【三十六】青い光のエルツ【最終話】

 心地よい風に吹かれて、桜の花びらが舞い降りてくる。王都はすっかり春めいてきていた。その中央、再建中の白円城では街路樹に桜の木が植えられていた。


 今丁度見頃である。建築資材を運ぶ荷車や作業員たちに混じって、市民たちが桜見物に大勢やってきている。少し厚着の人たちは帝国からの観光客だろうか。停戦後、国境における往来の制限が随分緩和されたと聞く。


 出店も見える。出店。いいのか、ここは一応城内である。しかし巡邏している兵士たちが咎める様子は無い。


 エルツは出店に立ち寄り、イカ焼きを買う。財布から銅貨を取り出す。財布の中に金貨は無い。節制せねばならないが、今日ぐらいはいいだろう。王都は海からちょっと離れているので、イカ焼きは少し高かった。


 エルツはブラウスとズボンという出で立ちだった。紫色の軍服は着ていない。今はもう、それを着る資格は無い。今のエルツの名前はエルツ・スレドナ。王位継承権は剥奪された。母の故地も引き継いでいない。ただのエルツだった。ただ金属プレートのペンダントだけは首から提げていた。


 城の出口まで来た。大きな城門が開いている。兵士たちが往来する人々のチェックをしている。エルツもチェックを受けるが、鞄の中身を簡単に改められただけで「言って良し」とすぐ解放された。


 城門の外からは、石畳の広い大通りがずっと続いている。少し下り坂になり、左右にぶれながらも大体真っ直ぐに王都の外周部にまで続いていく。


 大通りに、四輪車が一台止まっているのが見えた。エルツはその四輪車に向けて歩いていく。四輪車には四人の人影があった。髭面の中年、眼鏡の青年、背の低い少女、そして短髪の少年。


「や、お勤めご苦労様」

「お勤めいうな」


 エルツは食べかけのイカ焼きを、短髪の少年——フィエの口に突っ込んだ。フィエは一口二口もぐもぐと齧り付くと、棒を持って口からイカ焼きを取り出す。


「何これ」

「出世払い」

「え、なに。出世払いって食べかけじゃん。減ってるよ?!」

「王族から一般市民に出世したの。出世したからといって賃金が増えるとは限らないでしょ?」

「ひどい話だ」


 情けない顔をしながら、もぐもぐとフィエはイカ焼きを食べる。


「インヴァネスはどうしてるかね?」


 髭面の中年、ユングが聞いてくる。エルツは肩を竦める。


「業務を引き継いでから合流するって。まあ一週間ぐらいかかるんじゃない? こなくていいのに」

「はははっ、まあそう言わないであげてよ。彼みたいな人は貴重よ?」

「そりゃ分かってるけどさ」


 エルツはそっぽを向いたまま溜息をつく。分かる、分かるけど。何時までも子供扱いされるのは癪なのだ。


 座席のシートに顎を乗せたマラウイが聞いてくる。


「なー、エルツー。ホントに傭兵になるのか?」

「うん。正確には私は魔鋼器管理局の職員、マラウイたちはその護衛に雇われた外部協力員だけどね」


 魔鋼器管理局。先月設立された、魔鋼器を包括的に管理する為の機関である。帝国と王国の共同で設立された初の国際機関、公的ギルドの一種といっていい。


 この大陸にある全ての魔鋼器は開封無しに動き始めた結果、王族の血族による『開封』の価値は事実上無くなったが、魔鋼器を止める『封印』に関してはまだ価値がある。暴走した、または悪用された魔鋼器を止めるという役目が、魔鋼器管理局に与えられた役目である。


 とはいえ。現状職員はエルツともう一人だけ。外部協力員もフィエたちを含めて七人しかいない小さな組織ではあったが。


「あー、王女様!」


 通りの向こうから少女の声がかかる。振り向くと、銀髪の少女がエルツに向かって手を振っている。何やら紙袋を持っていて、荷馬車が通り過ぎるのりを待ってからエルツの方へ駆け寄ってくる。


「お久しぶりです! あの時は助けて貰ってありがとうございました。ずっと御礼、言いたかったんです」


 銀髪の少女は紙袋をフィエに渡してから、エルツの両手を取った。彼女の名前はシャロン。アトパラが連れてきたあの手枷の少女である。彼女がもう一人の職員である。


「元気そうで良かったわ。故郷には帰らなくていいの?」

「はい。一度故郷には帰りました。でもこちらで雇ってくれるっていうんで戻ってきちゃいました」


 シャロンはちらりとフィエを見てから、改めてエルツに向かってニッコリと笑った。ん? なんだ今のは?


「私もいるヨー。研究院の方から来ましター」


 ふとシャロンの横に、博士がいた。彼女も何やら紙袋を持っている。どうやら二人して買い出しに行っていた様だ。


「アンタ、上手くやったわね。いつの間にか研究院に入り込んで」

「くふふ、これからは科学の時代ですヨ。利用価値がある限り、多少のお茶目は見逃して貰えるものですヨ」


 にはにはと博士が笑う。多少、あれが多少か。まあ人のことを言えた義理ではないが。


「全員揃ったな? それじゃ乗って。事務所へ行くよ」


 タハトがパンパンと手を叩いて促す。皆がバラバラに「はーい」と返事をして四輪車に乗り込むと、ゆっくりと走り出す。



  —— ※ —— ※ ——



 四輪車は大通りをゆっくりと走っていく。馬車と同じ所を走るから、それほど速度は出せない。馬車、馬車、四輪車と擦れ違う。少しは魔鋼器の数は増えたか? 増えたような気もするし、変わらない様な気もする。


 ——エルツは空を見上げる。


 少しは何かを変えられたんだろうか? とりあえず私の周囲の状況は大きく変わった。息苦しさが若干の不安感に変わった。それが良いことなのかどうなのか。今はまだ分からない。


 エルツは目を瞑った。どちらにせよ、少し考える時間が必要だ。これからゆっくり考えよう。


「あー、でだ。早速お仕事が入っている」


 助手席に座っているユングが後部座席に向けて言う。


「村の隅に放置されていた魔鋼器から水が出て止まらないそうだ」

「便利じゃん。井戸の必要が無い」


 フィエの言葉にユングは首を振る。


「止まらないので、今村の周りは湖の様になっているそうだ。水没する前に止めてほしいとのことだ」

「面白いネ。水はどこから持ってきているのかナ。汲み上げているのか、空気中の水分を抽出しているのか、楽しみネ」

「そんな訳で、事務所に寄ったらすぐにお出掛けです。宜しいですかな、エルツ嬢?」

「ええ、分かったわ」


 エルツは目を開けた。その青い瞳には、どこまでも続く青い空が映っていた。





「何でも持ってきなさい! 私、エルツ・スレドナが全て解決してみせるわ!」







  —— 青い光のエルツ【完】——

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