【二十五】雷の束
プラナは少し離れた所から、正確に言うとテーブルの席に座りながらじっと見つめていた。窓際のベッドにはスフミが寝ていて、それに覆い被さる様に軍医が治療をしている。先刻、帝国軍の兵士が連れてきてくれたのだ。あの伯爵、結構面倒見が良い。
プラナの椅子がカタカタと音を立てている。落ち着き無が無い。さっきまでベッドの傍に居たが、邪魔だと言われてしまった。時折スフミが呻き声を上げ、その度に音を立てて立ち上がっては、村長の妻に窘められては座るのを繰り返している。
「もう大丈夫ですよ」
額を汗を拭いながら、軍医がプラナに声を掛ける。平桶に満たされた水で血で汚れた手を洗う。プラナはベッドにかぶりつく。少し疲れた顔をしたスフミが笑顔で出迎える。
「心配しすぎ。子供が出来たらもっと大変なのよ」
「じゃあ子供いらん」
「ダメ。三人は欲しいって約束したでしょ」
ふふふっ、とスフミが笑う。それを見て、やっとプラナも口元に笑みを浮かべることが出来た。
「……あら?」
スフミは音に気づいた。首だけを回す。窓の外は空だけが見える。黒い雲に覆われているのは変わらない。
「雨だわ」
今まで降っていたはずの雪が、雨に変わっていた。今まで静かだった室内も、屋根に降る雨音で少し騒がしくなってきた。雨は、降り積もった雪を溶かしていく。
「大丈夫かしら、あの子……」
スフミは雨を眺めながら、ふと金髪の少女のことを思い出していた。
—— ※ —— ※ ——
雨は平地でも降り始めていた。帝国と王国の国境線近く。地平線まで長麦畑が続く穀倉地帯でも、雪から雨に変わっていた。穀倉地帯を南北に貫く街道を行進する帝国軍。その兵士たちの足を、解けた雪が土を泥に変えて纏わり付く。
兵士たちは空を見上げた。雨だ。雨が降っている。この時期に雪では無く雨なのは、随分久しぶりの様な気がする。フードのついた防寒着の上を雨が流れ落ちる。気のせいだろうか、少し暖かい。雨が降っていなければフードを取りたいぐらいだ。
先行していた四輪車が、泥に車輪を取られて立ち往生している。車輪が回る度に泥を巻き上げ、後ろにいた兵士たちが慌てて待避する。鉄騎兵が近づいてきて四輪車の後ろを持ち上げようと腰を屈めるが、これも泥に体勢を崩して麦畑の中に派手に転がった。
「この下手くそ! それでも騎士様かよ!」
周囲の兵士たちから野次が飛ぶ。嘲笑が続くが、冷たさは感じない。どちらかというと酒場の馬鹿騒ぎの様な雰囲気だ。操縦者もわざわざ外に顔を出して「五月蠅い! そんなにいうならお前らやってみろ!」と怒鳴り散らす。
寒さが和らぎ、緊張感も弛緩した様だった。この戦争は寒さが原因で始まったと聞く。なら、このまま暖かくなれば戦わなくて済むのだろうか。少なくとも、ウチの村では長麦が収穫出来るだろう。そうすれば戦う必要はないのだから。
帝国兵士は空を見上げ、そっと息を吐いた。その息は、もう白くない。
—— ※ —— ※ ——
制御盤には、あの背の低い博士に加えて三人の白衣の学者が取り付いていた。背の高いもう一人はまだ戻ってきていない。彼らは何やら声を交わしながら制御盤を操作していく。エルツには彼らの会話の内容は全く理解出来なかった。『開封』することは出来ても、制御盤の操作方法も分からない。仕方無く、アトパラと並んで後ろからその様子を見守っていた。
大陸の地図が表示された中空の映像は、刻一刻と表示が変わっていた。文字や数字らしきものは何て書いてあるかさっぱりだ。ただ、大陸全土に満遍なく打たれた青い光点が、ここアイドウシチナ発掘抗を基点として少しずつ赤色に変化していくのだけは分かった。
くるりと、博士が振り向く。それはもう満面の笑顔だった。にはにはだった。
「気温制御は順調に稼働中だヨ。中継器の約三割が反応無しだけど、七割もあれば充分暖められるネ」
「本当に?」
「ああ、モチロン」
博士が制御盤を操作すると、新たな映像が中空に現れた。どこだろうか? 森、山、川、町が四分割で表示されている。そのいずれも、天候は雨であった。
「……本当にこんなことが出来るのね」
エルツはほっと溜息をついた。
『ユピテル』は旧文明の気象操作装置である。伝承によればあの金属の柱を中継器として、ほぼ大陸全土の気象を制御できる。初代国王も『ユピテル』を用いて王国南部の砂漠を緑野に変えたという。今そこは王国有数の穀倉地帯だ。伝承は本当だったということだ。
旧文明の遺産とはいえ、本当に気象を操作する様なことが出来るのか——。これで寒冷化を、戦争を止められる。安堵感もつかの間、エルツは思わず生唾を飲みこんだ。こんなことが出来てしまう。そこに足元から忍び寄るような不安感を感じる。
エルツは思わずアトパラを見た。その視線は、じっと中空に投影された映像を見ている。
——いや、そうではない。その背後、巨大なパイプオルガンの様な『ユピテル』の制御装置に向けられていた。その目は、エルツを見ていない。いや誰も見てないのではないか。
「アトパラ?」
「……ああ、済まない。ちょっと私も驚いていたよ。本当に『ユピテル』はすごい。これで今年の収穫は安心だ」
アトパラが微笑む。それは嘘だ、エルツは直感した。アトパラは驚いてなんかいない。ただ魅入られていたのだ。
その表情にエルツは見覚えがあった。玉座の間。父王と一緒に並んで、貴族や商人たちの謁見をする時、その内の何人かはそういう表情をしていた。媚びへつらうのではない。『王族の血筋』がどれだけ素晴らしいか、それを用いればどれだけのことが出来るか。
その者たちは何か熱病に浮かれた様に語り、けして我々を見ていない。その後ろにある『力』を見ているのだ。
『だがみだりに使ってはいけないよ。大きな力は使い方を誤れば大きな危機をもたらす』
エルツは初めて、父親と同じ気持ちになったと感じた。
「アトパラ、これからのことだけど——」
「雇い主殿、例の船が引き返してきたヨ」
エルツの言葉を遮って、博士がアトパラに報告する。ちょいちょと操作すると、また新たな映像が投影される。それは王国軍の巨艦、
アトパラはエルツの声に反応せず、博士の方に歩み寄る。
「他に反応は?」
「ないネ。たぶん沈められたんだと思うヨ」
「そうか、では仕方あるまい。やってくれ」
「あいヨー」
博士は操作盤を操作していく。何をしているかは分からない。だがイヤな予感はした。
「待って! アトパラ、何をするの?」
エルツは後ろからアトパラの手を掴んだ。ぎゅっと力を込める。ゆっくりとアトパラが振り向く。エルツの行動に少し驚いた様子だった。しかしアトパラはすぐに表情を消し、ちょっとだけ悲しい顔をしてから、エルツの手を握り返した。強く、捻る様に。
「エルツ、まだだよ。まだこれからなんだ」
アトパラの声は冷えていた。
—— ※ —— ※ ——
「……なんだ? 光の球……か」
それは艦橋からも見えた。カーディフは目を凝らす。小さな光の点の様なものが、前方に浮いている。艦長と一緒に双眼鏡で拡大して見る。
光の球は、よく見るとその表面上を電気の様な物が走っていた。そして回転している。その回転は加速度的に速くなり、そして周囲を取り囲む電気のうねりも激しくなっていく。
「左舷回頭ッ!」
艦長は命令を出した。良く分からない。だからこそ接近するべきではないと判断した。
光の球は急速に回転を増したかと思うと、きゅっと萎んだ。
バチン
何かが弾ける音が、周囲を圧した。そして光の球のあった所から真横に、雷の束が
その瞬間をカーディフは見ていた。しかし誰にも伝えることは出来なかった。
艦体の各所から発せられていた青い光が消える。
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