【三十二】宇宙と書いてソラと読む

 エルツは口を開けたまま、上を見上げていた。


 フィエもその隣で同じ様な顔をして上を見上げている。マラウイもタハトもインヴァネスもエルゴンも、皆同じだった。博士とユングだけが操作盤を見ている。


 艦橋の上には青い球が浮かんでいた。視界の半分を占めるその巨大な球には、青い部分や茶色い部分があり、それを薄っぺらく覆う様な形で白い部分が点々としている。


 それは、地球というものだった。つまり自分たちがさっきまで立っていた大地のことである。地球というもの、自分たちの住む大地が球形で、宇宙という空間に浮かんでいる。そういう知識としては知っている。しかし実際に見るのは初めてだ。


 それは、何ともいえない気分だった。

例えば、高い山に登った時にその頂上から見る風景。今まで見たことの無い風景を見て感動するという感じとは、違う。いや感動しているのかも知れないが、なんだか実感が湧かない。妙にふわふわと浮ついた気分だけが心を小刻みに動かしている。


「どうですかナ、地球を見た感想は?」


 博士が声を掛けてくる。自身も初めて地球を見るはずだが、なんだかいつも通りである。


「……よく分からないけど、たぶん一生忘れないわ」


 エルツは皆の心境を代弁するかの様に答えた。たぶん、全員そう思っているだろうということだけは確信があった。



  —— ※ —— ※ ——



 最初は小さな点だった。それがゆっくりとビー玉ぐらいの大きさになり、丸い構造物であることが視認出来てから急速に大きくなり始め、気がつけばあっという間に視界全体を覆っていた。


 それが『ウラノス』だった。エルツたちが乗った白い航空船が接近すると、表面の一部が開いた。航空船は各所から熱気を吐き出し、進路を微調整しながらその中へと入っていく。


 入った先は多分港だと思われた。壁から埠頭のような橋が幾つも伸びていて、その内の一つに接舷する。隣には白い航空船よりも一回り大きい艦が泊まっている。アイドウシチナ発掘抗から飛び立った航空軍艦二番艦だった。背後で入港口が閉まる。


 しばらく無音だったが、段々と空気が流れ込む音が聞こえ始める。その音も止むと、ようやく航空船から降りることが出来た。


「およ?」


 一番に降りていった博士の身体が宙に浮く。思わず手を動かすと、身体が回転し始める。回転したまま博士は流れていき、天井にぶつかって蛙の鳴き声の様に呻く。


「うわッ……何これ?」


 エルツも歩き出したその反動のまま、天井の方へと流れていく。途中で戻ってきた博士とぶつかる。お互いに手を握り合うと、二人を中心としてゆっくりと回り始める。


「人工重力が働いてない。ちょっとヤな予感がするヨ」

「どういうこと?」

「如何に旧文明の遺産とはいえ、整備も無しで数千年も宇宙空間に放置したまま……」


 ぎしぎしと、港全体から軋む音が響いてくる。


「そろそろ壊れてもおかしくないネ」

「壊れると、どうなるの?」

「軌道を維持出来なくなって、大気圏に落ち込んじゃうネ。魔鋼器の強度的に燃え尽きないだろうから、落ちる場所を上手く制御しないト」

「簡単に言うと?」

「上手くやらないと、コレが王都の上に落ちてみんな死亡。」

「……本当に?」

「本当ですヨ」


 博士がにかっと笑った。


 白い航空船の後部から深紅の鉄騎兵ゼラニウムが出てくる。搭乗しているのはたぶんフィエだ。深紅の鉄騎兵ゼラニウムは機体の各部から熱気を発して体勢を調整し、エルツたちの方へと流れてくる。回転しながら流れていくエルツたちを掴むと、胸部から熱気を発してその場に静止した。


「ありがと。上手いじゃない」

『よく分からんが、機体の方で勝手にやってくれてる』

「なんだ」


 エルツは周囲を見回す。白い鉄騎兵スフェーン黒い鉄騎兵マクロフィアも続いて出てくる。エルゴンとインヴァネスだ。二機の鉄騎兵も上手く体勢を制御しながら、無重力に四苦八苦している連中を回収していく。マラウイとタハトが白い鉄騎兵スフェーンに、ユングが黒い鉄騎兵マクロフィアへ掴まる。


 三機の鉄騎兵はゆっくりと港の奥へと流れていく。幾つも伸びている埠頭のような橋は根本で一本に交わり、広場のようになっている。そこから更に奥へと通じる回廊が見える。その回廊の前で鉄騎兵は一旦静止する。


 ユングが博士に声を掛ける。


「皇子様はどこにいるかね?」

「たぶん制御室ネ。そこでなら地上にある魔鋼器の制御が出来るカラね。王家七抗を起動させて、その制御権を皇子が握る。そういう計画ヨ」

「停止させる方法は?」

「アタシがそこまで行けば」


 指をわしわしと動かす博士。


「じゃあフィーは博士と王女様を連れて、制御室に向かってくれ」

『儂らはどうする?』


 エルゴンが操縦席から拡声器で聞いてくる。ユングは回廊の奧に視線を注ぎ、ニヤリと笑った。


「私らは、アレのお相手かなー」


 回廊の奥。そこから見たことも無い鉄騎兵の群れがこちらへ向かってくるのが見えた。



  —— ※ —— ※ ——



 アトパラは目を閉じていた。背もたれが高い天井まで伸びた金属製の椅子に座っている。肘掛けに右の手首を上にして置いている。その手首にはベルトの様な物が巻かれていた。


 ——『ウラノス』制御室。


 『ユピテル』のものに似た、パイプオルガンの様な制御装置が鎮座している。その周囲を白衣の者たちが動いている。手枷の少女は制御室の端の方を膝を抱えた体勢で浮かんでいる。


 アトパラの座す椅子はそれらが見渡せる、制御室の丁度中央にあった。天井まで伸びた背もたれの表面を青い光が行き来していたが、それが止まった。


「お疲れ様でした」


 背の高い白衣の者が前に立つのと、アトパラが目を開けるのはほぼ同時だった。白衣の者はアトパラの右手首に巻かれたベルトを取り外す。


「管理者権限の付与は完了しました。これでアトパラ様も王族同様、魔鋼器の開封が可能です」

「うむ」


 アトパラは手首を回す。特に変わったところは無い。話によればあくまで魔鋼器側に登録するだけなので、こちら側に何かするものではないという。座っている時も暇という以外、特に異変は無かった。


「王家七抗の方は?」

「起動の方はもう間もなく完了します。ですがアトパラ様だけに使用制限する件に関しましては、もう少しお時間がかかります」

「どのぐらいだ?」

「アトパラ様の認証情報を送信しますので、恐らく一時間ほどは……」

「分かった」


 アトパラは席を立った。一度だけ手枷の少女に目をやると、そのまま制御室の出口へと向かう。


「どちらへ?」

「友人たちが来ている様だからな。私が相手をしてくる」


 アトパラは振り返らず、見送る白衣の者の前で制御室の自動扉が閉まった。



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