【三十】死んでいる場合ではない
日は沈み、空には満天の星が広がっている。雲は見えない。満月の光が、ゆったりと流れる大河の川面に反射している。その川沿いに大きな都市が広がっている。
——王都。
中心には白塔がそびえていて、その先端が満月に掛かっている。白円城と詠われる円形の城内には青い光が、その外の市街地には橙色の光が地の星の様に灯っている。大通りは折れ曲がりながら城門から街の外へと続いている。
不夜城と言われる帝都ほどでは無いが、人の往来はまだ多かった。もう少し経てば人の気配は少しずつ消え、やがて静かな夜の気配が降りることだろう。
—— ※ —— ※ ——
エルツは満月を見上げていた。白円城内において一際大きい主館。その三階の一角にエルツの居室はある。居間からバルコニーへと出て、じっと空を見上げている。
——夕刻。
仮にも王女、縛られたりといった物理的な拘束は受けていない。だが入城後、誰とも会わないまま自分の居室に直行させられ、以後外には出ていない。居室にはエルツ一人。だが恐らく、紫の兵士たちが見張りについているはずだ。
事実上の軟禁状態。今頃は国王と少数の重臣たちが集まって、今後のことを話し合っていると思われた。その中には勿論、エルツの処遇も含まれる。
王女とはいえ他国に走ったのだ。いや王女だからこそ罪は重いといえる。更にその結果として、王国の第二王子が死亡している。これはもう、どうしようも無い。
処刑だろうか? いやそれは体裁が悪い。自裁させて病死したとでも発表する。この辺りか。毒は何だか苦しそうだ。かといって自刃も痛そうだ。東方の大陸にはハラキリという風習があると聞く。すごい。どう頑張っても真似できそうにない。
エルツは落ち着いていた。落ち着いている自分に、内心驚いていた。もっと取り乱すか、怖くて震えるかと思っていたが、意外と平静だ。なんでだろ?
元々、王族としての使命感から走り出した。帝国の民が寒冷化に苦しんでいる。魔鋼器をもっと活用すべき、そういうアトパラの理念に共感した。そしてそれを成しうる、いや成さねばならぬ『力』が自分にはある。
だが、それは全て幻想だった。アトパラは最初から私を必要としていなかった。王家の『力』は、王家だけのものではなかった。そう思えば滑稽だ。独り走り出したことが道化師の様に思えてくる。
——ああ、そうか。
エルツは気がついた。自分は何でも無かった。特別なものなど何も無い、ただのエルツ。何でも無いということは、それは今まで感じていた様々な重圧からの解放を意味していた。
子供の頃、羊と馬に戯れて過ごした日々。その草原に吹く風を思い出した。羊は私を王女扱いしない。王家の力も知らない。その感覚が蘇ってくる。そして、今なおやりたいことがある。草原の先を目指して冒険した時の様に。ただひたすら、その先へと進んでいきたい——。
エルツは大きく息を吸い、むふうと吐いた。
心が座った。死んでしまう前に、まだやるべきこと……いや、やりたいことがある。
エルツは室内に戻ると、窓に掛かっていたカーテンを引き千切る。更に縦に引き裂いて、それを結んで一本の長いロープへと作り替えた。再びベランダに戻り、柵の一つにその即席ロープを結わえ付ける。そしてそのロープを伝って、するすると下へと降り始めた。
エルツは、まだ死んでいる場合ではなかった。
—— ※ —— ※ ——
国王は居室へと戻ってきた。執事を別室に下がらせると、溜息をつく。今までごく一部の重臣たちとだけで今後のことを協議していた。カーディフが死に、帝国の皇子が『ウラノス』へと向かった。状況は想定以上に悪化している。
こういう事態を恐れたからこそ、宇宙往還機型の航空船は他国に供与しなかったのだが……アトパラ皇子は最初から航空軍艦二番艦が目的だったと見える。
そしてエルツ。彼女の処遇も頭の痛い案件だった。彼女のせいではないとはいえ、カーディフの死に間接的に関わっていたのは事実だ。帝国に手を貸した件もある。重臣たちの意見は自裁で一致していた。
ゆらりと。部屋の隅の影が揺らいだ。一瞬国王は身を固くしたが、その影を見ると安堵の溜息をついた。
「ユングフラウか」
「お久しぶりです、国王陛下」
影が月明かりの元へと出てくる。髭面の男性、ユングだった。
「もう十年前になるか、お前が七虹大隊の紫を辞めてから。あの時は突然いなくなったから苦労したぞ」
「いやその節はどうも。ちょっと色々ありまして……」
ユングはぺこぺこと頭を下げる。
「インヴァネスから話は聞いている。娘が世話になったな」
「大きくなられました。奥様によく似ていらっしゃる、特にじゃじゃ馬なところが。将来、夫になる男は相当苦労するでしょうな」
「……そうだな」
国王の眉間に皺が寄る。それを振り払うように首を振り、ユングに向き合う。
「私とお前の仲だ、腹の探り合いは無しとしよう。……何を言いに来た?」
「王女様の命と、今起きている事態。それを解決するといったら雇っていただけますかね?」
「なに?」
「王国の歴史も千年。この辺りで、その在り方ってやつを見直す時期なんじゃないですか」
「簡単に言う。私の一存で、何でも変えていけるのであれば苦労はせん」
「そう思っているのは、自分だけかも知れませんよ?」
ユングは一歩前へ踏み出した。二人の間は接するほどに近い。
「人はもっと動ける。そうでなければ、それは多分呪いってヤツですよ」
「……呪い、か……」
国王はその瞼を、ゆっくりと閉じた。
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