第5話 完璧なの

 ナイクロでクラスメイトの竹本莉菜たちと別れてから、和音が妙に無口になった。繋いだ手を強く引かなくても、黙ってついてくる。

 詩は、そのままよく行くカフェに和音を連れて行った。ピアノの先生の家に練習に行く前によく行く店だ。今日は天気がいいので店の外にある小洒落た椅子に和音を座らせ、和音には確認せずにラテを二つ注文した。

 オープンテラスに降り注ぐ春の暖かい日差しが気持ちいい。

 

「あのさ……」

 しばらく黙っていた和音が何か言いかけたところへ、先ほど注文したラテが運ばれてきた。ふんわりとした白い泡にチュロスが2本、突き刺してある。このカフェで一番人気の飲み物で、詩がこの店に来ると必ず注文する。

「このラテ、とっても美味しいの。せっかくこの店にきたから、上杉君にもぜひ飲んでみて欲しくて、勝手に頼んじゃった。いいよね?」

 そう言いながら、詩は黒縁の眼鏡をコトリとテーブルの上に置いた。眼鏡がないと歩けないという和音のものだ。今の格好に合わないので、詩が無理矢理に外させて、その代わり歩くときはずっと手を握っていたのだ。

「あのさ、これって何の嫌がらせ? 君は何がしたいの?」

 その眼鏡をじっと見つめながら、やっと和音が口を開いた。学校にいるときみたいなしゃがれ声じゃない、本当の声なんだろう。

「えっ、嫌がらせって……」

「さっきの竹本さんたちだって、どうせわかっててからかってんだろ。弱みを握ったからって、随分と酷いことするんだね、君も」

 和音が顔を上げて詩を見た。明らかに怒っていた。

「ごめん、ひとつだけ聞いていい?」

 詩にはどうしてもわからないことがあった。

「なんだよ」

「上杉君はカラオケ屋さんでも言ってたけど、誰にも言わないでって、どういう意味なの? 弱みって何のこと?」

「何のことって」和音がポカンと口を開けた。「何を言ってるんだよ。何度もバラすぞ、バラすぞって僕を脅したくせに。惚けんのもいい加減に——」

「ちょっと待った!」詩が和音が喋るのを止めた。「そこよ、そこ」

「そこ?」

「うん。だって上杉君が『お願いだから誰にも言わないで』っていうからさ。何のことだろって思ってたの。私ってば、上杉君の何の弱みを握ってるの? どうしてもわからないのよね」

「はっ? じゃあ君は、何のことかわからずに、散々、バラすぞって脅してたってことなの?」

 詩は照れながら「うん」と首を縦に振った。

「だって、上杉君が素直に言うこと聞くんだもん。ごめんね」

 和音がラテから引き抜いて振り回していたチュロスを1本、ポトリとテーブルの上に落とした。

「あっ、あのさ。じゃあ、そんな誤解で僕は今、こんな格好をさせられてるわけ?」

 こくり、と詩が頷いた。

「お化粧までして、膝から下がスースーする服まで着させられて?」

 テヘペロ。「だって、上杉君には絶対似合うって閃いちゃったんだもん」

 和音が全身の力が抜けたようにガックリと項垂れ、テーブルに突っ伏した。

「ほらダメよ、足を開いちゃ。見えちゃうでしょ」

 その和音の膝を、詩がピシャリと叩いたのだった。


「ほら、僕の声って女の子みたいだろ?」

 やっと自分の弱みについて、和音が喋り出した。

「うん、すっごい可愛い声。歌もめっちゃうまいし。で?」

「いや。だからさ、男の僕が女の子の声なんだよ?」

「だから、すごい羨ましい。私、声が低いから上杉君の声が欲しい。それがどうしたの?」

 彼は何を言ってるんだろう。何か問題でも?

「あー、だからさあ。普通、男の僕が女の子の声を出したら、みんなが変だって笑うよね?」

 変って——? 何の問題があるのか、詩にはわからなかった。

「ごめん、意味がわからない。素敵な声を持ってたら、何で笑われるの?」

「いや、だから。普通は、違和感? 見た目とのギャップ? とにかく中学ではそれで笑われて、変だっていじめられて。高校生になって、またそうなのかって、お化粧されながら絶望してたんだよ!」

 和音が苛立つように立ち上がって大きな声を出したので、周りにいる人たちが驚いたようにこちらを見ていた。詩はその和音の袖を軽く引いて、座らせた。

 そうか。やっと和音の言っていることを詩はやっと理解した。

「私は……。あなたの声は素敵だと思ったの。あのカラオケボックスから聞こえてきた、あの声。私には絶対にないものを見つけたって、私は興奮して舞い上がっちゃって」詩は一度大きく息を吸った。「あの部屋から出てきた人と友達になりたいって、本当にそう思って」

「友達?」和音がつぶやくようにリピートした。

「うん。私、絶対友達になりたいって、部屋の前でずっと待ってた。そしたら出てきたのが」

 そこまで言って歌が和音を指差すと、和音も「僕?」と言う表情で自分を指差した。

「これは神様のお導きだと思った。そしてあなたの顔をよく見たら、閃いたの。あの声にもっと似合う服があるって」

 詩は立ち上がると、和音の腕を取って立たせると、店の大きなウィンドウの前に連れて行った。

「私の服を着たら、あなたの声はきっと完璧だって。そう思った」

 ウインドウには、手を繋いだ詩と和音が映っていた。

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