【二十九】助けが、必要か?

 エルツたちが地上まで戻ってくると外は晴れていた。まだ黒い雲は所々残っているが、暖かな陽の光が射し込んできている。地面を濡らす水溜まりから、日光に温められた水蒸気が立ち上っている。


 航空軍艦二番艦が空の彼方へと飛び立つ時、発掘抗の中は熱気に溢れた。フィエたち最下層に居た者たちは博士の忠告通り『ユピテル』の制御室に待避していて無事だった。


 地上に出てきたエルツを出迎えたのは、七虹大隊の青、大隊長メスタだった。その顔は少し疲れている様に見えた。


「エルツ王女殿下。お久しぶりであります」


 メスタの横に並ぶ配下の兵がエルツに銃口を向ける。エルツは一歩前に出ようとして、だがそれを制するようにインヴァネスが彼女の前に出た。


「王女殿下に向けて失礼であろう」

「カーディフ殿下のご命令であります」

「国王陛下のご命令は『捕らえろ』だ、メスタ。お前は誰に仕えておるのか」

「それは無論、国王陛下にである」


 メスタが手を上げると、配下の兵は長銃を下げる。元々そのつもりだったのだろう。わざわざ茶番をしたのは、それがメスタなりの忠義の表し方だったのだろう。


「兄上は?」


 エルツが問うと、メスタは静かに首を振った。


「救助隊を向かわせてはおりますが、恐らくは……」

「……そう」


 エルツは目を伏せた。カーディフは腹違いの兄だが、あまり兄妹という感じはしなかった。従兄弟といった方が近い。会う機会もあまりなかった。ただ幼い頃、貴族主催の社交場で暇を持て余して泣いていたエルツを構ってくれたのがカーディフだった。そんなことを久しぶりに思い出す。


 エルツの上に影が落ちる。見上げると、双胴の航空軍艦がゆっくりと降下してくるのが見えた。全長百メートルほどか。エルツには見慣れた航空軍艦だ。王国軍所属、トリエステ。七虹大隊がよく使う艦だ。


「王女殿下、王都までご同行願います」

「分かっているわ」


 インヴァネスに先導され、エルツは航空軍艦トリエステが降下していく先へと歩き出した。



  —— ※ —— ※ ——



「それでさ、帝国の皇子様とやらはどこに行っちゃったのさ」


 マラウイはパンに齧り付く。柔らかい。王国軍の食糧事情はまあまあ良いと見える。カップに注がれたスープを吸い、皿の上に切り揃えられた肉にフォークを刺す。


 航空軍艦トリエステの艦内。食堂には床に固定されたテーブルと椅子が備え付けられている。テーブルと椅子の間隔はかなり狭いが、ざっと五十人は一度の食事が取れるだけの席数がある。片側の壁面は丸窓になっていて、外の様子が見える。青空と下に雲が見える。王都に向けて航行中だった。


 食堂の一角でマラウイたちは食事中だった。マラウイとタハト、ユング。そして博士となぜかエルゴンは一つのテーブルに押し込められて座っている。その周りに四人の王国兵が背を向けて立っていて、他には誰も居ない。


「皇子様は宇宙に行ったのヨ」


 博士は肉を頬張りながら答える。


「うちゅう?」

「空の上ネ。『真昼の星』は知っているだろ? そこへ行ったんだヨ」

「ああ」


 それはマラウイも知っている。昼間でも見える動く星のことだ。昔からあるらしく、月や北極星と同じく、童話や物語の題材にもなる様な有名な星だ。


「それが『ウラノス』とかいうやつなのか? 宇宙に魔鋼器があるなんて、ちょっと信じられないな」


 タハトが腕を組んで唸る。眼鏡が知的な雰囲気を漂わせる。伊達だが。


「使い方を知らないだけで、航空軍艦の何割かは宇宙往還機だヨ。旧文明は宇宙も行動圏内だったと見る方が自然だネ」

「おうかん……何?」


 知的なのは雰囲気だけでした。


「『ウラノス』は一種の制御装置ネ。地上にある魔鋼器を一括して管理する為の通信衛星。それを使って、王家七抗を一気に手中に収めようってのが皇子様の計画」

「王家七抗……また厄介な」


 ユングが溜息をつく。彼の皿は既に空で、手にしたカップにはコーヒーが注がれている。


「アンタは詳しそうだネ? 傭兵の隊長さん」

「まあ仕事柄ね。そういう話に触れる機会も多いんで」

「アタシは知らないぞ」

「マラウイはもう少し勉強して欲しいかなーオジサンとしては」


 ユングは縋り付く様な目でマラウイを見るが、既に彼女の関心は食事に戻っていた。焼き魚の背骨を取り、身にかぶりつく。その様子を見てユングは溜息をつく。

 博士が話を続ける。


「王家七抗はただ大きい発掘抗というだけじゃないネ。アイドウシチナ発掘抗と同様、その最下層に大型魔鋼器を秘めている。それも、とびきりのをネ」





「気象系制御装置『ユピテル』」


「情報系制御装置『メルクリウス』」


「海洋系制御装置『ネプトゥヌス』」


「生態系制御装置『オプス』」


「地殻系制御装置『ウェスタ』」


「空間系制御装置『ヤヌス』」


「運命系制御装置『フォルトゥーナ』」





「この七つを以て王家七抗と呼ぶ、というわけサ」

「そんなものを王国は秘匿していたというのか……」


 複雑な表情を浮かべるエルゴン。作戦上、『ユピテル』の話は聞いていた。それだけでも大事だと思ったのに、それに匹敵する大型魔鋼器があと六つもあるのか。いや『ウラノス』を含めれば七つか。


「ホント詳しいねぇ。どこで調べたの?」


 ユングが聞くと、博士はにんまりと笑う。


「これでも昔は王国の研究院に居たのサ。その時、王都の図書館で」

「王都の図書館?」

「ホラ、王宮の奧にある」

「あー」


 聞かなきゃ良かったとユングは顔をしかめた。それは王家私設の図書館であり、王国千年の歴史が秘められた場所だ。一介の研究員はおろか、王女であるエルツですら滅多に閲覧許可の出ない秘中の秘だ。


「いやー、何度か忍び込んで読書していたらサ、さすがに見つかっちゃって。王国追い出されたってワケなのヨ」

「追い出されるだけでヨカッタネ」


 いやそれだけで済む訳がない。きっと逃げ出したのだろう。さてこのチビッコ、果たしてこのまま王都に連れてって大丈夫なものだろうか。


「そんなワケで。協力するからサ、隊長サン」

「あー、そーですよね。そうなりますよねー」


 ユングは痛み出した胃に、ごくりとコーヒーを流し込んで誤魔化した。







「ところで……失礼ですが、どちら様?」

「えっ?」


 ユングの問いにエルゴンは驚く。その場全員の視線がエルゴンに注がれる。エルゴンが帝国の伯爵であり、降伏した帝国軍兵士、その処遇の話し合いの為に同乗していることを彼らが知るのは、もう少し後のことになる。



  —— ※ —— ※ ——



「…ん」


 フィエが目を覚ますと、夕日が彼の顔の上に降りていた。壁際に設置されたベッドに横たわるフィエ。丸窓の外には赤く染まる雲海が見えた。


 久しぶりに纏まった睡眠を取った気がする。頭がすっきりしている。腹をさすると、少しだけ痛みが走る。でも随分マシになった。航空軍艦に乗り込んですぐ、軍医のちゃんとした治療を受けた。痛み止めを飲んだら、そのまま寝てしまった様だ。


 ふと。窓の反対側に気配を感じて、フィエは顔を動かした。


「……起きた?」


 ベッドの脇に座っていたのはエルツだった。服装がまた変わっている。最初に出会った時の紫色の軍服だ。帽子は膝の上に置いて、その上で手を重ねている。


 少し疲れている様に見えた。金髪は綺麗に梳かれていたが、心なしか艶が無い。


「なんだ……休んでいれば良かったのに」

「休んだわよ。ここに来たのはついさっきよ」


 エルツは少し怒った様な声で答える。それは嘘だなとフィエは思った。恐らくずっとここに居たのだろう。


「……アトパラに、撃たれたの?」

「ん、まあ。正確には部下にだけどね」

「そっか。ごめん」

「謝る必要はないさ。油断したオレが悪い」

「ありがとう。来てくれて嬉しかった」


 顔を赤らめながらエルツが言う。視線が泳いでいる。フィエは目を丸くしていた。思わず口を開けたまま、丸窓から外を見上げる。


「……何よ?」

「いや、雨でも降るんじゃ無いかと思って」

「失礼ね! 私だって素直になることだってあるわよッ」


 がたりとエルツは立ち上がった。拳を振り上げるが、さすがに怪我人に振り下ろすのは躊躇われたのか、そのまま着座した。


「大丈夫か?」

「……うん、大丈夫。大丈夫じゃないけど、大丈夫」


 フィエは上体を起こした。エルツが支えようとするのを手で断り、ベッドから立ち上がる。ほっほっとその場で軽くジャンプする。よし、身体は何とか動く。



 フィエは手を差し出した。エルツに向けて。


「助けが、必要か?」

「うん。力を貸して、フィー」


 エルツはしっかりとそう告げて、その差し出された手を掴んだ。





 丸窓の外が雲に覆われる。航空軍艦トリエステはゆっくりと降下を始める。しばらくして雲を突き抜けると、すぐその先には王国の王都が見えていた。


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