【二十一】擦れ違う巨艦

 山々に木霊した銃声が消えていく。峠は静寂に包まれた。白い軍服を着た帝国兵が降り積もった雪を踏み固める音だけが聞こえる。帝国兵は離れた場所に二人。それぞれの方向から長銃を構えたまま、倒れたフィエの方へとゆっくりと歩み寄る。


 彼らはフィエとエルツが峠に到着する前から伏せていた。勿論上官の指示によってだ。対象を排除した後は下山し、他の帝国軍と合流する手筈になっている。

 帝国兵はフィエの周りに立った。一人はすぐそば、もう一人は少し距離を置いている。近づいた帝国兵が倒れたフィエを見下ろす。腹から出血していて、雪原を赤に染めている。意識は無いか? しばし待つと、フィエが微かに呻くのが聞こえた。


 帝国兵は長銃を構えた。その銃口はフィエの頭部に向けられる。フィエは呻いてはいるが、動き出す様子は無い。ゆっくりと引き金が引かれる。


 ——銃声。


 しかし、貫かれたのは帝国兵の頭だった。もう一人の帝国兵が慌てて周囲を見回すが、もう一発の銃声が彼の頭部をも射貫いた。倒れる二人。


「フィー!」


 マラウイの叫びが木霊する。銃口から硝煙立ち上る長銃を投げ捨て、全力で走る。帝国兵の死体を飛び越え、フィエの身体に覆い被さる。身体を無闇には動かせない。


「なんだよもう! なんで撃たれてるのよぅ!」


 マラウイは涙目で背嚢から白い布を取り出し、腹部に押しつける。あっという間に赤く染まる。片手で更に白布を取り出し、上から重ねる。少し出血が和らいだ様な、気がした。


「よくもまあ、あの距離を当てるよ。さすがだねえ」


 マラウイの後を追い掛けてユングが姿を見せた。息が上がっている。歳は取りたくない。その一足先をタハトが走り、倒れた帝国兵を確認する。一目で分かった、即死だ。続いてマラウイの隣にしゃがみ込み、止血作業を代わる。血濡れた布をぐっと強く押しつける。


「なんでフィーが撃たれてるのよぅ? 味方じゃないの?」


 マラウイがユングを問い質す。血で汚れた手で、構わず涙を拭う。マラウイは悲しんでいるというより怒りが先行している。背負ったもう一丁の長銃に手が伸び、だが引っ込める。今抜いても相手はいない。


「さて、困ったねえ」


 ユングも全ては把握していない。三人で峠を登っている時に、帝国の白い航空軍艦が飛翔していくのが見えた。そして峠の頂上が見えたと思ったら、フィエが撃たれるのが見えた。目視したのはそれだけだ。


 王女様がいないから、無事帝国軍と合流はできたのだろう。

だがフィエが撃たれる理由は? それも王女が去った後を狙ったかの様なタイミングで。


「なんだかイヤな予感がするねぇ」


 ユングは、また黒い雲が立ち込めてきた空を見上げて溜息をついた。



  —— ※ —— ※ ——



 空の真上まで来た太陽が陰る。黒い雲がゆっくりと蒼天を染めていく。冷えた風が、櫓の上の軍旗を強くはためかせる。


 アイドウシチナ発掘抗の攻防は、一進一退で続いていた。町の外側に引かれた防衛線上で、両軍の鉄騎兵が剣と槍を交えている。未だ戦闘不能になった鉄騎兵は無かったが、兵士たちの被害は出始めていた。


 王国軍の火砲からの攻撃が、鉄騎兵の列の奧に炸裂する。雪と泥混じりの土塊が周囲に飛び散り、穴を穿つ。その場に居た帝国兵数名が薙ぎ倒された。すぐさま後続の兵士たちが負傷した者を後方へと運び、予備兵が戦列の穴を埋める。


 王国軍も、帝国兵からの長銃による射撃で何名かが負傷していた。しかし帝国軍側には火砲が無い為、被害は軽微だった。


 現場指揮官であるメスタは、櫓の上から戦況を見つめている。


「長引きそうですね」

「……」


 副官の言葉に、メスタは沈黙していた。違和感を感じていたのだ。帝国軍は航空船で鉄騎兵や歩兵を運搬してきたが、その後続がない。戦力の補充ではない。輜重隊の姿が無いのだ。帝国軍は戦線を固めてから輜重隊を送り込んでくる——そう見ていたが、その気配が無い。このままいけば帝国軍は、食い物が無くて戦えなくなる。


 なぜだ? 奇襲ですぐに発掘抗を占拠できると思ったのか? アイドウシチナ発掘抗は王国の要衝だ。増援は元より、常駐戦力も多い。その攻略にそんな楽観的な計画を立てるのか?


「殿下のところへ行く。ここは任せた」

「はっ!」


 メスタは副官に指揮を任せると櫓を降りた。櫓下に待機していた馬に乗り、発掘抗の東側に停泊している航空軍艦フレゼレクスベアへと向かう。


「殿下」

「どうした、メスタ」


 カーディフは航空軍艦フレゼレクスベアの艦橋に居た。艦橋の真ん中で、艦長となる士官から報告を受けている最中だった。慌ただしく乗組員が出入りをしている中へメスタは入っていく。


「帝都を発したとの報告があった帝国の航空軍艦、その後何か情報は入ってますでしょうか?」

「いや。国境の哨戒網からも、未だ連絡はないな」


 カーディフは念の為艦長にも確認を取るが、彼も首を振る。メスタは無意識に口元を押さえる。


「殿下。航空軍艦フレゼレクスベアの出航を提言いたします」

「何。今すぐにか?」

「はい。帝国軍は、恐らく今日中にこの戦闘を終わらせようとしています。その為に、航空軍艦による直上からの降下作戦を取ると思われます」


 メスタはゆっくりと直立不動の体勢を取った。言葉にして確信した。帝国軍はこの手を取ると。

 カーディフは眉間に皺を寄せて考え込み、天窓から空を見上げる。黒い雲が、この発掘抗の上にまでかかっている。


「艦長、艤装の進捗は?」

「はっ。火砲の設置は完了しております」

「残りの艤装作業は全て中止。出航準備、最優先だ!」

「はっ!」


 カーディフの命令に艦長は敬礼すると、すぐさま出航作業に取りかかった。艦長席に座り、艦内放送で作業の中止と出航準備を命令する。


「メスタ。お前はインヴァネスの所へ行ってくれ。予備の鉄騎兵を率いて、発掘抗最下層の警護に向かえと」

「は、かしこまりました!」



  —— ※ —— ※ ——



 航空軍艦フレゼレクスベアから乗組員以外の人員が退艦し終えると、全てのタラップが艦体へと格納される。作業員たちが遠巻きにする中、その二百メートルはあろうかという巨体がゆっくりと浮上し始める。作業員たちの間からどよめきが発せられる。


 カーディフは艦橋にいた。艦長席の隣に座り、天を見つめている。黒い雲はより厚みを増し、太陽の影がますます薄くなっていた。航空軍艦フレゼレクスベアは艦体を震わせながら、その雲へと向かって斜め上に上昇していく。


「……!」


 天を見上げていたカーディフが、にやりと笑う。


「艦長ッ! 上だッ!」


 航空軍艦フレゼレクスベアの進路上、黒い雲の一部が一段と黒くなった。雪が降る。それと同時に、その黒い部分から白い何かが雲を割って降下してきた。


「ッ! 右舷回頭ッ!」


 艦長が大声で命令する。航空軍艦フレゼレクスベアが斜めに傾きながら右へと回頭する。そこに、その白い何か——白い航空軍艦ニアムラギラが降下してくる。


 雪降る黒雲の直下で。二隻の巨艦が、舷側を接触させながら擦れ違っていく。ぎぎぎと金属の軋む音が艦橋にまで響いてくる。艦体と艦体の間で火花が散り、巻き込まれた雪が解けて散る。


「なるほど、やってくれる」


 擦れ違う白い航空軍艦ニアムラギラを艦橋の外に見ながら、カーディフが呟く。大型艦による強襲降下作戦。なるほど、浮上前だったらまずかった。だが。


「浮上してしまえば、こちらの勝ちだ」


 八の字を描く様に、二隻の航空軍艦が旋回する。アイドウシチナ発掘抗と黒い雲の間で、相対する。


 地上の両軍兵士たちの手が止まる。皆空を見上げていた。大陸随一の巨大航空軍艦同士の戦い、それに全てが掛かっていた。

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