な、何だよ」

「上杉君って、意外とおしゃべりなのね。いっつも暗い顔して教室の片隅で黙って本を読んでるのに、本当の上杉君はこんな感じ?」

「うるさいな。そうだよ、どうせ僕は本当はおしゃべりだよ。教室では必死に黙ってるんだよ!」

「ほらね、しゃべったほうが楽でしょ。だから、声にあった格好をすれば、楽しい毎日が待ってるよ。だから、ねっ?」

 顔を覗き込んでくる。この小悪魔め。

「あー、絶対に嫌だ。絶対に嫌だ。大切なことだから、2回言いましたあ」

 だが、詩は涙をこぼしながら、ひたすら笑い転げたのだった。

 結局、2人の会話はいつまでも噛み合わなかった。


 もう帰る。そう言って席を立つ。今日ぐらい黙って奢らせたってバチは当たらないだろ。

「あっ、ちょっとレジを済ませるまで待っててよ」

 その声を背中に、眼鏡をかけて和音はさっさと帰路に着いた。 

 だが、しばらくして慌てたように詩が走って追いついてきて、再び並んで歩き出した。電車を降りて駅を出てもずっと横にいる。

「あのさ、どこまでついてくるんだよ」

 和音は賃貸マンションの我が家の前で立ち止まった。

「あなた次第、かな?」

「はあ?」

「家はここ? じゃあ上杉君さ、その格好で家に帰る気?」

 あっ、すっかり忘れてた。まだ詩のワンピースを着たままだった。

「やべえ。どこかで着替えなきゃ」

 あるはずもないが、着替える場所をキョロキョロと探してみる。

「じゃあ、うちに寄って着替えて行く?」

「近いの?」

「うん。ここのマンションの裏」

 知らなかった。こんなに近くに住んでた。

「じゃ、早く行こ。母さんに見つかったら大変だ」

 詩が手を伸ばして、和音の眼鏡を外した。

「こんな眼鏡かけてたら、バレバレ。それに可愛くないし」

 詩が和音の手を取ってさっさと歩き出したが、つと立ち止まった。

「あっ、そうだ。上杉君の住んでるマンションはね、うちの所有なの。奇遇ね」

 屈託なく詩が笑った。

 

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