【二十】その情報の出所は
床に押しつけられる感覚がふわりと和らいだ。外を見ると、さっきまで周りを取り囲んでいた雪化粧した山々が、今は遙か下の方にあった。上昇中はがたがたと揺れていた艦内も、今は安定している。
エルツは
エルツは身体を固定していたベルトを取り外し、席から立った。アトパラの隣へ向かう。
「これから向かうの?」
「ああ。だがその前に」
アトパラはエルツの頭から爪先まで視線を動かし、くすりと笑う。
「着替えた方がいいな」
エルツは改めて自分を姿を確認した。白いワンピースは泥だらけ血だらけ。髪もごわごわしている。窓で確認すると頬に泥を拭った跡まであった。顔を赤らめる。
「案内しよう。風呂はないがシャワーぐらいならある」
アトパラはエルツを招く様に先導して艦橋を後にした。
—— ※ —— ※ ——
案内された個室は艦のものとは思えないほど広かった。ソファ、テーブル、ベッド、シャワー、給湯室。まるでホテルの様だ。この艦、
アトパラはエルツをここまで案内すると、待っていた女性士官に引き継いだ。艦橋を出る時にどこかに連絡した様子はなかったので、アトパラはこうなることをずっと前から予想していたのだろう。相変わらず手回しが良い。
ボタンを押すと青い光が放たれ、シャワーからはお湯が出てきた。暖かい。思わず吐息を付く。エルツはシャワーを浴び、汚れを落とした。
タオルで水気を拭ってシャワー室を出ると、テーブルに着替えが用意されていた。まずその横に置いておいた金属のプレート形のペンダントを手にし、首にかける。ぎゅっとプレートを握る。すると指の間から仄かに青い光が漏れた。これも魔鋼器だ。
ただ、使い道が分からない。貰ってからいろいろ試したが、分からずじまいだ。使い物になる必要はない。これはそういうものではないのだ。家に置いてこようかと思った時もあったが、結局こうやって身につけている。
着替えは私服だった。ブラウスとスカート、そして外套。派手ではないが、下地と同色の刺繍が施されている。手間暇掛かった工芸品だ。帝国製だろうか。こういった手工芸は王国の方が優れているかと思ったが、これはそれに負けず劣らずだ。
しかしあれだ。ブラウスもスカートも寸法がぴったりだ。まるで違和感がない。どういうことかな、アトパラ? 帝国諜報部の仕業か? 何の情報を収集してのかな? 問い詰めたい気分だった。
正直なところ軍服でも良かった。スカートよりズボンの方が動きやすい。ただ、やはり王国の王女が帝国の軍服を着るのはまずいか。
個室のドアがノックされる。ぴったりのタイミングだ。エルツが返事をすると先程の女性士官が入ってくる。まるでベテラン侍女の様だ。いや本当に本職なのかも知れない。
「エルツ王女様、皇子殿下が作戦室でお待ちです」
「わかったわ」
エルツは女性士官に先導され、狭い艦内通路を歩いていった。
—— ※ —— ※ ——
「まずは協力してくれて礼を言う。ありがとう。これで帝国は救われる」
アトパラが手を差し出してくる。エルツが応じる。白い手と褐色の手が握られる。
作戦室は広いが狭かった。フロアの大部分をテーブルが占めていて、椅子を引くと壁についてしまう。椅子も実用性重視のシンプルなものだ。テーブルの上には作戦図や書類が散乱している。正面の壁面には帝国を中心としたこの大陸の地図が貼られている。側面はこの艦の見取り図。その他、図や表が所狭しと貼られている。
室内にはエルツとアトパラの他に、三名の人物がいた。先程の案内してくれた女性士官。背の低い、白衣を着た女性は博士と呼ばれていた。そして将官らしき壮年の軍人。その五名はテーブルの端に集まっている。席にはついていない。
五人の真ん中にはこの付近の詳細な地図が置かれていて、地図上には多くの駒が置かれている。駒は二色に色分けされていた。恐らく帝国軍と王国軍だろう。駒の中心には一際大きな印が描かれてる。アイドウシチナ発掘抗、これから向かう先だ。
将官が説明を始める。
「エルツ王女殿下のご協力により『ユピテル』の稼働に目途が立ったわけですが、その為にはアイドウシチナ発掘抗の占拠が必要になります」
「そうですね。」
エルツが相槌を打つ。それは王国軍との戦闘を意味する。いやもう始まっているのか。エルツはぎゅっと拳を握る。これは避けて通れない道だ。なぜなら、
「『ユピテル』の制御装置は、アイドウシチナ発掘抗の最下層にありますからナ」
白衣の女性、博士が告げる。エルツの方を向いてにはと笑う。それが癇に障ったが、すぐに首を振って打ち消す。その嫌悪感は彼女のせいではない。エルツ自身のせいだ。
「『ユピテル』までの護衛は、我々特務隊が務めさせていただきます。鉄騎兵三、兵士十二の変則編成になります」
あくまで直衛の数です。と将官が付け加える。
「発掘抗の状況はどうなっているのかしら?」
「現在、先遣部隊が戦闘中だ。砦は押さえたが、発掘抗の方はまだ」
アトパラがとんとんとテーブルを叩きながら答える。
「奇襲をかけさせたが、手強い。さすがは七虹大隊というべきか」
「七虹大隊の青は兄上の麾下だわ。私を盾にすることは出来ないわよ」
「ほう! それはどうしてですかナ?」
博士が驚いた様な声を出した。『開封』が出来る王家の血族は、現在六名だけ。意見が異なる、いや向こうからすれば裏切り者であるエルツを、それでも確保したい理由はそこにあるはずなのだ。
「兄上に殺されかけたわ。正確には青にだけど」
「それはそれは。しかし思い切ったことをしますナ。今生存している王家の数だと、ちょっと繁殖に失敗したら断絶しますのニ」
繁殖。その場の博士を除く全員が、微妙な顔で博士を見つめる。まあ確かにそうなんだけど、もっとこう言い方があるだろうに。本人は周りの視線を気にすることもなく、にはにはと笑っている。
アトパラがこほんと咳払いをする。
「安心してほしい。元より、君を盾にしようとは考えていない」
「そう? 正直覚悟はしてたんだけど」
「あるんだよ、簡単にアイドウシチナ発掘抗を占拠する方法がね」
アトパラは口元に笑みを浮かべていた。
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