【十三】占領とはかくも難しい

 良い匂いが漂ってくる。

 鼻歌を歌いながらスフミが鍋の中身をかき回している。干し魚と芋、根菜を一口サイズに切って煮込んでいる。祖母から習ったこの地方の郷土料理だと言う。


 旦那のプラナはさっき一度顔を出して、フィエがいないことを知るとまた出て行った。馬は用意してくれるとのことだった。


「良かったわ。この様子だと食事はしていけそうね」


 スフミが鍋の蓋を閉じ、棚から皿を取り出す。エルツは慌てて駆け寄り、皿をテーブルに並べるのを手伝う。「ありがとう」とスフミが柔らかく微笑む。


 木製の皿が四枚。それに楕円状に焼いたパンを添え、テーブルの中央に温めた鍋を据え付ける。あとは二人が戻ってくるのを待つだけだ。


 エルツは席に着き、じっとテーブルの上を見ていた。テーブルの上には鍋や皿の他に、ランプが灯っている。


「このお家には魔鋼器、なかったんですか?」

「んー? そうね、動かないのならたまに旦那が拾ってきたりするけど、大体誰かにあげちゃってるわねー」


 スフミはエルツの隣に座った。椅子が四脚あるのは、プラナの祖父母が生きていた時に名残だ。スフミは椅子ごとエルツの方に寄り、耳打ちする様に聞く。


「……あなた、本当に王女様なの?」

「ええ、残念ながらそう」


 なんとなくエルツも囁き声で答える。


「そーなんだ。すごいわー」

「すごいですか?」

「すごいすごい。王国のお姫様なんて、私だったらきっと目を回しちゃうわ」

「そんなことないわ。偉そうに見えてるだけで、私にだって出来るぐらいだもの。スフミにだって簡単に出来るわ」


 羊飼いの娘が王女しているのだ。たぶんそれほど特別なことではないのだ。王女には王女の、漁師の妻には猟師の妻の、それぞれの苦労があるだけ。問題は「どこ」に生まれたかということだ。それが王国に生きるということだ。


「でも、ほら。さっきしてたやつ、あれは出来ないもの」

「あー」


 魔鋼器の『開封』。あれは王家の血筋にのみ与えられた能力だ。正に王国という制度を象徴している様に思えた。エルツは掌を見つめ、開けたり閉じたりする。


「そうね。だから私がやらなくっちゃならないのよね」


 ふんすと気合いを入れるエルツ。不思議そうな顔をするスフミの前で、すくっと立ち上がる。


「やるわ! 安心して! 寒いのも戦争も、明後日には解決してみせるから!」


 エルツは高らかに宣言し、良く分からないスフミは拍手した。



  —— ※ —— ※ ——



「おー、いたいた。探したぞ」


 フィエの元にプラナが早足で近づいてくる。足元からざくざくと雪を踏む音がする。かなり積もってきた。


 フィエは村の入り口に立っていた。村境に巡らせている柵は、村外へ伸びる街道の部分は両開きの扉になっている。馬車が通れるぐらいの幅だ。今は閉まっている。フィエはその扉に手を掛け、じっと外を見つめている。


「馬は手に入りそう?」


 フィエは振り向かずに聞く。プラナは腕を組み、頭を搔き、足踏みをする。


「あー、んんー、そのなんだ。馬は、用意する。ただちょっと待って欲しい」

「王国軍が来るまで?」


 ぎょっとプラナが目を剥く。フィエは顔だけを振り返り少し楽しげに舌を出す。


「この村にも手配が掛かっているんだろ?」

「あー、そうだ。すまんな」

「どうする、捕まえるか?」

「……いや、止めておく。傭兵ギルドには恩義がある」


 腰に手を当て、何か決意した様に息を吐く。プラナの腰が据わった。


「ただ、置いておく訳にもいかん。すまんが」

「分かっているさ。早々に出て行く……と言いたいところなんだが」


 フィエは村の外へと視線を戻した。目を細める。村の外側は下り坂の平原が広がっている。空は雲に覆われていて雪が舞い降りてくる。日はかなり傾いているはずだ。周囲は薄暗い。平原の遠くにゆらりと光が揺れて見えた。


「なんだ?」


 プラナも気がついて扉に貼り付く。光の数は五つ、六つか。青い光、ということは魔鋼器に違いない。ゆっくりとこちらに向かっている様に見える。


「……鉄騎兵だ」


 一つに見えた光は、幾つもの光が重なっていたものだった。近づくにつれて、大きな人型の肘や膝などの各部から光が漏れ出ている様子がはっきりと見え始める。人型の魔鋼器、鉄騎兵だった。


「王国軍か?……にしちゃあ方角が」


 違うとプラナは思った。砦に報告にいった仲間が王国軍を連れてきたのかと思ったが、砦の方向はこの逆だ。


「いや、帝国軍だな」


 先頭の鉄騎兵の形が見え始めて、フィエが呟いた。直線的な装甲を纏ったあの形状は『スフェーン』という名の鉄騎兵だとすぐに分かった。帝国軍時代にフィエがよく乗っていた鉄騎兵だった。


 鉄騎兵スフェーンは四機連なって、村へと向かっている。それはエルゴン伯爵に率いられた帝国軍の先遣偵察隊であった。



  —— ※ —— ※ ——



 ほどなくして、エルゴン麾下の先遣偵察隊は村の入口に達した。入口には誰もいなかった。


 エルゴンは自身の鉄騎兵スフェーンだけを村の中へと進ませた。村の入口の両開きの扉は跳躍で飛び越える。機外に積んでいた歩兵を下ろし、先行させる。閑散とした村だが人の気配は感じられる。家の中からこちらを伺っているのだろう。ゆっくりと前進させる。


 村のほぼ中央。金属の柱が見えたところでエルゴンは停止した。村の奧から駆けてくる人影が見えたのだ。鉄騎兵スフェーンの左右に歩兵を配置し、操縦席の装甲を開く。エルゴンの軍服姿が露わになる。そこへ、駆けてきた人影が鉄騎兵スフェーンの随分前で止まる。四人、いや周りから加わって六人。全員男だ。


「この村の村長をしている! 何用だ!」


 中央の人物が声を上げる。村長だった。その隣にはプラナが立っている。


「うおっほん。私は帝国軍先遣偵察隊の隊長、エルゴン・チャド伯爵である! 今からこの村は帝国の支配下に置かれることになる。そう心得よ!」


 エルゴンは操縦席に立ち上がって、高らかに宣言した。この度の戦争において、恐らくは一番最初の領土獲得であろう。一番手、一番槍である。これは小さな一歩だが、エルゴンにとっては大きな一歩となるであろう。そう思うと少し感動してきた。


「……で、どうするんだ?」

「どうする、とは?」

「いや、儂等はどうなるんかの?」

「うむ。以後は帝国臣民として、皇帝陛下への忠誠を誓ってもらう。さすれば我らの庇護の元、更なる発展が約束されるであろう」

「はあ、発展ですか」

「例えばだ、貴様等の働き次第ではなんと魔鋼器を賜ることもあるのだぞ。そうすれば油無しで灯りを得たり、薪無しで煮炊き出来る様になる。どうだ、便利だろう?」


 エルゴンは鼻息を荒くして言った。しかし村民の反応は微妙だった。お互い顔を見合わせて、ひそひそと言葉を交わす。もう既に貰ったとは言いづらい雰囲気だった。


 兵士たちも微妙な顔をしていた。伯爵様、こいつらもう持ってますよ、その光を見てオレらココに来たんじゃないですか……とは言いづらい雰囲気だった。


「んで、タダで貰えるわけではないんじゃろ?」


 微妙な雰囲気を断ち切って、村長が声を上げる。なんとなく危険は無さそうだと察してか、エルゴンと村民たちの距離は縮まっていた。


「う、うむ。臣民の義務として、税は納めてもらうことになるな。労役は……ここは帝国より遠いからな。税で代えることも出来るぞ」

「税、税か……」

「どうした?」

「もう今年の税は払ってしまったから、この村には年越しの財ぐらいしか残っておらんのだ」

「そ、そうなのか?」

「今年の分が必要なら、この先に王国の砦があって役人がおるから、連中と交渉してくれんかの」

「儂が、交渉するのか?」


 交渉、王国と交渉するのか。今からあの村は帝国領なんで、今年連中が納めた分の税を寄越せと。それは私がやることなのか? いやしかし……。エルゴンは唸った。


「うむむ……」

「儂等、帝国でも王国でも、どちらでもいいんじゃが、無いモンはだせん。まあ来年からで良いと言うのなら」

「うむむむむ……」


 ますますエルゴンは唸った。事実上の税の免除。それはどうだろう。ここが伯爵領であれば私の一存で許可出来るが、恐らくここはまず帝国直轄領ということになるだろう。そうなると理屈の上では皇帝陛下の御裁可が必要に……。


「伯爵様伯爵様」


 右側に立つ歩兵が見かねてエルゴンに耳打ちする。


「お話しがズレていませんか?」

「はっ! そうだった」


 エルゴンは我に返った。そうだ、その前に確認することがあったのをすっかり忘れていた。エルゴンは咳払いをして、村長へと向き直る。


「村長、この村に滞在しているな?」

「? 誰がでしょう?」

「王国が第三王女、エルツ・スレドナ・スナイフェルス殿下だ」

「はて、その様な高貴な方がこんな辺境の村にいるとおっしゃるので?」


 村長は首を傾げる。両の掌を上げてみせる。エルゴンは『嘘』だと看破した。


「ふん。調べてみれば分かることだ」

「その必要は無いわ!」


 エルゴンが歩兵たちに指示を出そうとしたその時、凛とした少女の声が周囲に響き渡った。目を丸くする村長。


 川を跨ぐ橋の上。エルツは堂々と胸を反らし、名乗りを上げた。


「私ならここにいるわ。エルツ・スレドナ・スナイフェルスよ!」

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