【十五】ある村での戦い

 しくじった。

 フィエは舌打ちした。反射的にエルツを押し倒してその上に覆い被さる。雪で泥濘んだ土にまみれる。


 すぐ隣でスフミが血を流して倒れている。プラナが駆け寄って悲鳴を上げた。下からエルツが突き上げてくるが、体重を掛けて押さえ込む。エルツも何か叫んでいる。手を伸ばし、雪と土が入り交じった泥の中を流れてくる血筋にその指先が触れる。


 ——再び銃声。


 空を切る音が頭上で鳴る。後ろか!

フィエは立ち上がると、猛然と後ろの方へと疾走した。身を低くし、両腕で頭と胴体を守る。


 銃声の主は見えた。プラナの家の影に隠れようとしている。軍服、長銃。王国軍の兵士だった。兵士は建物の向こう側へと消えた。その隠れる瞬間、その肩章がはっきりと見えた。青い肩章。七虹大隊の青か。まさか王家の誰かの命令か?


 フィエは走り込むそのままの勢いで、建物の影へと飛び込んだ。兵士が後ろ向きに歩きながら、長銃をこちらに向けていた。銃声が再び響く。二斉射。フィエはそのまま兵士へ激突する。縺れ合う二人。


「ぐう!」


 兵士が呻く。兵士の手から長銃がこぼれる。兵士は思わずその行き先を追ってしまった。フィエは躊躇いなく、握り締めた拳を振り下ろした。拳が兵士の顔にめり込み、反動で後頭部が地面に叩きつけられる。更にもう一撃。兵士の足がびくりと跳ね、そのまま動かなくなった。


 フィエは長銃を手にして立ち上がった。周囲には何の気配もない。しかし一人とは考えづらい。フィエはすぐさま振り返り、エルツの元へと走った。



  —— ※ —— ※ ——



 ——エルツは混乱した。


 目の前で唐突に、スフミが撃たれた。いや本来撃たれる相手は私だ。私を狙った銃弾だった。それがスフミに当たってしまったのだ。突然フィエが覆い被さってきて、泥の地面の上に押さえつけられる。泥を食む。


 しかしそれどころではなかった。スフミ、スフミはどうなった? 目の前で倒れている。駆け寄ろうとするが上に乗るフィエがそれを許さない。手を伸ばす。赤い血の滑りが、指先に感じられた。


 再び銃声がすると、上から掛かっていた重しが外れた。エルツはすぐさまスフミの元に駆け寄る。スフミは、夫のプラナによって上半身を抱え上げられていた。泣いている。スフミの服は血だらけだった。


 どうする? どうしたらいい?

 頭が混乱する。落ち着け、落ち着いて考えるんだ。士官学校で習ったはずだ。まずは傷口の確認、そして止血。そうだ。


「で、殿下! 大丈夫でありますかッ!」


 突然声が降ってくる。振り返ると小太りの貴族がいる。エルゴンだ。顔を真っ青にしている。


「スフミが撃たれた! 衛生兵はいるか!?」

「スフミ?! 殿下は、だ大丈夫で」

「私はいい!」


 狼狽しているエルゴンを思わず怒鳴りつける。いやダメだ。そうじゃない。もっと落ち着け。


「伯爵様、私が」


 エルゴン配下の歩兵の一人が、落ち着いた顔で進み出る。スフミの元に膝をつき、腰から抜いた短剣で血で染まった衣服を切る。銃創が露わになる。丁度右肩の辺りだ。もう一人の歩兵が寄り添って、背嚢から包帯や止血棒を取り出している。村民たちも周りに集まってきた。男たちの一部は長銃を持って、フィエの後を追っていく。


「しかし、一体何者が」


 エルゴンがそう呟いた瞬間、背後で轟音がした。エルツは振り返る。橋を越えた川の向こう。白い鉄騎兵スフェーンの近くに立っていた家屋が弾け飛んでいた。その弾け飛ぶ木片のを掻き分ける様に、青い鉄騎兵が姿を現した。関節から放たれる淡い光が雪を染め、その重なり合う駆動音はエルツの耳にも届いた。


 青い鉄騎兵は、無人で放置されていたエルゴンの白い鉄騎兵スフェーンに肩から体当たりをして俯せに転倒させた。どしんと重い音がする。そしてゆっくりとこちらの方へと向いた。

 頭部の目に当たる部分が強く光る。


「あれはッ!」


 エルツは青い鉄騎兵に心当たりがあった。曲面を多用した甲冑騎士の様な外見。見忘れる訳がない。王国軍の鉄騎兵だ。しかも青い塗装は七虹大隊の青、それはカーディフ兄上の麾下だった。


 エルゴンも青い鉄騎兵を見て、相手が王国軍だということに気がついた様だった。歩兵と村人たちにスフミを担いで待避する様に命じ、ポケットから笛を取り出し強く吹いた。甲高い音。たぶん村の入口で待機している部下たちへの合図であろう。短く二回、長く一回吹くのを繰り返す。


 エルツが駆け出した。エルゴンが止めようとするが間に合わない。青い鉄騎兵目掛けて駆ける。頭が沸騰していた。カーディフ兄上が私を殺そうとした。それはいい。その凶弾がスフミに当たってしまった。それが許せなかった。兄上も、自分も。


 エルツは一足飛びに橋を越え、青い鉄騎兵の足元に入り込んだ。手を伸ばし、青い装甲に触れようとする。


 ——その身体が横っ飛びに滑った。


 その耳元を鋭い風音が吹き抜けていく。気がつけばエルツの身体は横転し、何かに包まれた状態でぐるぐると泥濘んだ地面の上を転がっていた。


「馬鹿野郎ッ! 死にたいのか!」


 フィエの声がする。エルツを包んでいるのはフィエだった。フィエは転がる勢いを利用して、エルツと共に立ち上がる。青い鉄騎兵が、剣を振り抜いた状態で静止している。


 それでエルツは気がついた。足元に駆け寄った自分を、青い鉄騎兵は剣で薙ぎ払おうとしたのだ。それをフィエが飛び込んで躱したのだ。


「フィー!」

「分かってる!」


 フィエは青い鉄騎兵に背を向けると、エルツの手を引く。村の入口の方へと緩やかな坂道を駆け出す。青い鉄騎兵はぐるりと周囲を見回してから、フィエとエルツの後を追い始める。


 エルツはフィエの背を見て、少し冷静になった。手をぎゅっと握り返し、足を速める。エルツとフィエは並んで坂道を駆けていく。



  —— ※ —— ※ ——



 坂道の先に、村の入口が見えてきた。フィエは足を止めた。手を引いて、エルツも少し遅れて足を止める。


「どうしたの?」

「当てが外れたなーって」


 金属音が響いてくる。白い鉄騎兵スフェーンと青い鉄騎兵が戦っていた。斧槍と剣が中空で切り結ぶ。白い鉄騎兵スフェーンは三機いたが、既に二機は倒れていた。残った歩兵たちは遠巻きに見ている。鉄騎兵同士の戦いに歩兵が出来ることはない。


 さすがは七虹大隊、王国軍の精鋭中の精鋭と詠われるだけのことはある。困った。フィエが村の入口まで走ってきたのは、村外に待機していた帝国軍にどうにかしてもらおうと思ったからだ。背後に青い鉄騎兵は迫っている。


「なあエルツー」

「なに?」


 フィエはちょいちょいと指でエルツを招き、そっと耳打ちをする。二度三度と頷くエルツの目が一度見開き、すぐニヤリとした笑顔に変わる。


「出来るの?」

「失敗したら一緒の墓に入ろう」

「イヤ!」


 エルツが舌を出す。そして二人の手が離れて——


 エルツは左に、フィエは右へと別れてまた走り出した。青い鉄騎兵は少し歩みを早めて、エルツの方へと向かっていく。エルツは下り坂を横に駆けていく。障害物は無い。その後ろに青い鉄騎兵が迫るが、一瞬その動きが鈍る。斜面を横歩きしたせいで、足が取られた。泥濘んだ地面がずれ、鉄騎兵の足が滑る。転倒はしなかったが、体勢を立て直す為に歩みが止まった。


 その青い鉄騎兵の頭にフックを付けたロープが絡まる。後ろから投げ付けられたロープはぐるりと鉄騎兵の首を周り、フックががつりと引っかかった。


 フィエだった。

 別の方向へ走ったと見せかけて、すぐさま反転して青い鉄騎兵を後ろから追い掛けていた。そして体勢が乱れた隙を突いてロープを投げ付けると、それを引いて一気に鉄騎兵の身体を駆け上がった。


「よっこらせ」


 フィエは鉄騎兵の肩にまでよじ登ると、首の根本に手を伸ばす。装甲の一部が外れ、何か複数のスイッチの様なものが露出した。フィエがそれを何度か叩く。すると突然鉄騎兵の胸部装甲が上方にスライドして、操縦席が露わになった。


「なんだ?!」


 操縦席の兵士が驚く。雪がふわりと操縦席の中に入り込む。その雪と共に、胸部装甲にぶら下がったフィエの両脚が突入してくる。両脚は正確に兵士の頭部を打ち抜き、そのまま挟み込む。そして外に戻る反動を利用して、兵士を操縦席の外へと追い落とした。地面に叩きつけられ、そのまま坂を転がっていく。


 フィエは操縦席に入ると、青い鉄騎兵を少し前進させ跪かせる。エルツがその膝の上に跳び乗り、更に操縦席の中へと入ってくる。


「すごい! 見直したわ」

「まあ傭兵なんで、こういう小技も憶えないとやってられないんですわ」


 操縦席は狭い。一つの座席を分け合って座る。座席の左右には操縦桿がそれぞれある。フィエはエルツの腰を抱きかかえる様に操縦桿に手を回す。うん……そうね。柔らかい。いいね。


「なに? どうかした?」

「なんでもない、なんでもない」


 フィエは機体を旋回させた。視界に、白い鉄騎兵スフェーンと戦う青い鉄騎兵の姿が見えた。まだやられていない。フィエは鉄騎兵を走らせ、剣を抜かせる。こちらに気がついた二機は斧槍と剣を弾き合って距離を取った。青い鉄騎兵はこちらが乗っ取ったことに気がついていない。フィエの方に背中を向けたままだ。フィエはフルスイングで剣を振り回し、青い鉄騎兵の腰に打ち込んだ。


 鈍い金属音が響き、剣が曲がる。同時に青い鉄騎兵は腰からくの字に折れ曲がり、その場に倒れ込んだ。白い鉄騎兵スフェーンは戸惑っていた。斧槍を構えつつ、しかし打ち込んではこない。


『こっちは味方だ! エルツ王女殿下が乗っている!』


 フィエは拡声器で呼びかけ、鉄騎兵に剣を捨てさせた。操縦席は閉めたまま。どこかでエルツを狙っている者がまだいるかも知れない。鉄騎兵の中に居れば安心だ。


「殿下ーッ!」


 村の方からエルゴンが走ってくるのが見える。丁度良い。説明は彼にしてもらおう。



  —— ※ —— ※ ——



 エルゴンが配下の者に説明をし、彼らが制圧した七虹大隊の兵士たちを捕縛する間。フィエはエルツと共に鉄騎兵の中にいた。エルツはスフミの所に行きたがったが、フィエはそれを制した。ゆっくりと鉄騎兵を旋回させ、周囲を伺う。


「……もう、大丈夫?」

「ああ、どうやら他にはいない様だな」


 帝国軍の兵士や村の男たちも村の中やその周囲を探索している。今のところ何の報告もない。この村に入り込んだ七虹大隊は、捕らえた者たちで全部の様だった。


「そう」


 ぐすりと、エルツが鼻を啜る。その目尻に涙が浮かんでいた。


「どうした?」

「何でもない。降ろして」


 フィエが操縦席を開けるとエルツは外に降りた。ゆっくりと歩き、その歩みはやがて走りへと変わる。その行き先は撃たれたスフミの所だろう。フィエはエルツにかける言葉が見つけられず、ただその背中を見送るしか無かった。


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